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11、僕と師匠と小さな約束

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 女将さんのところを出発した時は、“師匠との仲良し大作戦”を絶対に成功させなければ!と緊張していた。嫌な予感ばかりがわけもなく湧いてきたが、師匠の姿を見つけた瞬間、そんなものすっかりどこかに飛んで行った。

 昔はジューと遊ぶのに夢中で、帰りが遅くなっては師匠がこうやって迎えにきたのを思い出した。

「早く来い!」

 少し腰をかがめ、腕を広げるのは僕のためだけだ。
 どうして今まで気がつかなかったんだろう。
 ジューのためにもしたことはなかった。

 腕の中に飛び込んで、ぐるりと回してもらうのは久しぶり。
 記憶にあるより、それは低くてゆっくりで怖くない。
 それでも変わらず、もう一回!とせがみたくなるほど楽しかった。

  ◆◇◆

 久しぶりに並んで台所に立てば、何かおかしい。

「師匠? ここ何か変えた? 高さ違う」

 首を傾げる僕を、師匠は目を丸くした。
 いつだって必要なことは言ってくれないくせに、こうやって表情があれこれ伝えてくる。
 だからだ。
 中途半端にわかるから、師匠が何を考えているかわからなくなる。
  
「何? 言いたいことがあるなら言ってよ~」

 口を尖らせれば、師匠は笑って僕の髪をかき混ぜた。

「背が伸びたな。そのせいだろ、台所が低く感じるのは。……急に成長するもんなんだな」
「そっかぁ。師匠より大きくなるかな?」
「どうだろうなぁ。いっぱい食って、いっぱい寝れば伸びるんじゃねぇか」

 木の実を炒るのに使うのはいつもの平べったい鍋だった。
 パンケーキを焼くのも、薄パンを焼くのも、肉を焼くのもこれだ。

「女将さんとこでは火鉢で炒ったの」
「あぁ、いいよな。あそこは年中出しっぱなしにしてるのはそのせいか。茶を淹れるのも、豆煮るのも座ったままできるから便利なんだよな。うちも買うか」

 炭を入れておく火鉢は、暖房器具であり、ちょっとした調理器具でもある。
 大抵の家にあるものらしいが、僕はよく知らない。
 確かにジューの家にもあった。

「どうしてうちは火鉢がないの?」
「そりゃ、赤ん坊がいたからだ」
「女将さんちだっていたでしょ?」
「うちの子は異常に元気が良かったんでな! 火鉢なんかあったら投げ飛ばしそうだったからやめたんだ」
「僕ってそんなだったの?!」
「忘れちまったか?」

 自分がどんな赤ちゃんだったのか、なんて覚えているわけがない。
 
「いつだって、元気な子だった。なんでも俺のやることを真似したがってなぁ」
「赤ちゃんなんてみんなそうじゃん」
「お前は真似するレベルが異常に高かった。知らないうちに風を起こして遊び出したのには驚いた」
「あ、確かに風の起こし方は習ってないかも」
「おっかなくて、お前が大きくなるまでは火を使う魔術を使えなかったな」
 
 師匠がちょいちょいと人差し指の先を動かせば、かまどの薪に火がともる。
 
「もう入れていい?」
「あぁ、全部入れちまえ」

 ざらざらと音を立てて木の実を鍋に入れる。
 両手で掬って山盛りいっぱいくらいあるが、ちょうど重ならずに入る量だった。

「女将さんとこでやった時はちょっと焦げた。やっぱり師匠は魔術でやるから、あんなに綺麗な色になるの?」
「魔術は使わん」
「そうなの?!」
「風で掻き回すっていう手もあるんだが、その場合はかまどの火には影響しないように、鍋の中だけで弱い風を絶えず動かさなきゃならん。意外と厄介なんだ」
「じゃあ、どうするの?」

 師匠が取り出したのは、なんの変哲もない木ベラだった。

「ひたすらこれで転がすだけだ」
「ウッソ……普通の方法だ」
「魔術なんて、意外と使い勝手が悪いもんだ。人力が一番ってなもんよ。鍋の縁に腕が当たらないようにな」
「うん」

 本当にひたすら木ベラで転がすだけ。
 あっという間に疲れるから、右手、左手、と交互に木ベラを持ち替えて両手を使った。

「お前は器用だなぁ。左右均等に使えるのはいいことだ」
「師匠もできるでしょう?」
「いや、俺は右ばっかりだ」
「そうなの?!」
「ほれ、見てみろ」

 僕から木ベラを受け取り、師匠が実演してくれる。
 右手は滑らかにかき混ぜるが左手はぎこちない。

「知らなかった……‼︎」
「そんなもんだ。俺だってお前がそこまで左右均等に使えるとは思わなかった」

 鍋一杯の木の実が良い色になるまで、僕たちは交代で木べらで鍋をかき混ぜた。
 取り留めない話はいつまでも続く。途中で薄パンと燻製肉をつまみ、野菜を齧った。立ったまま食事するだけで、日常を飛び出した気分になる。
 
 師匠は猫にお昼ご飯をとられたことがあること。
 木の実の殻を割るのは別に上手くないこと。割れた実はパンに混ぜて焼いていたらしい。
 最近、本棚を整理したら昔読んだ本が出てきたので読み返していること。

 知らない師匠の話をいっぱい聞いて、美しい焼き色のついた木の実を二人で食べた。

「次に木の実を拾ってきた時は、一緒に殻を割ろうね」
「じゃあ、お前用の道具を買わなきゃな」

 ガラス瓶に入った木の実がなくなる頃、また一緒にやろうね。
 師匠と交わした小さな約束に僕の胸は温かくなった。 
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