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優しく呼ばれ惑わされて、眠らされる
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初めてのイフュムスを終えてから、俺はトイレにこもることが増えた。別に腹の調子は悪くないし、ロルガに腹を立てているわけでもない。でも、どうしてもここへ逃げ込みたい気持ちになる。
「ナルシィ、ナルシィ」
ドアのむこうで声がする。優しげな低音は返事がなくとも不機嫌にドアを叩くことなどしない。ただ愛おしげに繰り返す。俺の名を。
イフュムスの締めくくりとなる食事中に、ロルガは突然俺のことを「ナルシィ」と呼んだ。
「は? ナルセですけど?」
強烈な違和感に思わず真顔で突っ込むと、ロルガは表情だけで「お前はまったく……」と伝えてきた。天井を見上げ、大きなため息までつかれたが、俺にはさっぱりだ。
「いきなりなんだよ……」
「イフュムスで関係を深めた間では新たな名で呼び合うものなのだ。お前はこれから俺を何と呼ぶ?」
「え、何それ。知らない。え……何が良い?」
「お前が決めるものだ」
「急に無理だって……」
「仕方ないやつだ。あまり遅くなるなよ」
いや、無理だって。
ナルセがナルシィなら、ロルガはロルガィ?
そんなの俺が発音できるわけがない。
どうしたものか、と俺が頭を抱えている間も、ロルガは俺を「ナルシィ」と呼ぶ。何度も、何度も。前は「お前」と呼んでいたような場面でも、「ナルシィ」と呼ぶのだ。その顔がなんとも嬉しそうな表情に見えるから、俺はむず痒い気持ちになる。
それ以外にも俺の髪に指を通してみたり、意味もなく膝の上に座らせようとしてみたり、明らかにロルガの行動はおかしい。
どうすれば良いかわからなくなった俺は、やたらトイレに行き、こもる時間が長くなるというわけだ。
そんな俺の混乱を知ってか知らずか、ロルガは再びのイフュムスに誘ってきた。あの気持ちよさを思い出したら、否と言えるわけがない。
体が熱に慣れたのか、初回のように感情と思考が完全に働きを止めるようなことはない。その代わりに、ロルガとの話が弾む。万が一俺が自分のことを話し前の世界のことをうっかり口にして眠ってしまうと危ないので、主にロルガ自身やアパクランの話を聞かせてもらう。
イフュムスは元々、燻製作り中に羽目を外した職人が燻製小屋で宴会をしたことがはじまりであること。
そのせいで、サウナに入るとは言わずに「燻製しに行く」という言い方をする人が多いこと。
伝統的な習慣であり、国民的な娯楽であること。
サウナ浴中は何も持ち込めず暇だから、それぞれが語るようになったこと。
話の内容は身の上話から地域ごとの伝説まで幅広い。だからこの国ではあらゆる能力の中で記憶力が最も重要視されること。
ちなみにロルガは一度読んだ本の内容は全て覚えているという。だから料理の経験がないのに、作り方を知っていたと言われ納得した。
各家庭に燻製小屋があるが、家族以外とイフュムスをすることは稀なことで、特別なこと。未婚の人間が真剣な付き合いを始めるときには欠かせないという。
「ロルガってもしかして、俺のこと好きなの?」と冗談で言ったら、人差し指であごの下をくすぐられた。
「だとしたら、どうする?」
「……どうしよう」
予想外の返答をされ固まる俺を見たロルガは満足そうな顔をする。
「俺の新しい呼び方は決まったか? あのときに後回しにした言葉と一緒に聞かせてくれ。忘れるなよ」
「……ん、わかってる」
約束は果たせないまま、次のイフュムスに誘われる。
国民的な娯楽とはいえ、いくらなんでも頻繁にやりすぎではないだろうか。食糧庫に積まれていた薪がどんどん姿を消していく。贅沢をしすぎている気がする。
「木がもったいない」
「いくらでもあるんだから構わないだろう? 足りなくなったら切ってくれば良い」
「生木をそのまま燃やすと効率悪くない?」
「時間はいくらでもあるし」
「でもさぁ、そうやって無駄遣いするとよくないんだって」
「お互いに気持ちよくなれるんだから、無駄じゃないだろ?」
「その言い方、なんか意味深だからやめろ、やめろ!」
タチの悪いホストみたいだ、とつぶやいたところで強烈な眠気に襲われる。久しぶりの感覚に、この世界にはホストがいないことを知る。
いつもなら鼻先を弾くなりして俺を起こすのに、ロルガは俺を抱き寄せるとそのまま「おやすみ」と言った。
「ナルシィ、ナルシィ」
ドアのむこうで声がする。優しげな低音は返事がなくとも不機嫌にドアを叩くことなどしない。ただ愛おしげに繰り返す。俺の名を。
イフュムスの締めくくりとなる食事中に、ロルガは突然俺のことを「ナルシィ」と呼んだ。
「は? ナルセですけど?」
強烈な違和感に思わず真顔で突っ込むと、ロルガは表情だけで「お前はまったく……」と伝えてきた。天井を見上げ、大きなため息までつかれたが、俺にはさっぱりだ。
「いきなりなんだよ……」
「イフュムスで関係を深めた間では新たな名で呼び合うものなのだ。お前はこれから俺を何と呼ぶ?」
「え、何それ。知らない。え……何が良い?」
「お前が決めるものだ」
「急に無理だって……」
「仕方ないやつだ。あまり遅くなるなよ」
いや、無理だって。
ナルセがナルシィなら、ロルガはロルガィ?
そんなの俺が発音できるわけがない。
どうしたものか、と俺が頭を抱えている間も、ロルガは俺を「ナルシィ」と呼ぶ。何度も、何度も。前は「お前」と呼んでいたような場面でも、「ナルシィ」と呼ぶのだ。その顔がなんとも嬉しそうな表情に見えるから、俺はむず痒い気持ちになる。
それ以外にも俺の髪に指を通してみたり、意味もなく膝の上に座らせようとしてみたり、明らかにロルガの行動はおかしい。
どうすれば良いかわからなくなった俺は、やたらトイレに行き、こもる時間が長くなるというわけだ。
そんな俺の混乱を知ってか知らずか、ロルガは再びのイフュムスに誘ってきた。あの気持ちよさを思い出したら、否と言えるわけがない。
体が熱に慣れたのか、初回のように感情と思考が完全に働きを止めるようなことはない。その代わりに、ロルガとの話が弾む。万が一俺が自分のことを話し前の世界のことをうっかり口にして眠ってしまうと危ないので、主にロルガ自身やアパクランの話を聞かせてもらう。
イフュムスは元々、燻製作り中に羽目を外した職人が燻製小屋で宴会をしたことがはじまりであること。
そのせいで、サウナに入るとは言わずに「燻製しに行く」という言い方をする人が多いこと。
伝統的な習慣であり、国民的な娯楽であること。
サウナ浴中は何も持ち込めず暇だから、それぞれが語るようになったこと。
話の内容は身の上話から地域ごとの伝説まで幅広い。だからこの国ではあらゆる能力の中で記憶力が最も重要視されること。
ちなみにロルガは一度読んだ本の内容は全て覚えているという。だから料理の経験がないのに、作り方を知っていたと言われ納得した。
各家庭に燻製小屋があるが、家族以外とイフュムスをすることは稀なことで、特別なこと。未婚の人間が真剣な付き合いを始めるときには欠かせないという。
「ロルガってもしかして、俺のこと好きなの?」と冗談で言ったら、人差し指であごの下をくすぐられた。
「だとしたら、どうする?」
「……どうしよう」
予想外の返答をされ固まる俺を見たロルガは満足そうな顔をする。
「俺の新しい呼び方は決まったか? あのときに後回しにした言葉と一緒に聞かせてくれ。忘れるなよ」
「……ん、わかってる」
約束は果たせないまま、次のイフュムスに誘われる。
国民的な娯楽とはいえ、いくらなんでも頻繁にやりすぎではないだろうか。食糧庫に積まれていた薪がどんどん姿を消していく。贅沢をしすぎている気がする。
「木がもったいない」
「いくらでもあるんだから構わないだろう? 足りなくなったら切ってくれば良い」
「生木をそのまま燃やすと効率悪くない?」
「時間はいくらでもあるし」
「でもさぁ、そうやって無駄遣いするとよくないんだって」
「お互いに気持ちよくなれるんだから、無駄じゃないだろ?」
「その言い方、なんか意味深だからやめろ、やめろ!」
タチの悪いホストみたいだ、とつぶやいたところで強烈な眠気に襲われる。久しぶりの感覚に、この世界にはホストがいないことを知る。
いつもなら鼻先を弾くなりして俺を起こすのに、ロルガは俺を抱き寄せるとそのまま「おやすみ」と言った。
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