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第6章 ケルベロスにはパンを、もしくは

52: ケルベロスの葬送

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 黒犬を先頭にして、様々な犬種の犬たちが斥候に出ていた。
 守門と里見の二人は、錆びた大型コンテナの影に隠れて、犬たちが消えた闇のむこうを伺っている。
 灯りといえば、このスクラップ場を乏しく照らす、申し訳程度の外灯が数本あるだけだ。

「ビンゴ。いたぞ、オロチだ。それに今は眠ってるようだ。犬たちを呼び戻すぞ。奴の居場所は分かった。犬達を危険に晒すわけにはいかん。側まで近づいたら、奴の隠れ家は俺が教えてやる。」

「ええ、ここからは僕の仕事だ。」
 しばらくして、黒犬を先頭に、犬たちが帰って来た。
 だが、守門達が、闇の奥へと移動し始めると犬たちも後を付いてくる。
 里見が、しきりと犬たちに帰れと念を送っているのが、横にいた守門にも分かった。

「どうしたんですか?」
「駄目だ。こいつら、駄目だと言ってるのに、ついて来やがる。一緒に闘う気でいるんだ。」
「あなたがここに残ればいい。ここまで近づいたんだ。後は僕一人で何とかしますよ。」
 いくらなんでも、この距離まで来たなら、小夏は無理でも鎧が反応を起こすだろう。
 守門は、そう思った。

 現に、鎧の内側が微かに熱を帯び始めている。
 『柱』と共振を起こし始めているのだ。
 本来、この鎧は、ヘパイストスがエクソシストであった父の為に、友情の証として悪魔祓い用の武器を作り上げ、父に譲渡しようとしたものなのだ。
 悪魔祓いを間近にして、起動しないはずがない。

「それは有り難いんだけどな。こいつら、俺が此処に残っても、あんたについていくつもりだ。」
 守門は、里見の顔を「どうするつもりだ?」という風に見た。

「しゃあねえ、最後まで付き合うさ。こいつらだけに行かせるワケにはいかない。だから、あんた、ヘマはせんでくれよな。」
 守門は、返事の代わりにニヤリと笑った。

 外灯に照らし出された道の両脇に、事故車や廃棄された車が山の様に積み上げてある。
「あれだ。あの大型ダンプの下。金属製のミンチみたいなグチャグチャに潰れたのの塊があるだろう。あれだよ。」
 守門にも、その気配の濃さだけは、分かった。
 だが視覚的には、里見にそう指摘されても、他のスクラップ塊とレッドの擬態との見分けは、未だにつかなかった。

 守門が動く前に、黒犬が強く吠えた。
 犬たちの宣戦布告だ。
 他の犬たちも、姿勢を低くして唸り始める。

 途端に、強い風切り音のようなものが聞こえ、ダンプが積み上げられた方向から、突風と共に細かな金属片が吹き飛んで来た。
 守門は咄嗟に、パンドラの鎧を使い、空間そのものを湾曲させた球面で自分と里見と犬達を覆った。
 その目に見えない球面の上を、無数の金属片が滑り落ちた後、数メートル先の道の真ん中に機械の塊の小山が、出現していた。
 そして間をおかず、その小山の中から、血塗られた金属の骨を持つ怪物が姿を表したのだ。

「うおっ、鉄屑のゴーレムみたいだな!」
 里見が、素っ頓狂な声を上げる。
 だが恐怖はないようだ。
 流石に、怪異に対する場馴れはしている。

「ふうう、、、お前と会うのは二度目だな。お前、なぜこの世界にいる?その人間に取り憑いているようにも見えないが。」
 どこかで聞き覚えのある合成音、、それは枯れて窶れたホワイトの声だった。
 その忌まわしい声を使って、レッドは守門ではなく「パンドラの鎧」の方に話かけているのだ。

 今まで、そんな反応を示した、悪魔憑きはいなかった。
 人間ではないモノにとりついたから、守門のような存在に対応できないのだろう。
 ここまでの憑依期間があっても、基本的に人間が何者なのかが、レッドには分かっていないのだ。
 今までの悪魔憑きは、守門の事を「力の強い特殊な人間」と、最初から認識していた。

「・・だがそんな力があっても、お前は、お前の従者を守れなかった。そこいらの人間と同じだな。」
 レッドのいう従者とは、おそらくホワイトの事だろう。

「ポンコツロボめ、やっと、まともに喋れる様になったか。」
 守門は、挑発しながら攻撃の糸口を探している。
 レッドは一度、次元転移を果たしている。
 『柱』の力を使う事が、できるのだ。
 単純な力押しの退魔は、失敗する可能性が高かった。

「おお!お前の正体が分かったぞ!雨降野守門。この国の政府が送り込んだ調査官。この私を追っている。」
 この時、レッドは自分に対峙している者の主体が「パンドラの鎧」ではなく、人間であることに、ようやく気づいたようだ。

「鈍いな、ポンコツ。」
「今、私はホワイトのデータをさらったのだ。その意味がわかるか、雨降野。」

 もちろん宗門は、レッドが鈍いのではなく、先ほどまで、レッドの中では守門の認知優先順位が極端に低かったのだということを、充分承知していた。
 そして未熟な悪魔憑きは、挑発にとても弱いことも。
 だが相手は人工知能に取り憑いた『柱』だ。
 守門の攻撃アプローチが今までのように有効であるかどうかは分からない。

「雨降野、お前、私にホワイトを殺された時どんな気持ちがした?ああ、そうか、お前はあの時、ホワイトを盾にしたのだったな。機械の従者に、哀れみの気持ちなど抱く筈はないな。」
 逆にレッドが、守門に精神的な揺さぶりを掛けてきた。

 もちろん言葉だけではない、実際にこの時に動く守門の心理土壌に波動攻撃をかけて、直接心に揺さぶりをかけて来ている。
 物理的ではないが、それは他次元を経由した精神薬投与のようなものだ。
 それも、あらゆる事象を、別次元の空間で把握し直せる『柱』の力の一つだった。

「オロチさんよう。随分な口をたたくよな。だいち、あんたも元はロボットだろが。」
 里見が守門のフォローに回る。
 流石に戦闘的エクソシストだ。
 その声に怯えは微塵もない。
 レッドの髑髏の顔が里見の方を見る。
 闇の中の物を、懐中電灯で照らし出すような動きだ。

「お前は、その犬達の仲間だな。人間には、仲間に入れて貰えない社会不適応者か、無理はないな。」
 レッドの攻撃の矛先が、里見に変わる。
 守門には『柱』の精神攻撃に対する耐性があったが、それを跳ね返す為には多少の時間が必要だった。
 そのタイムラグが、里見へのカバーを遅らせた。

「ほほう、これは面白いデータがみつかった。ホワイトは面白いデータを積んでいたんだな。性犯罪者のリストだ。お前は、幼児がダメだったから、犬にのりかえたのか?」
「違う!あれは誤解だ。俺はそんなつもりで!」
 里見は、先ほどの豪胆振りが、嘘のように見事に揺さぶられている。
 もしかするとその言葉は、里見にとって、普通の人間の発したものであっても動揺する内容だったのかも知れない。

「里見さん!」
 守門が気付けの声掛けをする。

「違う、違うんだ!」
 里見が守門の顔を懇願の表情で見る。

「わかってますよ!あんたはそんな人じゃない!会長はそんな人間と、絶対、契約したりしない。」
 守門が考えついた助け舟というよりも、それは戦闘的エクソシスト達に知れ渡る事実だった。
 『あの女は、人殺しは雇っても、ロリコンと差別主義者とは、絶対に契約を結ばない』と。

「面白いな。ホワイトを完全に取り込むのには失敗したが、その組成データからこうやって言葉を得た。人間の言葉などに意味はないと思っていたが、そうでもない。今のように人の心を攻撃できる。その反応も人によって微妙に違っていて、面白いものだ。」
 確かに物言いが、ホワイトによく似ていた。
 というよりもレッドは、ホワイトを取り込もうとした時に、この「話す」というコミュニケーション手段を手に入れたのだろう。

『駄目だ。』
 正面突破しかない。
 こいつに精神的な揺さぶりは通じない。
 相手は今までの悪魔憑きではない、ホワイトの思考パーターンと、思考速度を手に入れているのだ。
 こちらには、それを上回るカードが見当たらない。

 だが、そんな守門の決断より、先に動いたのは犬達だった。
 一斉に犬たちがレッドに激しく吠え掛かる。
 レッドが動揺を見せた。
 もちろん目に見える状況に対してではない。
 具体的な戦闘において、レッドが犬たちに押される筈がないのだ。

 犬に怯えているのは、『柱』本体の方だった。
 これといった知性の累積もなく、ただ本能的に自分に対抗しようとする犬という存在に、どう対処して良いのかが分からないようだった。
 守門は、この機会を最大のチャンスと捉え、自分が出せる最大限の退魔の力を躊躇なく放った。

 手応えがあった。
 もう少しで、レッドに取り憑いている『柱』が吹き飛ぶ。
 それにラボの科学者達や政府の関係者は残念がるだろうが、レッドの人口知能も、ついでに消滅しても構わなかった。
 赤座が言った「これからの研究に役立つ」の言葉は、引っかかっていたが、これはホワイトの弔い合戦でもある。

 ちゃんと向き合えば、人口知能はホワイトのように人間の友になり得る。
 そうだ。
 レッドの残骸の研究などしなくても、人口知能が全てホワイトのようになれば、人工知能は『柱』に狙われることなどはないのだ。

 しかし、そう守門が勝利を確信した途端、突然、黒犬が崩れ落ちた。
 それを期に、犬たちが次々に倒れていく。
 守門は、自分の退魔の力が、急速に落ちて行くのが分かった。
 犬たちが、守門の知らぬところで、守門の攻撃を支えていたのだ。

 もしかすると、守門が単独であれば、守門はレッドに力負けをしていたのかも知れない。
 勝利の高揚と復讐の念に駆られて、影で自分を支えていた犬たちの安全に気が配れなかった守門の痛恨のミスだった。
 全てを見通していたレッドは、守門に対抗するべき自分の力を、全て犬たちに、特に黒犬に向けていたのだ。

 それはレッドにしても、レーザーやカッターアーム等の外的な力に準拠しない、内面的な魔力の使った初めての戦いだったに違いない。
 無論、それはレッドという存在に、内面などという精神構造があるとすればの話だが、少なくとも犬に脅えたという事実を考えると、それに近いものが今のレッドにはあるのだろう。

 レッドは黒犬たちとの遭遇と、それと同時に行われた守門の攻撃によって、図らずも「恐怖」という価値観を手にしてしまったのだ。
 結果レッドは、守門が体勢を立て直すよりも早く、次元転移でこの場を逃げ去り、その置土産のように犬たちの死骸を残して行ったのだ。


 里見成義の目の前に、数頭の犬達の死骸が横たわっている。
 あまりに憔悴仕切っている里見を前に、守門は自分がおかしたミスへの反省の言葉さえ出せなかった。

「すまないが、車から、あのポリタンクを持ってきてくれ。俺が犬達を弔ってやらないと、」
「あれ・・こんな時の為に用意してたんですね。」
「いつも、覚悟してたが、実際にやるとなると流石にこたえるな。、、いや。サッサとやっちまおう。頼むよ。」
 里見の声が震えていた。




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