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第8章 束の間

69: 隠れていたピュグマリオン

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 守門は、3度目のノイジーとの打ち合わせに出向いていた。
 もちろん、打ち合わせというのは、守門の自分自身に対する口実だ。
 中身は過日のデートもどきで、ノイジーを拒んた形になった事が、誤解されているのではないかという気がかりを解消する為のものだった。

 これが普通の男女の関係なら、守門はこういった事に拘りを感じる人間ではない。
 それにノイジーなら、例え人間関係に齟齬が生じていようとも、レッド退魔の為の共闘は必ずやり遂げるのはわかっていた。
 ただ守門は、ノイジーの過酷な過去を知っている人間として、ノイジーに「お前の正体が男だから拒んだ」と思って欲しくなかったのだ。
 だからと言って逆はないが、本当に「男だから」拒んたわけではないのだ。
 いつもなら連絡はノイジーの側からだったが、今回は守門が教えてもらったコミューターの「識別番号」を使った。
 例のノイジー自体に、着信する識別番号だ。


「そちらから来てくれたんだ、珍しいね。忙しいんじゃないの?」
 まるで少し険悪な状況に陥った恋人同士の雰囲気だった。
 落ち合い場所も、都内の洒落たカフェ、テーブルの上にはすっかり冷めたコーヒー。
 今日のノイジーは、何時もの女子高生スタイル、まるで、高校教師と生徒の恋愛スタイルだった。
 守門は、自分の社会的立場を気にし始めた高校教師といった役どころか。

 もちろん守門にしてみれば、ノイジーとそんな関係になった覚えは一度もない。
 だがノイジーがどう感じているかは判らない。
 それが一番の原因だと思ったが、兎に角、守門は自分の犯した間違いを謝罪したかった。

「キスしなかったのは、君が男だからじゃない。それを伝えに来たんだ。」
 守門は言い方を色々と準備していたが、口から出たのは一番簡単で、直接的な言葉だった。

「女だったらキスしてくれたの?」
「それもない」

「私を嫌ってるって事?」
「なんでそうなるんだい。二つに一つしかないのかい?」
「好きになったら、そうなるのが自然でしょ、」

 守門は黙りこくった。
 泥沼、理屈が通じない状況。
 こうなったら何を足掻いても無駄。
 エクソシストになる前、まだ普通の少年だった頃、守門も思春期には何度かそういう経験をした。
 もちろん小夏との関係は別格だったが。
 それを思い出したのだ。
 そんな守門の様子を見て、ノイジーが突然笑い出した。

「もういいわ。許してあげる。私も色々な恋愛の形を知ってるつもりよ。私たちは、レッドをやっつける事で、それをやる事にしましょう。」
 やっぱり「普通の女の子」だと、こうはならないだろうと、守門は安堵した。

「それに先客さんには、勝てそうもなさそうだし。」
「先客?」
「やっぱりね。自分では気が付いていない。」

「本当に分からないんだ。君の口振りだと、僕に他の恋人がいるみたいな感じだけど、身に覚えはないし、第一、僕は」
 小夏の事を口に出しそうになったが、馬鹿にされそうなので止めた。
 それ以前に、守門自身がその感情を持てあましていたからだ。

「私が感じ取れるのは、空中を飛び交ってる電波や信号の意味だけじゃないのよ。人間の身体の中を流れてる色々な電流の変化を分析して、人が自分では圧し殺しているような感情も読み取れるの。特に恋愛感情は得意分野だわ。テレパシーとは、ちょっと違うけどね。」
 本気で言っているのか、冗談なのか判らなかった。
 だがノイジーの能力ならそういった事に力が及んでも不思議ではない。

「守門は勇敢だけど、恋愛に関しては臆病。昔、それで大けがをしたことがあるんでしょ?でもそれは誰にでもある事なのよ。特別な事じゃないわ。そして守門は今、もう一度それをやり直そうとしてる。その相手が、私じゃないのは悔しいけどね。」

「僕も正直に言うよ。昔、好きだった人がいた。それは当たっている。そして彼女は決して忘れることの出来ない場所に行ってしまった。でも、、」
 そのタイミングで、守門のコミューターに着信が入った。

「例の鉄山って、刑事さんでしょ?出れば」
 ノイジーの皮膚周辺にある電子的な変化は、ノイジーが意図して、それらを遮断しない限り直ぐに伝わる。
 人の肌が、熱い寒いを感じるレベルだ。
 それは、盗聴の類には鉄壁の防御を誇るコミューターに対してでも同じ事だ。
 これで、折角の和解ムードが台無しになるのか?と、守門は奇妙な考えに囚われた。
 だが鉄山が伝えてきた内容は、勿論、そんなものではなかった。
 ノイジーが興味深げに過通話中の守門の顔を見ていた。

「・・・ラボの能都聡子、って人が取調中に姿を消したらしい。能都さんは、僕のレッド追跡に深く関わってくれていた人だ。彼女には色々とモヤモヤしたものを感じていたけど、鉄山さんのお陰で、ようやくその意味が解った。それと、もう一つ、僕らには有り難い情報だ。そっちは、もうちょっと後で詳しいことが判る。」
 守門は、能都がロボットに見せる偏愛を、ノイジーにどう説明するか迷った。
 それこそが、この事件の発端の鍵であるのに、通常では理解しがたい人間の心理だったからである。


「能都さんの事をもう少し説明しよう。ノイジーは、ピュグマリオンの話を知ってるかい?」

「うん、少しは聞いたことがある。人形愛と関係あるんでしょ。」

「ピュグマリオンは、ギリシア神話に登場するキプロス島の王様なんだ。現実の女性に失望していたピュグマリオンは、ある日、自らの理想の女性像をもとにして、ガラテアと名付けた人形を造った。で、そのうち彼は自分の人形に恋をするようになったんだ。それだけじゃなく、彼は人形が人間になることを願った、病的にね。だが、幾ら愛していても人形は人形に過ぎない。ピュグマリオンは愛するガラアテの人形から離れないようになり、次第に衰弱していった。そこで、その姿を見かねた女神アプロディーテが、彼の願いを叶えてやったんだ。そしてついに人形に生命を与える事が出来たピュグマリオンは、ガラアテを自分の妻に迎えた。」

 守門はピュグマリオンの話に準えながら、かいつまんでレッド誕生の成り行きをノイジーに説明した。
 守門も今まで気づかなかった事だが、能都聡子こそ、レッドが悪魔に憑かれた原因を作った第二の人物だったのだ。

 マーフィ博士がO・RO・T・Iプロジェクト推進に反対していた。
 プロジェクト自体はそれ程、順風満帆の状態で進んでいた訳ではないだろうし、五秒博士も単純な「魂のある人形」を作るつもりだった訳ではないのだろう。
 それらを総て丸め込んで、現在の形のラボに持って行ったのが能都聡子なのだ。

 能都聡子は女性版ピュグマリオンだった。
 そしてガラテアに当たる存在が、レッドだったわけだ。
 ギリシア神話に登場する神話上のキプロス島は勿論、五秒ラボになる。

 問題は、ガラテアに命を吹き込んだ女王だ。
 おそらくそれが、羊飼保だったのだろう。
 そして能都聡子は、ロボットを人間の代替えにしようという羊飼保の陰謀にも、薄々気がついていたに違いない。
 だが、彼女はガラアテに命を吹き込む誘惑に勝てなかった。

「ざっと、そんな感じだ。さて、そろそろかな?」
 守門は先ほどの連絡の中で、鉄山が伝えた時間の指示に従って、ラボの井筒にコミューターを発信した。
 鉄山は井筒にも、情報が漏れないコミューター回線を使うようにと、指示していたようだ。
 そのためには、守門側が井筒にコンタクトするしかない。
 ラボには情報セキュリティの関係で、受容型のコミューター回線しかないからだ。

 コミューターの受信部から、井筒のいつになく弾んだ声が聞こえた。
「所長から聞き出したんです!レッドの人工知能の苗床を、無効にする方法があるそうです!なんと、所長自身が対レッド用に作っておいたウィルスですよ!私は、その存在の確認を先ほどまで、やってたんです。そいつはご丁寧にも、ハイプドングル媒体に入れて在りました。これで多分、いけると思います。でも、それをやるには、ハード的に頭蓋骨をこじ開けて、奴のスタンドアローンな脳みそに、そのプログラムをぶち込む必要があるんですが、出来ますか?」
「井筒さん、ちよっと落ち着いてください。私は素人なんですよ。」
 守門は嬉しい気持ちで続く井筒の説明を聞いた。

 五秒は、羊飼との共同作業、いや科学者同士の暗闘とも言える局面の中で、いざという時の為の対抗処置を考えていたのだだろうか?
 それにしても自分が作ったウィルスを、ハイプドングル媒体に入れてまでコピー流失を防いでいる用心深さは五秒らしいと守門は思った。

 レッドの人工知能の苗床を無効化できるなら、それを解析すれば、レッド以外の人口知能にもそれを応用できる可能性があるのだ。
 五秒はその事を恐れ、このウィルスが使用される時は、あくまでレッドに対してだけと、予防措置を講じたのだろう。
 用心深く、細心の注意を払って、自分の創造物が引き起こすかも知れない厄災について責任を持とうとしている。
 そんな五秒が、なぜ能都に操られていたのか、守門にはそれが不思議だった。

 それにしても「ハード的に頭蓋骨をこじ開けて、奴のスタンドアローンな脳みそにプログラムをぶち込む」、、か、井筒の言う、それが出来るなら、既にレッドを制圧できているという事なのだが。
 その懐疑の瞬間、守門に、閃きが訪れた。
 そうなのだ、ノイジーなら「頭蓋骨をこじ開け」なくても、それに近いことが出来る。


「・・・ただし、レッドに取り憑いている悪魔の祓い方や、ウィルスで不安定になった人工知能が、悪魔にどう影響を及ぼすのかまでは、私には皆目見当がつきませんが。」
 大方の説明を終えて、ようやく落ち着きを取り戻した井筒が言った。

「いや、大助かりですよ。凄いじゃないですか、井筒さん、まるで映画の中の探偵か刑事みたいだ!」

「いや、これを御膳建てしてくれたのは凄い美人の刑事さんですよ。能都の陰謀を暴いて、それを所長に突きつけてくれたから、能都の操り人形だった所長も、色々と話す気になってくれたようなんです。いや、あの時は、本当にスッキリした。能都の顔を、見せたかったですよ。」
 鉄山なら相当、迫力のある自白誘導をする筈だと守門は想像した。

「しかし、このプログラム、どうやって届ければいいでしょうか?レッドは、これがある事が分かったらほっておかないでしょう。悪魔に取り憑かれてる、今なら、それを察知して妨害して来るかも知れません。警察に頼むんですか?でも、あの女刑事さんは、この問題は、調査官がなんとかすると。」

「ハイプドングル媒体でしたっけ。なら、プロテクトの強度をあげて、研究所のエリア51、おっと違った、プログラムの類は52でしたね。あそこで保管しておいて下さい。52なら、もしもの事があっても、少しは持ちこたえられる。時が来たら、こちらからノイジーって子がとりにいきます。」

 守門はすっかり五秒ラボの施設に馴染んていた。
 今では何処に何があってどんな特徴があるのか、更にそれぞれに対して職員が名付けた独特の符丁による呼び方までわかっている。
 「エリア52」は、51の一つ上のグレードを意味し、核攻撃を受けても揺るがないと言われる程の防護機能を持ったデータ及びプログラムの保管場所を指していた。

「取りに来る?」
「ええ、取りにいきます。」
 横で興味津々で、様子を見ていたノイジーが目を輝かせている。
 二人の話を傍受はしていなかったが、話の端々で、ある程度の予測がついているようだった。

「ノイジー、今、考えついたんだよ。作戦はこうだ。奴が活動を始めたら、周囲への影響が一番少ない場所に餌をまく。囮じやなく餌だ。そこで僕と奴と一対一の対決。超複雑だろ?これは誰にも言っていない、君が初めてだ。」

「そうだ、この作戦の名前は、ユディトにしよう。」
「ユディト?」

「旧約聖書のユディト伝に、こういうエピソードがあるんだ。アッシリア王国のネブカドネツァルは、ホロフェルネスを司令官にユダヤに攻め入った。アッシリア軍に包囲されたべトリアの町は降伏寸前だったが、町に住む一人の美しい寡婦ユディトが、一計を案じた。ユディトは着飾ってホロフェルネスの元に行き、彼にたらふく酒を飲ませたんだ。そしてホロフェルネスが酔いつぶれたのを見ると、その首を切り落とした!」

「問題は餌ね。今までの経過だと、レッドの餌は人間、、、だからやっぱり私が囮じやないと。」

「君が囮になるのは、発想として元から駄目だ。餌はレッドの知性を無効化するプログラムだよ。コピーが出来ない唯一のものをハイプドングルの形で収めてある。今は、ラボで厳重に保管してあるが、それを秘密の場所で攻撃型移動サーバーに移植するっていう意図的に情報をながす。」

「情報を流すだけでいいの?」

「いや、本当にやる。ただし、攻撃型移動サーバーってのは君の事だ。」

「でもそれって、囮とかわりないぞ。私は構わないけど」とノイジーは笑った。
 怯えた様子は、まったくなかった。

「囮じゃないだろ。君はその時点で最大最強の対レッド兵器を所持する事になり、しかも側には僕がいるんだ。囮じゃないよ。立派な主力戦士だ。」
「つまり、やっと私たちにも、勝機が見えて来たって事ね!」
「そういう事だ。やって、やろうじゃないか!」











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