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第5章 因縁 medaillon(メダイヨン)皮剥男

48: ゼロという名の男

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 リョウとは、南京町の中でも、隣接する元町の中心部寄りにある旨い点心を作るので有名な店近くで別れる事になった。
 老祥記だ。
 本来なら、ここの「豚まん」を買って、リョウと二人で豚まん論議でもして盛り上がっていた筈だ。
 豚まんの命は肉汁だとか、いや皮の作りの技巧にあるんだとか。

 店の側に、動物の置物と中華風の東屋がある場所だった。
 周囲からイントネーションのずれた呼び込みの声が飛びかう。
 ここが落ち合い場所として、斉藤の指定してきた地点だった。

 斉藤は時間ピッタリに出現した。
 彼は、平日でも混み合っている雑踏の中を実にスマートに歩いて来た。
 俺は偶然、斉藤に出くわしたようにリョウに見せたつもりだが、それが成功したかどうかは自信がない。
 第一、斉藤はこんな健康的な場所で、偶然出くわすような男では絶対になかったからだ。

 だがリョウは、自分が置かれたこの処遇に、特別騒ぎ立てはしなかった。
 昨日の夜の会話が蘇ってくる。
 もしかしたらリョウは、俺を気遣ってくれているのかも知れなかった。

 そして俺は、滑稽なことに、こんな短い時間の間でさえ、斉藤とリョウが顔を合わせる場面を出来るだけ少なくしようとしていた。
 まるで斉藤にリョウを奪われるのを怖れるかのようにだ、、。
 俺の感情は、あのノートの閲覧をきっかけに、狂い始めているのかも知れなかった。
 だが反面、俺にもまだ執着すべきものが残っているという気分は、まんざら捨てたモノではなかった。
 その執着の正体は、依頼や仕事というより、王様が下す気ままな命令のようなものだったが。


「零さんは怪物ですよ。ヤクザの修行なんか何もしてない大学院生のくせに、うちには零さんの為なら命も惜しまないっていう若いのが少なからず存在する。」
 斉藤が、俺を目的地に案内する道すがら、昨日、会長の前では出来なかった、零に付いての細かな情報を話し始めた。
 男同士で肩を並べて道を歩きながら話し込むなんてのは、学生時代以来の事だった。
 それに元町通りを抜ける時の、人々の俺達に対する視線は、なかなかに面白いものだった。

 ポニーテールに頭髪を括ったもうすぐ中年に差しかかろうとする崩れた雰囲気のあるこの俺と、地味だが観る者が見れば、一目で判る高級デザイナーズスーツに身を包んだファッションモデルのような美青年。
 更に付け加えるなら、一見してやさぐれ者と判る男達とも何度かすれ違う場面があったが、そこでの斉藤の貫禄は圧倒的で、この男の貫目が良く判った。

「零って奴は、そんなに魅力的な人物なのか?」
「、、あの人が魅力的というなら、ヒットラーも大スターでしょうね。零さんの生い立ちを考えると仕方がないと言えば、仕方がないが、、まぁ、負のカリスマですよ。零さんの形成するグループは、一種の教義のない宗教集団みたいなものでね。」
 負のカリスマか、、。
 この斉藤というヤクザ、なかなかに頭が切れるらしい。

 それにしても斉藤が、零個人の評価に関して言及する時に見せる微妙な「揺れ」は一体何だろう。
 やくざ組織の頂点に立つ男の孫に対して、一組員が率直な所を喋れないのは当然だろうが、斉藤には、それ以外の部分で、零には含むところがあるように見受けられた。

「あのノートを読んだだけの感想で言えば、零は単なる極悪非道の快楽殺人者だ。思想もへったくれもない。とても人がついていく魅力があるとは思えないんだが、、。」

「確かに・・・とても怖い人ですよ。だが、その怖さを知る過程で、ある種の人間達は零さんに魅せられるんですよ。火に吸い寄せられる蛾みたいなものですね。」
 この斉藤に「怖い」と評価させる人間、、今の俺にはちょっと想像出来なかった。

 それに自分の目的の為に、人間の身体を解体できるような平坦な生死観の持ち主が、例え少数といえど、斉藤の言うような人を魅了する魅力を持ち得るのだろうか、、それこそ悪魔的だと言えた。

 エドワード・ハワード・ゲインの「女の顔から剥がした皮をかぶったり、乳房付きのベストを着て、皮張りの太鼓を叩いて…でもそれもそう長いことやったわけじゃないです。たったの1、2時間くらいなもんで」みたいな言葉に惹き付けられる輩は、この世の本当の現実を見ていない。
 そういう奴らは、神を信じないのと同じレベルで、いもしない悪魔を愛しているのだ。 

「俺は、ここ最近の婦女暴行だとか、行方不明の類を徹底的に洗ってみたんだ。零のやりたいこととダブらせてな、、。資料として預かった零の写真やビデオを見る限り、奴は体力にまかせて事を運ぶタイプじゃない。容姿だってそうだ、醜いわけじゃないが、お宅みたいに、相手が勝手にすり寄って来るような男の色気が滴る極端な男前ってわけでもない。のっぺりした顔だから、化粧映えはするだろうが。」

「私が美形かどうかは知りませんがね。何がおっしゃりたいんで?」
 美形の自覚を持っているくせに、、慇懃無礼な奴だ。

「そのう、、自分が着る『服』にしようとする相手の女性の体格は、当たり前だが、零と同サイズということだ。最近の女性が、そう易々と、零みたいな男に体力負けするものかな、、。自分の生死が関わってるんだぞ。それに零はジゴロみたいに、女を口説けるタイプでもなさそうだ。つまり、零を手助けしていた共犯者がいるんじゃないかと思ってな。零を信奉してるちょっとキれたマッチョマンみたいな奴さ。」

「・・いますね。一人心当たりがある。」
 その言葉が少し興奮している。
 その俺の考えは、彼にとって盲点だったに違いない。
 斉藤は俺を探偵として少しは見直したようだ。

「その男は大型バイクに乗るか?」
 俺は何となく聞いてみた。
 俺が、ずっと昔から引きずっているレイプ犯は、二人組でバイクで行動していた事までは判っていたからだ。

「ええ。でもどうしてそれを?」
「いや、その事はいいんだ。で。心当たりってのは?」

「ヒヨコですよ。」
「雛?」

「ええ。渾名からは想像も出来ない残忍な冷血野郎ですがね。私らのエグさとはちょっと種類が違う。この渾名が定着したのは、実物との落差を楽しむブラックユーモアって奴でしょうね。」
「その男、昔、みんなの目の前で生きたヒヨコをばりばりくっちまったとか、そんなのか?」
 俺はヒヨコと言えば、チキンラーメンのマスコットしか思い浮かばない男だ。

「零さんとの関係ですよ。刷り込み現象ってご存じでしょう。ヒヨコは自分が孵ったときに側にいたモノを親だと思ってしまう。相手が毛布でも、人間でもいい。ヒヨコは、何を考えているか判らない不気味な奴なんですよ。他の取り巻き連中みたいに、零さんの考え方や、生き方に惹かれているわけでもないし、零さんにくっついて錢高組の威光をかすめ取ろうとしてるわけでもない。どう考えても、ヒヨコと零さんが繋がる要素が、はたの者にはわからない。だから、ヒヨコみたいに零さんが何かの弾みで、ヤツの意識に刷り込まれたんじゃないのという冗談に、みんなが飛びついた感じですね。自然の驚異というわけですよ。」

「その話、ヒヨコが孵る瞬間が抜けている。二人はホモ関係じゃないのか?」
「そこんところはわからんですね、、。それは、あなたの調査と何か関係が出てきますか?」

「いや、、。で、最後にもう一つ聞いておきたいんだが。そのう、なんだ。俺が例の『服』を見つけたら、会長は零を、それなりになんとか出来るのか?」
 零は現在、雲隠れしている。
 俺が会長から直接受けた指示は、「孫が作った女の皮を探してくれ」という内容であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 実際には、もっと細かな依頼内容があるのだが、それはこの斉藤から提示されることになっていた。
 もちろんこの会長の一言が、総てに優先されるのは言うまでもない。

 普通に考えて、俺が会長の依頼通り、「服」を探し出した時は、零の居場所を突き止めたのとほぼ同じ事になるだろう。
 俺の情報を元に、錢高組が本気で動けば、零の居場所など瞬時に突き止められるに違いない。
 つまり会長は、自らが「動き出す為の」きっかけを、警察以外の外部の人間に求めているに過ぎない気がした。
 「きっかけ」作り、それが俺の本来の役目なのだろうと、俺は考えていたのだ。

 そして俺が斉藤に聞きたいのは、会長がそのきっかけで、零を本当になんとかするつもりがあるのかどうかだった。
 俺は、この先「零」が犯してきた犯罪の詳細や、場合によってはその犯行の動かぬ証拠さえ手に入れる可能性があった。
 最後の最後に会長の気が変わって、零の保護だけに気持ちが傾いたなら、危ないのは俺のほうだった。
 第一、会長が始めから、零を始末するという形で腹が決まっているのなら、この件、俺など巻き込まずとも「組」だけでやってのけている筈なのだ。

「判りませんね、、。会長は零さんを溺愛している。あなたが、心配している事はわかりますよ。会長の気が変わったら、口封じで殺されると思っている。でもそれらなら、色々と込み入った事情を知っている、この私も同じ事だ。」
「同じじゃない。あんたは組の身内だ。」

「それを言うなら、あなたは身内じゃないが、オカルト探偵だ。あなたは既に、我々が知っているだけでも、やばくて奇妙な依頼をいくつもこなして来た。その噂を聞きつけて、会長はあなたを呼び寄せたんですよ。あなたの立場は既に確立しているし、何よりも需要がある。オカルト探偵などといった訳の分からない人間が立ち会うしかないトラブル、、。、、そう、この世には、あなたのような人を必要とするトラブルが山のようにあるわけだ。そんな貴方に、仕事を依頼しておいて、貴方を傷つけた、そうなったら世間から余計な詮索を受けるのは会長の方だ。だから殺される事はない。まあこれは私の考えだが。」

 斉藤の答えは、半分は俺を安心させ、半分は自己嫌悪に陥らせるものだった。
 しかし、依頼者側の人間から、直接面と向かって「オカルト探偵の需要」を聞かされたのはこれが初めてだった。

「そうか、俺は色んな人間に重宝されている訳だ。」
 勿論、本当に安心したわけではない。

「あれのようにね。喜ばれはしないが、誰も避けられない、、。」
 斉藤が、俺達二人の目の前をゆっくり移動して行く霊柩車に目線を送った。





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