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第1章 サファイア姫の失踪

04: 依頼は依頼、蛇の道は蛇

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「で、本気なのか?」
 所長は目を丸くしながら言った。
 どこの世界に、自分に依頼が来た事を驚くような探偵がいるだろうか?
  、、でもいるのだ、それが僕のアルバイト先の所長である目川純という男だった。

「料金はウチのCランクでいいだろ?僕のバイト料からさっぴいてくれればいい。」
 このランク、昔は依頼説明書面に「松竹梅」と銘打ってたけれど、いくらなんでもそれはあんまりだと僕が「ABC」に変えさせていた。
 所長は、お前は洒落のわからん奴だ、と言っていた。

「しかし、それなら、、」
「それなら、そのバイト料持って、他の探偵事務所に行けばいいって顔してるね。」
「あっ、ああ、、なんせ俺はオカルト専門だからな、、。普通の失踪事件は扱わんのよ。それに警察に失踪届を出せば良いんじゃね?」

 警察に、、、僕も姫子の保護者代わりである老夫婦にそう言った。
 けれど、「姫子は、そんな子じゃない」と頑固を絵に書いたような痩せたお爺さんは首を振った。
 「じゃ尚更、警察に、」と言いかけて、僕は口をつぐんだ。
 ひょっとしたらお爺さんは、姫子の事を、誰にもつつき回されたくなかったのかも知れない。
 老夫婦によると、姫子は思いやりのある天使のような孫だと言うのだ。

「世間じゃ、姫子のことをどう言っとるのか知れんが。」
 顔を真っ赤にして怒鳴るように喋るのは、真実をねじ曲げてでも、自分の孫に夢を見ていたい老人の心の露われだったのだろうか。
 そんなのを見た限り、僕としては沢父谷の件を警察に相談しておしまいにする訳にはいかなかった。

 それに僕には、この所長に依頼を頼むもう一つの理由があった。
 それは姫子に貰ったDVDに一瞬だけ映し出されたあの人影だった、、、。
 うちの所長は、こういう人間に鼻が効く。
「失踪届を出せば、警察が総力をあげて彼女を捜し出してくれたりする?冗談はよしてよ。」

 僕はお気に入りのアークテリクスのバックパックから姫子のDVDを取り出して、所長が足を投げ出しているデスクの上に置いた。
 所長はまだ椅子の中で、ふんぞり返ったままだ。
 アームチェア・ディテクティブを気取りたくて買い付けたという肘掛け椅子は、今や所長のリクライニングチェアに成り下がっている。
 そのだらけきった様子は、まるで溶けた猫みたいだ。
 骨張ってはいるが、それなりに、すらりとした所長の体つきも、こんなだらしない格好では元も子もない。

「所長は、こういう裏DVDのこと詳しいでしょ?」
「まあ少なくとも不自由な人じゃないな、、。」
 所長はちらりとデスクの上のDVDに視線を落とした。
 所長のH形スケベアンテナに、何かが受信されたみたいだ。

「姫子は、そのDVDに出てる。」
 所長の憂いを秘めた垂れ加減の眉がぴくりとつり上がる。
 同時に切れ長の目に、少しだけ理性の明かりの火が灯った。

「それ、失踪と関係があると思ってるのか?」
「・・・・判らない、、ただ気になるんだよ。」
 いつもにやけていて、どことなく情けなさそうな所長の顔が少しだけハンサムに見えた。
 僕は、所長のこの顔が嫌いじゃない。


   ・・・・・・・・・


 京都は六道之辻下がる1丁目に、「漂着ビル」と呼ばれる物件がある。
 その一階にあったブロックは全て併合されて、今は古本販売と雑貨カフェが入り混じった、それっぽい店になっている。
 だが流行っているようには見えない。
 この店で出されるコーヒーが不味い。
 多分、英文字が3つの緑の缶のやつを使っているんだろう。

 古本のラインアップがちょっとも、知的でもおしゃれでもない。
 どこかで、店作りに躓いているのだ。
 だからこのビルは、昔から「漂着ビル」と呼ばれている。
 本当は「漂着物ビル」という悪口なのだが、気の毒すぎて誰もそこまで言わない。

 この古びた雑居ビルを階段で三階まで上がっていくと、突き当たりのブロックに、模様ガラスがはめ込まれたドアが見える。
 それが僕のアルバイト先である探偵事務所の外見だ。

 一応、模様ガラスの表面には、黒の極太明朝体で「目川探偵事務所」とプリントしてある透明シートを貼り付けてあるんだけど、いかにも素人が手作りでやった感が満載で、よく見ればシートとガラスの表面に気泡が入っている。
 これだから所長は、、と思いながら僕は「はいりまーす」と言ってドアを開けた。

 僕が高校の関係で暫くバイトにでれない情況の中で、所長に個人的な依頼をしてから二日が経っていた。
 少しは進展があるかと期待していたのだが、事務所にいた所長の姿を見てその気持ちが一気に萎えた。
 所長は部屋の真ん中でこちらに背を向けて、何かタコ踊りをしていたのだ。

 室内に音が聞こえないから、イヤホンを耳に突っ込んでそれを大音量で聞いているのだろう。
 所長は基本、リズムアンドブルース系が好きだから、多分そんなのだろうと思う。
 所長は、ほぼオッサンだったけど、体型だけを取ってみると、痩せがたで手足も長く、お腹もそんなに出てないから、踊っている姿を見てモノを投げつけたくなる程には、ぶちゃいくではない。

 それに所長の動きはキレッキレッだった。
 けれど残念な事に、リズムが微妙に可笑しい。
 次は、こういうステップなんじゃないかなと、予測すると、全く違う動きを見せる。
 なんでそんな奇妙な動きになる!
 音はなくても、見ていて判る。
 世の中には、そんなビートを刻む音楽なんてない。

 で所長は突然、見事なステップターンをしてこちらを振り向いた。
 僕と視線が会う。
 所長の顔が奇妙な感じで歪む。
 照れくさがっているのか、恥ずかしがっているのか、それともどーだ?と自慢したいのか、全くわからなかった。

「まあ座れよ。あっ、そうだ!これ見てくれよ。」
 所長は僕を来客用の応接セットの椅子に座らせてから、突然自分のデスクに戻って、そこからシフォンケーキを逆さにしたようなモノを持ってきて、二人の間のテーブルに置いた。

「なっ、AIスピーカーだよ。だがちょっと並のとは違う。知り合いにさ、こうゆーが弄れる奴がいてさ。ちょっと改造して貰ったんだよ。いいか見てろ」
 先ほどのタコ踊りで使っていた無線イヤホンもそうだが、所長はオカルト探偵を自称しているワリには、こういった新しいモノに目がない。
 別にそれは構わないんだけど、問題は何時も金欠気味なのに、そういうものを直ぐに買ってくるという事だった。

「オーケー、ワトスン君。明日の天気はどうだい?」
 所長はシフォンケーキの機械相手に猫なで声で言う。
 AIスピーカーの中で三色の光点が連続点滅した。

「黙ってろ!この糞野郎!」
 AIスピーカーが見事に怒鳴り返して来た。

「、、、、、。」と所長。
「、、、、、。」と僕。

「所長さぁ、前ン時は、これなかったよね?あのイヤホンも今日初めて見た。この二日間、所長何してたの?」
「あっ、例の件か。仕事はちゃんとしてるぜ。ちゃんとな。でも俺だって、色々、プライベートな事があってだな、、」
 所長はそう言いながら素敵なワトスン君をテーブルから持ち上げ、その裏を覗き込んだり斜めに見たりしながら、元のディスクに戻した。

 僕の所に戻ってきた時の所長は真顔になっていた。
 この誤魔化しの豹変は、まあいつもの事だから、僕はそれを受け入れる事にした。
 僕は所長の保護者じゃなく、只の年下のバイト助手なんだから。

「沢父谷姫子の事だが、まずは男関係から洗ってみた。そのなんだ、沢父谷ってのは、男関係が荒いって事で有名だったんだろ?事件に巻き込まれて失踪したと仮定したらその線が一番怪しいし、外れててもなんらかの情報は得られる。って事なんだが、、。」
 普段の探偵業務では普通の会話だけど、こうやって自分の高校の知り合いの話としてそれを目の前で聞かされると、なんだか気持ちが落ち着かなかった。

「でもさ、結果が出ないんだよな。」
「結果が出ない?」

「俺みたいなオッサンが、高校生相手に直に聞き込みをするのは、なかなか面倒なんだぜ。」
「どうせ、どう君?疲れがとれるいい薬あるんだけどとか、一日でバリ稼げるバイトあんだけどとかで、食い込んで行ったんでしょ。で、続きは?」

「ん?ああ。お前の夏炉工業以外の高校と、その周辺にまで捜査の枠を広げてみたんだけど、どうやら沢父谷姫子が関係した男ってのは、お前んとこの学生じゃなく天高の男子学生一人で、しかもそれは不発だったみたいだぜ。」

「天高?あの進学校の?不発ってセックスしてないって事?でも僕の高校じゃ、沢父谷はサセ子だって有名だよ?」

「うん、それだ。お前らみたいなサカリの付いたモテないガキばっかがうじゃうじゃいる高校じゃ、そんな話って幾らでも沸いて出るんじゃないか?結構、お前ん所の男子学生に数多くあたってみたんだが、みんな薄らボンヤリしてたぜ。前にさ、お前の紹介で諏訪って生徒に仕事手伝ってもらった事があっただろ。俺は最初、夏炉工業ってのはアイツの印象があったから、結構、がっくり来ちゃったよ。」
 諏訪光先輩は特別な人間だから、先輩を基準にしてうちの生徒を評価するのは間違ってると思ったけど、確かに『薄らボンヤリ』評だけは合っているかも知れない。

 夏炉はそんなに底辺校じゃない結構な偏差値を必要とする工業高校だけど、天高なんかと比べると、学習面や生活面での気風がみなおっとりしてるのは確かだ。
 性欲の固まりさ加減だって、小学生レベル並なのだ。

「それにさ、俺が突き止めた所によると、その天高生の方も誘ったのは沢父谷の方なんだけどさ、なんか最後までやるのを怖がってたらしいぜ。で天高生の方も初な童貞だったから、やる前にドピュッみたいな話さ。でもだからと言って沢父谷が性に奥手だったわけじゃないようだ。」
「、、、、。」
 僕には色々考える所があった、でも僕はそれを所長には伝えずに、頭に浮かんだ軽い疑問だけをぶつけてみた。

「所長のうわさ話の自然発生説についてなんだけど、夏炉工業の生徒として言わせて貰えば、それ間違ってると思うんだよね。だって姫子に関して伝わってくる話がさ、凄くリアルなんだよ。とてもモテない男子高校生が妄想できるような話じゃないんだ。」

「それはそうだろうさ。そのうわさ話の発信源は沢父谷姫子自身なんだからさ。沢父谷姫子が話を捏造して、自分自身の口や女友達の口でそれを学校内に広めて回っているのさ。耳年増のネタ元は多分、あのAVを制作した奴らだろうな。奴らエロに関してはプロだから。それと沢父谷の女友達の発信力もすげぇ強いんじゃねえの?当然、お前んとこの高校の男女比じゃそうなるわな。」

「やっぱり沢父谷はそうまでして、自分がレズだって事を打ち消したかったのかな、、、どうも意味分かんないな。」

「まあ、そっちの方は俺は判らん、人にはそれぞれの事情や経緯ってもんがある。リョウ、お前だって、沢父谷姫子の事はよく知らんのだろ?とにかくだ、今判ったのは、沢父谷姫子の失踪は一筋縄では解明できない事案になりそうだって事だ。例のあの男な。あいつが、やっぱり大きくこの件に関わって来るのかも知れない。」
 額に輪っかのあるあの男、、、僕は奴がこちらにどんどん近づいて来るような気がした。


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