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第7章 始末

50: 桜

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 名も知らぬ小さな鳥が、勢い良く桜の枝振りに飛び込んでいく。
 その衝撃で満開に飽和しきった桜の花が散った。
 光に満ちた桜堤の早朝の光景。
 それが今、俺が考えている今度の油絵のイメージ。

 小鳥という弾丸を撃ち込まれて、ピンクの花びらが自分の重さで少しだけ散っていく感じ、、花びらとガクとの接続の弱さみたいなものが描ければ、なかなかいい感じの作品になるだろうと思う。
 ・・・でも難しいな。
 だって俺は絵が下手だから。
 もしかしたら、料理をやっていた方が伸びたかも。
 勿論、人並み以上の絵は描けるつもりだけど。
 これでも俺、一応、横藝の美大生だし。

 結局、、あの街から離れて生活をしてみたいっていう理由から、自分がそこそこ絵が得意という程度の理由で、大学を選んだ事自体が間違いだったのかも知れない。
 それでも、これからは自分がやらした「色々な間違い」の決算をして、手探りでもいいから前に進まなくっちゃ行けないのは確かだ。
 かって愛した男の言葉の多くを忘れたが、大きく残ったものが一つある。
 『俺は変化を受け止めて、それを味方にして生きてきた』、、その言葉だった。

 俺は背中を丸めながら、ディバッグを自分の膝の上に抱きかかえるようにしてモノレールの座席に座っている。
 今は退社時刻から小一時間ほど前の時間帯なので、混んでいるといっても、人と人の間にはまだ多少の隙間があった。
 まぁ帰宅ラッシュの一歩手前って感じだろうか。
 その人々の隙間の向こう側に見える窓から、恐らくサービス残業も辞さない人々が灯している高層ビルのまばらな黄色い窓や、終了間際のプラネタリュウムの薄ぼんやりした濃紺の空が見えた。
 もうすぐ、この光景の遠くに、黄昏の空と混じり合った海岸線と、巨大な観音立像が見えるはずだ。

 初めて、といってもまだ二ヶ月にも満たないのだが、この光景を見た時には、大学生という新生活の始まりに対する期待と興奮も手伝って、これらがとても美しく見えたものだ。
 今はさほどの感激もない。
 俺はもう見慣れて、すっかりくたびれた感じさえする車両外の光景を確認すると、再び視線を元に戻した。

 向かいの窓に、中途半端に髪を伸ばしたユニセクシュアルな「俺」がちらりと写って見えたが、そんなのは、今夜の俺にはただ鬱陶しいだけだった。
 膝に抱えたディバックの上に置かれた、男にすればとても華奢な手、それが俺の手だ。
 俺は一応、美大生だから、そういった身分を人に明かすと、この身体的な特徴をみんなが納得してくれていた。

 でも実際のところを言えば、俺の観察した限りにおいて、精緻なデッサンを描く男の子達は、みんなおしなべて手が大きいし、爪だって短いものなのだ。
 だから俺の「女の子みたいな手」は、芸術家の特徴でもなんでもない。

 それに俺の手の「綺麗さ」にはもう一つの秘密があった。
 毎日念入りなケアをしているのだ。
 特に爪の手入れだけは欠かした事がない。

 本当はいつもマニキュアを施しておきたいんだけど、大学での実習中は結構、他人から手元を見られる事が多いので、それは諦めている。
 バイト先では、付け爪で事は済む。
 それに妙な感覚だったがバイト先の女装は、コンビニでバイトして着ることになるユニホームに近い感覚だった。
 性的接触をうまくかわしながら愛想良く接待をする、そんなのは軽く出来たが、それはもう本当に「仕事」だった。

 だからマニキュアの代償行為という意味と、昔を思い出して、時々やる本気の女装の為の準備という感じで手入れを怠らないのだ。
 俺の爪の形は、縦に長い楕円形で、作業には不向きだけど、磨き上げてやると桜貝のほんのりした光沢を放つので自分なりに気に入っている。
 でもマニキュアの毒々しい光沢は、もっと素敵だと思う。

 大学生になって前にも増して完全に独立した生活が可能になってから、一番最初に買い揃えなおしたのは、化粧道具や衣類ではなく、マニキュアだったし、最近ではネイルアートにもこり始めていた。
 だけど、、、。
 そこまで考えて俺は又、憂鬱になってしまった。

 なにをやっているんだろう俺は、なんの為に、おやっさんは俺に金を出してくれたんだと思う。
 今更、自分探しでもあるまい。
 自分の正体なんてもう判っているじゃないか?
 いや。本当に解っているのか?
 あの時だって、王に本当に愛されたいと思っていた筈なのに、こうやって距離と時間を置けば、全てが夢の中の出来事だったように思える。

 王が自分の部下に対して、岩田に手を出さない命令を下した時点で、王の計画は微妙に狂いだした。
 いやそれは原因とも呼べない些細なもので、実際、王の計画が頓挫した訳ではなかったが、それでも地元のヤクザとの提携は、王の計画にはなかった筈だ。
 その最初のきっかけを作ったのが自分だという自責はある。
 だから申し訳なくて王と別れた。

 だから俺はこの先、王との事をずっと引きずるのだと思っていたが、そうではなかった。
 思い出すのは、おやっさんの事やカムイっちの事だけだ。
 そして忘れられないのは父親の事だ。
 あの家を空にして来た、、、もし父親が帰って来て、家が空だったらなんと思うだろうと。



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