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十八.日暮れ
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清名が指定した寺は、都の北西、羅山ふもとにあった。
日が、随分傾いている。
柚月が寺の石段を登りきると、境内は山の陰に包まれ始めていた。
さほど大きくはない寺だ。
門をくぐると正面に本堂があり、その横で、桜が満開を迎えていた。
風に乗り、桜吹雪となっている。
柚月は吸い寄せられるように、その中に入った。
ざあっと風が吹き、無数の花びらが舞う。
その中の一枚に、狙いを定めた。
抜刀と同時に一閃、吹雪を切り裂く。
薄桃色の膜に裂け目ができ、わっと乱れ、また、風に従って吹雪となった。
その中で、柚月の鋭い目がギラリと光っている。
ふいに拍手が聞こえ、柚月は我に返った。立派な袈裟を着た僧侶が一人、微笑みながら本堂の脇に立っている。
この寺の住職だ。
柚月は急いで刀を納めた。
「すみません。境内で、こんな」
刀を抜いたことを詫びた。
「いえいえ、見事な一太刀でしたな」
住職は穏やかな声で言うと、「柚月一華様でございますね」と確認した。
「雪原様からうかがっております。どうぞこちらへ」
そう言って住職が差す方で、小坊主が一人、ぺこりと頭を下げる。案内してくれるのだろう。
柚月は住職に一礼すると、小坊主の方に向かった。
住職が柚月に続こうとした時、さあっと風が吹き、住職の足元に桜の花びらが舞い降りてきた。
珍しい物ではない。
だが、一枚、不思議な形をしたものが混ざっている。
住職が拾い上げると、それは、何か鋭利なもので割かれたように斜めに切られ、半分になっていた。
変わった花びらもあるものだ。住職はそう思った、その瞬間、まさか、という衝撃が走り、はじかれたように柚月の背を見た。
さっきの一刀。
あれが、これを裂いたというのか。
こんなにも小さく、薄い花びら一枚を。
――人のなせる業ではない。
自然と頭に浮かんだその言葉に、住職は過去の記憶が重なった。
以前雪原と話した時のこと。
その話の内容が頭をよぎり、住職ははっとした。
柚月の姿はもうない。
――もしも、そうであるならば、なんと、痛ましいことか。
住職の顔が悲痛にゆがんだ。
住職が本堂に入ると、柚月は本尊に向かって座り、固く目を閉じていた。
まるで、本尊に話しかけるように。
だが、許しを乞うているのではない。
まるで自身を責めているように、苦しい表情をしている。
住職が一歩近づくと、その気配に、柚月はぱっと住職の方を向いた。
「雪原様も、もうすぐいらっしゃると思いますよ」
住職が穏やかに笑みかけると、柚月はぺこりと頭を下げた。
凛々しい青年だ、と住職は改めて思った。だが、まだ少年のような幼さが垣間見える。
ほどなくして雪原が現れ、住職は席を外した。
「すみません、お呼びたてしてしまって。その…、城には、持ち込まないほうがいいと思って」
そう言って、柚月は懐から手紙を取り出した。
それを開いた雪原の顔が険しくなる。
内容はこうだ。
――蘆にて 略奪のごときこと 多発 謀反の恐れあり――
それだけではない。さらに続いている。
――その影に 開世隊の不安あり 詳細、おって定例にて――
開世隊。
その一言に、戦の匂いが濃くなる。
「今朝、城内ですれ違った役人が、蘆との関所近くで、盗賊が出るという話をしていました。開世隊の方は分かりませんが、その報告書、あながち間違ってはいないと思います」
そう言う柚月の顔も険しい。
雪原は頷き、手紙を懐にしまい込んだ。
「定例報告は二日後でしたね。今はそれを待ちましょう」
詳細は調査中と言いながら、開世隊が絡んでいることは確証をえているのだろう。だから、先にそのことを知らせてきたのだ。
開世隊は、柚月の古巣。政府に戦を仕掛けてきた集団だ。
首領は討ち取られ、本体は瓦解したと言っていい。だがそれだけに、どんな組織に変貌しているのか、その規模も分からない。
侮るわけにはいかない。
もし、その開世隊がなんらか動きを見せるなら。
場合によっては、政府も軍を動かすことになる。
それどころか、最悪の場合、また戦に。
柚月が本堂を出ると、日が山に差し掛かり、西にあるこの寺の境内は、すでに山の陰に包まれていた。
門へと向かって行く柚月の背を、雪原は本堂から見送った。
隣に、住職が立っている。
彼の目も、柚月の背を見つめている。
「以前話されていた『妖』を、捕らえられたのですね」
以前、この寺を訪れた雪原は、住職に都の闇に潜む「妖」の話をした。
風のように現れ、政府の要人を斬り、去っていく人斬り。
どんなに護衛をつけようとも、確実に獲物をしとめ、ほかの者は生かし、余計な殺しはしない。
生存者は多いというのに、目撃情報は極めて少ない。
『人のなせる業ではない』
雪原はそう言っていた。
そして、わずかな目撃情報の中には、女、もしくは子供、というものがあった。
住職の見つめる先で、陰った境内を、柚月の華奢な背が行く。
まだ幼さの残る青年。あの頃なら、まだ少年だっただろう。
今なお、その姿は青年というには華奢だ。闇夜で女と思われても仕方のないほどに。
「いっそ狂ってしまえた方が、楽でしょうに」
住職が、独り言のように漏らす。
雪原が振り向くと、住職は悲しげな笑みを浮かべていた。
「随分、自分を責めておいでのようでした」
住職の目に、本尊に向かう柚月の姿が浮かんでいる。
「戦の影が静まり、ありがたいことに穏やかな日々が続いております。良いか悪いか、自身と向き合う時間が、多いのでしょう」
そう言いながら、住職は目を伏した。
境内を、柚月の華奢な背が遠ざかっていく。
やはり、気のせいではなかったか。雪原の心が、憐れみとともに痛む。
最近柚月が見せていた、沈んだ顔。消え入りそうなほど、思いつめた様子。
――まさか、この穏やかな日々が、あの子を苦しめていようとは。
『いっそ狂ってしまえた方が』
雪原の胸に、住職の言葉が居残る。
柚月は門を抜け、日が落ち、闇に染まり始めた都に帰っていった。
日が、随分傾いている。
柚月が寺の石段を登りきると、境内は山の陰に包まれ始めていた。
さほど大きくはない寺だ。
門をくぐると正面に本堂があり、その横で、桜が満開を迎えていた。
風に乗り、桜吹雪となっている。
柚月は吸い寄せられるように、その中に入った。
ざあっと風が吹き、無数の花びらが舞う。
その中の一枚に、狙いを定めた。
抜刀と同時に一閃、吹雪を切り裂く。
薄桃色の膜に裂け目ができ、わっと乱れ、また、風に従って吹雪となった。
その中で、柚月の鋭い目がギラリと光っている。
ふいに拍手が聞こえ、柚月は我に返った。立派な袈裟を着た僧侶が一人、微笑みながら本堂の脇に立っている。
この寺の住職だ。
柚月は急いで刀を納めた。
「すみません。境内で、こんな」
刀を抜いたことを詫びた。
「いえいえ、見事な一太刀でしたな」
住職は穏やかな声で言うと、「柚月一華様でございますね」と確認した。
「雪原様からうかがっております。どうぞこちらへ」
そう言って住職が差す方で、小坊主が一人、ぺこりと頭を下げる。案内してくれるのだろう。
柚月は住職に一礼すると、小坊主の方に向かった。
住職が柚月に続こうとした時、さあっと風が吹き、住職の足元に桜の花びらが舞い降りてきた。
珍しい物ではない。
だが、一枚、不思議な形をしたものが混ざっている。
住職が拾い上げると、それは、何か鋭利なもので割かれたように斜めに切られ、半分になっていた。
変わった花びらもあるものだ。住職はそう思った、その瞬間、まさか、という衝撃が走り、はじかれたように柚月の背を見た。
さっきの一刀。
あれが、これを裂いたというのか。
こんなにも小さく、薄い花びら一枚を。
――人のなせる業ではない。
自然と頭に浮かんだその言葉に、住職は過去の記憶が重なった。
以前雪原と話した時のこと。
その話の内容が頭をよぎり、住職ははっとした。
柚月の姿はもうない。
――もしも、そうであるならば、なんと、痛ましいことか。
住職の顔が悲痛にゆがんだ。
住職が本堂に入ると、柚月は本尊に向かって座り、固く目を閉じていた。
まるで、本尊に話しかけるように。
だが、許しを乞うているのではない。
まるで自身を責めているように、苦しい表情をしている。
住職が一歩近づくと、その気配に、柚月はぱっと住職の方を向いた。
「雪原様も、もうすぐいらっしゃると思いますよ」
住職が穏やかに笑みかけると、柚月はぺこりと頭を下げた。
凛々しい青年だ、と住職は改めて思った。だが、まだ少年のような幼さが垣間見える。
ほどなくして雪原が現れ、住職は席を外した。
「すみません、お呼びたてしてしまって。その…、城には、持ち込まないほうがいいと思って」
そう言って、柚月は懐から手紙を取り出した。
それを開いた雪原の顔が険しくなる。
内容はこうだ。
――蘆にて 略奪のごときこと 多発 謀反の恐れあり――
それだけではない。さらに続いている。
――その影に 開世隊の不安あり 詳細、おって定例にて――
開世隊。
その一言に、戦の匂いが濃くなる。
「今朝、城内ですれ違った役人が、蘆との関所近くで、盗賊が出るという話をしていました。開世隊の方は分かりませんが、その報告書、あながち間違ってはいないと思います」
そう言う柚月の顔も険しい。
雪原は頷き、手紙を懐にしまい込んだ。
「定例報告は二日後でしたね。今はそれを待ちましょう」
詳細は調査中と言いながら、開世隊が絡んでいることは確証をえているのだろう。だから、先にそのことを知らせてきたのだ。
開世隊は、柚月の古巣。政府に戦を仕掛けてきた集団だ。
首領は討ち取られ、本体は瓦解したと言っていい。だがそれだけに、どんな組織に変貌しているのか、その規模も分からない。
侮るわけにはいかない。
もし、その開世隊がなんらか動きを見せるなら。
場合によっては、政府も軍を動かすことになる。
それどころか、最悪の場合、また戦に。
柚月が本堂を出ると、日が山に差し掛かり、西にあるこの寺の境内は、すでに山の陰に包まれていた。
門へと向かって行く柚月の背を、雪原は本堂から見送った。
隣に、住職が立っている。
彼の目も、柚月の背を見つめている。
「以前話されていた『妖』を、捕らえられたのですね」
以前、この寺を訪れた雪原は、住職に都の闇に潜む「妖」の話をした。
風のように現れ、政府の要人を斬り、去っていく人斬り。
どんなに護衛をつけようとも、確実に獲物をしとめ、ほかの者は生かし、余計な殺しはしない。
生存者は多いというのに、目撃情報は極めて少ない。
『人のなせる業ではない』
雪原はそう言っていた。
そして、わずかな目撃情報の中には、女、もしくは子供、というものがあった。
住職の見つめる先で、陰った境内を、柚月の華奢な背が行く。
まだ幼さの残る青年。あの頃なら、まだ少年だっただろう。
今なお、その姿は青年というには華奢だ。闇夜で女と思われても仕方のないほどに。
「いっそ狂ってしまえた方が、楽でしょうに」
住職が、独り言のように漏らす。
雪原が振り向くと、住職は悲しげな笑みを浮かべていた。
「随分、自分を責めておいでのようでした」
住職の目に、本尊に向かう柚月の姿が浮かんでいる。
「戦の影が静まり、ありがたいことに穏やかな日々が続いております。良いか悪いか、自身と向き合う時間が、多いのでしょう」
そう言いながら、住職は目を伏した。
境内を、柚月の華奢な背が遠ざかっていく。
やはり、気のせいではなかったか。雪原の心が、憐れみとともに痛む。
最近柚月が見せていた、沈んだ顔。消え入りそうなほど、思いつめた様子。
――まさか、この穏やかな日々が、あの子を苦しめていようとは。
『いっそ狂ってしまえた方が』
雪原の胸に、住職の言葉が居残る。
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