上 下
1 / 56

地下道を抜けたら、そこは雪国だった

しおりを挟む
「おっしゃる通りで、ございますぅぅ~」

 白い息と共に吐き出された大声は、あっという間に白銀の大地に吸い込まれた。
 ブルリ、と震えるうぐいす色のスーツに包まれた体を抱きしめるがちっとも温かくならない。
 山なし谷あり。得意なことはサービス残業の限界社畜、お得意の言葉は大自然の前に無力だった。
 
 営業先を目指して大都会の地下道を抜けたら、そこは雪国だった。

 何を言っているかわからないって?
 大丈夫。俺も全くわからない。

 俺は成瀬翔太郎、二十八歳には見えない童顔チビで日々舐められている。
 『強い刺激はシャットアウト、平和で明るいポカポカライフ』を合言葉にカーテンを売り続けて五年目の営業マンだが、新人にしか見えないらしい。法人営業課に所属し、不動産販売会社を相手にカーテンを売るが今季も成績は最下位だ。
 カーテンは部屋の一部。壁紙と同じだから取り付けて売っちゃいましょう、とマニュアル通り営業しているのだが上手くいかない。
 今期の目標は超高級タワーマンション・煌めきで標準採用してもらうこと。
 死ぬ気でやってこい、と上司から言われ、日々、走り回っている。
 "煌めき"は販売が正式に発表される前から話題沸騰になるほどの注目物件だから、担当者は精鋭が揃う。俺みたいな下っ端と話してくれる若手も見目麗しく、堂々としていて容赦がない。

「カーテンは毎日触るものだから、実物を見ないことにはねぇ」
「おっしゃる通りでございます」
「取り扱っているカーテンのサンプル全部持ってきて」
「全部、ですか……」

 メガネ拭きサイズのカーテンが集まったサンプル帳は、ひとつのシリーズでも百科事典サイズになる。もちろん重さだってずっしりだ。什器に並んだサンプルの数々を思い浮かべ気が遠くなる。

「君みたいなセンスのない人間の選ぶものなんて信じられないよ」

 タブレットにメモを取っていた彼のペンシルが空中でくるりと俺を囲む。
 晩秋にしては暑すぎる日々に、俺はまだ夏用スーツを着ていた。
 トントン、とペン先が二回揺れる動作はきっと、範囲選択、消去。
 去年セールで買った季節外れのスーツを着る人間を優秀な彼は許せないのだろう。

「おっしゃる通りでございますぅ……」

 得意のセリフと共に頭を深く下げ、打ち合わせを終えた。
 重い気持ちを抱えたまま、次の営業先を目指す。冷房の効いた地下道を歩いたって、すぐに背中は汗ばんでくる。
 早く冬にならないかな、もう嫌~! と思うのはいつものことだが、今日はそこに消えた~い! と新たな願望が付け足された。
 いらないものは選択、消去。
 必要とされない人生なんかやめた~い!
 そう思いながらビルへと続く重い扉を開けたときだった。

「う、わぁ!」

 強い風に引き寄せられるようにバランスを崩す。頭を守ろうと鞄を手放したが、床に落ちる音はしなかった。倒れた体に鈍い痛みは広がらず、代わりに冷たさが全身を震わせた。
 腕をゆるめ、顔を上げる。眩しさに一瞬で再び閉じることになったが、十分だった。見えたのは一面の銀世界。俺は深い雪の中に横たわっていた。汗に濡れた接触冷感スーツが雪の冷たさをダイレクトに伝えてくる。

「冷たーい!」

 体を起こし、辺りを見回すが何もない。今までいた地下道も、目指したビルもない。人っこ一人いない雪景色の中、俺は叫ぶ。

「おっしゃる通りで、ございますぅぅ~」

 意味がわからない状況にパニックだった。
 何をやっても上手くできない俺の生きる術は究極のイエスマンになること。
 姉と妹の言いなりになり、先輩のパシリを務め、会社に飼われてここまでやってきた。
 しかし、今度こそダメかもしれない。
 とにかく立ちあがろうと雪に両手をつくが、ズボッとそのまま埋まっていく。

「ぶ」

 ノーガードで雪面に激突する顔。呼吸をしようと顔を上げれば、真っ白な銀世界に小さな点が動くのが見えた。

「たっすけってええええ~!」

 全身が凍えて動かなくなっていく中、繰り返し叫んだ。
 小さな点が大きくなってきた気がする。
 これで大丈夫、と安心したのは数秒のことだった。
 こちらに向かってきている点は全身茶色で四足歩行。どう見ても野生の熊だった。
 あ、これ終わった。
 全てを諦め、目を閉じる。
 熊さん、俺チビガリだからあんまり食べるところないかも。成瀬翔太郎、享年28歳ってか。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

魔王様が子供化したので勇者の俺が責任持って育てたらいつの間にか溺愛されてるみたい

カミヤルイ
BL
顔だけが取り柄の勇者の血を引くジェイミーは、民衆を苦しめていると噂の魔王の討伐を指示され、嫌々家を出た。 ジェイミーの住む村には実害が無い為、噂だけだろうと思っていた魔王は実在し、ジェイミーは為すすべなく倒れそうになる。しかし絶体絶命の瞬間、雷が魔王の身体を貫き、目の前で倒れた。 それでも剣でとどめを刺せない気弱なジェイミーは、魔王の森に来る途中に買った怪しい薬を魔王に使う。 ……あれ?小さくなっちゃった!このまま放っておけないよ! そんなわけで、魔王様が子供化したので子育てスキル0の勇者が連れて帰って育てることになりました。 でも、いろいろありながらも成長していく魔王はなんだかジェイミーへの態度がおかしくて……。 時々シリアスですが、ふわふわんなご都合設定のお話です。 こちらは2021年に創作したものを掲載しています。 初めてのファンタジーで右往左往していたので、設定が甘いですが、ご容赦ください 素敵な表紙は漫画家さんのミミさんにお願いしました。 @Nd1KsPcwB6l90ko

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

処理中です...