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地下道を抜けたら、そこは雪国だった
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「おっしゃる通りで、ございますぅぅ~」
白い息と共に吐き出された大声は、あっという間に白銀の大地に吸い込まれた。
ブルリ、と震えるうぐいす色のスーツに包まれた体を抱きしめるがちっとも温かくならない。
山なし谷あり。得意なことはサービス残業の限界社畜、お得意の言葉は大自然の前に無力だった。
営業先を目指して大都会の地下道を抜けたら、そこは雪国だった。
何を言っているかわからないって?
大丈夫。俺も全くわからない。
俺は成瀬翔太郎、二十八歳には見えない童顔チビで日々舐められている。
『強い刺激はシャットアウト、平和で明るいポカポカライフ』を合言葉にカーテンを売り続けて五年目の営業マンだが、新人にしか見えないらしい。法人営業課に所属し、不動産販売会社を相手にカーテンを売るが今季も成績は最下位だ。
カーテンは部屋の一部。壁紙と同じだから取り付けて売っちゃいましょう、とマニュアル通り営業しているのだが上手くいかない。
今期の目標は超高級タワーマンション・煌めきで標準採用してもらうこと。
死ぬ気でやってこい、と上司から言われ、日々、走り回っている。
"煌めき"は販売が正式に発表される前から話題沸騰になるほどの注目物件だから、担当者は精鋭が揃う。俺みたいな下っ端と話してくれる若手も見目麗しく、堂々としていて容赦がない。
「カーテンは毎日触るものだから、実物を見ないことにはねぇ」
「おっしゃる通りでございます」
「取り扱っているカーテンのサンプル全部持ってきて」
「全部、ですか……」
メガネ拭きサイズのカーテンが集まったサンプル帳は、ひとつのシリーズでも百科事典サイズになる。もちろん重さだってずっしりだ。什器に並んだサンプルの数々を思い浮かべ気が遠くなる。
「君みたいなセンスのない人間の選ぶものなんて信じられないよ」
タブレットにメモを取っていた彼のペンシルが空中でくるりと俺を囲む。
晩秋にしては暑すぎる日々に、俺はまだ夏用スーツを着ていた。
トントン、とペン先が二回揺れる動作はきっと、範囲選択、消去。
去年セールで買った季節外れのスーツを着る人間を優秀な彼は許せないのだろう。
「おっしゃる通りでございますぅ……」
得意のセリフと共に頭を深く下げ、打ち合わせを終えた。
重い気持ちを抱えたまま、次の営業先を目指す。冷房の効いた地下道を歩いたって、すぐに背中は汗ばんでくる。
早く冬にならないかな、もう嫌~! と思うのはいつものことだが、今日はそこに消えた~い! と新たな願望が付け足された。
いらないものは選択、消去。
必要とされない人生なんかやめた~い!
そう思いながらビルへと続く重い扉を開けたときだった。
「う、わぁ!」
強い風に引き寄せられるようにバランスを崩す。頭を守ろうと鞄を手放したが、床に落ちる音はしなかった。倒れた体に鈍い痛みは広がらず、代わりに冷たさが全身を震わせた。
腕をゆるめ、顔を上げる。眩しさに一瞬で再び閉じることになったが、十分だった。見えたのは一面の銀世界。俺は深い雪の中に横たわっていた。汗に濡れた接触冷感スーツが雪の冷たさをダイレクトに伝えてくる。
「冷たーい!」
体を起こし、辺りを見回すが何もない。今までいた地下道も、目指したビルもない。人っこ一人いない雪景色の中、俺は叫ぶ。
「おっしゃる通りで、ございますぅぅ~」
意味がわからない状況にパニックだった。
何をやっても上手くできない俺の生きる術は究極のイエスマンになること。
姉と妹の言いなりになり、先輩のパシリを務め、会社に飼われてここまでやってきた。
しかし、今度こそダメかもしれない。
とにかく立ちあがろうと雪に両手をつくが、ズボッとそのまま埋まっていく。
「ぶ」
ノーガードで雪面に激突する顔。呼吸をしようと顔を上げれば、真っ白な銀世界に小さな点が動くのが見えた。
「たっすけってええええ~!」
全身が凍えて動かなくなっていく中、繰り返し叫んだ。
小さな点が大きくなってきた気がする。
これで大丈夫、と安心したのは数秒のことだった。
こちらに向かってきている点は全身茶色で四足歩行。どう見ても野生の熊だった。
あ、これ終わった。
全てを諦め、目を閉じる。
熊さん、俺チビガリだからあんまり食べるところないかも。成瀬翔太郎、享年28歳ってか。
白い息と共に吐き出された大声は、あっという間に白銀の大地に吸い込まれた。
ブルリ、と震えるうぐいす色のスーツに包まれた体を抱きしめるがちっとも温かくならない。
山なし谷あり。得意なことはサービス残業の限界社畜、お得意の言葉は大自然の前に無力だった。
営業先を目指して大都会の地下道を抜けたら、そこは雪国だった。
何を言っているかわからないって?
大丈夫。俺も全くわからない。
俺は成瀬翔太郎、二十八歳には見えない童顔チビで日々舐められている。
『強い刺激はシャットアウト、平和で明るいポカポカライフ』を合言葉にカーテンを売り続けて五年目の営業マンだが、新人にしか見えないらしい。法人営業課に所属し、不動産販売会社を相手にカーテンを売るが今季も成績は最下位だ。
カーテンは部屋の一部。壁紙と同じだから取り付けて売っちゃいましょう、とマニュアル通り営業しているのだが上手くいかない。
今期の目標は超高級タワーマンション・煌めきで標準採用してもらうこと。
死ぬ気でやってこい、と上司から言われ、日々、走り回っている。
"煌めき"は販売が正式に発表される前から話題沸騰になるほどの注目物件だから、担当者は精鋭が揃う。俺みたいな下っ端と話してくれる若手も見目麗しく、堂々としていて容赦がない。
「カーテンは毎日触るものだから、実物を見ないことにはねぇ」
「おっしゃる通りでございます」
「取り扱っているカーテンのサンプル全部持ってきて」
「全部、ですか……」
メガネ拭きサイズのカーテンが集まったサンプル帳は、ひとつのシリーズでも百科事典サイズになる。もちろん重さだってずっしりだ。什器に並んだサンプルの数々を思い浮かべ気が遠くなる。
「君みたいなセンスのない人間の選ぶものなんて信じられないよ」
タブレットにメモを取っていた彼のペンシルが空中でくるりと俺を囲む。
晩秋にしては暑すぎる日々に、俺はまだ夏用スーツを着ていた。
トントン、とペン先が二回揺れる動作はきっと、範囲選択、消去。
去年セールで買った季節外れのスーツを着る人間を優秀な彼は許せないのだろう。
「おっしゃる通りでございますぅ……」
得意のセリフと共に頭を深く下げ、打ち合わせを終えた。
重い気持ちを抱えたまま、次の営業先を目指す。冷房の効いた地下道を歩いたって、すぐに背中は汗ばんでくる。
早く冬にならないかな、もう嫌~! と思うのはいつものことだが、今日はそこに消えた~い! と新たな願望が付け足された。
いらないものは選択、消去。
必要とされない人生なんかやめた~い!
そう思いながらビルへと続く重い扉を開けたときだった。
「う、わぁ!」
強い風に引き寄せられるようにバランスを崩す。頭を守ろうと鞄を手放したが、床に落ちる音はしなかった。倒れた体に鈍い痛みは広がらず、代わりに冷たさが全身を震わせた。
腕をゆるめ、顔を上げる。眩しさに一瞬で再び閉じることになったが、十分だった。見えたのは一面の銀世界。俺は深い雪の中に横たわっていた。汗に濡れた接触冷感スーツが雪の冷たさをダイレクトに伝えてくる。
「冷たーい!」
体を起こし、辺りを見回すが何もない。今までいた地下道も、目指したビルもない。人っこ一人いない雪景色の中、俺は叫ぶ。
「おっしゃる通りで、ございますぅぅ~」
意味がわからない状況にパニックだった。
何をやっても上手くできない俺の生きる術は究極のイエスマンになること。
姉と妹の言いなりになり、先輩のパシリを務め、会社に飼われてここまでやってきた。
しかし、今度こそダメかもしれない。
とにかく立ちあがろうと雪に両手をつくが、ズボッとそのまま埋まっていく。
「ぶ」
ノーガードで雪面に激突する顔。呼吸をしようと顔を上げれば、真っ白な銀世界に小さな点が動くのが見えた。
「たっすけってええええ~!」
全身が凍えて動かなくなっていく中、繰り返し叫んだ。
小さな点が大きくなってきた気がする。
これで大丈夫、と安心したのは数秒のことだった。
こちらに向かってきている点は全身茶色で四足歩行。どう見ても野生の熊だった。
あ、これ終わった。
全てを諦め、目を閉じる。
熊さん、俺チビガリだからあんまり食べるところないかも。成瀬翔太郎、享年28歳ってか。
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