2 / 51
第一章 序まり
弐.姿なき人斬り
しおりを挟む
「また暗殺だよ」
夜が明けると、街では人々が口々に言いあっていた。
「今度は誰だ?」
「大蔵卿、高良康景様だそうだ。梅小路でのことらしい」
「恐ろしい、恐ろしい。将軍様が変わられてから、こんなことばかりだ」
人々の顔は皆、不安にゆがんでいる。
この国は今、動乱の中にある。
事の発端は、いわゆるお家騒動だ。
決して大きくはないこの島国が、戦国の世を経て今の形になり、二〇〇年余り経つ。
各国の国主は、独自に自国を治めながら、都にある中央政府に従っている。
その中央政府の頂点たるのが、将軍である。
その将軍が、突然死んだ。
原因はわからない。
分からない、とされている。
そしてすぐに、長男、冨康が跡を継いだ。
慣例の通り。
なんら不思議も問題もない。
だがその直後、この冨康が父である先代に毒をもったのだ、という噂が流れ、事態は一変する。
「大きな声では言えないが、冨康様が父君を手にかけたのだとしても…」
「ああ、おかしくはない」
「昔から、城の中では弟君の剛夕様を推す声が強かったらしいからな」
街の噂話は尽きない。
剛夕、とは、冨康の年の近い弟である。
この弟は文武両道に秀で、幼い頃から家臣たちの信頼も厚かった。
そして何より、冨康が側室の子であるのに対し、剛夕は正室の子なのだ。
問題は、ここにある。
二〇〇年前、戦国の乱世が終わりを告げ、この国は平和を手に入れた。
できて間もない中央政府は、「封国」と称して海外との国交を断つ政策に舵を切る。
それにより、海の外の敵までいなくなった。
あるのは、平穏と安定のみ。
結果、どうなったか。
この平和な世は、見事に支配者層を堕落させた。
今や武士たちに、下剋上のような大きな変化を望む者はいない。
実力主義など、平穏を乱す悪。
大事なのは、肩書だ。
家柄、階級、身分。
生まれた家で地位が決まり、生涯変わることはない。
「母君が側室ではな。正室の子の剛夕様にはどうしても劣る」
「長男が跡を取るという慣例があると言っても、万一と言うことがある」
冨康には、町人たちでさえ簡単に想像できるほどに、焦りがあった。
では剛夕を推すか。
いや、それも難しい。
問題は、剛夕の思想にある。
「剛夕様は、幼い頃から海外文化がお好きらしいからな」
「ああ、なんでも、外交に力を入れて、この国を強くしたいとお考えらしい。お武家様たちは、そういったことは好まれないだろう」
噂する声に、嫌味が混じった。
封国は、もはや武士社会の安定の象徴。
それを脅かす剛夕の思想は、武士たちにとって危険なのだ。
結果城内は、冨康を推す保守派と、剛夕を推す革新派に二分されることとなった。
「昨夜のこともやはり、アレの仕業かの」
人々はいっそう声を潜める。
「ああ、例の。開世隊の、人斬りだよ」
城内から広まった不安の影。
それは都中に広まり、さらなる闇を引き寄せた。
都のはるか西に、「萩」という国がある。
取り立てて何があるというわけでもない、山に囲まれ、田園風景広がる国だ。
そののどかな国に、跡目争いに揺れる中央政府の混乱を見逃さない者がいた。
楠木良淳。
下級役人のこの男が、自身が開いていた私塾「明倫館」の塾生を中心に「開世隊」を結成し、兵を挙げたのだ。
そしてするりと都に入ると剛夕と接触し、あっという間に同盟を結んだ。
そうして剛夕は、軍事力でも冨康に対抗しうるだけの力を得た。
以来兄弟はにらみ合ったまま、膠着状態が続いている。
結果、都の治安は悪化。
さらにここ四年、政府の要人が暗殺されるという事案が続き、人々の不安を一層あおっている。
「大蔵卿ともなれば、護衛はたくさんいたのだろう?」
「ああ。だが、また、見事に大蔵卿だけが殺られたらしい。護衛たちは怪我こそしたが、皆生きているそうだ。ただ、いつものように、下手人の姿を見た者はいないらしい」
「またか。風のような速さだと聞くが、本当か? 物の怪の類ではないのか。人の業とは思えん」
「ああ。気味が悪い」
噂が噂を呼び、不気味さばかり増していく。
「姿なき暗殺者か…」
人々は顔を見合わせた。
背中にヒヤリと冷たい物が走る。
「栗原様が失脚されてから、ろくなことがない。」
「まったくだ。戦なら、よそでやってもらいものだよ」
都のにぎやかな通り。
行きかう人々の顔は、曇天のようだ。
夜が明けると、街では人々が口々に言いあっていた。
「今度は誰だ?」
「大蔵卿、高良康景様だそうだ。梅小路でのことらしい」
「恐ろしい、恐ろしい。将軍様が変わられてから、こんなことばかりだ」
人々の顔は皆、不安にゆがんでいる。
この国は今、動乱の中にある。
事の発端は、いわゆるお家騒動だ。
決して大きくはないこの島国が、戦国の世を経て今の形になり、二〇〇年余り経つ。
各国の国主は、独自に自国を治めながら、都にある中央政府に従っている。
その中央政府の頂点たるのが、将軍である。
その将軍が、突然死んだ。
原因はわからない。
分からない、とされている。
そしてすぐに、長男、冨康が跡を継いだ。
慣例の通り。
なんら不思議も問題もない。
だがその直後、この冨康が父である先代に毒をもったのだ、という噂が流れ、事態は一変する。
「大きな声では言えないが、冨康様が父君を手にかけたのだとしても…」
「ああ、おかしくはない」
「昔から、城の中では弟君の剛夕様を推す声が強かったらしいからな」
街の噂話は尽きない。
剛夕、とは、冨康の年の近い弟である。
この弟は文武両道に秀で、幼い頃から家臣たちの信頼も厚かった。
そして何より、冨康が側室の子であるのに対し、剛夕は正室の子なのだ。
問題は、ここにある。
二〇〇年前、戦国の乱世が終わりを告げ、この国は平和を手に入れた。
できて間もない中央政府は、「封国」と称して海外との国交を断つ政策に舵を切る。
それにより、海の外の敵までいなくなった。
あるのは、平穏と安定のみ。
結果、どうなったか。
この平和な世は、見事に支配者層を堕落させた。
今や武士たちに、下剋上のような大きな変化を望む者はいない。
実力主義など、平穏を乱す悪。
大事なのは、肩書だ。
家柄、階級、身分。
生まれた家で地位が決まり、生涯変わることはない。
「母君が側室ではな。正室の子の剛夕様にはどうしても劣る」
「長男が跡を取るという慣例があると言っても、万一と言うことがある」
冨康には、町人たちでさえ簡単に想像できるほどに、焦りがあった。
では剛夕を推すか。
いや、それも難しい。
問題は、剛夕の思想にある。
「剛夕様は、幼い頃から海外文化がお好きらしいからな」
「ああ、なんでも、外交に力を入れて、この国を強くしたいとお考えらしい。お武家様たちは、そういったことは好まれないだろう」
噂する声に、嫌味が混じった。
封国は、もはや武士社会の安定の象徴。
それを脅かす剛夕の思想は、武士たちにとって危険なのだ。
結果城内は、冨康を推す保守派と、剛夕を推す革新派に二分されることとなった。
「昨夜のこともやはり、アレの仕業かの」
人々はいっそう声を潜める。
「ああ、例の。開世隊の、人斬りだよ」
城内から広まった不安の影。
それは都中に広まり、さらなる闇を引き寄せた。
都のはるか西に、「萩」という国がある。
取り立てて何があるというわけでもない、山に囲まれ、田園風景広がる国だ。
そののどかな国に、跡目争いに揺れる中央政府の混乱を見逃さない者がいた。
楠木良淳。
下級役人のこの男が、自身が開いていた私塾「明倫館」の塾生を中心に「開世隊」を結成し、兵を挙げたのだ。
そしてするりと都に入ると剛夕と接触し、あっという間に同盟を結んだ。
そうして剛夕は、軍事力でも冨康に対抗しうるだけの力を得た。
以来兄弟はにらみ合ったまま、膠着状態が続いている。
結果、都の治安は悪化。
さらにここ四年、政府の要人が暗殺されるという事案が続き、人々の不安を一層あおっている。
「大蔵卿ともなれば、護衛はたくさんいたのだろう?」
「ああ。だが、また、見事に大蔵卿だけが殺られたらしい。護衛たちは怪我こそしたが、皆生きているそうだ。ただ、いつものように、下手人の姿を見た者はいないらしい」
「またか。風のような速さだと聞くが、本当か? 物の怪の類ではないのか。人の業とは思えん」
「ああ。気味が悪い」
噂が噂を呼び、不気味さばかり増していく。
「姿なき暗殺者か…」
人々は顔を見合わせた。
背中にヒヤリと冷たい物が走る。
「栗原様が失脚されてから、ろくなことがない。」
「まったくだ。戦なら、よそでやってもらいものだよ」
都のにぎやかな通り。
行きかう人々の顔は、曇天のようだ。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
一よさく華 -渡り-
八幡トカゲ
ライト文芸
自分を狙った人斬りを小姓にするとか、実力主義が過ぎませんか?
人斬り 柚月一華(ゆづき いちげ)。
動乱の時代を生きぬいた彼が、消えることのない罪と傷を抱えながらも、新たな一歩を踏み出す。
すべてはこの国を、「弱い人が安心して暮らせる、いい国」にするために。
新たな役目は、お小姓様。
陸軍二十一番隊所属宰相付小姓隊士。宰相 雪原麟太郎(ゆきはら りんたろう)は、敵方の人斬りだった柚月を、自身の小姓に据えた。
「学びなさい。自分で判断し、決断し、行動するために」
道を失い、迷う柚月に雪原は力強く言う。
「道は切り開きなさい。自分自身の力で」
小姓としての初仕事は、新調した紋付きの立派な着物を着ての登城。
そこで柚月は、思わぬ人物と再会する。
一つよに咲く華となれ。
※「一よさく華 -幕開け- 」(同作者)のダイジェストを含みます。
長編の「幕開け」編、読むのめんどくせぇなぁって方は、ぜひこちらからお楽しみ下さい。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一よさく華 -嵐の予兆-
八幡トカゲ
ライト文芸
暮れ六つ過ぎ。
十日ごとに遊郭に現れる青年がいる。
柚月一華(ゆづき いちげ)。
元人斬り。
今は、かつて敵であった宰相、雪原麟太郎(ゆきはら りんたろう)の小姓だ。
人々の好奇の目も気に留めず、柚月は「白玉屋」の花魁、白峯(しらみね)の元を訪れる。
遊ぶためではない。
主の雪原から申し渡された任務のためだ。
隣国「蘆(あし)」の謀反の気配。
それを探る報告書を受け取るのが、柚月の今回の任務だ。
そんな中、柚月にじわりじわりと迫ってくる、人斬りだったことへの罪の意識。
「自分を大事にしないのは、自分のことを大事にしてくれている人を、大事にしていない」
謎の言葉が、柚月の中に引っかかって離れない。
「自分を大事にって、どういうことですか?」
柚月の真直ぐな問いに、雪原は答える。
「考えなさい。その答えは、自分で見つけなさい」
そう言って、父のように優しく柚月の頭を撫でた。
一つよに咲く華となれ。
蛍地獄奇譚
玉楼二千佳
ライト文芸
地獄の門番が何者かに襲われ、妖怪達が人間界に解き放たれた。閻魔大王は、我が次男蛍を人間界に下界させ、蛍は三吉をお供に調査を開始する。蛍は絢詩野学園の生徒として、潜伏する。そこで、人間の少女なずなと出逢う。
蛍となずな。決して出逢うことのなかった二人が出逢った時、運命の歯車は動き始める…。
*表紙のイラストは鯛飯好様から頂きました。
著作権は鯛飯好様にあります。無断転載厳禁
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる