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第6章 ケルベロスにはパンを、もしくは
44: 斬馬という男
しおりを挟む斬馬は自分のトラックである「まぼろし号」に結界をはっていた。
結界といっても対魔用ではなく、人間用だった。
官庁街のど真ん中で、しかも荷室の横腹に大きなまぼろし探偵のペイントを施してある大型トラックを不法に駐車させているのだから、警官が飛んでくる恐れがあったし、何より通行の邪魔だ。
そういった問題を、この結界でクリアしている。
ただし結界と言っても、次元を折りたたんで、現実空間に違う異空間を忍び込ませるといった方法でやるものではない。
ただ単に、人には目に見えているが意識上では、そこにはない状態にするという、心理操作上の結界だ。
この結界では、警官にも、他の車のドライバーにも、斬馬のトラックは認知されているが、ぶつかる前に避けるといった行為以上の反応が起こらない。
感受性の極めて強い人間が「あれ?自分は今、何故、この道を迂回したんだろう?」と思う程度である。
つまり認知上の齟齬を発生させるのだ。
なぜこんな手の込んだことをするのかと言えば、斬馬にある人物の事を張り込む必要が出来たからだった。
斬馬には、張り込みをするために、他の目立たない車を使ったり自分の身体だけでそれをやるという気力がもうなかった。
斬馬は老人だ。
体力は未だに若者に負けないが、どんな物事にも勢いに任せてエネルギッシュに取りかかれる程の有り余る気力はない。
知恵を巡らせれば、楽に済むことはズルをしてでも楽にこなそうという所まで来ている。
人生の残り時間を考えるようになってから、そうなったのだ。
「ほう、あの男らしいな。婆さんが言ってたとおり良い男ぶりじゃな、、。」
官庁ビルの車止めに入ってきた黒塗りの車から出てきた男を見て斬馬は呟いた。
老婆によるとこの男、宗司貴宗は二年前、女狐に取り憑かれたという事らしい。
そしてその宗司貴宗が出迎えたのが、高級政府官僚の桃田喜一だった。
この男の情報も斬馬は事前に掴んでいた。
厚生省のトップ官僚で、同時に自民族中心主義グループ「尽忠報国」の一員でもある。
今、宗司貴宗は、桃田喜一の為に車のドアを開けてやっている。
肩書は桃田喜一直属の部下という所だが、実質は私設個人秘書のようなものなのだろう。
そしてそれ以外にも、桃田と宗司の関係には別の要素があるのが見て取れた。
宗司の出迎えに、桃田の表情が緩んでいた。
宗司貴宗は、斬馬が老婆に「なんとかしてやる」と安請け合いした人物だった。
そしてその老婆は、城島という男から託された人物で、それ程深い縁があるわけでもない。
それでも斬馬は老婆の頼みを聞いてやっている。
ある日、女狐に取り憑かれた孫は、その日から、男のくせに男の寵愛を求めるようになった。
老婆は霊能トラック野郎の名前でとどろいている斬馬に懇願した。
「狂ったのだ、あの子はそんな子ではなかった、何とかして欲しい」と。
しかしそれは単に、宗司貴宗が祖母に対して自分の性向きの不器用なカミングアウトをしただけの話なのかも知れない。
この年齢の女性だと、同性愛に対する理解など殆どないだろう。
まして両親に先立たれた孫を引き取り、自分一人で育ててきたのだ。
人一倍の愛情もあるだろうし、立派な男に育てたいという願いもあるだろう。
それが狐憑きという言葉に結びついた可能性がある。
だが斬馬は、この老婆が偶然目にしてしまったという孫の姿。
宗司貴宗が男と口づけした時の表情の描写が気になったのだ。
、、淫乱な狂ったバケモノ女狐。
この世の中には、時々、本物の怪異が落ちている。
それを拾って、元の場所に戻してやるのが儂の仕事だと、斬馬は思っていた。
桃田喜一を乗せた車が動き出した。
斬馬もその後をまぼろし号で追った。
スカイリバー大橋に入った時点で、斬馬は桃田を乗せた黒塗りとの距離を一旦詰めたのだが、その時、同じように彼らに接近してくる一台の車があった。
コンバーチブルのアメ車だった。
中には二人の若者が乗っていた。
彼らに異様な「気」を感じた斬馬は、運転席から二人の様子を観察し始めた。
それに気付いたのかコンバーチブルの助手席に座っていたサングラスの男がまぼろし号を見上げた。
男の口元が動いたが、何を言ったかまでは判らない。
その途端、突如、コンバーチブルはスピードを上げ、桃田の車に急接近した。
そしてあわやぶつかると思ったその瞬間、二台の車は、スカイリバー大橋の路面から消え去ったのである。
「やれやれ、たいそうな事だ。しかたないのう、やってみるか、、。」
斬馬はいかにも大儀そうに、そう呟くと、まぼろし号を転移させた。
・・・・・・・・・
「なっ、なんだ貴様らは!」
桃田喜一が宗司貴宗貴宗の背後で吠えた。
桃田は、危険だから車の中にいて下さいという宗司の指示を無視している。
宗司に良いところを見せたいという事もあったが、元来がこういう性格の男なのだ。
彼らの周囲には、砂漠が広がっている。
その中に一台のコンバーチブルがとまっていて、桃田が吠えた相手はその前にいる。
二人の今風の格好をした若者達だった。
その内、背の高いがっしりしたサングラスをかけた男が声を上げた。
「あんた、桃田喜一さんだよな?俺は譲治ウェイン。サイラボからの脱走者第一号と言えば判るかな?」
桃田喜一は暫く、自分の中の記憶をひっかき回すような表情をみせてから、思い当たる節があるのか目を大きく見開いた。
「下がっていてください。コイツらは、私が始末します。」
細身の宗司が、そう言って少し腰を落とした。
体格だけで言えば、桃田喜一の方がずっと大きく、宗司は華奢で女性的に見えた。
「サイラボの連中は、俺らを摘み食いする奴らばっかだったが、裏でふんぞりかえってた、あんたもって訳だ。いけねぇなぁ、、そいつはいけねぇよ。」
攻撃の構えをとった宗司を見て、サングラスの男が言った。
「それによ、おい、お前、お前も能力者だろ?なんでそんなヤツの味方してんだ?」
何故判る?と宗司は思った。
宗司の力は居合いのようなもので、相手に間を計らせず虚を突けば威力をます。
逆に相手に防御法を考えさせる時間を取らせれば戦いは不利になる。
相手が自分の力を知っているとなれば、もう既にこの闘いは不利だった。
早く決着を付けたいと、宗司の内圧は高まっていた。
「んー。どうやらお前、サイラボ出身者じぁねえな。俺っちの匂いがしないぜ。サイラボに押し込められる前に、そのオッサンに助けて貰ったのか?」
サングラスの男が次の言葉まで暫く間を置いた。
何かを、見ている、そんな雰囲気があった。
「・・・お前、その身体毎、そいつに売ったのか?」
「うるさい!」
宗司の『斬』が空間を走った。
それに連れて地面の砂に一直線の筋が入る。
だが宗司の『斬』は譲治には届かなかった。
届く前に、どこかへ行ってしまったのだ。
「効かねぇよ。お前ら、どうしてあの橋から、この砂漠に連れてこられたのか未だにわかんねぇのか?」
譲治の隣に立っていた男が言った。
「サイコキネシスか、こんな事を本当に出来るとは、、。」
桃田が唸るように言った。
「うらやましいか?でもまあ、お前らのサイラボでは、こんな事は百年かかってもできんだろ。ってかお前ら、もうこれ以上、能力者に手を出すのは止めて欲しいんだがな。」
そう言って譲治が顔につけているサングラスを外した。
元来、黒いはずの譲治の瞳が紫色に輝いている。
「お供の野郎も、やっちまおうか?この先、色々、邪魔になりそうだぜ。」
「やめとけロビン、そっちの男は俺が能力を枯らす。それで、そいつはもう何も出来ない。無駄に人を殺す必要はない。」
「そうして欲しいもんだな!若い衆!」
そんな声が対峙する彼らの間の空間から響いたかと思うと、そこから一人の老人が地面に向かってどさりと落ちてきた。
「、、やれやれ、こんな時、昔ならもっと格好良く登場できたんだがな。」
砂漠に尻餅をついた形で着地した斬馬は尻の砂を払いながら言った。
「ことろでそっちの魔眼じゃない方の兄ちゃんよ。あんた空間を操れるんじゃろ?」
「なんなんだよ、このじじい?」
ロビンはこの突然の闖入者に戸惑っているようだった。
「儂の乗ってたトラックがな、ここへ転移させる途中でどっかへ引っかかっちまったんだ。儂はこういうの慣れていないんじゃよ。なっ、後でいいからさ、儂のトラックなんとかしてくれないか?」
「へっ、何いってんだ、こいつ!」
「いいじゃないか、やってやんなよロビン、情けは人のためならずってな。それにご老人は大切にするもんだぜ。」
譲治が面白そうに言う。
「いいねえ。話がわかる!そんじゃ宗司貴宗君!この魔眼の兄ちゃんにお祓いして貰って、ばあちゃんの所へ帰ろう!それで全部終わる。」
「馬鹿な!何を言ってる!」
切れた宗司が再び『斬』を斬馬に向かって放った。
その『斬』を、斬馬仁が陰髭切りで切った。
陰髭切りを呼び出したのも、切ったのも一瞬の事だった。
「すげえぇ、、この爺ぃ。」
ロビンが震えるように言った。
いや実際、ロビンの身体は細かく震えていた。
「こいつは強敵だな、、。」
譲治が呟く。
「えっ?譲治でも、無理なのか?だってこいつ能力者だろ?」
「ああ力は持ってるが、俺達のとは違うみたいだ。だから俺もこの爺さんの力は枯らせねえかもしれねぇ」
「心配すんな、儂はあんたらと闘うつもりはない。宗司君を連れて帰れればそれでいい。」
「おい、あんた!私らを助けてくれたら、何でもしてやるぞ!」
今まであっけに取られて様子を見ていた桃田喜一が慌てたように怒鳴った。
「うるさい男じゃのう。ほれ!魔眼の兄ちゃん!手っ取り早く、宗司君のお祓いをしてくれ。そしたら儂は、宗司君を殴って連れて帰る。そっちのおっさんは、好きにしたらええ。」
「はは、こいつは傑作だ。久しぶりにスカッとするぜ。じゃお言葉に甘えて!」
そういうと譲治は右手を宗司が居る方向に突き出すと指先をパチンとならした。
その途端、宗司は糸が切れたように地面にぱたんと倒れ込んだ。
「ロビン、この爺さんと宗司君とやらを連れて帰ってやってくれ、そうそう、爺さんのトラックとやらも回収すんの忘れんなよ。俺はその間に、やっとく。」
その言葉を聞いて桃田喜一が走って逃げ出した。
車を使わなかったのは、気が動転していたのか、それとも車に意味がないと判断する能力が少しでも残っていたのか、それは判らない。
そんな桃田喜一の後ろ姿を見て、譲治の表情が今までとは打って変わって、氷のような冷たさを帯びた。
「逃げればいいさ。お前は俺が追い詰めて殺す。追い詰められたモノの恐怖を味わうがいい、、。お前が今まで裏で俺達にやっていた事だ。」
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