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第一章 序まり
八.山中の悪夢
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柚月は青ざめ、急いで外に出た。
来た道を、必死に引き返す。
足が、どんどん速くなる。
「おい!」
義孝の声が追ってきた。
「おい、柚月。待てって。おい!」
みるみる近づいてくる。
柚月の左腕を掴んだ。
「どこ行くんだよ」
「楠木さんのところだ。このことを知らせる」
柚月は義孝の方を振り向きもしない。
早く。
一刻も早く。
楠木に…!
柚月は懸命に進もうとするが、義孝がそれを許さない。
「知らせるって。そんなことして、どうすんだよ」
「杉さんは暴走している。止めないと」
「止めるったって…」
義孝は困ったような顔をしながらも、柚月の腕を握る力を緩めない。
柚月はそれでも前に進もうと、身をよじった。
「俺たちがいない間に、萩では海外の武器を集めてたなんて」
「それは、しょうがないだろ? 武器は必要じゃん」
なだめるような義孝の声も、柚月には届かない。
必死に義孝の腕を振り払おうとする。
が、義孝も放さない。
懸命に足を踏ん張り、柚月が進もうとするのを引き止める。
「このままだと、戦になる。楠木さんは、話し合いで解決するって。そのために、政府の力を弱める必要があるって。だから、俺はっ…」
柚月は、出かかった言葉がのどで止まった。
言ってはならない。
いやそれ以上に、柚月自身、言いたくない。
「これなら、俺は…、何のために…」
柚月はぐっと食いしばると、止まった。
うつむき、唇を震わせている。
義孝は慰めるように、優しく肩を組んだ。
柚月はこわばったまま、拳を強く握りしめている。
その耳元に、義孝は静かに口を近づけた。
「何のために、暗殺やってたかって?」
冷たく囁く声が、柚月の心の深いところに、グサリ、と刺さった。
柚月は頬が凍り付き、毒におかされたように動けない。
「悪りぃけど、杉さんだけじゃねえんだよ」
義孝の鋭い声と同時に、柚月は一瞬、殺気を感じた。
反射的に身をひねったが、かわしきれない。
左の脇腹に冷たいものが走り、義孝を押しのけた。
――なんだ…?
いったい、なにが起こったというのか。
恐る恐る脇腹に手を当てると、温かいもので手が濡れた。
「…え?」
血だ。
柚月は訳も分からず、ただじっと、血に濡れた手を見つめた。
事態を飲み込めない。
いや、信じられない。
ゆっくりと、義孝の方を見た。
義孝もまた、柚月を見ている。
長い付き合いの中、一度も見たことがない、冷たい目で。
手には短刀が握って。
その短刀の先から、ポタリ、どす黒い物が滴り落ちた。
「お前を逃がすわけねえよ」
「義孝…?」
柚月の言葉を、草をかき分ける音が遮った。
いつからいたのか。
義孝の後ろに、男が数人。
さっき小屋にいた者たちだ。
一歩遅れて、もう一人。
木の葉の隙間から漏れた月光で、はっきりと見える。
その姿に、柚月は目を見開き、息をのんだ。
「楠木さん?」
目が合った。
が、柚月が何を問う間もない。
楠木が先に、静かに口を開いた。
「殺せ」
冷酷な声。
いや、音だ。
それを合図に、男たちが一斉に抜刀した。
柚月も反射的に刀を握った。
だが抜けない。
手が、心が躊躇った。
男たちが、じりじりと柚月につめよる。
一人が飛び出して切りかかり、柚月は咄嗟に抜刀してそれを受けた。
男の刀に、容赦はない。
柚月は押し合いながら、楠木を目で追った。
「楠木さん!」
必死に呼んだ。
目の前の男を押しのけ切り払うと、続けてもう一人。
間髪入れずに切りかかっ来たのをかわして、腕を斬りつけた。
肉を斬る感触。
今自分が切っているは、仲間だ。
仲間のはずだ。
幼い頃から、共に過ごしてきた。
仲間。
なぜ。
自分は今、なぜ、その仲間を切っているのか。
柚月は心が迷い、その迷いが太刀に表れて、自然、加減が入った。
また別の男が襲い掛かってきて、それを切り払いながら、柚月は何度も楠木を呼んだ。
なぜこんなことに?
殺意に反応して応戦する体とは裏腹に、柚月の頭の中はぐじゃぐじゃなまま。
自分は、今、何をしているのか?
自問を繰り返すばかり。
答えにたどり着かない。
切った仲間がうめき声をあげ、その声に、胸を抉られる。
もう、止めたい。
ただただ、皆を止めてほしい。
「楠木さん!」
柚月は懸命に叫んだ。
楠木はただ黙って見ている。
だがやがて、何も言わずに、小屋に向かって歩き出した。
その先に、呆然と立ち尽くしている人影がある。
剛夕だ。
「楠木さん! 楠木さんっ‼」
柚月の声が、虚しく響いている。
剛夕は、いたたまれなかった。
「いいのか?」
楠木は剛夕の視界を遮るように立つと、その背中に手をまわし、小屋の方に向けた。
「構いません。ただの、捨て駒ですよ」
微かに聞こえたその声に、柚月は一瞬にして、体の中が凍り付いた。
――捨て…。
声も出ない。
柚月が見つめる先、楠木の背中が遠ざかっていく。
師であり、父である人の背中が。
ただの一度も、振り返ることなく。
闇に、消えていく――。
柚月は、ただただ立ち尽くしていた。
顔は青ざめ、体からは力が抜けている。
落ちた肩が、呼吸のたびに大きく上下するだけ。
追う力も、叫ぶ力さえも、もう、無い。
もう、何も――。
義孝の目が、一瞬、悲しく沈んだ。
そして、何かをかき消すように刀を強く握ると、抜いた。
柚月も気づいている。
力のない目で義孝を捉えると、刀を握る手に精いっぱい力を込めた。
そこへ、別の男が一人。
柚月に切りかかった。
受けようと力んだ、その瞬間。
柚月は脇腹の傷がうずき、足が滑った。
――しまったっ!
体勢を整えようとするが、間に合わない。
ギラリと光る太刀が、振り下ろされるのが、見えた。
来た道を、必死に引き返す。
足が、どんどん速くなる。
「おい!」
義孝の声が追ってきた。
「おい、柚月。待てって。おい!」
みるみる近づいてくる。
柚月の左腕を掴んだ。
「どこ行くんだよ」
「楠木さんのところだ。このことを知らせる」
柚月は義孝の方を振り向きもしない。
早く。
一刻も早く。
楠木に…!
柚月は懸命に進もうとするが、義孝がそれを許さない。
「知らせるって。そんなことして、どうすんだよ」
「杉さんは暴走している。止めないと」
「止めるったって…」
義孝は困ったような顔をしながらも、柚月の腕を握る力を緩めない。
柚月はそれでも前に進もうと、身をよじった。
「俺たちがいない間に、萩では海外の武器を集めてたなんて」
「それは、しょうがないだろ? 武器は必要じゃん」
なだめるような義孝の声も、柚月には届かない。
必死に義孝の腕を振り払おうとする。
が、義孝も放さない。
懸命に足を踏ん張り、柚月が進もうとするのを引き止める。
「このままだと、戦になる。楠木さんは、話し合いで解決するって。そのために、政府の力を弱める必要があるって。だから、俺はっ…」
柚月は、出かかった言葉がのどで止まった。
言ってはならない。
いやそれ以上に、柚月自身、言いたくない。
「これなら、俺は…、何のために…」
柚月はぐっと食いしばると、止まった。
うつむき、唇を震わせている。
義孝は慰めるように、優しく肩を組んだ。
柚月はこわばったまま、拳を強く握りしめている。
その耳元に、義孝は静かに口を近づけた。
「何のために、暗殺やってたかって?」
冷たく囁く声が、柚月の心の深いところに、グサリ、と刺さった。
柚月は頬が凍り付き、毒におかされたように動けない。
「悪りぃけど、杉さんだけじゃねえんだよ」
義孝の鋭い声と同時に、柚月は一瞬、殺気を感じた。
反射的に身をひねったが、かわしきれない。
左の脇腹に冷たいものが走り、義孝を押しのけた。
――なんだ…?
いったい、なにが起こったというのか。
恐る恐る脇腹に手を当てると、温かいもので手が濡れた。
「…え?」
血だ。
柚月は訳も分からず、ただじっと、血に濡れた手を見つめた。
事態を飲み込めない。
いや、信じられない。
ゆっくりと、義孝の方を見た。
義孝もまた、柚月を見ている。
長い付き合いの中、一度も見たことがない、冷たい目で。
手には短刀が握って。
その短刀の先から、ポタリ、どす黒い物が滴り落ちた。
「お前を逃がすわけねえよ」
「義孝…?」
柚月の言葉を、草をかき分ける音が遮った。
いつからいたのか。
義孝の後ろに、男が数人。
さっき小屋にいた者たちだ。
一歩遅れて、もう一人。
木の葉の隙間から漏れた月光で、はっきりと見える。
その姿に、柚月は目を見開き、息をのんだ。
「楠木さん?」
目が合った。
が、柚月が何を問う間もない。
楠木が先に、静かに口を開いた。
「殺せ」
冷酷な声。
いや、音だ。
それを合図に、男たちが一斉に抜刀した。
柚月も反射的に刀を握った。
だが抜けない。
手が、心が躊躇った。
男たちが、じりじりと柚月につめよる。
一人が飛び出して切りかかり、柚月は咄嗟に抜刀してそれを受けた。
男の刀に、容赦はない。
柚月は押し合いながら、楠木を目で追った。
「楠木さん!」
必死に呼んだ。
目の前の男を押しのけ切り払うと、続けてもう一人。
間髪入れずに切りかかっ来たのをかわして、腕を斬りつけた。
肉を斬る感触。
今自分が切っているは、仲間だ。
仲間のはずだ。
幼い頃から、共に過ごしてきた。
仲間。
なぜ。
自分は今、なぜ、その仲間を切っているのか。
柚月は心が迷い、その迷いが太刀に表れて、自然、加減が入った。
また別の男が襲い掛かってきて、それを切り払いながら、柚月は何度も楠木を呼んだ。
なぜこんなことに?
殺意に反応して応戦する体とは裏腹に、柚月の頭の中はぐじゃぐじゃなまま。
自分は、今、何をしているのか?
自問を繰り返すばかり。
答えにたどり着かない。
切った仲間がうめき声をあげ、その声に、胸を抉られる。
もう、止めたい。
ただただ、皆を止めてほしい。
「楠木さん!」
柚月は懸命に叫んだ。
楠木はただ黙って見ている。
だがやがて、何も言わずに、小屋に向かって歩き出した。
その先に、呆然と立ち尽くしている人影がある。
剛夕だ。
「楠木さん! 楠木さんっ‼」
柚月の声が、虚しく響いている。
剛夕は、いたたまれなかった。
「いいのか?」
楠木は剛夕の視界を遮るように立つと、その背中に手をまわし、小屋の方に向けた。
「構いません。ただの、捨て駒ですよ」
微かに聞こえたその声に、柚月は一瞬にして、体の中が凍り付いた。
――捨て…。
声も出ない。
柚月が見つめる先、楠木の背中が遠ざかっていく。
師であり、父である人の背中が。
ただの一度も、振り返ることなく。
闇に、消えていく――。
柚月は、ただただ立ち尽くしていた。
顔は青ざめ、体からは力が抜けている。
落ちた肩が、呼吸のたびに大きく上下するだけ。
追う力も、叫ぶ力さえも、もう、無い。
もう、何も――。
義孝の目が、一瞬、悲しく沈んだ。
そして、何かをかき消すように刀を強く握ると、抜いた。
柚月も気づいている。
力のない目で義孝を捉えると、刀を握る手に精いっぱい力を込めた。
そこへ、別の男が一人。
柚月に切りかかった。
受けようと力んだ、その瞬間。
柚月は脇腹の傷がうずき、足が滑った。
――しまったっ!
体勢を整えようとするが、間に合わない。
ギラリと光る太刀が、振り下ろされるのが、見えた。
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