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第1章 サファイア姫の失踪
08: ノンケに手を出すからよ
しおりを挟むリョウが事務所を飛び出してから二日後、俺は煙猿に関する新しい手がかりを掴んだ。
写真もなく本名も判らず、ただ手元にあるのは、額にワッカが浮き出た「煙猿」というユニークな渾名を持つ男という情報だけ。
たったこれだけの元手で調べ上げたにしては、上出来の首尾だった。
もっともこの時点で、俺は俺に残された運が尽きかけているのをまだ知らなかったのだが、、。
『希望の光はこの胸を百万回通り抜けた。』
実に臭いキャンプションがついたポスターだった。
それが煤けたバーの壁に貼り付けてある。
修正が施されてあるのか、男の笑顔が見せる歯が恐ろしく白い。
「それが唯一、煙猿が世界に露出した証しなのよ。」
そう言った「ママ」の顔は、下ぶくれに緩んだ頬に厚化粧、だが目がやけに大きいから愛嬌を感じなくもない。
身体はビッグママだ。
こういうボディを好きな男を俺は何人か知っている。
俺はピンクフラミンゴという古典カルト映画に主演しているディバインという怪優を思い出した。
「結婚相談所のポスターか、、、。懐かしいな、」
今は「婚活」とかのそれらしい言葉になっているが、安定した生活を求めようとする男と女がやる事は昔から同じだ。
「もちろん、そんな事業所はもうないわ。」
「にしてもハンサムだな。」
「確かに、、。彼、俳優志望だったのよ。」
アドニスのママ、コーちゃんは、遠い目をして壁に貼られたポスターを眺めている。
ウナギの寝床みたいな店の中では、先ほどから、なにやら妖しくも甘い女性ボーカルデュオが有線で「ホクロ」がなんとかと歌い続けている。
俺はこの街で、煙猿の事を嗅ぎ回っている自分自身の姿を、世間様に向かって意識的にまき散らし続けていた。
こういうのは、こっそりやっても仕方がない。
出来ればハンドマイクを使って、「誰か、煙猿って奴、知りませんかぁ!」とか怒鳴りたいくらいだった。
だが煙猿はさすがに伝説の怪物らしく、その名を知る人間は一瞬ぴくりと反応を示すものの、自ら情報を提供しようとする者は一切現れなかった。
そんな中、オカルト探偵の目川が煙猿を探し回っているという噂話に、「コーちゃん」が反応してくれたのには、理由があった。
つまりコーちゃん自身が、昔、惚れていた煙猿を密かに捜し続けていたのだ。
「ノンケに手を出すからよ。」
スツールに座ってグラスを手首でぶら下げながら「シバちゃん」が、コーちゃんをからかう。
こちらの方は、極端な痩せ体型だ。
『なぜ泣くのぉ~♪』と女性ボーカルが甘えた声で歌っている。
「雨がしとしと降ってる夜に、軒下で震えてる彼を拾って上げたんだって。まるで子犬みたい。」
シバちゃんは、俺の友人の友人のその又、友人で、俺とコーちゃんとの繋ぎ役だ。
要するに、俺とはなんの関係もない。
俺は、この手の人達に好かれる質だが、好かれるだけの話で、あまり恋愛対象にはならないようだっだ。
まあ、もしかして、こっち側の目川にゴォークしてからは、そっち方面も大丈夫なのかも知れないが。
例えば今の俺は、前の目川にはなかった六つの山に別れた腹筋チョコレートもあるし、背だって数センチ伸びている。
多分、これは香代の目に映る目川純なんだろう、、有り難い事だ。
それなら俺の有難くないもう一つのあだ名「涙目探偵」あるいは、「涙目の探偵」の方もなくなっていて欲しいもんだ。
確かに俺は、何かあるとすぐに涙目になるが、それは別に気が小さいとか、感情の起伏が激しい訳じなく、単純に涙腺が弱いだけなのだ。
もっとも、涙目になってしまいそうな手酷いトラブルに常に巻き込まれてしまう運命だけは否定しようもないが。
「で、この男が、俺の探してる煙猿と同一人物だと何故言い切れる?あんたの話じゃ、あんた振られてから、そいつにずっと会ってないんだろう?」
「別れてから、彼から一度だけ電話があったのよ。その時に、今はエンエンと呼ばれてるって彼が言ったのよ。煙と猿だよ、スゥーと現れて、いつの間にか消えるんだ。いかにも俺らしいって。」
『知らないの~♪』
シバちゃんが、歌に合わせてハミングする。
シバちゃんの第二ボタンまで開けたシルクのシャツから見える胸板が薄い。
「その時には奴はまだ、あんたの前では田崎修の名で通してたのか?」
「ええ、、。でもあの時までは確かに彼、田崎修だったのよ。」
コーちゃんが深いため息を付いた。
煙猿がコーちゃんに拾われた時、奴は自分の事を田崎修と名乗ったらしい。
ちなみにこのポスターに載った時の名も田崎修だ。
「それで、あんたなりに煙猿の噂話を追いかけ続けて来たってわけか。余程、惚れてたんだな。」
「醜女の深情けってやつね。あれだけ面倒見てやって、その挙げ句、お店の有り金全部もってかれてよくやるよ。」
ここぞとばかりにシバちゃんが突っ込む。
「黙ってなよ、この針金ブス。あんたには、あの子の凄さがわかんないのよ。とにかく普通じゃないの、、あの子、人間の格好をしてるけど、人間じゃないのよ。神様とは言わないけどさ、、、。」
「悪魔みたいな?」
俺はなんの気なしに、話の合いの手のつもりで言ったのだが、当のコーちゃんは黙りこくった。
悪魔みたいな男か、、、俺はそういう奴をもう一人、知っている。
そいつの名前は銭高零と言う。
まあいい、それは又、別の話だ。
とにかく俺は、煙猿の本名見たいな「偽名」と、奴のまともな顔写真を手に入れた事になる。
この偽名と顔を辿って、煙猿がコーちゃんと同棲生活を送っていた頃の生活実体を細かく洗い出すことも可能になったわけだ。
だが今回の調査の目的は、煙猿ではなく、沢父谷姫子の所在を割り出す事だ。
しかも煙猿が関わった女性達は皆、非業の死を遂げているという、、一刻の猶予もなかった。
問題なのは、コーちゃんが惚れた過去の田崎修ではなく、現在の煙猿なのだ。
やはり煙猿を求めて、十龍城のエヤーポケットに俺自身が直接潜り込むしか方法はないのだろうか。
「コーちゃんさあ、そのポスター、デジカメで撮っていい?」
俺はこういう時はスマホを使うなんて事はしない。
ちゃんと探偵業務用のコンパクトなのを使う。
もっともリョウは『なんでカッコつけてるの?』というが、。
「目川君、彼の事、探してくれるの?」
「・・・まあ当面、そういうことになるだろうね。でも俺の本当の用向きは、さっき話したろう、ちょっと違うんだよ、、。」
もちろん、コーちゃんは、煙猿のよからぬ噂話も知っている。
「だったら、改めてお願いするわ、アタシからの正式な依頼ってことで、報酬とか細かいことは目川君の方で決めてくれていいし」
「あるんでしょ、、調査依頼のメニューみたいなの。浮気調査一日いくらとかさ。」
シバちゃんが割って入る。
なんのかんのと言っても、このシバちゃんは、人の良すぎるコーちゃんのことを気遣っているようだった。
この日、俺はしこたま飲んだ。
直ぐに調査の最中なんだというのを忘れるのは、いつもの俺の悪い癖だった。
おまけにカウンターに入り込んで、俺の得意な玉子焼きサンドを、あんたらの夕食代わりだと言って作ってやった。
しかも埃だらけで放置してあった銅鍋を見つけて、それを奇麗にしてから卵液を焼いてミルフィーユみたいに巻いてやったから完璧だ。
・・・時間的には朝食に近かったが。
フワフワで熱ーい、出汁入りの厚焼き玉子が挟んであるヤツで、まともに出汁巻きが焼けない人間には一生作れないサンドイッチだ。
それが作れたという事は、それ程、泥酔したわけではないと思うのだが、、。
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