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第6章 煙の如き狂猿

60: 一杯の掛けそば的な怪異現象

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 時々、道の横に張り出した枝が、トヨタGT2000のサイドあたりを引っ掻いていくバシバシという音が聞こえる。
 普通の旧車マニアなら気絶しそうな状況だけど、剛人さんは気にしていないようだ。
 それにこの道幅では、避けようがない。
 トヨタGT2000は、まだ深い山道を走り続けているのだ。

 もちろんずっと獣道まがいの行程だった訳じゃない。
 田舎の道は、ある区間が凄く整備されていたかと思うと、次はこんな所を車が走るのかと言うような場所になったりするのは、よくあることだ。

 今はその狭い方だった。
 時に、狸のような小さな生き物がヘッドライトの輪の中に浮かんで逃げ去っていく。
 男の車に乗って、何度か、夜の郊外ドライブに出かけた事があるけれど、シートに座っていて、これほど圧倒的な安心感に包まれた経験はない。
 この車に乗っていると、「夜」さえ美しく見えるのだ。

 ドライブをしてると、観光地でもない山の中に、ぽつんとラブホや食堂が現れる時があって、僕は最初、それが不思議で仕方がなかった。
 一体だれが、どんなタイミングで、それらを利用するのかが判らなかったからだ。
 ラブホの方は、その疑問を抱いて少ししてから、その存在理由を体験的に理解したけど、レストランや食堂は未だに理解できないでいた。

 剛人さんの車は、既にどっぷりと暮れてしまった、峠道の抉れ込みに這い蹲るようにしてある一軒の平屋建ての食堂に突っ込んでいった。
 窓から煌々ともれる光や、店先で揺れている赤い提灯が、かえって嘘臭い。
 広いのかも狭いのかも判らない手入れのない駐車場には、先客のトラックが見事なくらい、数台きちんと隙間なく並んでいた。
 剛人さんも何気なく、空いたスペースに自分のトヨタGT2000をスパッと納めてしまう。

「ここだよ。」
 「ここ」と言うのは、剛人さんが「ある場所で、少しだけ私の実験に協力してくれないか」と頼んで来た場所だった。

「怖い目に遭うかも知れないが、あまり取り乱さない事だよ。そっちの方が、危険だからね。」
 愛車のトヨタGT2000を降りる直前、僕にそう念押しをした剛人さんは、何故だか難しい顔をしていた。
 2ドアクーペのトヨタGT2000から降りてみて、改めて思ったのだが、剛人さんは大きいだけじゃなく、やっぱり背が高かった。
 しかも腰高のやつ。
 二人で並んだ時、少しだけドキッっとした、、。

「、、、さあ、どうだろうね?」
 トラックがある駐車場から食堂の入り口まで、10メートルもなかったけれど、どうやら剛人さんの実験は、ここから始まるらしい。
 駐車場の地面に、食道の窓の明かりが落ちている。
 どこかで虫の声が聞こえた。
 夕食時の秋の夜を思い出す。
 ただし僕は今、剛人さんと山の中のドライブインの前にいるのだ。

 と突然、僕と食堂との間の空間を、何か半透明のものが走り抜けた。
 思わず僕は、隣の剛人さんの手を握る。
 剛人さんの手首には、腕輪数珠があったのを何故か意識した。

 走り抜ける?半透明なのにどうして走っているって判るの、、。
 息を凝らして見ていると、再びそいつが、僕の目のまえを駆け抜けていく。
 ビデオの繰り返し再生みたいだ。

 それにそいつは、半透明というよりも空気がゆがんで見えるモノと言った方が近いかも知れない。
 今度は、形が確定できないのに、それが人間である事が、何故か判った。
 その半透明が、酷く苦しげに、何かを叫びながら走っているのが感じられるからだ。
 でもそれはあくまでも感じで、夢の中の出来事と同じで、実際の音を聞いてる訳じゃない。
 それにそんな声が、実際に聞こえたら、たまらない。

「やっぱり涼子君にも見えるんだな。、、さあいこう。」

「でも、、。目の前にいるよ、あんなのと、ぶつかったら大変だよ。」

「心配することはない。私達は、普通に生きてるだけでも、ああいう存在には何度もぶつかっているんだと思うよ。みんな気が付かないだけの話じゃないのかな。害はない。残留思念の慣性法則みたいなものだと思う。アレ自体にはなんの意志もない筈だ。」
 剛人さんが歩き出したので、僕も進まざるを得なかった。
 こんな場面で、剛人さんの手を離すつもりはない。

「さっきのってなんなの?」
 僕は身体を剛人さんに擦り寄せる。
 そうすれば守って貰える、「女の子」の特権だ。

「さっき、涼子君が見たのは、トラックへ飛び込み自殺した奴の姿だ。衝動的にやったらしい。飛び込まれた方は良い迷惑だ。運転手の方もそれで生活が駄目になって、最後には首吊りに追いやられた。いや、こういうのは首つり自殺とはいえんな、他殺だよ。怨んで化けてでたいのは、運転手の方だろう。ところが恨むべき相手はすでに死んでる。因果な話だ。皮肉にも、首を吊った方の幽霊は出てない。、、そういうので、有名な話なんだよ。だが、その飛び込み現場はここから少し離れている。化けて出る場所が違う。たぶん奴は、この食堂に吸い寄せられているんだ。」

 物事を悪い方に考えると、物事はその方向で進むみたいだ。
 その飛び込み幽霊が、ループ映像みたいに、闇の淀んだ林から再びわき出して、駐車場を横切ってくる。
 このままでは、僕達と完全にクロスする。

 僕は、、その瞬間、剛人さんの手をぎゅっと握りしめ、目を瞑った。
 何ともなかった。
 呆気ない程だ。
 確かに、これで「見えない」のなら、何の問題もない。
 僕たちはこんな風に、毎日どこかで幽霊たちとぶつかっているのかも知れない。

 店内に入った。
 けれど剛人さんが言ったような、亡霊を吸い寄せるような魔物は、どこにもいなかった。
 新聞を眺めながら、丼物をかき込んでいる人や、まだ運転があるだろうに、ビールを美味そうに飲んでいる人。
 まったく普通だ。

「どうするかな。ここは何故か、鴨なんばんが旨いんだよな。」
 剛人さんの手が、僕の手の中から、さりげなく抜ける。
 嫌という感情も、無関心という感情も残さず、手のひらの暖かさを残したまま、、。
 この人、ひょっとして昔はオンナでかなり遊んだ人かもと、一瞬思う。

「だったら、私もそれでいいです。」
 車を降りる前は、凄くお腹が減っていたけど、あんなものを見てしまった後じゃ、あまりたくさん食べる気はしない。
 剛人さんは、慣れた様子で、カウンターの奥の調理場に向かってなにやら言うと、すたすたと、、親子づれの座っている席に歩いていく。

 いかにもトラックの運ちゃんって感じの客が多い中で、その母一人・子一人のペアは珍しくて、最初から気になっていた。
 若い母親は化粧い感じの人で、カレーライスを半分以上残したまま煙草をくゆらしている。
 坊やのほうは、ハンバーグ定食を一心不乱に食べ続けている。

 「あ”っ。」僕は声にならない声を上げた。
 なぜって剛人さんが、その坊やの上に重なるように、どしんと座ってしまったからだ。
 母親の方が、もの凄い目で剛人さんを睨む。
 何か、剛人さんに文句を言っているのだが、例によって音は聞こえない。
 代わりに母親の口からメラメラと炎が吹き出すのが見えた。
 剛人さんが危ない、、、僕が母親を突き飛ばそうと駆け出した途端に、二人の身体は一瞬にして消えてしまった。
 僕は変な感じで、あの母親が座っていた席に、ストンと腰を下ろしてしまう結果になった。

「私を助けてくれようとしたみたいだね。礼を言うよ。涼子君は勇気がある。並の女の子なら泣き出しているだろうに。」
 僕は並の女の子ではないから、泣き出したりはしないが、僕の手は微かに震えていた。

 そうこうしている内に、店の人が、鴨なんばんを盆に乗せて持ってきてくれる。
 暫く僕達は、何も言わずにそれを食べた。
 鴨なんばんは、剛人さんが言うように美味しかった。
 蕎麦は普通だったけれど、鴨とネギが新鮮で、出汁が思い切り上出来だった。
 あんな事があっても食べられる事自体が不思議だった。
 僕は器のなかに数筋だけ沈んでいる蕎麦を見つめながら、剛人さんに尋ねてみた。

「さっきここにいた人たちは駐車場のと違って、はっきり姿がみえました。それに剛人さんがした事に、怒ってたみたい。」
 先に食べ終えたので、煙草を吸っていた剛人さんは、それを灰皿に捨てるとおもむろに言った。

「さっきだって、私には涼子君が言った親子連れのことは見えていた。ああいうのが、あれ以上はっきり見え始めると、困った事になると思う。今まで見た連中は、存在の在りようとして、私達に干渉する事が出来ないんだと思う。いくらリアルに撮られた映画でも、スクリーンの向こうから手を伸ばして、こちらに触れてくるなんて事がないのと同じだね。だが、それを見ている人間が、気持ちを取り込まれると、奴らは影響力を持ち始める。さっき君は、私に奴らが怒ってたと言ったね?」

「ええ。自分の子どもを剛人さんに下敷きにされて、母親の口から火がでた。」

「、、、それは涼子君の心の動きだよ。」

「えっ、、。」

「奴らは、そんな事が出来る存在じゃない、、だが、、結果は奴らがそうした事になるんだ、、。これが世の中で起こっている怪異現象の三割がたの説明になると私は思ってる。」
 そう言って剛人さんは、自分の手のひらを上にむけてテーブルの上に突き出してくる。

「蕎麦代なら、私が二人分払います。ご馳走してもらってばかりだし、、」
 剛人さんは、にこにこ笑って返事をしない。
 僕は、やっと気がついて、自分の手を剛人さんの手の平の上にのせた。
 剛人さんが僕の手を握りしめると、僕の手細かな震えが完全にとまった。

「食べた気がしなかっただろう?済まないね、つまらない事につき合わせてしまった。」


 僕たちはそんな風にして店を出た。
 ふと見上げた夜空は先程まで天空を覆っていた雲がきれて、煌々と光る満月が出ていた。

「ねぇ、あんな親子を吸い込む何が、この食堂にあるんですか?」

「一杯のかけそば的心かな、、いや、つまらん冗談だよ。そいつは知らない方がいい、でも一つはっきりしてるのは、君をこの食堂に連れてきた意味は、あったという事だよ。」
 剛人さんは意味深に言った。
 それに剛人さんは、いつになく饒舌だった。
 でもそれが、僕が相手だからそうなるのなら、とっても嬉しい事だった。

「君には、私がどう見えているのか分からないが、私は昔からずいぶん酷い事を沢山して来たんだよ。鷹匠家の事で、目が覚めなかったら、今でもそういった事をやっていたかも知れない。まあ、言い方を変えると、鷹匠で感じた心の痛みは、それくらい大きかったと言うことかな。それで、それから私は、書経をやったり、拝みに行ったり、半分自分の罪滅ぼしの積もりで、いろんな事をするようになった。するとある日、色々なものが見えるようになっていた。いや別に、心霊現象がと言うような大袈裟なものじゃないんだ。ただ見えるだけだ。その事自体は気にもならない。」

 所長もオカルト探偵と言われた男だが、怪異に向き合う姿勢は、随分、剛人さんとは違っていた。
 基本、剛人さんには、怪異に対する恐れというものがなく、それを現実世界の延長として当たり前のように見ているようだった。
 ただ剛人さんは、自分が、こういったものが見える意味を知りたがっているようだった。

「この前、運転手を止めただろう。あの時から少しずつ、私がこういうものが見え始めたのは、実は意味があるのかも知れないと考え始めたんだよ。でも、私がおかしくなり始めているという可能性も否定できない。かと言って、私のような男は、こういう事は、誰にも相談できないんだよ。」
 それは確かにそうだと思う。
 相談された方が凄く困るだろう。
 剛人さんは圧倒的に相談を受ける側のオーラを持った人間だからだ。

「それで、私なんですか?」

「んまあ、今度の旅行の目的は、それだけじゃないが、それも大きいかな。君は繊細だから、私が見ているものも感じるかも知れないと思ってね。そうなら、私が狂ってないってことになる。君は期待以上だった。」

 見立てとしては当たっているかも知れない。
 所長と一緒に片付けたオカルト絡みの仕事の際、所長には感じられなかった怪異を僕は幾つか感じていたからだ。
 でも自分じゃ、霊感少年みたいな自覚はまったくない。
 多分、所長が今まで僕を連れ回して来た現場の霊的な磁気が、強すぎたんだろうと思う。
 磁石の側に鉄をずっと置いておくと磁力を帯びるのと一緒だ。

「でも二人共、狂ってるって事はないんですか?」
「面白い事を言うな。君は、至ってまともだよ。」
 そうだろうか、、と僕は内心思ったが、それは口には出さなかった。
 剛人さんは大丈夫だけど、僕の方は判らない、、。




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