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第3章 蠢動
21: 定期考査
しおりを挟む神無月は、若いヤクザ者との二回目の衝突を覚悟していたが、それは起こらなかった。
もう一人の年長の男が、食事を済ませると、引き際良く席を立ったからだ。
若いヤクザ者は、この年上の男に頭が上がらないようだった。
男達を神無月に近づけないように、わざわざ調理場から出て二人の支払いを受け取った親父が、帰りがけに神無月に言った。
「お客さん、見かけによらず強情そうだから言っとくけど、あの男達には関わらない方がいい。特に若い方だな。あいつはキチって呼ばれてるんだが、どうも、お客さんに目を付けてるようだ。」
「それはなんとなく感じますよ。でも親父さんは、あの男達と知り合いなんですか?」
「もう一人の男は知らんがキチの方は知ってる。喜島だ。ちょっと前まで、ここの街でゴロゴロしてたチンピラだった。俺から言わせりゃ後輩だが、奴は俺の事、そんな風には思ってないだろうな、、。途中で、姿を見なくなったと思ってたら、今は立派な極道稼業って奴さ。」
神無月は、ちらっと岩田の将来を考えた。
岩田は今や、不良達というか彼らの世代の伝説的存在になりかけている少年だが、その方向で突っ走っていっても、とどの詰まりはヤクザ者にしかなれない。
なんとかしてやりたいという気持ちがあったが、それは何処か、教師としての思い上がりのような気もした。
そういったことを純粋に思って、純粋に成し遂げれられるのは、加賀美のような人間だけなのだろうと神無月は思った。
少なくとも、人間の流転を認めている自分のような人間が出来る事ではないと。
「それが何を思ってか、自分の兄貴分を連れて、この街に舞い戻ってきた。まあ俺が思うに、下見みたいなもんじゃないかな。」
「下見って?」
「例の中国人達の買い占め騒動さ。奴らそこに金の匂いを嗅ぎつけて、自分らのシノギになんねぇかって、嗅ぎ回ってるんだろう。俺のカンだが、あの兄貴分の男な、あれはかなり厄介そうだぜ。」
「シノギって、買い占めをやってるのは、中国の人達でしょ?日本人のヤクザには関係ないじゃないですか。」
「大きな金が動くだろ。人間がやってる事だ、そこにはいろんな事が生まれるんだよ。そこに食い込むんだ。いや生まれなきゃ、無理矢理作ってもいい、それがヤクザのシノギだよ。」
「、、親父さん、前々から聞こうって思ってたんですけど、昔はそっちの筋の人だったんですか?」
「ヤクザだったって事かい?それは違う。だがまあ、そっちに行きかけた事はある。キョウの親父と知り合ったのは丁度その頃だ。奴が息子を連れて、こっちに移って来たのは、それからもう少し後の事だ。その頃は、キョウにも何番目だかの母親がいた。」
この親父は大阪弁を達者に使うが、少しわざとらしい所があると神無月は思っていた。
神無月とは逆だ。
神無月は島生まれだが、途中で大阪にやって来て多感な時期を大阪で育ち、また大阪を出て再び大阪に戻ってきた。
大阪を出た後は周りに合わせるために、言葉遣いは意識的に標準語に変えた。
通算すると大阪暮らしが一番長い。
だから無意識の内に大阪弁がでる時がある。
この親父の場合は、神無月等にはあまり大阪弁を使わない。
「俺は今じゃ、安食堂の親父で満足してるが、キョウの親父は未だに夢を見てやがる。」
親父は吐き捨てるように言ったが、それが親父の本心なのかどうか、神無月にはわからなかった。
・・・・・・・・・
神無月がキチと呼ばれる青年と出会った翌日、中学校では定期考査の第一日目だった。
その後半を利用して、神無月を含む教員達数人は、郊外学習の為の下見に出かけていた。
校外学習はフィールドワーク型のもので、単なる引率行事では済まないものだった。
教員達がそれぞれ別個のポイントに別れて配置され、しかもお互いの連携が必要だったから、誰か代表者が一人で下見をし、残る職員がそれを聞いて済ますというわけにはいかなったのだ。
もちろん定期考査の後、授業や部活動が停止されるのは、生徒の学習環境を整えてやり、教員の方は採点を素早く済ませる意味があるので、そんな日に、時間を完全にとられてしまう下見などは不評なのだが、かと言って、多忙を極める教員達にとって使える時間はそれほどなかった。
更に、これはとても不思議な現象なのだが、この考査中には、生徒指導の問題が殆ど起こらないのだ。
「こういう時って、なんで問題が起こらないんでしょうね。アイツらが勉強してる筈がないんだが。」
神無月が、おかしそうに加賀美に言った。
下見の終了は、勤務時間を少し超えた時間帯だったので、現地解散という事になっていて、帰り道が重なる神無月と加賀美は同じ電車に乗っていた。
「さあなんでなんでしょうね。彼らだって社会の中で、生きてるって事じゃないかしら。悪さだって一応、放課後にやる。そこまでは社会の動きに従ってる。つまりもっと簡単にいうと、喧嘩したくても相手がいない。相手がいるから、喧嘩が生まれる。って事なのかしら。素行不良の因果律ね。」
加賀美は時々、不思議な事を言う女性だった。
「でも、お腹が減ったわ。久しぶりに長く歩いたから、もうペコペコ。そうだ神無月先生。独身だから良いお店、一杯知ってるんでしょ?」
「そんな事、聞くの珍しいですね。いつもは呑みの誘いがあっても、娘さんがいるから、絶対、仕事が終わったら直ぐに帰るじゃないですか。」
「今日と明日はね。私の母親が来てくれてるの。あの子は、私よりお婆ちゃんに懐いてる。今日と明日だけは、私が帰らなくても寂しがらないわ。私がいないから、今頃思いっきりお婆ちゃんに甘えてる筈よ。」
「じぁ、ガッコの近くで降ります?知ってる店があるんですよ。今から他に行くとなったら、ちょっと大仰でしょ。」
何故か神無月は、この女性に姿食堂を紹介したくなっていた。
友達が出来て、『俺ん家に、遊びに来いよ』という気持ちの変形だったのかも知れない。
のれんはまだ出ていなかったが、親父が仕込みに入ってるのは知っていたし、多少の融通が利くのも判っていた。
「ゴメン、早いのは判ってるんだけど、なんとかならないかなー。」
「そっちが気にならないなら、何時でもいいぜー!」
調理場の奥から出汁を引く匂いと共に、親父の声が反ってきた。
出汁だけは引くんだ。
こればかりは調味料で出す味とは違うからな、というのが親父の口癖だった。
「おっ、今日は、お連れさんかい。珍しいね。お客さんのいい人?」
お愛想でカウンターに顔を突き出した親父が言う。
「言うと思ったよ。そんなんじゃないですよ。職場の先輩、俺が唯一、尊敬してもいいかなって思った人。」
「まだ認めてくれてないんだ。」
加賀美がそういう冗談を返してきたので、神無月は一瞬うろたえた。
「あっ、とりあえずビールね。」
「おっ今日は、本物飲むのかい?」
そんなやり取りを聞いて、加賀美が楽しそうに神無月を見る。
「いえね。うちはビールは、ずっと本物しか置いてないんですよ。飲食店のビールの値段って前から相場があって、うちらはそういうのに寄っかかって商売してるようなもんだ。でも時々、発泡酒を置いてくれっていうお客さんもいてね。で、そういうみんなが知ってる安い偽ビールに、高い売値を付けられるかって話なんだ。こっちは慈善事業でやってるわけでも、そういうお客さんの冷蔵庫やってるわけでもない。悩ましい問題なんですよ。」
親父がカウンター向こうで、ビールの栓をぬきなが言った。
親父の口上を聞いている加賀美がニコニコしている。
どうやら姿食堂を気に入ってくれたみたいだ、と思って神無月は胸をなで下ろしている。
まるで実家に彼女を連れてきて、その彼女が、自分の親に打ち解けてくれたような気分になった。
「余計なことはいいからさ。今日は何がお勧め?」
「また聞くのかい。お勧めは、紙に書いて壁に貼ってあるって言っただろうが。それに、今日のは直ぐ出せる。今朝早く仕込んで、今、馴らしてあるんだ。」
「鯖寿司!私、好きですよアレ。」
店に入った時から加賀美は、壁に貼ってある「今日のお勧め」を見つけていたのか、そう言った。
「じゃ、とりあえず鯖寿司から。それで先生、今日はゆっくり出来るんでしょ?」
このタイミングで、神無月は青魚が嫌いだとかは言えなかったし、酢でしめたモノは一応食べられる。
神無月は、今のリズムを大切にしたかった。
神無月が青魚が苦手なのを知っている親父が、面白そうな顔をした。
「ええ、もちろん。お酒の匂いをさせて家に帰ったら、あの子吃驚しちゃうだろうけど、少しずつでも、そういう母親の一面を知らせて行かないと。でも、何時でも頭を撫でてあげて、ギュッとしてるけど。」
「、、凄いな、加賀美さんって」
「えっ何か言いました?」
「いえ、何でもないです。それより、俺が酔っぱらう前に、一つ聞いておきたい事があるんですけど。」
「なんですか、改まって。でもとりあえず、乾杯してからにしましょう。」
と言って二人は飲み出したのだが、結局神無月が、最初に聞きたいと言った質問は、随分後になった。
加賀美と酒を飲むのは、意外にも想像以上に楽しかったからだ。
「酒飲みながら聞く話でもないんでしょうけど、、岩田の家庭環境の事ですよ。俺、何となく判ってるような気がしてたんだけど、ホントはよく知らなかったなって。」
これで、やはり「楽しいリズム」は崩れた。
それでも神無月には、職員室で岩田について話す加賀美より、今の加賀美の表情は軟らかいように思えた。
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