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第5章 相棒 笑うAI

33: そして相棒は笑う

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 いつもの黒いレザータイに黒スーツ姿から、カジュアルなパンツスタイルになった守門は、年相応の平凡な青年に見えた。
 赤ちゃんの義体に移植されたホワイトとの会話専用にと、黒縁セルフレーム眼鏡状のデバイスを顔にかけている所がすこし印象的な程度だ。

 ただ守門が、平日の昼日中から抱っこ紐で赤ちゃんを抱きかかえて歩き回っている分、周囲の人間には、この青年に幾らか訳ありの状況がある事くらいは想像させただろう。
 もっとも人々が感じるその特異性は、彼らの日常の平穏さの延長線上にあるものであり、誰が守門の本当の目的を想像する事が出来ただろうか。

 自分と赤ん坊の取り合わせ、この世で一番考えられないコトが起きている、、守門はそう思った。
 同時に守門は、養父である雨降野耶蘇児が幼い自分を育てるために、どんなギクシャクした苦労を重ねたかと想像して、口元に複雑な思いの笑みを浮かべた。

「何か、可笑しいのか?調査官?」
 守門の表情の変化を敏感に捉えたホワイトが、男の声で眼鏡の蔓の部分から、その疑問を投げかけてきた。
 勿論、他人が見れば、ただ青年の胸に抱かれた赤ん坊が上を見上げてニコニコしているだけだ。

 ホワイトのコピーは、外界の変化や差異に敏感に反応し、それらをテーマに取り上げ、守門との問答対話をする事で推測機能の精度を高めていくAIだから些細な事まで絡んでくる。
 事件と直接関係ないと思える事象にはフィルターが設けられているが、それはAIの学習によって順次拡充される機能であって、今しばらくは、その効果は現れないだろう。
 文字通り、今のホワイトは、赤ちゃんなのだ。

 そして初期のレッドも、本来ならこんな存在だったに違いない。
 その将来は、例え戦場で人を殺してまわることになろうとも、人間の兵士が飛ばすような人間的なジョークの一つも口にしていたかも知れない存在だった筈だ。
 少なくともレッドは、民間人には危害を加えなかっただろうし、自分の欲求を満たすための無差別殺人などは絶対に起こさない筈だった。

「僕の個人的な思い出に関わる事で笑ったんだ。事件とは関係がないと断言できるし、君にその内容を説明するには、時間が掛かりすぎるから、止めておくよ。気にしないでくれ、悪意はない。」
「そうか判った。私からも言っておくが、悪意があるとかないとか、そんな配慮は私には必要ない。それは時間の無駄だよ。お互いにとってのね。」


 守門は、予め赤座から聞いていた事件現場を囲うフェンスの最も弱い部分をこじ開け、港の封鎖区域に入り込んだ。
 警察機関が設置した臨時正面ゲートから正式に入る事も出来たが、それをするには折角用意したAIを収納する為の偽装体が却って邪魔になっていた。
 こんなカジュアルなスタイルで、殺人現場跡に訪れる赤ちゃん連れの刑事の類など存在しないからだ。

「簡単に入れるんだな?囲いが弱すぎる。」
 ホワイトが主力で使っている視覚聴覚機器は、主に赤ん坊の身体の背面にある。
 抱っこ紐カバーがその存在を人の目からそらせている格好だ。

「多くの人間は、自分たちが認めた正式な権力から何かを禁止されると、それに従うんだよ。だから物理的に過剰に強固な防護壁など特に必要ないんだ。これは覚えておくといいよ。多分、レッドの行方を考える上で役に立つはずだ。」
「了解した。では調査官は、先程の行為から考えるに、少数の人間か、あるいはこの囲いを作った組織を正式な権力と見なしていないのだな?」

「おいおい、それって冗談なのか?」
 守門は半分笑いを堪えながら言った。
 新たなホワイトのインターフェイスを仕上げた人間のセンスがおかしいのか、それとも、今回の目的の為にチューニングされた設定方法自体が歪過ぎてこうなったのか?
 どちらにしても、話していて退屈しない。
 こいつはもしかしたら、意外といい相棒になるかも知れないと守門は思った。

「いまの私の発言が冗談なのか?それが気に入るならそうしてくれ。私は調査官の役に立つために立ち上げられたのだから。」
「、、、。ところでどうだ?科研提供のバーチャル空間と、実物との照合で何か気付いた事はないか?」
 守門は件の倉庫に近づきつつある。

「調査官の右前に、真っ直ぐ外に抜ける道があるだろう。そこからレッドはやって来た。第一発見者は調査官が立っている位置から、東北の方角に6メートルの場所にいた30代後半の男性だ。」
「よく、そこまでわかるな。」

「いや、私が今ここで推測した訳ではない。今のは、全て、科研が動的分析ルミノール反応やら、引きちぎれた衣服の断片やら、その他ありとあらゆるものを、この現場から掻き集めて作り上げた犯行時の仮想再現データからの照合推理だ。それは同時に、調査官が入手した記録映像から推測される状況とも辻褄が合う。おそらくこの男は、例の映像の冒頭分で、撮影者に手を振っていた男だ。・・・従って、私に何が解ったのかという調査官の問いに対しての正しい答えは、人間の調査及び分析能力は大したものだという事になるね。だが、私ならその2つを最初から統合データとして、バーチャルを組む。その方がバラバラでやるよりずっと効率が良い。そうしないのは、何か意味があるのかね?」

「君に、答え合わせをしてもらう為さ。」
「今のは、冗談だな?記録映像は、何らかの理由で科研に渡せなかった、のだな。調査官には答えずらい質問をしてしまったようだ。それに今のは、今回のタスクでは、最下位に属する質問だった。忘れてくれ。」
「いいさ、気にするな。僕も君と話していると色々、勉強になるよ。確かに君の言うように、人は協力しながら生きるべきだ。それに仕事以外でも勉強は大切さ、」
 そう言って守門はうつむき、赤ちゃんの顔を見る。
 やはりニコニコと無邪気に笑っている。
 中味はホワイトだと分かっているのに、優しい気持ちになるのが不思議だった。

「レッドは、ここからそんなに遠くには行っていないと思うんだ。レッドを暴走させた意思には、特性があって、自分が出現した位置や空間にある種の執着を持つんだ。これは僕自身の今までの体験からくる持論だけどね。で、その意志が示す、生まれ故郷への執着は、時間の経過と共に薄れ、行動範囲は拡大する。その拡大率は、乗っ取られた側の心によって違うようだ。僕のカンでは、このケースは、乗っ取られたレッドの特異さに似合わず、ゆっくりしてると思う。普通ならレッドは、国外の何処かに潜んでいても、おかしくないんだが。」

 ああ、これは政府調査官の台詞じゃないな、完全にエクソシストのものだ、、と宗門は思ったが、何故か、それが、ホワイト相手だと気にならなかった。
 自分の(考え方)を、ホワイトに移植しているからか、それともホワイトの姿が赤ちゃんだからなのか、それとは別にまた違う原因があるからなのか、守門にはその理由がよく解らなかった。

「遠回しに表現しなくていい。その存在とは悪魔のことだね。」
「驚いたな。君も、レッドは暴走したのではなく、悪魔に取り憑かれたと考えているのか?それとも前提として、君には、そう組み込まれているのか?」
「AIへの悪魔憑き、その考えが前提として組み込まれていれば、それが足かせとなって、捜索活動自体が不完全なものになる。それは無い。だがレッドが単に暴走したのではないことは明らかだ。そうさせた意図的な外因が存在する。それを今回の場合は、悪魔と呼んでいるんだろう?」

「君は悪魔の概念を知った上で、そう言ってるのか?悪魔についての資料は、有史と同時につられて、その量は気が遠くなるほどあるんだよ。」
「当然だろう。調査官は、私を見た目通りの存在だと思っているのか。なんなら、私が持っている悪魔についての知識を此処で披露しようか?口頭でのことになるから、要約しても五十六時間程かかるが、それでもいいか?」
「いや、いい。降参だ。つまらない事を聞いて、済まなかった。」



 事件現場では、さしたる成果もなく、守門はこの赤ちゃんの姿をした相棒と、幾つかの冗談の応酬をしただけで捜査を終わり、次に移動が伴うレッド捜索に乗り出す事になった。
 もちろん、現場跡では成果がないと思えたのは、守門であって、この人工知能の内部ではどのようなデータが新たに蓄積され分析されていたのかは、全く解らないのだが。

 流石に、赤ん坊を抱えたままバイクに乗って移動する訳には行かなかったから、守門はラボから借り受けた車で移動していた。
 助手席にはホワイトをそのまま仰向けに乗せたままだ。
 ホワイトは赤ちゃんの見た目に反して、相当な重量があるから、特別な事をしなくても安定している。

 知らぬ者が車を覗き込むような事があれば、非難轟々の荒っぽい放置の光景だが、この赤ん坊を包んでいるカバーのあちこちからコードが伸び、それが車のコンソールに繋がっているのを見たら、今度は卒倒するだろう。
 ラボの車に搭載された索敵機能は、赤座らが使用するバンなど比べると装備面では劣ったが、ラボ自体とデータリンクしている強みがあった。
 ホワイトは、刻々と変わる周囲の状況変化と、自分の推理とラボのデータを総合しながら、港から200キロ程離れた場所まで守門を導いていた。

 今は、高速道路を走行中だ。
「ところで調査官は、こんな話を知ってるかい?」
「なんだよ、 改まって」

「運転免許を取り立ての聡子が、フリーモードの高速道路を運転しているとプルル…と携帯電話が鳴った。『もしもし。母さんよ。ねえ聡子。今、高速道路を走ってる?』『そう。さっき高速道路に入ったところなの。』『それは大変。今、テレビで聡子が走っている高速道路で、逆走している車が1台いるってニュースになっているわ。気をつけてね。』『…お母さん。それ、1台じゃないわよ?』『え?』『さっきから、何百台も逆走してるの。まったく、危ないったらありゃしないわ!』・・・どうだい?」

「ん~、何と言っていいか、わからないな。お前が、なぜジョークを飛ばす必要があるのか?なぜ、ジョークに登場する女性の名前が聡子なのか?」
 もう守門のホワイトのへの呼びかけは、君からお前に代わっている。
 ホワイトの方もそれを自然に受け入れているようだ。

「人間は必然性がないとジョークを言わないのか?それに私のデータでは、バディを組んでいる相手が精神的に緊張、あるいは消耗している場合、その相方をリフレッシュさせる為に、軽口を用いるのは有効な手段だとあるが、それは間違っているのか?」

「いや、合ってる。じゃ聡子の方は、どうなんだ?聡子でなくて、メアリーでもなんでもいいだろう?」
「それは私にも分からない。自然と口から出た。答えは、私のインターフェイスを組み上げた人物に聞いてくれたまえ。」
「、、なる程な、その人物の大体の検討はつくよ。」
 もちろん、それはマーフィ博士だ。

「それじゃ、僕からのお返しだ。精神科と患者のジョークだ。『先生、私は頭がおかしいのでしょうか?』 精神科医を訪れたジョンは症状を訴えた。 『いつもいつでも、寝てもさめても、私の頭の回りを妖精がぐるぐると飛び回っているんです。いつ魔法をかけられるかと思うと怖くてたまらないんです!』 そう言いながらジョンはブンブン手を振り回して、いまいましい妖精を追い払おうとした。 『…おい、ジョン。そんな風に手を振り回すのはもうやめたまえ!』 医者は叫んだ。 『妖精さんがこっちに来ちゃうじゃないか!』」
「・・・調査官、君は心を病んでいるのか?」

 守門が、そんなホワイトとの会話に飽き始めたころ、ホワイトは急に口調を変えてこう言った。
「あそこだ!レッドはあそこにいる!」


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