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第6章 激情

45: 散桜

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 神無月は第一学年の授業をしていた。
 このクラスは第二校舎の一階にあって、校舎の外向きにある窓からはフェンスまでの間に、桜が等間隔で植えてあるのが間近に見える。
 入学式が終わって暫くするとこの裏通路に桜の花びらが絨毯状にひかれる事になるのだが、もちろんそれは掃除されて直ぐになくなってしまう。
 神無月は、そんな残念な光景をこの学校で、一回見て来た。

 新任で入った前任校では、二年間自分では大人しくやって来たつもりだが、結局、この学校に転任してきた時には「暴力教師」の名前を貰っていた。
 教師同士では「暴力教師」の内実を全員知っているから、そんな事は誰も気にとめていない。
 教師が「暴力」について、謝罪あるいは釈明する時には、色々と理屈や綺麗な言葉が並べられるが、ただ我慢できるか出来ないか、それだけの話だった。
 それは誰にでも起こりうる。

 それでも神無月は少し、他の教師と比べて異質な所があった。
 今日日、そんな言葉は死語に近いが、それは彼の持つ「無頼漢」のような雰囲気に現れていた。
 定職をもたず、素行の悪い者、、というより、何処にも頼るところがない男といった感じだ。

 神無月は、自分自身の事を、生徒を一人の人間として対等に扱い過ぎるのだと思っていた。
 相手が未熟なのは判っている、だが同じ時を生きていて同じ空気を吸っている限りは、命として対等なのだと、本気でそう思っている、、だから問題が起こった時には、一段上の人間としての「指導」にならずぶつかってしまうのだ。
 人気のある教師達は、真正面から生徒とぶつかり、しかも理解や共感力もあり、といったふうに見えるが、実際のところは、未完成な人間に対して様々な操作をしている。
 演技をして、相手を乗せる、ありもしないものをあるように見せる。
 悪く言えばそう言う事だが、言い換えれば、それが指導力だし、いい先生と呼ばれる人間は、それを企まずに素の人間性で出来る。
 ここぞと言う時に、泣いて見せたり笑って見せたりだ、それで生徒を鼓舞し導いてやる。

 神無月はそういう事が全く出来ない。
 加賀美もそれに近いが、加賀美がそれをしないのは不器用だからではない。
 加賀美は子どもを導くという意味をちゃんと理解している。
 だから泣きはしないが、真っ直ぐ相手に共感して導く。

 神無月は、ひねた人間だから、それが恥ずかしくて到底出来ないのだ。
 例えば大人同士の付き合いで、そんな事を演技でやれば、その嘘臭さは直ぐにバレてしまうだろう。
 神無月はそういう事をたまらなく嫌に感じる人間だった。

 そんな神無月だが、まだすれていない一年生を相手に授業をしていると心が落ち着く。
 黒板に谷川俊太郎の「朝のリレー」を板書し終わった時だった。
 窓側に二人の人影が走った。
 神無月がそちらに目を向けた瞬間、その二人は立ち止まって、神無月を見た。
 鉄馬と蒲田だった。
 鉄馬が指鉄砲を作った両腕を神無月の方に突き出して、口で「バァーン」とやった後、又、走り出した。

「あの野郎!」
 神無月は黒板の空いたスペースに「自習!この詩をノートに10回写せ。後で見る」と殴り書きして窓から飛び出た。
 初動が早かったから、校舎裏を走って行く二人の背中がまだ間近に見えた。
 走った。
 走っていると、一階校舎に連なっているそれぞれの教室の生徒と教師が自分を見ているのが見えた。
 「またやっちまった」と思いながら、神無月は走った。

 問題は鉄馬ではなく蒲田だった。
 蒲田は岩田と同じように滅多に学校に顔を出さない。
 それが学校で鉄馬とつるんでいる。
 そして一番最初に、加賀美へ岩田の窮状を伝えたのは蒲田だった。
 緊急事態だ、きっと何かあると、神無月は思ったのだ。


 結局、神無月が彼らを追い詰めた、いやおびき出されたのは、例のプール裏だった。
「よお頑張って、追いついたな、褒めたるで。」
 鉄馬がいつもの口調で言う。

「やかましい!俺に用事がるんだろ。普通の生徒なら廊下か職員室に来るぞ、この馬鹿が!」
「カムイさんよ。俺達はこれから果たし合いに行く。そこにガンもいる筈だ。」
 蒲田が唐突に言った。
 鉄馬がチッと舌打ちをする。
 鉄馬は鉄馬なりの段取りあったのだろう。だが喧嘩の実力では、ナンバー2の蒲田がやる事にはそう簡単には口を挟めないのだ。

「どういう事だ?説明しろ!」
「お前、センコのクセして色々嗅ぎまわってっから、ある程度、事情をしってるのとちゃうんか?」
 これからは俺のターンだと言わんばかりに鉄馬が言った。
 中学生のクセして何を気取ってる、、どうせ最近、誰かから聞き及んだ話しか知らないくせにと思ったが、神無月は堪えた。

「フー・タイランが、俺達に決闘を申し込んできたんや。負けたら俺達は、ガンを奴らに差し出して、つまり仲間から切るって事や。それで俺らの縄張りを縮小する。こっちが勝ったら、奴らは自分の塒から一歩も外に出ない。」
「それは違う。」
 蒲田が鉄馬の台詞を言下に否定する。

「おまっ!」
 鉄馬は慌てたように長身の蒲田を見上げた。

「俺達は、半グレのOBに鉄馬が今言ったような事をやれと指示された。そのOBは地元のヤクザに指示されてる。だから俺達は嫌でも逃げられない。誰にも相談できない。せめて巻き込む仲間を減らすために、OBに頼み込んでうちの中学からは俺と鉄馬だけにしてもらった。けどガンはこの事を誰かから聞きつけて、きっとこの決闘に来ると思う。あいつはそういうヤツやし、ほんとはそうし向ける為にこの決闘が仕組まれてる気がする。でもガンが来たらこの決闘には何にも意味がない。」

 地元のヤクザ?神無月はとっさにキチの顔を思い浮かべた。
 蒲田は、この決闘の本命は岩田を誘き出す事にあると考えているようだが、それは違う。
 地元ヤクザとやらの狙いは、王の買収利権に食い込む事だ。
 岩田はその為の餌、いや餌以外にも、鉄馬や蒲田のような不良学生、半グレ、OB全部を使っての力の誇示だろう。
 昔の「シマ」の利権を握っていた単なるヤクザではなく、地域の裏の顔を代表したヤクザ、つまり日本人のヤクザとして、王らに食い込みたいのだ。

「くっそ、お前、ええかっこしやがって。俺は反対したやろ!喧嘩はな、数が多い方が勝つんじゃ!何が仲間じゃ、みんなアホばっかりやないけ。泣き見る時は、みんなでなき見たらええんじゃ!」
 鉄馬が吐き捨てるように本音を言った。
 蒲田はそんな鉄馬をまったく相手にしないで、真っ直ぐ神無月を見た。

 神無月は何故か感動した。
 久しぶりに、いや始めて見る不良らしい不良だった。
 最初は、どの少年も何処かでこういう不良に憧れて不良になるが、結果はそうならない。
 純粋な一欠片を、不純の圧倒的な量が飲み込んでしまうからだ。
 それは大人であっても子供であっても同じことだ。
 蒲田は不登校だ、コイツらと交わらない、だからその一欠片を残せる。
 その辺りの仕組みは大人も同じだ。
 だから鉄馬のような捻れた奴が生まれる、と神無月は思っていた。

「俺になんとかしろって言ってるのか?」
「判らん、俺の場合、あんたしか思い浮かばなかった。カガミンには迷惑はかけられない。」
 カガミンだと、、今、こいつカガミンといいやがった。
 神無月は蒲田の顔を見ながら、こみ上げてくるものを感じた。

「けっ、この場合、柏崎よりこいつの方がちょっとはマシだってことだろうがよ。もう行くぞ!」
 鉄馬がたまりかねたようにプール裏にある穴の空いた金網に向かって走りはしめた。

「待て、場所は!時間は!」
「それは言えない。言ったら殺される。これでも精一杯なんだ。判ってくれ。」
 蒲田も走り出した。
 神無月は追うのを止めた。
 彼らが本気を出せば、神無月が追いつけないのはわかっていたからだ.。
 プール裏で彼らに追いついたのは、彼らがここで待っていたからに他ならない。





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