25 / 42
25、僕と決心と逃避行
しおりを挟む
思いを断ち切るように髪を短くして、夜が明けたら、師匠の前でも素直になれた。
自分のことは自分で決める。
もう泣かないって決めた。心の整理もきちんとできた。
だからジューと登校したって大丈夫、と思ったのは僕の勘違いだった。
「あぁ」
吐息みたいな小さな声と共にジューの視線が一点に集中する。
もちろんその先にいるのはクヤだ。まだ僕たちには気がついていない。ふわふわの髪が人混みの中にちらちら覗くだけなのに、ジューはあっという間に彼女を探し出した。
すっかり落ち着いたはずの僕の心は荒れ狂う。
神様とどんな約束をしたら、僕の心は軋むのをやめてくれるのだろう。
終わりにすると決めたのに、あっという間にジューへの気持ちを思い出してしまった。
「具合悪いから、帰る」
いつも通りの声でジューにそう言った。
「おぉ? 大丈夫か?」
僕の方を見もせずに、ジューは応える。視線はクヤに釘付けだ。
「うん。先生に言っておいて」
「わかった。気をつけて帰れよ」
「バイバイ」
もう泣かない。
そう決めたから、これは涙じゃない。
学校に向かう生徒たちの流れに逆らって、僕は一目散に街を飛び出した。
濡れた頬が気持ち悪い。
走って、走って、走って、息が続くのが不思議なくらい、僕は走り続けた。
行き先は家じゃない。
一人になれる、お気に入りの川べりだった。
糸が切れたように、崩れ落ちた。
座って、水面を覗き込む。サラサラと顔にかかる髪は不揃いで不恰好だ。
髪を切れば思いを断ち切れるなんて嘘じゃないか。
魔術師にとって髪の毛は大切なのに、細く切れやすい僕の髪はなかなか伸びない。
やっと肩を越しそうだったのに、台無しにしてしまった。
師匠をガッカリさせただけの大損だ。
「国一番の魔術師になる」
まだ幼かった僕の宣言を師匠は笑わなかった。
「そうか」
真剣な顔で頷いたのをはっきりと覚えている。
今だって、その思いは変わらない。
師匠のようなすごい魔術師になりたい、それがずっとずっと昔からの僕の夢だ。
小さい時から、たまに街へ行くと、大人たちの噂が聞こえてきた。
どうやら師匠は凄い人、らしい。
大きな川に橋を掛ける作業をたった一日でやり遂げた、とか、何十年もぼろぼろだった街道を平らにしたとか。
それがどのくらい凄いことなのか、本当のところはよくわからない。だって師匠はそんな大掛かりな術を発動させることはない。普段はせいぜいカマドに火を入れたり、洗濯物を乾かす風を起こしたり、風呂の湯を沸かしたりだろうか。
でもたった一度だけ、僕もそれ以外の術を見たことがある。
ジューと共に川遊びをしていた時のことだった。
いつもより少し下流で遊んでいた時に足を滑らせた。たったそれだけだったけど、場所が悪い。カーブがあるせいで水の勢いは強くなり、ジューと二人でどんどん流された。何度も顔が沈みそうになる中で僕が声を上げたのはたった一度だけ。
「ししょー、たすけて」
次の瞬間には、もう僕たちは川べりに引き上げられていた。
横には家にいるはずの師匠が立っていて、僕たちを小脇に抱えると大きく飛んだ。
鹿が跳ねるのとも、鳥が大空を羽ばたくのとも違う。走り出すように足を上げ、地面を蹴りあげただけで、僕たちは空高く浮かび、着地したのは家の前だった。
「風呂に入るぞ」
いつもより低い声で師匠に言われ、僕たちは急いでびしょ濡れの服を脱いだ。
そのまま風呂場に連れて行かれたが、浴槽は空っぽ。
「チッ」
師匠は大きく舌打ちしたが、面倒くさそうに腕を振れば、みるみるうちに浴槽はたっぷりの湯で満たされた。
「すっごい!!」
思わず歓声を上げた僕たちに、チラリと視線をやると顔をしかめた。怒鳴られるんだろうかと身構えたが、大きな息をひとつ吐いただけで行ってしまった。
ジューは見る見るうちに浴槽を湯で満たした師匠の術をすごい、すごい、と興奮していたが、僕の心は別の興奮を抱えていた。
師匠は、僕のSOSを聞き逃さなかった。あんなに小さな声だったのに。
それが何より嬉しかった。
あの日、僕の命は師匠に助けられた。
だから僕だって、いつか師匠を助けたい。ずっとそう思っている。
学校に行くのだって、そのためだ。
師匠が人と関わり合いたくないのなら、僕が代わりに街へ行く。
早く一人前になりたい。国一番の魔術師になりたい。
師匠よりすごい魔術師になって、師匠の力になるんだ。
髪の毛よ、早く伸びろ。
自分のことは自分で決める。
もう泣かないって決めた。心の整理もきちんとできた。
だからジューと登校したって大丈夫、と思ったのは僕の勘違いだった。
「あぁ」
吐息みたいな小さな声と共にジューの視線が一点に集中する。
もちろんその先にいるのはクヤだ。まだ僕たちには気がついていない。ふわふわの髪が人混みの中にちらちら覗くだけなのに、ジューはあっという間に彼女を探し出した。
すっかり落ち着いたはずの僕の心は荒れ狂う。
神様とどんな約束をしたら、僕の心は軋むのをやめてくれるのだろう。
終わりにすると決めたのに、あっという間にジューへの気持ちを思い出してしまった。
「具合悪いから、帰る」
いつも通りの声でジューにそう言った。
「おぉ? 大丈夫か?」
僕の方を見もせずに、ジューは応える。視線はクヤに釘付けだ。
「うん。先生に言っておいて」
「わかった。気をつけて帰れよ」
「バイバイ」
もう泣かない。
そう決めたから、これは涙じゃない。
学校に向かう生徒たちの流れに逆らって、僕は一目散に街を飛び出した。
濡れた頬が気持ち悪い。
走って、走って、走って、息が続くのが不思議なくらい、僕は走り続けた。
行き先は家じゃない。
一人になれる、お気に入りの川べりだった。
糸が切れたように、崩れ落ちた。
座って、水面を覗き込む。サラサラと顔にかかる髪は不揃いで不恰好だ。
髪を切れば思いを断ち切れるなんて嘘じゃないか。
魔術師にとって髪の毛は大切なのに、細く切れやすい僕の髪はなかなか伸びない。
やっと肩を越しそうだったのに、台無しにしてしまった。
師匠をガッカリさせただけの大損だ。
「国一番の魔術師になる」
まだ幼かった僕の宣言を師匠は笑わなかった。
「そうか」
真剣な顔で頷いたのをはっきりと覚えている。
今だって、その思いは変わらない。
師匠のようなすごい魔術師になりたい、それがずっとずっと昔からの僕の夢だ。
小さい時から、たまに街へ行くと、大人たちの噂が聞こえてきた。
どうやら師匠は凄い人、らしい。
大きな川に橋を掛ける作業をたった一日でやり遂げた、とか、何十年もぼろぼろだった街道を平らにしたとか。
それがどのくらい凄いことなのか、本当のところはよくわからない。だって師匠はそんな大掛かりな術を発動させることはない。普段はせいぜいカマドに火を入れたり、洗濯物を乾かす風を起こしたり、風呂の湯を沸かしたりだろうか。
でもたった一度だけ、僕もそれ以外の術を見たことがある。
ジューと共に川遊びをしていた時のことだった。
いつもより少し下流で遊んでいた時に足を滑らせた。たったそれだけだったけど、場所が悪い。カーブがあるせいで水の勢いは強くなり、ジューと二人でどんどん流された。何度も顔が沈みそうになる中で僕が声を上げたのはたった一度だけ。
「ししょー、たすけて」
次の瞬間には、もう僕たちは川べりに引き上げられていた。
横には家にいるはずの師匠が立っていて、僕たちを小脇に抱えると大きく飛んだ。
鹿が跳ねるのとも、鳥が大空を羽ばたくのとも違う。走り出すように足を上げ、地面を蹴りあげただけで、僕たちは空高く浮かび、着地したのは家の前だった。
「風呂に入るぞ」
いつもより低い声で師匠に言われ、僕たちは急いでびしょ濡れの服を脱いだ。
そのまま風呂場に連れて行かれたが、浴槽は空っぽ。
「チッ」
師匠は大きく舌打ちしたが、面倒くさそうに腕を振れば、みるみるうちに浴槽はたっぷりの湯で満たされた。
「すっごい!!」
思わず歓声を上げた僕たちに、チラリと視線をやると顔をしかめた。怒鳴られるんだろうかと身構えたが、大きな息をひとつ吐いただけで行ってしまった。
ジューは見る見るうちに浴槽を湯で満たした師匠の術をすごい、すごい、と興奮していたが、僕の心は別の興奮を抱えていた。
師匠は、僕のSOSを聞き逃さなかった。あんなに小さな声だったのに。
それが何より嬉しかった。
あの日、僕の命は師匠に助けられた。
だから僕だって、いつか師匠を助けたい。ずっとそう思っている。
学校に行くのだって、そのためだ。
師匠が人と関わり合いたくないのなら、僕が代わりに街へ行く。
早く一人前になりたい。国一番の魔術師になりたい。
師匠よりすごい魔術師になって、師匠の力になるんだ。
髪の毛よ、早く伸びろ。
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】
彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。
「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる