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第二章 漂流漂着
23: アルビーノ・ブキャナンとの接見
しおりを挟むその世界は、CUVR・W3に付き物の奇妙な歪みが一切なかった。
それは、岩崎がはじめに漏らした言葉、『我々は現実に戻ってしまったのか?』に一番良く現されている。
動揺を一番強く感じていたのはイマヌェルだった。
彼の記憶と思念が導いた世界は、彼自身がかって体験した悪鬼の住む世界ではなかったのだ。
「まさか、、。間違うなんて。」
「いいや。恐らく君は間違っておらん。この世界が変わったんだ。」
岩崎が断言した。
彼にはそう言いきる根拠があった。
目の前に広がる風景は、岩崎が事前に確認して置いた国立精神病理学センターの前庭だったからだ。
そしてアルビーノ・ブキャナンが現在そこに収容されているならば尚更、イマヌェルが導いた場所は正解だったと言えるのである。
「貴方が、昔、その凶悪な世界をのぞき込んだのはいつ頃の事ですかな?」
「あの後始末をやった少し前です。だから、これだと直ぐに判った。しかしもう少しましだったような気もします。」
「、、、多少は治療効果があったという事になるのか、、、。」
「今、なんと仰いました?」
「いや、この世界のマスターの変化の事ですよ。時は人を変える。しかし、ここは余りに現実的過ぎるな。」
「いいえ。現実とは少し違うようだわ。あそこをご覧なさい。現実にはあり得ない光景だわ。」
保海真言が指さす方、つまりセンターの玄関付近だが、そこには銀甲虫が二人一組の状態で玄関先を往復する形で警護に当たっていた。
「この世界がどれぐらい現実に近いのか、中に入って見れば判る。現実世界では今、私の部下がこの建物の中に捜査で入っている。だとすれば、ここに何らかの影響が現れているはずだ。さあ行こう。」
保海真言は自分の手の中に二次元刀を出現させていた。
この世界での二次元刀は二次元刀である得るのかという問題はあった。
しかも『あの存在』がいるCUVR・W3でその行為を行うことは、一種の賭であったが、もし銀甲虫達が彼らの侵入を阻むのなら、彼らを突破できるのは保海真言の戦闘能力と二次元刀の破壊力しかないはずだった。
岩崎は真言の手の中に握られている日本刀をちらりと横目で見たが何も言わず、歩を進めた。
案の定、一組の銀甲虫達が岩崎らの進路を阻んだ。
「偽物だわ。ヘルメットにペイントがないわ。」
真言がめざとく見つけて岩崎に告げた。
岩崎はチームリーダーだった。
「偽物じゃありません。ビッグマザーのデータが不足しているだけだ。こんな事はCUVR・W3ではよくある。」
イマヌェルが囁き返す。
スペシャリストのイマヌェルでさえ、仮想と現実の区別が付かないようになっているのだ。
「すまんが、アルビーノ・ブキャナン博士に面会したいんだが。君ら銀甲虫だろ?市警本部の岩崎と言えば判って貰えるとおもうのだがね。」
岩崎が大声を出した。
イマヌェルの顔が青ざめた。
イマヌェルにもこの世界のマスターの大体の予測は付いていたが、岩崎がこれほど直接的な申し入れをするとは考えても見なかったのだ。
ここはマスターの世界だ。
これではまるでCUVR・W3の中で、殺してくれと注文しているのと同じだった。
銀甲虫達がまるで昆虫が歯がみするようなキリキリとした音を立てた。
その瞬間、真言が岩崎と銀甲虫達の間にスルリと割り込んだ。
途端に二人の銀甲虫の胴体が上下に切断される。
残った岩崎達には今一体なにが起こったのか、瞬時には理解できなかったようだ。
二組目の銀甲虫達はこちらの様子を見ているにも関わらず、かなり離れた位置で足踏みを繰り返していた。
まるでどこかでコントロールをしている人間が捜査を途中でほっぱらかしにしてしまったロボット玩具の様だった。
「現実世界なら、君は殺人の現行犯逮捕という所だが、まあいいだろう。」
岩崎は目の前に転がっている銀甲虫の亡骸を見ようともしないで、進み始めた。
真言は自分が二次元刀で殺傷した銀甲虫達の人体標本模型の様な、断面をちらりと見ながら、岩崎の後を追った。
・・・・・・・・・
マーシュ刑事は、デスプレィ越しにアルビーノ・ブキャナン博士と対峙していた。
映像化されたアルビーノ・ブキャナン博士の顔は、輝くような短く刈りそろえられた癖のない銀髪以外にこれと言った特徴がない人相をしていた。
左右の瞳光彩の色が微妙に違うのと、瞳孔の大きさが違う事がかろうじて特徴として上げられるが、全般としては何処にでもいる平均的な顔立ちといえた。
「どうしたね。悪鬼の様な男が目の前に現れるとでも思っていたのかね?」
初めて聞くアルビーノ・ブキャナン博士の声だった。
勿論、本人の肉声ではないので、それが彼本人のものとは断定は出来なかったが。
そしてその肉声もこれと言って特徴のないものであった。
マーシュはこの会話を日常生活で使うヴジホンでの会話の様な錯覚に陥り始めていた。
実際にはブキャナンは、彼の右手奥にしつらえてある処刑用の電気椅子のようなものに繋がれその頭部に差し込まれた電極を通じて話しているのに過ぎないのだが。
「私の用向きはご存じだと思うのですが、もう一度、確認いたしましょうか?」
何故、自分は第一級の殺人犯などに敬語を使っているのか不思議だったが、マーシュは知らぬ内にブキャナンに対してそういった態度を取っていた。
「偉大なるガタナ氏の死について、私に聞きたいことがあるのだろう?警察が私に事情聴取する事にどんな意味があるのか計りかねているのが本当の所だがね。出来れば、そこからお聞かせ願いたいな。」
マーシュ刑事は悩んだ。
うかつな情報を流せば、現在CUVR・W3に接続している岩崎警部を危機に陥れるかも知れない。
かといって、自分は世間話をするためにここに来ているのではない。
自分にそのような微妙な会話術の能力が有るのだろうか?
「事情聴取ではありません。ガタナ事件についての貴方の見解を参考にさせていただければと思っているだけです。貴方は現役を離れても、この分野ではエキスパートだ。」
マーシュは、ガルモンド所長に表向きに伝えた事だけを、ブキャナンに繰り返すことに決めた。
デスプレィのアルビーノ・ブキャナン博士は瞬きもせずに、マーシュを見つめている。
その後ディスプレイへの接続が絶たれたのかと思えるほどの時間が流れた。
その沈黙故、次の言葉はマーシュから切り出さざるを得なかった。
「ガタナ氏は、喉に彼自身の内蔵を詰まらせて死んでいた。直接の死因は窒息死です。内蔵は体内から摘出されて再び口から押し込まれたものではない。こう言った手口は非常にまれなものです。更にガタナ氏の死体の側には稼働中の簡易CUVR・W3用アタッチメントがありました。我々は犯人像の輪郭さえ掴めていないのが現状なのです。」
「それだけかね?」
「はぁ?」
「それだけで私に犯人像の輪郭を推理せよと?」
「ガタナ氏は、我が国の科学アカデミーの招待により講演にいらっしゃった。ただそれだけです。国内にガタナ氏を殺害しなければならない動機を持つ者は割り出せません。殺害現場は我が国のトップレベルの科捜が3日間に渡り精査しました。侵入者はありません。今の所、いわゆる(聖痕現象)現象を応用した密室殺人事件としか言いようがないのです。」
「臓器を切り離したんだろう?その切断面は?」
臓器の切断面の様相など、現場至上主義の岩崎でさえあまり拘らなかった点だ。
岩崎は、この事件には物証に重要性はないと早い時点で見切りをつけていた。
それを初対面のブキャナンから一番最初に問われてマーシュは狼狽えた。
「鋭く研がれた石器の様なものが使われたと科捜は言っています。その事自体は珍しいものではないとも。宗教がらみの異常犯罪では凶器に石のナイフが使われるケースがあります。」
ブキャナンはマーシュの補助的な説明などは聞いていないように見えた。
「胃壁や消化器官に大きな穴が開いていたのかね?」
「開いていません。」
「君たちが、事件がCUVR・W3で起こったと断定している一番の根拠は?」
「お笑いになるかも知れませんが、科捜がそう判断したからです。ここ十年間科捜がミスを犯した事は一度もありません。それにガタナ氏には開腹された跡もありません。口腔の中に詰め込まれてあった内蔵はDNA鑑定でも完全に氏のものです。それは私もこの目で確かめました。」
ブキャナンの瞳の虹彩がカットガラスのように瞬く、いやもちろん、マーシュ刑事が見ているのは只の再生映像にしか過ぎないのだから、それは彼の幻想と言えた。
「君は(聖痕現象)についてどれだけ知っている?例えば、内臓を切り取られるイメージを与えられれば、確かに人体は自らを傷付けるかも知れん。だがその内臓をどうやって外に出す?胃か人体の内部を通る消化器官を通してか?そこに穴はないと君は言った。(聖痕現象)は物体移動を可能にするほど神秘的なものだと君は考えているのか?」
「不可解なのは判っています。でもそれはこの事件が、通常の世界でのモノではないという事の証でもあるのです。」
科捜が最後まで究明できなかった点を突かれてマーシュ刑事はしどろもどろに答えにならない返答をした。
そして既にマーシュ刑事の顔色は上気し始めている。
「通常でないのなら、私に犯人像を問うのは馬鹿げている。私の犯罪心理学は人間に対するものだ。」
ブキャナンの口元に苦笑が浮かぶ。
勿論それもマーシュの幻想だ。
「でも貴方は!」
「私がなんだと言うのかね?」
マーシュは危うくアルビーノ・ブキャナン博士の挑発にのる所だった。
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