一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

文字の大きさ
19 / 51
第二章 目覚め

八.偶然がもたらした確信

しおりを挟む
 翌日も、朝から西洋館を訪れた。
 前日とは別の館で、今度はその館の主が夫婦で出迎え、雪原は相変わらず流ちょうな外国語で話し、楽しそうに笑いあい、主たちと昼食を共にすると、館を後にした。

 一行はそのまま、宿に引き返すのかに思われた。
 が、市場の近くを通りかかった時だ。
 雪原は「ちょっと散歩して帰ります」と言って籠を降りると、清名と柚月だけを供にして、あとの者は宿に帰した。

 ここでもやはり藤堂は、「危険です」と最後まで食い下がったが、清名に制され、しぶしぶ宿に帰っていった。

 横浦の市場。
 そこは、一歩踏み入れただけで、別世界だ。

 活気があるのは言うまでもない。
 だが都とはまた違った活気だ。

 封国ふうこく下ではまず出逢うことのない異国の人々が溢れ、外国語が飛び交い、通りには籠ではなく馬車が走っていく。
 さらに、所狭しと並ぶ露店で売られているのは、海外から輸入した舶来品ばかりだ。

 訪れる者は皆、この国にいることを、日常を、忘れてしまう。

「やはり、横浦はいいですね」

 雪原は大きく伸びをした。
 文字通り、羽を伸ばしている。

 裏腹に、清名は緊張の面持ちだ。
 警備が手薄なうえに、人が多い。
 柚月も自然と周りを警戒した。

 雪原一人、のんきな顔で楽しそうである。
 露店を見て歩き、何か気になったのか、女物の小物がたくさん並んでいる店の前で足を止めた。

「いらっしゃいませ。お土産ですか?」

 商売人はかすかな好機も逃さない。
 すかさず愛想の良い店主が顔を出し、商品の説明を始めた。

 とにかく、舶来の珍しい物ばかりらしい。
 雪原も興味を示している。
 少し、長くなりそうだ。

 柚月は店主の声を耳の端で捉えながら、周囲に広く意識を集中した。
 話声、足音、物音。
 自然と色んな音が耳に入ってくる。

 だがガヤガヤと、一つ一つははっきりしない。
 その中を、男の声が貫いて来た。

「おや、栗原くりはら様」

 柚月は反射的に振り向いた。
 隣の露店の店主が、通りかかった男に声をかけている。

 よく来る客のようだ。
 店主と親しいらしい。
 男は店主と二三言葉を交わすと、去っていった。

 柚月は、何事もなかったように雪原に注意を戻した。
 雪原は変わらず、店主と楽しそうに話している。

 変わらずに。

 柚月はそう思った。
 だが、男の声に反応したのは、柚月だけではない。
 雪原もだ。
 いや正確には、雪原は、柚月が男の声に反応したことを見逃さなかった。

 だが柚月はそんなこと、気づきもしない。
 雪原の様子を確認すると、今度は周囲を見回し始めた。
 通りは、変わらず賑わっている。
 不審な人間も気配もない。

 柚月は再び雪原の近くに視線を戻し、ふと店頭のかんざしが目に入った。
 かんざしの形はしているが、異国風の飾りがついている。
 珍しいな。
 そう思うと同時に、無意識に手に取っていた。

『これ、土産にどうかな。』

 ふいに、義孝のうれしそうな声が聞こえた。
 耳ではない。
 頭の中だ。
 それとともに、一気に懐かしい景色に引き戻されていた。

 以前、横浦に来た時のことだ。
 義孝は露店で珍しい髪飾りを手に取り、柚月に見せた。

 また、女か。
 柚月はあきれて、「いいんじゃないか」と適当に答えた。

 四年ほど前になる。
 都に来て、一月を過ぎた頃だった。

 都に来てから五日と開けず、暗殺のめいが下った。
 柚月は何人も何人も斬った。
 新しい国のために。
 そう自分に言い聞かせながら。

 だが、何かが変わっているようにも思えない。
 ただ、染みついた血の匂いが、濃くなっていくばかり。
 柚月の目は光が薄れ、日に日によどんでいった。

 友としてだけでなく、見分役として現場にも同行していた義孝には、それがよくわかった。
 辛かった。
 横浦に行こうと言い出したのは、義孝だった。

 柚月のすぐ後ろを、馬車が通っていく。
 市場の賑わいは、あの時と何も変わってはいない。

 柚月は脇腹に手を当てた。
 包帯の感触の下に、傷の痛みがある。
 この痛みが、現実を突き付けてくる。

 柚月は思い出に別れを告げるように、かんざしをもとの場所に戻そうとした。
 痛い。
 傷が痛むのか、心が痛むのか、分からない。
 だが、ただただ…。

「戻す必要はありませんよ」

 突然の声に、柚月はハッと手が止まった。
 雪原が、にこやかに微笑んでいる。

「かわいいですね。椿に似合いそうです」
「え?」

 驚く柚月の横で、雪原は店頭の手鏡と髪飾りを一つずつ指さし、「あと、これも」と言って、柚月が手にしているかんざしもあわせて買い求めた。

「妻と鏡子にお土産です」

 そう言いながら、雪原は勘定を払っている。
 商品を受け取ると柚月に振り向き、ニコリとした。

「男はマメじゃないと」
「…はあ」

 柚月は曖昧な返事をしながら苦笑したが、半分あきれ顔になっている。
 なんだか分からないが、さすがだ。

「それ、椿に渡しておいてくださいね。どこかで、かんざしを失くしたようなのですよ」

 そう言うと、雪原は再び歩き出した。
 あの山で落としたのではないか。
 柚月はそう思ったが、口にはしなかった。
 椿がかんざしをしていたかどうかも、覚えていない。

「横浦には来たことがあるそうですね」

 雪原は楽しそうに露店に目をやりながら、世間話のように切り出した。

「『先生』というのは、楠木くすのきのことですか?」

 柚月は一瞬驚いたが、すぐに、椿に聞いたのだな、と納得した。
 雪原には、嘘が通じる気がしない。

「はい。でも、先生と来たというのは、嘘です。本当は…」

 そこまで言って、言葉に詰まった。
 なんと言っていいのか。
 迷う。

「…友達と」

 頼りない声になった。
 それ以外の言葉が見つからない。

 友だち、親友、ダチ。
 どれも口にするには恥ずかしい。
 でも、当然のようにそう思ってきた。
 だが今は――。

 なんと重い、一言だろう。

瀬尾義孝せおよしたか、ですか」

 ずばり言われ、柚月は目を見開いた。
 雪原は相変わらず、何気なく露店の方を見ている。
 その顔に、動揺も緊張もない。
 本当にただ、土産物を見ているだけの顔だ。

 ――すべて、お見通しか。

 柚月は腹をくくった。

「はい」

 その答えは予想通りだったのか、望まないものだったのか。
 雪原はピタリと止まり、顔からすっと表情が消えた。

「…そうですか」

 そう漏らしたきり、じっと何かを見つめている。
 また歩き出すと、少し疲れた、と言わんばかりに背伸びをした。

「少し、休みましょうか」

 雪原の視線の先に、茶屋があった。

 雪原が店先の長椅子に腰かけ、清名が茶を注文した。
 雪原の隣には、もう一人座れる隙間がある。

 が、柚月は妙に律儀な青年だ。
 清名が立っているので、当然のようにならって立っている。

 清名は柚月に座るよう促した。
 ケガをした身を気遣ってのことだ。
 だが、不愛想なこの男の気遣いは、伝わりにくい。
 柚月は尋問でもされるのかと、わずかに緊張した。

「瀬尾とは、親しかったのですか?」

 雪原の問いに、柚月は胸が痛んだ。

「…親友…でした」
「そうですか」

 ちょうど茶が運ばれてきて、雪原は湯呑ゆのみを手に取った。
 だが、両手で持ったまま、口にしない。
 雪原の膝の上で、湯呑から上がるかすかな湯気が揺れている。

「俺は十歳の時に親父が死んで、それから明倫館めいりんかんで育ちました。義孝もその頃に。あいつは、家出してきてて。あいつ、百姓出なんです。はぎの農村は貧しくて。嫌になったみたいで。自分も武士になるとか言って。年も近かったし。周りは大人ばっかりで。…いつも、一緒にいました。」

 柚月は無意識に口元に笑みが漏れ、やや多弁にもなっている。
 その様子から、二人の関係が分かる。
 本当に、親友だったのだ。

「兄弟のように育ったのですね」
「まあ…、そうですね。そうかもしれません。明倫館の皆は、俺にとっては、家族でした」

 ――でした、か。

 過去形。
 そのことに雪原は胸が痛み、湯呑をゆっくりゆすりながら、中で揺れる茶をじっと見た。

 目の前の通りに、赤ん坊を負ぶった女の子が立っている。
 まだ幼い。十歳にもならないだろう。
 ほかの子供たちが楽しそうに駆け回っているのに、その子は一人、赤ん坊をあやしている。
 その赤ん坊の手から、風車がぽとりと落ちた。

 柚月はゆるりと立ち上がり、女の子の方に歩き出した。
 やはり傷が痛むのか、わずかではあるがぎこちない歩き方をしている。
 その背中を、清名は見守るような目で見つめた。

「あの傷は、その親友にやられたのでしょうか」

 頭の回転の速い男だ。
 今の話で、大体の事情を察した。

 柚月の身分を公にしない理由も。
 帰るところがない理由も。

 刃を向けてきた仲間のところには、戻れまい。

 柚月が風車を拾って赤ん坊に渡してやると、女の子はぺこりと頭を下げた。
 その頭を、柚月は撫でてやっている。
 何か話しているのか、女の子の視線に合わせるように、少し身をかがめた。

 その姿勢では、ますます傷が痛むだろう。
 だが、女の子に微笑みかける柚月は、そんなことをみじんも見せない、優しい顔をしている。

「椿の報告では、そういうことのようです」

 雪原はぐいと茶を飲みほした。

「嫌な時代ですね」

 そう言いながら顔がゆがんだのは、茶の渋さのせいではない。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...