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第2章 漂流、相互干渉多世界
17: マ・ゾ・ブ・タっ。
しおりを挟む僕はスマホで嘉門を、夢殿の北にあるカフェに呼び出していた。
前の件があるから、嘉門が僕の前に姿を現すかどうかは五分五分だったけど、彼はきっちり指定した時間通りに僕を待っていた。
カフェのガラスドアに薄く映る自分の全身を最後にチェックして、僕は店内に入った。
まあまあの化けっぷりだった。
嘉門は店の奥のテーブル席にいたので、僕の姿はしばらく他の客に晒される事になった。
いつもならその程度の事で、自意識過剰になったりはしないんだけど、今日は少し勝手が違った。
なぜなら今日の僕は、高慢知己で高飛車な女を演じているからだ。
メイクだってお水系だし、いつもより、はるかにきつく濃い。
シャネルのバイソン柄のフェイクレザーのショートジャケットも、ミニスカートも、いつもならコーディネイトに気を配り、それらが柔らかな印象になるように他の小物などでバランスを取ったりするんだけど、今日はもろビッチだ。
もちろん、ビッチメイクの理由はたった一つ、これから始まる嘉門との駆け引きを、有利に運ぶためだ。
ともかく僕は、店中の男達のねっちりした視線を引きずりながら、嘉門がいるテーブルの前まで歩いた。
すぐに座らないで、少し脚を開いた状態で、腕組みをして嘉門の顔を冷ややかに見下してやる。
「なっ、なにやってんだ、座れよ。」
それでも僕が何も言わないでいると、渋々、嘉門は自分の席を立って、僕の為の椅子を後ろにひき始めた。
もちろん、ここはそんな作法が必要な高級カフェじゃない。
これは主導権の問題だった。
僕は黙って腰をおろすと、嘉門に見えやすいように意識しながら脚を組んだ。
ハイヒールはプラダの赤いエナメル、ちょっと前、所長にせびって買って貰ったものだ。
僕は、足首がキュッとしまって、脹ら脛にそれなりのボリュームがある自分の脚にちょっと自信がある。
今日はシーム入りのストッキングを穿いて来ようかと少し考えたけど、いくらなんでもそれはやり過ぎなので止めていた。
「何の用事だ?電話でも言ったろう。お前が聞きたがっていた事は、あの男に総て伝えた。」
「総て?じょーだん。あんたみたいな奴が、警察でもやくざでもない、只の探偵にホントのことを、みんな言うわけがないわ。」
こんな時は、おもむろにハンドバックからバージニアスリムのメンソールでも取り出して、火をつけ一服した煙を相手の顔に吹きかけてやればいいんだろうけど、僕は一切、煙草を吸わない。
それに丁度、ウェイトレスが僕の為の注文を取りに来たところだった。
「何になさいます、」
ポニーテールのウェイトレスが興味津々と言った顔で僕と嘉門の顔を見比べる。
たぶん、僕たちのシチュエーションを「多額のお金が必要なデート現場」だと思っているのだろう。
「アイスオーレ。」
僕は嘉門から視線を離さないで短く答えた。
ウェイトレスが「かしこまりました。」という前に、少し息をのんだ。
おそらく僕の男声を聞きとがめたのだろう。
もちろんウェイトレスはすぐに立ち去った。
この夢殿には、綺麗な女に見える男が結構沢山いる事を思い出したのだろう。
「煙猿のこと、もっと詳しく教えてくれる?」
嘉門の細い目が、一瞬見開かれる。
僕の口から煙猿という名前が飛び出たことに、ショックを受けたようだった。
「冗談だろ、、金を積まれたって教えるものか、こっちの命が危ない。」
「煙猿は、あの探偵が始末してくれる、、中途半端が一番危険なんじゃない?」
「けっ。あのオカルト探偵が頼りになるもんか、、。」
僕はなんだか無性に腹が立ってきた。
確かに所長は頼りないが、こんな男に馬鹿にされる謂われはない。
「あなた、目川がああ見えても、そこいらじゅうの暴力団にコネや貸しがあるの知らないんでしょ?それに一匹狼の煙猿を目障りに思ってる組織は多い。言ってる意味、判る?」
前半は事実、後半は僕の当て推量だけど、恐らく的は外しちゃいない筈だ。
現に嘉門は、僕の言葉に随分考え込んでいる。
「金を貰っても、何も言うつもりはない、、だが、、金以外なら考えてもいいがね。」
ほら来た。
嘉門が僕の誘いにのった時点で、大体の予想がついていた。
嘉門はまだ、僕に未練があるんだ。
「お金以外って何よ?アタシの身体が欲しいなんて百年早いわよ。このマゾ豚君。」
嘉門の表情が又、ひきつる。
「あんたこの前、アタシに蹴られながら感じてたでしょ。ばれてないとでも思ってた?マ・ゾ・ブ・タっ。」
「・・お前の誠意だ。気持ちでいい。この俺にモノを頼んでいるんだという誠意で、、」
嘉門の声が震えている。
どうやらその震えは、マゾ豚と呼ばれた事に対する怒りではなさそうだった。
「この俺?随分、お偉いのね。それに誠意って何よ?」
僕は、はぐらかすような口振りで言ってから、目を細めて見せる。
嘉門の言う誠意が何であるか、なんとなく判った。
この前、嘉門を痛めつけた時に、僕の履いたブーツにしがみついていた彼のあの動作は、身を守る以外のものが含まれていたからだ。
多分、嘉門は僕の身につけたものなら、なんでも気に入るに違いない。
「・・あたし、トイレに行きたくなった。あんたの言う誠意が用意できるかも。」
「、、、なっ、なら、ちょっとだけ待ってくれないか。」
嘉門の顔が急に輝いたかと思うと、彼はそのまま席をたち、カフェの外に飛び出して行った。
僕の同級生で、嘉門にそっくりな事をする奴がいる。
そいつはヘテロで、ウチの女子生徒の一人に邪な愛を抱いていた。
まあ半分以上、ストーカーだ。
奴は秘かに、その女子生徒の家から出る家庭ゴミを漁ったり、酷いときには、彼女をこっそりつけ回して、彼女が吐いたガムの食べ滓を拾ったり、鼻をかんだテッシュを回収したりする。
だから僕は、嘉門が「誠意をくれ」と言った時にピンと来たのだ。
僕が、自分がトイレでやろうとしている計画に比べて、『嘉門はもしかして、僕が唾を吐きかけたハンカチを渡した程度でも、十分満足するのかも知れない』と後悔し始めた頃、彼は汗だくになって帰って来た。
「これに入れてくれないか。それにこっちは替えの。」
そう言いながら嘉門はコンビニの白い袋を押しつけてくる。
ちらりと中身をみると新しいパンティと、食べ物を密封して保管する為のジッパー付きのビニール袋が入っていた。
こいつなんで勝手に、僕の誠意が僕のパンティだって決めてるんだ?
当たってはいるけど、、。
それに、このビニール袋は何に使うんだ?
僕が不思議そうな顔をすると、嘉門は顔を真っ赤にして言った。
「それに入れると匂いがなくならないんだ。頼むよ。」
恐ろしく真剣で、恥じらいのない表情だった。
この時点で嘉門の恋愛対象は、この僕から、パンティに移り変わったのかも知れない。
「ふん、変態、、」
僕は席を立ってトイレに向かった。
僕が、嘉門から使用済みパンティの見返りに貰ったのものは、煙猿が数年前までやっていた堅気の仕事についての情報だった。
いつのまにかグロイストの取り巻きの一人になっていた煙猿は、ある日こんな事を彼らに言ったらしい。
「おたくらさ、もうちょっと刺激的な設定を考えないと、これだけ細分化した性のニーズにこたえられないんじゃないの。」
煙猿は日頃から得体の知れない男で、出来るだけこの男を避けようとしていた嘉門だったが、こと、自分が打ち込んでいるDVD制作に口を挟まれるのが心外だったのか、この日ばかりは「例えば、どんなのがあるわけよ?口でいうだけなら簡単なんだよな」と言い返したそうだ。
煙猿は、「女の身体を冷凍にしちゃってさ、それで遊ぶんだよ。どうよこれ、文字通りクール、、あっ、くだらねぇ洒落は、さっぴいといてね」と答えたらしい。
その時の煙猿の目が完全に逝っていたので、嘉門は最初の怒りが一気に冷めてしまい、それから後は出来るだけ話題をそらそうとしたのだそうだ。
その際の会話の中で、嘉門は「自分はリリアルコー社に努めていたから」という煙猿の言葉の端切れを覚えていたわけだ。
リリアルコー社の情報をネットで引き出すのは簡単だった。
ただし海外にある本社は、という注釈付きだけど、、。
リリアルコー日本支社は、1年前に本社が日本からの資本撤退を表明したあと、綺麗に畳まれていた。
人間の身体を冷凍保存する会社だった。
日本にも大金を掛けてでも延命したいという人間は幾らでもいるが、それを冷凍で叶えるという方法論はなかなか支持を得ることが出来なかったのだろう。
そんな状況で、旧リリアルコー日本支社社員を探し出すのには、少し骨が折れたが、こちらもネットでなんとかなった。
ある意味それは、リリアルコー社の特殊な業務内容のお陰だったかも知れない。
ネット上で、ある初老男性の「書き込み」を見つけたのである。
その時、僕が使った検索キーワードは、「冷凍保存」「永遠」「再生」だった。
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