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第5章 相棒 笑うAI

28: リーディング能力

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 守門は、残りの職員達に対する事情聴取を、一旦中止する事に決めた。
 井筒への聴取結果が、守門の腹固めを促したのと同時に、ある一つのアイデアを守門にもたらしたからである。

 今、守門は能都聡子と共にエリア51にいる。
 守門らの背後に立っているホワイトが、二人の会話を聞き入るように立っていた。

「このホワイトの頭脳はレッドと同じ思考パターンを持っていたんですよね?そのお陰で、あなた方はホワイトの頭脳のコピーを使って、暫くの間だが暴走したレッドの行方を探り出す事が出来た。」
 守門は、能都とホワイトを交互に見てそう言った。

「ええ、本当に暫くの間でしたね。あの殺人の後、レッドの思考パターンがまったく別のモノに変わって、私達のコンタクトも遮断されました。結果、ホワイトによるシュミレーションも不可能になり、私達の追跡は完全に途絶えたのです。残念な事です。」

「もう一度、それを私にやらせて貰えませんか?」
「えっ?ここでの追跡はもう無理だと申し上げているつもりですが?」
「この施設なら、ホワイトの機体以外にもAIを積む事が可能な簡易ボディがあるでしょう?それにホワイトのAIコピーを搭載して街に連れ出します。第一の犯行時では、貴方がたは、それに似たことを此処でおやりになってレッドを追跡することに成功している。今度は、その追跡の為のシュミレーションの形を変えるんです。現場に直接出かけるんですよ。最後の事件現場からスタートします。現場跡には、考えているだけでは、気づきもしない様々なデータが残されているものですよ。必要なら科研で事件現場のバーチャルを組んだデータを、ホワイトに飲み込ませて見てもいい。」

「・・・面白いことを考えつきますね。AIだけにやらせるんじゃなく、貴方との対話で何かを導き出すんですね。それならレッドとのコンタクトが絶たれていても、ホワイトだけでもある程度の事が出来るかも知れない。ホワイトがやるレッドの予測シュミレーションというよりも、推理ゲーム、いや刑事さんたちがやるような、足で稼ぐ捜査というものですね。、、それなら可能性は残っているかも知れませんわ。」
 能都は守門の提案を理解し、賛同したようだった。

「内の職員じゃ、絶対に無理だけど、貴方がホワイトと一緒にやるなら、可能性はあるかも知れない。上に了解を取ってみます。あっ、上と言うのは、この研究所の事ではありませんよ。誤解のないように、ここの資産は、全部政府のものです。職員達の多くは、それを錯覚しているようですが。」
 どこまでも科学者達を小馬鹿にしている口振りだが、彼女はそれを隠そうともしなかった。
 それが彼女の知的コンプレックスの裏返しなのか、それとも人間としての科学者達を間近で見続けていた彼女なりの彼らに対する評価なのかは判らなかった。
 けれど、守門の今までの観察によると、科学者達も、彼女のその態度を受け入れており、その指示に従っている事だけは間違いのない事実だった。

「ああ、それと、これは今、思いついたんですが、私も調査官が考えつかれたプランに、別の形でお手伝い出来ると思うのです。どうですか?暫く、調査官ご自身のお時間を頂けますか?」
「暫くというと、どれくらいの期間ですか?」
「そうですね。二・三日もかからないと思います。その間に、ホワイト用の簡易ボディもご用意出来ると思います。」
「それなら結構です。今のところ事態が急変する気配もありませんからね」
 ともかく、こうやってロボットの国の女王様の手を借りて、守門の次のプランは実行に移されたのだ。


    ・・・・・・・・・


 能登が言った「二・三日」が始まった。
「私は、この部屋を、リーディングルームと呼んでいます。」
 痩身長躯の浦見晴郎が説明した。
 白衣を着ている撫で肩の浦見を見ると、帽子立てに吊り下げた白衣そのもののように見える。

 部屋の壁の一部に、観察窓と思しき横長の大きいなガラス面があるが、その他は、まったく普通のリビングルールの様に見える部屋に、守門は案内されていた。
 その部屋には、帰宅後、何か飲み物を飲みながらテレビを楽しむと言ったような、中流程度の安楽な生活空間が確保されている。
 ラボ内にある施設としては、この「普通さ」は、かえって異質といえた。

「私は、ここで何をすればいいんですか?」
「特にこれといったことはありません。ただ部屋に備え付けてあるテレビで映画をみたり、オーディオで音楽を聞いたりして頂ければいいんです。そうですね、できれば、これで読書もして頂けるとありがたい、」
 そう言いながら、浦見は丸いテーブルの上に置いてあったタブレットを持ち上げた。

「ほう、読書ですか?ここは、まさにリーディングルームなんですね。」
「いえ、この部屋で読まれるのは本ではなく、あなた自身です。このタブレットもそうだが、ここにある視聴覚機材は、すべてこのリーディングルームのバックヤードにリンクしていてます、」
 浦見はタブレットを戻すと、今度はその隣に置いてあったヘッドギアを手にした。

「で、あなたが、ある物語の何ページ目かで、何かを感じると、それがこのヘッドギアを通じてバックヤードに送り込まれてくる。そうやって、このリーディングルームは(あなた)を読み取り、(あなた)を別の場所に蓄積していく。」
 脳波を読み取るヘッドギアといえば大仰なイメージがあるが、目の前のそれは、ラグビーなどで使うヘッドギアよりももっと小振りだった。

「私のような人間の読書感想文が、重要なのですか?」
「人間の思考を侮ってはいけません。たとえば、同じ文章を読んでも、今のあなたと子供の頃のあなたでは違う反応を示している筈だ。その違いの背景は、思考と記憶の蓄積と進化の差ですよ。言い換えれば、貴方が生きてきた道筋や、その時々の思考判断などの集積結果だ。それは貴方独自のものでもある。それを我々のリーディングシステムは、解析した上で保存する。」
 浦見がもどかしそうに、説明を続ける。
 基本的に神経質で人付き合いも苦手そうな男だったが、能都が「その男は丁重に扱え」と指示していたのだろう。

「私の意識をコピーするという事ですか?」
「それ程、大それたことは出来ませんし、それにそれは、これからやろうとする事とは用途が違う。そうですね、恐ろしく大雑把にいうと、コンピュータにチェスをやらせる為に、過去の名手たちのプレイ内容や指し手の組み立て方を学習させる、、そのようなことが目的、ですかね。なに、このアプローチを考えたのは、能都さんですよ。貴方はAIを連れ出して、AIを相棒のようにして、捜査活動をやるのでしょう?なら、この技術的展開は、最適解だ。AIがあなたの思考パターンをある程度把握していれば、次のステージに早く上がれる。つまりそのAIは、あなたにとって長年連れ添った相棒のような存在になる。、、あの人は着想が凄い。私なんかは足元にも及ばない、」
 口先だけではなく浦見は本当にそう思っている様だった。
 浦見晴郎は、人間の意識を電子データ化する分野では、権威と呼ばれた男だった。

「足元にも及ばないって、それはないでしょう。言ってはなんだが、能都さんは一介のロボットコンサルに過ぎない、それに比べて、浦見さん、貴方はこの分野の第一人者だ。」
「私も此処に来るまでは、そういう自負もありましたがね。、、所詮、私は技術屋にしか過ぎん。実をいうと、このリーディングシステムの核になる部分は、他の人のアイデアだ。羊飼氏には、おそらく人間の意識のデータ化の向こう側に開ける世界の全てが見えていた筈だ。私にはそれがない。大切なのは、真実に触れられる直感力なんですよ。」
 守門は話の方向性を変えようと思った。
 こんな所で、科学者の嫉妬心やコンプレックスと付き合っている暇はない。

「、、そうですか。で、ここで私から読み取られたデータは、どう処理されるんですか?」
「先ほども言いましたように、すこし形を整理した上で、ホワイトのAIコピーに移植されます。そう、チェスゲームで例えれば、過去に行われたチェスの名手のデータとしてね。そのデータを、ホワイトがとう使うのか、それから先は本当のところ、我々人間の頭では判りませんがね。」
 浦見が気を持ち直したように言った。

「それなら、私ではなくとも、他にも色々なチェスの名人がいそうなものだが?」
「警察のデータプールにあるような資料など、いくらAIに読み込ませても意味はないんですよ。ようは逐次変化して行く外界の現象に、どう対応していくか、そのメソッドが、必要なんです。それにもし、ここに名探偵ポアロを呼んでこれたとしても、それを意識に埋め込まれたAIは、あなたとポアロの二人を同時に相手をしなくてはいけなくなる。コンピュータにとっては、人間の意識が一番処理しにくいものなんですよ。この用途では、人間二人分の負荷をAIに掛ける必要はどこにもない。」

「うーん、そんなものなんですかね。コンピュータのプログラムというのは、もっとタフなものかと思っていましたが。」
「そうです。この五秒ラボで組み上げられたAIは果てしなく人間に近い性格を帯びていますからね。そこにあなた一人分をAIに導入できるだけでも充分凄いことなんですよ。それはコンピュータの演算能力とか、そういう問題ではないのですよ。違う意味で、ここのはタフなんです。」
「ここでも、オーガニックコンセプトですか?」
「そうです。オーガニックコンセプトです。」
 守門は、五秒ラボが目指したタフな人工知性を、「愚の骨頂だ」と笑っていたマーフィ博士の言葉を思い出していた。

 マーフィ博士と彼らの間には、「タフ」に対する共通理解がないのだろう。
 マーフィ博士からみれば、五秒ラボは、ロボットに搭載する人工知性を、わざわざ人間の精神のような壊れやすい繊細なものにしているとしか見えなかったのに違いない。








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