一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第二章 目覚め

参.新たな始まり

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「すみませんね。お邪魔してしまって」

 雪原はそう言って、ニコニコしながら柚月の隣に腰を下ろした。

「いえ。むしろお邪魔してるのはこっちです。すみません、長居してしまって」

 柚月が大まじめに言う。
 雪原は思わず笑ってしまった。
 そういう意味で言ったのではない。
 この青年、青年と言うよりやはり少年のようだ。

「いえいえ。ここは別宅ですから。うちの者しか出入りもしませんし、遠慮する必要はありませんよ」
「別宅?」
「ええ。ちょっと愛人を住まわせていまして」
「へ?」

 柚月は真面目な顔が崩れ、思わず変な声が出た。
 愛人なんて言葉が出てくるなんて、思ってもみない。
 それも、挨拶みたいなノリで。

 が、雪原はただニコニコしている。
 雪原にとっては、挨拶と変わらないほどのことなのだろう。

 ――…住む世界が、違う。

 柚月はそう思うと同時に、確かに夢うつつ、椿以外にも世話をしてくれる人がいたように思えてきた。

 一人は多分医者だ。白い服の男だった。
 それともう一人。
 椿より年上の、大人の女といった感じの人が――。

 じわじわと、その顔が思い出され、そして思った。
 雪原は面食いだ。
 その女の人は、熱にうなされながらでも分かる、それくらいの美人だった。

「今、面食いだなって思いました?」
「え⁉ いえ」

 雪原に顔を覗き込まれ、柚月は肩をビクッと震わせて頓狂とんきょうな声が出た。
 本当にぞっとする。
 雪原には、腹の内をすべて読まれるようだ。

「本宅には妻も息子もいるので、ちょっとね」

 雪原は少し困ったような笑みを浮かべてはいるが、後ろめたさのようなものもなく、けろりとしている。

「そう…なんですね」

 柚月は、中途半端な愛想笑いを浮かべながらうつむいた。
 何と応えればいいのか、分からない。

 だが雪原の方は、たじたじする柚月を気に留める様子もない。
 というよりも、何か別のことを考えているようだ。
 笑みを浮かべているが、空を見上げ、あごをさすっている。
 その目に、空は映ってはいない。
 ふいに、雪原が手を止め、顔からすっと笑みが消えた。

剛夕ごうゆう様と、対談の場を持つことができましたよ」

 柚月がはじかれたように雪原を見ると、雪原もゆるりと柚月の方を向き、真剣な目が合った。

「和解を取り付けるとこができました。とりあえず、総攻撃とやらは、防ぐことができましたよ」
「そう、ですか…」

 ほっと安心する柚月に、雪原は険しい顔で続ける。

「これからですよ」

 雪原の目に、一段と鋭さが増す。

「対談の場に、開世隊かいせいたいの幹部たちも同席していたのですが、率いてきたのは首領の楠木ではなく、杉でした」
「え?」
「さらに、はぎの国主、松平実盛まつだいらさねもり様が、今回の騒動のお詫びに登城されることになりました」
「松平様が?」

 柚月は、息をのんだ。
 実盛さねもりは、開世隊の存在を黙認していた。

 首領の楠木くすのきは、萩では国の役人ではあるが下級役人だ。
 そのため、実盛としては、都合が悪くなれば楠木ごと切り捨てるつもりだったのだろう。

 だが、その実盛さねもりが詫びに来る。

 それは、萩が開世隊を認めたことを意味している。
 開世隊は、萩の後ろ盾を得たのだ。

「楠木はどこにもいません。都中を捜させたのですが、見つけることは出来ませんでした。もう、都にはいないのかもしれません」

 萩に帰ったということだろうか。

 ――だとしたらっ…。

 柚月は直感した。
 楠木は、本格的に戦を仕掛けるつもりだ。

 萩に帰ったのだとすると、それは撤退ではない。
 国を挙げて戦う為。
 その準備の為だ。

 柚月は顔をゆがめ、ぎゅっと拳を握りしめた。
 雪原の冷静な声が続ける。

「剛夕様は城には戻られましたが、城の中も、二分されたままです。私の邪推ですが、冨康とみやす様が先の将軍に毒をもったという話、あれはおそらく事実でしょう」
「えっ」

 柚月は驚き、ぱっと雪原の方を見た。
 にわかには信じられない。
 実の父を手にかけるなど。
 雪原は庭の方を見つめたまま、柚月の視線に振り向かない。

「この国では、身分階級関係なく、じつではなく名がものをいいます。持たざる者は、永遠に下層階級のまま。実力があったところで、認められることもない。いや、むしろ、実力がある者ほど、平穏を乱す悪とされ、み嫌われる。いままわしい世ですよ。」

 雪原の目は、どこか、遠い何かを見ている。

「その犠牲となった人間の憎しみは、深いですからね。」

 つぶやくよう漏らすその声には、重みがあった。
 雪原自身、そのことをよく知っているかのように。

「柚月」

 雪原が振り向き、柚月と目が合った。

「志はまだありますか?」

 雪原の目は、まっすぐに柚月を捉えている。

 ――志…。

 柚月は戸惑った。
 そんな立派なもの、自分にあっただろうか。
 分からない。
 よく分からないまま、ただ、楠木についてきただけな気がする。

「この国をいい国にする。弱い人が、安心して暮らせる国に。あなたはそう言ったそうですね。」

 ふいに、柚月の目にじわりと光が戻った。
 雪原は確認するように重ねる。

「いい国になったらいい、ではなく。いい国にする、と」

 ――なったらいい?

 柚月の中に、怒りにも似た苛立ちが湧いた。
 そんなこと、考えてもみなかった。
 いや、諦めている。
 いったい誰が変えてくれるのか。
 この国を。
 この腐った国を。
 誰も変えてくれなかったではないか。
 だからこの有様なのだ。

 柚月は雪原の真剣な目を見つめ返した。
 その眼差し。
 まっすぐに、強い。

「願っているだけでは、何も変わりません。自分が動かなければ、何も変わらないっ!」

 雪原は柚月の瞳の奥をじっと見つめ、うなずいた。

「十日もすれば、動けますね?」
「え? あ、はい」
「お礼をしてもらいたいのですが」

 雪原はニヤリとする。

「ああ、そうですよね」

 そう言いながら、柚月は「あ」と気が付いた。
 金を持っていない。

「あ、お金はいいですよ」

 察した雪原が、ひらひらと手を振る。

「体で払ってもらいますから」

 そう付け足すと、雪原は穏やかに、だが、意味深な微笑みを残して去っていった。

 渡り廊下の先、母屋の廊下に女が一人、雪原を待っている。
 雪原が、愛人といっていた女だ。
 どうやら、食事の用意ができたらしい。
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