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第3章 裏十龍城への潜入とその崩壊

29: ネズミの穴と猫

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「調子のいい奴だと思われるかも知れませんが、俺には向こうの世界に幾つか整理しておかないといけない事が積み残してあるんですよ。俺はどうしても、こっちと向こうを行き来する必要がある。」

「ふふん、そりゃ、お前さんの勝手だろ。匿ってやっているとは言わないが、ここの住人の殆どは、向こうの世界を捨てた者ばかりだ。ここに来て、お袋さんの死に際を諦めた奴だっているんだぜ。ここのルールは、そんな奴らに合わせてある。」
 ミッキーマウスの黒くて大きな瞳が、この部屋の入り口に近い壁際で佇んでいるマリーの方を向く。
 マスクの上にペイントされた瞳の中に、覗き穴が上手くはめ込んであるのだろうが、これほど細工が完璧だと、本当にミッキーマウスが「お前、この男にルールを伝えていないのか?」と、マリーを目で詰っているように見える。

「じゃ、聞き方を変えます。裏十龍城の住人で、外との行き来をする人間は一人もいないって事ですか?」
 ミッキーは、そこだけは誇張されていない白い手袋の人差し指で、黒い鼻を挟むようにしながら考える素振りをして見せた。
 たぶん本心では、イライラしている筈だ。

 『なんで俺が、こんな新入りに、こんな細かい説明をしてやる必要がある。それにこいつはなんとなく怪しい。』
 そんな所だろう。
 ただミッキーマウスは、裏十龍城の、受け入れた人間は面倒を見るという流儀と、マリーの手前、その苛立ちを抑えているのだろう。

「ここは水と電力を含め、かなりの率で自給自足が出来る世界だ。ここの地下水を利用したシステムや自家発電は相当なものだよ。一体どういうつもりで、此処の行政区がこんなものを作ったのかは謎だがな。ただし人工の建築物が都市の中にあるという現実は変わらない。テンロンの住人といえど、絶海の孤島でのロビンソンクルーソーみたいな生活は続けられないってことだ。主な外部との交流は、下のショッピングゾーンと、そこの住人が受け持っているが、住居区に逃げ込んだ人間の中にも、ここの独立体制を維持する為に、外部社会に深く食い込こむ役割を持つ人間がいる。そういった連中は、ここと外界を自由に行き来が出来る。」

「あなたの言う自由に出入り可能なその人間が、外の世界で触法行為を働き、泡銭を稼いでるって話もある。そんな悪党に、治外法権である裏十龍城に逃げ込まれると、向こうではお手上げになるらしい。」
 もちろん俺は、今此処で「煙猿」の名前を出すつもりなどない。
 目の前の風変わりなビルの管理人を、もう少し揺さぶって見たかっただけだ。

「そんな奴もいるかも知れないな。だがそんな事は俺の知ったことではない。俺はこの世界が順調に運営される事だけを願っている人間だ。だから、俺から答えを聞き出したいんなら、少し、頭を使ってくれ。、、、時々、此処に視察に入りたいとか、言い出す馬鹿な役人や政治家がいる。もちろん俺は、ここにいて、やつらを簡単に騙し追い返す事が出来る。物理的にな。しかしそれ以上は無理だ。それ以上の防御は、難しいんだよ。要は、そんな状況自体を作り出さない事が、一番重要なんだ。その為には、何が必要だ?」
 つまり裏テンロンの独立性を維持するには、裏金が必要だと言う事だ。
 裏と表を自由に行き来する人間たちの中には、裏金を稼ぐ役目を負っている者もいる、って事だ。

「あなたは、俺をここにいるマリーと一緒になって救ってくれた。その理由はなんです?単に、俺が拳銃を持ったヤクザに追いかけられていたから?」
 マリーの話によれば、裏テンロンのあらゆるドアやシャッターの開閉は、この管理室からコントロールが可能で、俺を助け出したあの瞬間も、ミッキーがビル管理用の隠し通路とモニター装置を巧く操って、彼女を手助けしてくれたのだという。

「それは勿論、マリーが俺に力を貸してくれと言ったからだ。マリーは、ここに5年以上も住んでいるし、マーケットゾーンで外貨を稼いでいてくれる。信頼できる人物だ。あんたは、ここに入るのに入居資格がいるように思っているようだが、そんなものはない。例えあったとしても、それは私が発行してるわけじゃい。ここじゃ人間としての信用が全てなんだよ。」

『嘘だ、お前達は何かの基準で人間を選別してる。俺は何度もここに入ろうとして入れなかった。そして殺され掛かって、ようやく入居が認められたんだ!』
 俺はそう叫びだしたいのを、ぐっと堪えた。

「もし俺が、ここを出ていって、又、戻って来ることになったら、、特別な事をしなくても、裏十龍は俺を迎え入れてくれる可能性はあるってことですか?」

「さっき言ったろう。ねずみが開けた穴なら、そのねずみは自由に行き来が出来る。だが猫は入れない。のぞき込めるだけだ。あんたが猫じゃなくて、ずっとネズミであることを願うよ。」

「もういいです、、。ありがとう。あなたは、俺がいくら粘っても質問に答えてくれそうもない。この話は堂々巡りだ。」
 俺は肩をすくめながらそう言った。

「ご愁傷様。こちらこそ、楽しい時間をありがとう。」
 その言葉の裏側には『俺がここまでつき合ってやっただけでも感謝しろ』という感情がありありと見えた。

「ああ、そうだ。これは裏情報なんだけど、終点の北野灘駅、もう三区間、延伸されるのが、本決まり見たいですよ。」
 私鉄の終点である北野灘駅は、十龍城に一番近い駅だった。
 ミッキーが不思議そうな顔をする。
 いや、いくら良く出来たマスクでも、そこまで表情を動かせないだろうから、それは俺の思い込みだろう。
 私鉄延伸の話の真偽は、知らない。
 それは、蛇喰が裏十龍に入り込んだら流せと言った「噂話」だった。

「この話、まだ誰も知らないと思いますよ。ホントの裏の情報だ。外の世界からの手土産代わりですよ。信用が大事なんでしよう?」
 俺は、ミッキーが首を傾げたのを見届けてから、彼に背を向けた。

     ・・・・・・・

 12階にあるミッキーの管理室を出て、マリーの部屋に上がるエレベーターが下ってくるのを待ちながら、俺はいらついた調子で言った。

「なんで奴は、浦安ネズミのマスクなんかを顔に付けてんだ?」

「さあ、顔に問題があるんじゃないかしら。本人はそういうの克服してるけど、他人に不快感を与えない為に顔を隠すっていう場合もあるわ。ここは裏テンロンなのよ。ましてミッキーは管理人よ。過去に色々あったに決まってるわ。」
 マリーが俺を、なだめるように言った。

「そうかね。俺には問題があるのは、ヤツの顔じゃなくて、性格のような気がするがね。」

「ねえ、純。そんなに、苛つかないで、あの人が頼んだ仕事なんて、失敗しちゃえばいいのよ。やって見て無理な事は、この世に一杯あるわ。」
 マリーは蛇喰の協力者の筈なのに、言っている事は正反対だった。
 しかしマリーの性格は極めて良い。
 リョウや蛇喰の事がなければ、惚れていたくらいだ。
 それが又、俺を、苛つかせた。

「結局、どういう事なんだ、、。テンロンのマーケットエリアから住居ビルに移るには10階にあるセキュリティゾーンを通過して、専用エレベーターにのる必要がある。あそこが、物理的な関門なのか?でも、規模が大きいから不思議に思うが普通のマンションにだってある当たり前の仕掛けだ。しかしそれだけの事が、関門だというなら、裏テンロンの住人となったからには、誰もが自由に、外と内とを行き来出来るんじゃないのか。でも外から見てる限りには、裏テンロンに逃げ込んだ人間の姿は一切見えなくなっている。」
 エレベーターは上の階で何をやっているのか、未だに降りてこない。

「目川は勘違いしてる。出れないんじゃなくて、みんなはここから出ていこうとしないの。それだけのことなのよ。それに、ここに隠れたら、姿が見えなくなるんじゃなくて、外の世界の人達が、ここの住人の事を見たくないのよ。」
 エレベーター前のフロアに、マリーの声が頼りなく響く。
 このフロアーは広すぎる上に、人通りがまったくないのだ。

「そんな情緒的な話だけじゃ説明がつかない。ここは駆け込み寺みたいな機能を果たしているんだぜ。ネズミ野郎もそれらしい事を言ってたが、ここには追っ手を、シャットダウンさせる有形無形の防護壁があるんだ。つまり誰かが意識して、守るべき者と、追い払うべき者を峻別してるってことになる。だが外からは、そのからくりが見えない。」

 俺は唐突に「シュレーディンガーの猫」の話を思い出した。
 俺は頭が悪いから、シュレーディンガーって学者が他の理論を批判する為に持ち出した、あの思考実験自体がよく判らない。
 ただネズミ野郎のミッキーを事を考えていたら、鼠繋がりで猫を思い出しただけだ。
 つまりシュレーディンガーが想定した箱がこのテンロンで、中にいるのがアウトサイダー達って事だ。
 実際、ここにいるアウトサイダー達は外から見ている限りは、死んでいるのか生きているのかが判らないんだから。
 で、ひょっとしたら俺があの思考実験の最後に登場する「観察者」じゃないのか?って、そんな気だけはした。

 俺はエレベーターの昇降ボタンの表面に仕込んである指紋認識のセンサーを睨みつける。
 今、こうしている時も、ミッキーには俺の動向がリアルタイムで掴めているという事だ。

「からくりね、、。法律上、ここには人は住んでいないってことが一つ。法律上ってところが重要。さらに加えて、諸々の事情が複雑に交差して、そとの世界の中にあって、十龍城だけに一種の治外法権的な空間が発生しているのも大きいわよね。でも、何度も言うようだけど、そんな事は大きな要素じゃないのよ。私達の裏テンロンを形成してるのは、人の心のありようだけなの。」
 そうマリーが言った時、エレベーターのドアが開いた。
 心のありよう?都合のいい解釈だと、俺はその時思った。





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