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第5章 相棒 笑うAI

42: ヘルメット式潜水服の男

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「アレもついに、次元移動してしまったな。」
 電波塔の周りに広がっている青い空に、部分的な濃い霧が渦巻くように発生している。
 どうやらその声は、そこから聞こえてくるようだ。

 渦巻く霧の中心から、分厚い靴底が見えたかと思うと、それは徐々に、この世界に向かってズリ落ちて来て、遂にその姿を現し始めた。
 ホワイトをなくし途方に暮れている守門の側に、ヘルメット式潜水服を着込んだサタンジが浮かんでいた。

 サタンジが、古色蒼然とした空気チューブの付きのヘルメット潜水服を装着して、この世界に現れるのは、彼が使用するイマジネーション上の問題であって、実際に潜水服が機能している訳ではない。
 かといってサタンジが、この世界で実体化する為には、潜水服以外の他の物での代用は効かない。
 守門の次元移動イデアスーツである「小夏」と、基本的には同じ原理が働いているのだ。

 金属製の丸いボールのようなヘルメットには、分厚いのぞき窓が開いていて、更にその頭頂部からは、ホースがまるで水中にいるかのように上に向かってのび上がっている。
 だがそのホースは、サタンジがやって来た渦巻き状の霧の穴の中に消えていた。
 服は内部から空気でも送り込まれているのか膨れ上がっている。
 そして分厚いゴムの手袋に長靴、重りの役目も果たしているであろう幾つものブロックが付いたベルト。
 守門はそれを見ているだけで息苦しく感じたが、勿論、ここは海底ではない。
 彼らのいる位置は、地上から見れば、より空に近い場所だ。

「久しぶりだな、我が愛しき地獄の花嫁よ。」
「!あんた。」
 もはやサタンジは完全に実体化しており、それが空中に浮いている様子は異様に見えた。

「こちらに来れるようになったのか!?最近、姿を見せないから、あんたの存在は僕の力の減退とシンクロしているものだと、思い込んでいた、、。」
「私は、その正体見たりの枯れ尾花の幽霊かね、、、それとは、関係ないね。この世界に来れなくなったのは、こっちの都合だよ。だが、今、転移出来たのは、さっきのロボットのお陰というところかな。ロボットに取り憑いたアレを見つけた。私は君の世界に飛び出していくイレギュラー達の動きは、常に監視しているからね。イレギュラー達が君たちの世界で起こすイベントを見逃さないで、それに便乗したという所だな。君は、自分だけが次元移動が出来なくなっていると思い込んでいるんだろう?今は、それぞれの事情が発生してるんだよ。考えてみたまえ。力を得たはずのあのイレギュラーが、何故あのように、手の混んだ逃走の仕方をした?」

 サタンジが言う「あのイレギュラー」とはレッドに取り憑いた『柱』の事だ。
 守門は、その指摘に不意を付かれた様な気がした。
 確かに、レッドが次元転移を自由に使いこなせるなら、警察は勿論の事、ラボもホワイトも全く手が出せなかった筈だ。

「しかし、勘違いしない事だ。君の次元転移能力が不安定なのと、我々のそれとは、まった原因が違うんだよ。それぞれの事情さ。まあ、それを言っても、君には理解は出来ないだろうが。」
「それぞれの事情とか、もって回った言い方を、、。この際、聞いておくが、何故、小夏は機能しないんだ?あれを作ったのはあんただろう。何故、パンドラの方は機能するんだ?」
「・・まだ私が、イデアスーツとして小夏を選んだ事に君は怨みをもっているのか?」
 ヘルメットが少し輝きをました。

「前にも言っただろう。君との親和力、素材自体の性能、他次元に対する完全な密封遮断性を追求していったら、彼女の皮に行き着いただけだ。私のこの潜水服だってそうだ。選びたかったから、これを選んだ訳ではない。その時、他に選択肢がなかったから、そうしたのだ。他意はない。しかも私が加工作業に入ったのは、彼女の身体が高温で焼却される直前だよ。どの道、消えてなくなるモノを、盗んだというのは、言いがかりではないか?」

 守門は、小夏の叔母が「あんなに綺麗な遺体は今まで見たことがない」とそっと呟いたのを思い出した。
 『柱』に取り憑かれた人間の身体は、最終的にその組成まで変化を及ぼす。
 普通は、見た目には醜怪な状態になるが、小夏の場合は違っていた。
 サタンジは、組織の変成を上手く利用している。
 無論、それは物理的な意味だけではないが。
 潜水服が、どうなのかは判らない。
 基本的に、小夏は「こちらから向こうに」行くために作られ、潜水服は「あちらからこちらに来るため」に作れたものだからだ。
 「小夏」の発揮する次元転移の力は、その為の副産物に過ぎない。

「・・そんな事は聞いていない。何故、小夏が起動しないかって、聞いているんだ!」
「そうか、君の心を覗いて思った話なんだがな。君は、いつも私に対して、それを詰りたがっている。僕の彼女を何故汚した!と君の心は、いつも私を呪詛している。だが、まあいい。、、人は自分の本心を常に欺いて生きるものだからな。君の表面的な問いの方に答えてやろう。」

 守門は、ヘルメットにある覗き窓を睨みつけた。
 が、潜水ヘルメットのガラス窓の奥には何があるのかよく見えない。
 その奥に、何かガス状のものが渦巻いているのが判るだけだ。

「答えは、、分からない、、だ。ただ、小夏と君との接続は切れていないし、これからも切れない。君たちの世界では、一度起こった出来事をなかった事にするのは不可能だ。出来るのは、忘れるか、その出来事の意味を変える事だけだ。どちらを選ぶかは、君の自由だがね。」
 サタンジは、守門に考える時間を与えるように、次の言葉の前に一呼吸置いた。

「それと、パンドラの鎧が機能するのは当たり前だろう。あれは墜ちたとはいえ、神が造ったものだぞ。」
「・・・・もういい、、。で、何の用事だ。わざわざ、僕をいたぶりに来たのか?」
 こんな偏屈な地獄の住人を相手にしている暇があったら、守門はもっとホワイトの死をいたんでやりたいと思った。

「ヘパイストスの伝言を伝えに来た」
「ヘパイストスだって?」
「そうだ」
「彼がなんて、言ってるんだ?」

「私が与えた力を、ちゃんと使え。でなければ、パンドラの鎧は取り上げると言っている。」
「お笑い草だな。勝手に押し付けておいて、今度は使い方が不満だから取り上げるのか。前から、神様にしちゃ、随分、自分勝手な奴だと思ってたが、ここに極まれりってところだな。」
「では、取り上げられても君は困らないのだな?」
「、、ふん、それは、、難しい所だな。僕は、鎧とお前が作った小夏があるから、今の仕事が出来る。だからなくなれば悪魔祓いの仕事は即終了だ。僕の意思など関係ない。しかし、、後悔は残る。」
 守門の本音だった。

「ヘパイストスは、君が父親の意思を継ぐものだとして、鎧を与えたのだ。その思いは変わらない。」
「・・そう、勝手に決めたんだろう。」
「子どものような返事だな。今でもそう思っているのか?」

「僕が退いて、代わりの人間が出てくるとは思っていない。小夏やヘパイストスの力を使える僕の退魔力はトップレベルだろう。それがいなくなる。つまり、もっと人が殺されるって事だ。、、僕の悪魔祓いの力が、自分の鍛錬によって、どうにか出来るものなら決して手放さないよ。鎧の力が、剣の様なもので、使い手の技量に左右されると言うなら、ヘパイストスの怒りもわからなくはないが実際はそうじゃない。あれは神が使う剣だ。父には、どうだったか知らないが、ひ弱い人間には手に負えない。僕は、あれのほんの一部の力を使わさせて貰っているだけだ。お前には無理だ返せ、と言われれば、返すしかない。」

「それが本音か。ならば、我が友ヘパイストスにそう伝えよう。確かに、あの鎧の力が、人間に使いこなせるはずがないのは事実だからな。本気で願えば、世界すら作り変える事ができるが、人間には、そこまで願う力はない。イマジネーションの本当の意味も含めて、人間は願う事の真の意味も、パワーも判ってはいない。まあ、それができるから、神が神である由縁なのだがな。しかし、人間も神に近付くことはできるぞ。悪魔が、神をなぞるために、永遠に虚無に向かって世界を破壊し続けるようにな。」
 サタンジこと、人間の意思で形作られた「地獄の住人ファウスト」は、その生まれの由来ゆえか、時々、人間的なことを言う。

「悪魔が、神に近づきたがってるって?僕には、悪魔は全てを破壊することで、自分の存在を認識しているだけのように思える、、。」
「その二つの意味は突き詰めれば同じ事だ。そして、もう一つ教えてやろう。神の持つ不思議な力と真実へのヴィジョンは、つねにそれを受け入れる準備のできた人間を捜し求めているのだ。これは、お前達の仲間であるチェロキーの言葉だよ。彼らは、よく学んでいた、あれは当たっている。真実だよ。」
 ・・・それを受け入れる準備の出来た人間。それは僕ではないのか?
 守門は揺れた。
 そう言い残してサタンジは、守門をこの世界の「空」という海底の中に残して、霧の中へ消えていった。




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