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第一章 序まり
五.黒猫の知らせ
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長屋が立ち並ぶあたりまで来て、柚月は足を止めた。
随分息が上がっている。
苦しい。
前かがみになり、膝に手を当てて支えた。
足から影が伸びている。
切り離せない、暗い闇が。
柚月はそれを、じっと見つめた。
自分にいったい、どうすることができるだろう。
どうすることもできない。
この流れを変える力など、自分にはない。
かといって、このまま松屋に戻る気にもなれない。
早鐘を打つ鼓動に合わせて、思考がめぐる。
めぐるばかりで答えが出ない。
断ち切るように体を起こし、空を見上げた。
濃紺の空に明るい月が浮かび、その光の陰に、無数の星がちりばめられている。
目を閉じ、大きく息を吸った。
少し冷えた夜の空気が、胸いっぱいに入ってくる。
それをゆっくりと吐くと、肩でしていた呼吸がおさまり、少し、心も落ち着いた。
ここに立ち止まっているわけにもいかない。
柚月は勢いよくガシガシ頭を掻くと、今度は短く息を吐いた。
わずかに、目に強さが戻った。
歩き出すと、物陰から静かに何が現れ、足音もなくまっすぐ柚月の足元にすり寄ってきた。
猫だ。
それも、闇に溶けこむような漆黒の。
このあたりの人に餌でももらっているのか、随分人に慣れている。
「迷子か? 俺、餌持ってないよ」
柚月がかがみこんで撫でようとすると、猫はするっとその手をすり抜けた。
「つれないやつだな」
ぬくもりに触れられない虚無感に、思わず苦笑が漏れる。
猫は柚月の横をすり抜け、去っていく。
その姿を目で追って振り向き、柚月はぎょっとして、反射的に立ち上がった。
すぐ後ろ。
女が立っている。
しかもその女。
知っている。
椿だ。
「どう、したの?」
柚月はビックリしすぎて、間の抜けた声になった。
椿も驚いた顔で、帯に差した扇子をぎゅっと握りしめている。
「道に、迷ってしまって」
間の抜けた声で応えた。
ちょうどその時。
パチン、と微かな音がした。
刀を納めるような音だ。
だが、椿の声に重なり、かき消されてしまった。
柚月は気が付かない。
そればかりか、突然すぎる再会に事態を飲み込めず、目をぱちくりさせている。
その様子に、椿は緊張が緩んだのか、扇子からすっと手を放した。
「え…っと、邸に帰るの? だいぶ方向違うけど」
柚月は、まだ半分驚いた顔をしているが、声はいくらか落ち着きを取り戻している。
反対に、今度は椿が驚いた。
「え⁉」
口元に手を当て、きょろきょろとあたりを見渡し、絵に描いたようにうろたえ出している。
あわあわ困っている姿も、また、かわいい。
柚月は少し気が緩み、ふふっと笑いが漏れた。
「送るよ」
そう言うと、先に立って歩き出した。
このままここに放置すれば、朝まで町をさまよいそうだ。
それも、運が良ければの話。
今の都は、夜、女が一人で出歩けるほど、治安はよくない。
椿は少し戸惑った様子を見せたが、先に行く柚月の背中を、くっと鋭い目で捉えると、後を追った。
随分息が上がっている。
苦しい。
前かがみになり、膝に手を当てて支えた。
足から影が伸びている。
切り離せない、暗い闇が。
柚月はそれを、じっと見つめた。
自分にいったい、どうすることができるだろう。
どうすることもできない。
この流れを変える力など、自分にはない。
かといって、このまま松屋に戻る気にもなれない。
早鐘を打つ鼓動に合わせて、思考がめぐる。
めぐるばかりで答えが出ない。
断ち切るように体を起こし、空を見上げた。
濃紺の空に明るい月が浮かび、その光の陰に、無数の星がちりばめられている。
目を閉じ、大きく息を吸った。
少し冷えた夜の空気が、胸いっぱいに入ってくる。
それをゆっくりと吐くと、肩でしていた呼吸がおさまり、少し、心も落ち着いた。
ここに立ち止まっているわけにもいかない。
柚月は勢いよくガシガシ頭を掻くと、今度は短く息を吐いた。
わずかに、目に強さが戻った。
歩き出すと、物陰から静かに何が現れ、足音もなくまっすぐ柚月の足元にすり寄ってきた。
猫だ。
それも、闇に溶けこむような漆黒の。
このあたりの人に餌でももらっているのか、随分人に慣れている。
「迷子か? 俺、餌持ってないよ」
柚月がかがみこんで撫でようとすると、猫はするっとその手をすり抜けた。
「つれないやつだな」
ぬくもりに触れられない虚無感に、思わず苦笑が漏れる。
猫は柚月の横をすり抜け、去っていく。
その姿を目で追って振り向き、柚月はぎょっとして、反射的に立ち上がった。
すぐ後ろ。
女が立っている。
しかもその女。
知っている。
椿だ。
「どう、したの?」
柚月はビックリしすぎて、間の抜けた声になった。
椿も驚いた顔で、帯に差した扇子をぎゅっと握りしめている。
「道に、迷ってしまって」
間の抜けた声で応えた。
ちょうどその時。
パチン、と微かな音がした。
刀を納めるような音だ。
だが、椿の声に重なり、かき消されてしまった。
柚月は気が付かない。
そればかりか、突然すぎる再会に事態を飲み込めず、目をぱちくりさせている。
その様子に、椿は緊張が緩んだのか、扇子からすっと手を放した。
「え…っと、邸に帰るの? だいぶ方向違うけど」
柚月は、まだ半分驚いた顔をしているが、声はいくらか落ち着きを取り戻している。
反対に、今度は椿が驚いた。
「え⁉」
口元に手を当て、きょろきょろとあたりを見渡し、絵に描いたようにうろたえ出している。
あわあわ困っている姿も、また、かわいい。
柚月は少し気が緩み、ふふっと笑いが漏れた。
「送るよ」
そう言うと、先に立って歩き出した。
このままここに放置すれば、朝まで町をさまよいそうだ。
それも、運が良ければの話。
今の都は、夜、女が一人で出歩けるほど、治安はよくない。
椿は少し戸惑った様子を見せたが、先に行く柚月の背中を、くっと鋭い目で捉えると、後を追った。
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