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第一章 遺産
15: 交渉成立
しおりを挟む「よう、おばさん。そんなガキより俺達の方がいい味してるぜ。」
頬に鶏の蹴爪をバイオ接続したチンピラ達のリーダー格の男が、わざとらしく舌舐めずりをしながら言った。
「絵に描いた様なお決まりの威し文句ね。私、銀甲虫のコールナンバーを持ってるのよ。」
ハートランドは保海を庇うように彼の前に出て胸を反らせる。
銀甲虫のコールナンバーは国家的重要人物に対する特典のようなものだ。
銀甲虫が本来の特別出動をしていない限り、ボディガードのようなサービスが受けられる。
銀甲虫が制度として成立する際に、このルールも裏取引の材料として発生していた。
他にもごく僅かだが、一般人用に、本人がそれを申請し、資格が認められばコールナンバーが与えられる特例もある。
それがあるからハートランドは、こんな場所での悪戯めいた出会いを楽しむつもりになったのだろう。
「ふん。そんなもの役に立つもんか。アタシも昔、あんたと同じようにミッキーマウスクラブに入ってたんだよ。所がどうだい。あの糞虫どもがやって来たのは、私がレイプされた後だった。」
ヤク中らしい女が喚いた。
その女のTシャツには擬人化された狂犬の顔のプリントがしてある。
保海は彼らがカルマドッグと呼ばれているチームである事に気づいた。
彼らはヤクザの様な組織でも少々手を焼く存在だった。
「と、いう事さ。奴らが来るかどうか、数秒有れば片が付く。嘘だと思うんなら、やってみな。」
ハートランドはハンドバックを引っかき回して、リップステックの様なモノのスイッチを押した。
そして数秒後、ハートランドはその美しい眉をひそめた。
リップステックからは期待された反応が返って来なかったのだろう。
その様子を見ていた男はヒステリックに笑った。
頬から生えだしている鶏の蹴爪が震えている。
「残念だったな。呼び子は効かないぜ。この街には銀甲虫よけの魔除けが至る所にあるのさ。なにせ、ここの連中はあの糞虫共が大嫌いだからな。」
その時、ハートランドの後ろにいた真言がするりと前にでた。
「思い出した、貴様らカルマドックだな?保海組のガトーの叔父貴の手を焼かせているそうだな。なんなら、ここで全員始末してやろうか?」
そう静かに言い切った真言の顔を、鶏男は不思議なモノを見る目付で見つめた。
カルマドックはこの町に巣くっているギャング団だ、誘拐、拉致、人身売買なんでもやる。
「ああん?なんだこの坊主は?家に帰ってせんずりでもこいてろ。」
鶏男が、子どもを脅かすように、真言に両手を突き出しながら舌を左右に動かして見せた。
それに対して真言は左手を軽く前に振り出した。
途端、鶏男の両腕がボトリと地面に落ちた。
余りにもあっけない真言のアクションと、残酷な結末だった。
「野郎!」
バイオアップされたもう一人の男が真言に一歩大きく踏み込んだかと思うと、回転し、その勢いで強烈な脚蹴りを放った。
男の蹴りと同時に真言はゆらりと動いた。
その動きは男の回転と同じ方向に、しかもその内懐に向かっていくものだった。
二人の身体が入れ替わったあと、脚蹴りを放った男の脚もふくらはぎから両断されている。
なぜか血は鶏男と同じく噴出しない。
真言はハートランドの為に、彼らがバイオアップであった事を感謝した。
例え二次元刀を使っていても相手が生身の人間であったなら、噴出する血の残酷なイメージの為に、真言は彼女から一生、口を利いて貰えなかったに違いない。
残ったヤク中の三人には目の前で何が起こったのかが理解できていないようだった。
それほど真言の動きは静かで、又、二人の男達を傷つけた凶器さえもその在処を見せなかったのだ。
「おい鶏。あいつらに医者を呼ばせる事だな。今なら間に合うぜ。」
鶏男の目は自分の切断された量手首に釘付けだったが、その焦点は合っていなかった。
彼の手首の切断面からは、緑色の粘液質のモノがにじみ出している。
だがそれは滴り落ちてこない。
血が出ないという事を除いては、バイオアップのパーツの典型的な切断面であったが、鶏男にしてみては、始めてみるものだったに違いない。
真言はハートランドの肘を掴むと、悠然と車に向かって歩き始めた。
カルマドック達の叫び声が入り交じり始めたのは、真言達が車に乗り込んで暫くした後だった。
環状ハイウェイを誘導ビームオートで流す真言の車の中で、ハートランドは小さく震えていた。
「真言君は、変わったのね。」
「昔は虫も殺せない気の優しい子だった?僕自身にはそんな記憶はないが、、、。ところで、貴方がミッキーマウスクラブに入っていたなんて、その方が意外ですよ。」
表向き、選ばれた善行を積んだ優良市民には、銀甲虫への情報提供の見返りとして彼らの出動要請権が与えられる、という事になっている。
一般市民はそれを半分は憎しみと嘲りの気持ちを込めてミッキーマウスクラブと呼んでいた。
実際にはそんな人間は殆どいない。
たまにいても、あのカルマドッグの女の様にこのシステムを本心から信じ込み、裏切られる事になる。
「今じゃ銀甲虫のコールナンバーは、有力者でなくても、お金で買えるのよ。たれ込み屋クラブに入る必要はないわ。それに私は、お金なんて払ってない。CUVR・W3への貢献が評価されたのよ。」
ハートランドは自尊心を傷つけられたと感じたのか少し怒ったように言った。
「成る程、銀甲虫はいつでも呼び出せる公的ボディガート代わりという訳だ。大したもんだ。金と権力はいつでも人間に魔術を見せてくれますからね。」
真言はどう猛に笑って見せる。
別段、意識してその表情を作って見せたのではない。
それはこんな時の彼の習い性だった。
「今の君のその顔は、人を脅すときの保海源三郎にそっくりだわ。」
「、、どうでも良いことだ。それより今ので僕は子どもじゃないという事を貴方に示して見せた。僕の頼みを大人の頼みとして聞いて貰えますか?」
保海真言はハートランドの恐怖が醒めない内に最後の威しを掛けた。
ハートランドは真言が寝小便を漏らしていた時代を知る女だ。
そうでもしなければ軽くあしらわれるのは目に見えていた。
「そのチンピラじみた言い方は気にくわないけれど、まだ私に協力できる事があるなら言ってご覧なさい。」
「CUVR・W3に潜りたい。できますか?叔父貴の所のCUVR・W3を使ってでもいい。」
この申し出の為にハートランドの顔は更に曇った。
「確かに保海源三郎が起こそうとしている企業設備のシステムはもうスタンバイしている。私の口から言うのはなんだけど、ソラリスと比較しても兼色はないわ。でも今やるのには危険が伴うのよ。ビッグマザーに接続するのには政府の認可が必要なの、源三郎は必死になってそれをとりつけようとしているけど、時間がかかりそうだわ。」
「秘密裏に接続しなければならないという事ですね。それは僕にとっても有り難い。貴方ならそれが出来る筈だ。」
「仕方ないわね、、。でも直ぐにと言うわけにはいかないわ。準備がいるし、それに長くも続けられない。いいわね。」
「で、いつ?」
「明日の昼から。ビバリーのボシュロム美術館を知っているわね。今は廃館になっているけど、そこに来て。」
保海は車のビーム誘導を切り離すと、マニュアル操作に切り替えた。
急激な加速にハートランドが小さく息を飲み込んだ。
彼には明日の昼間までに、やって置かなければならない事がいくつかあったのだ。
何時までも美しい姥桜とドライブを楽しんでいる訳には行かなかった。
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