一よさく華 -嵐の予兆-

八幡トカゲ

文字の大きさ
上 下
4 / 22

参.難問

しおりを挟む
 その頃柚月は、清名の後を追いながら、何をやらかしたんだろう、と考えていた。
 が、これといって思い当たる節がない。
 答えがでないまま、清名に追いついてしまった。

「俺、何かしました?」

 柚月は清名の顔を覗き込んだが、清名はため息のような息を漏らしたきり答えず、とうとう宰相補佐官の執務室に着いた。
 清名の部屋だ。
 清名が入ると、柚月は戸の前で立ち止まった。

 入りたくない。
 だが。

「入れ」

 やはり促される。柚月がちらっと上目遣いに清名を見てみると、清名の厳しい目が柚月を捉えていた。
 ここでぐずぐずしては、かえって叱られる。
 柚月は勇気を出して一歩踏み入れた。

 室内は、部屋の主そのままに整理整頓が行き届き、余計なものは何もない。雪原の部屋とは大違いだ。
 だが、その整然とした感じが、余計に緊張を誘う。

「閉めろ」

 柚月は言われるまま戸を閉めた。閉めながら、絶対説教されるんだな、と何にか誰にか分からないが、救いを求めたい気持ちだ。
 だが。

「気にするな」

 背中から聞こえた清名の声は、打って変わって優しい。
 柚月が驚いて振り向くと、清名は労わるような目で、柚月を見つめていた。

「ただのひがみだ」

 橋本のことだ。
 清名はあの場から引き離すため、柚月を呼んだのだ。
 厳しく堅物のような男だが、そういうところがある。

 ――気ぃ遣ってくれたんだな、清名さん。分かりにくいけど。

 柚月は思わず苦笑しながらも、一瞬にして説教への恐怖吹き飛び、清名の気遣いに胸が温かくなった。
 

「大丈夫ですよ、分かってます」

 ヘラっと笑う柚月に、清名は四角い板を差し出した。

「え?」

 柚月は目を丸くしたが、清名は構わず、その板をずいと柚月に押し渡す。

「外国語を勉強しているのだろう」

 見ると、板に見えるそれは、本だ。それも海外製の。
 装丁がこの国の物のように柔らかい紙ではなく、紙は紙のようだが、硬い。
 更に、そこに描かれている絵も、文字も、この国の物ではない。

「子供向けの絵本だ」

 確かに、随分かわいらしい絵が描かれ、文字も大きい。

「くれるんですか?」
「文字を学ぶには、ちょうどいいだろう」

 清名は柚月の手に、ポンと絵本をのせた。
 薄い板の様だ。
 開いてみると、見開き一杯絵が描かれ、そこに文字が添えられている。紙とインクの独特な匂い。

 柚月は夢中でページをめくった。
 すべてが目新しい。
 文字はもちろん、絵も、字体も、紙の感触さえ、この国の物と違う。

 これまでも、海外製の本は雪原にいくつかもらった。
 だが、雪原も「難しいと思いますよ?」と言ったように、どれも難しく、なかなか読み進められていない。
 本自体も分厚く、見知らぬ文字がびっしり敷き詰められていた。
 だが、これなら読めそうだ。

「ありがとうございます」

 柚月の目はキラキラしている。新しいおもちゃを得た子供のようだ。好奇心に満ち溢れている。
 その顔に、清名はふっと短く、ため息のような息が出た。

「何でも話せとは言わないが、あまり一人で抱え込むな」
「え?」

 柚月は夢から半分冷めたような顔で清名を見上げた。
 清名の言葉の意味がよく分からない。

 雪原が、清名の息子、あかしを、柚月に会わせたい、と言い出したのは、二月ほど前だ。
 清名は、なぜ証を、と疑問に思った。
 わが子をこういうのもなんだが、特に剣技に優れているわけでも、学問に秀でているわけでもない。
 むしろ、剣術の稽古もしょっちゅうさぼって抜け出す、いつまでも幼さの抜けない息子だと思ってる。

 雪原は清名の頭の中を察したのだろう。最近の柚月の様子が気になるのだと話した。
 いつもと変わらないようで、時折、ひどく沈んだ顔をするのだという。

 それについても、清名は、そうだろうか? と疑問に思った。
 柚月はいつも通りのようにしか見えない。明るく、少々子供っぽい。
 だが最近では、雪原が言っていたことが分かるようになってきた。

 清名から見ても、柚月の様子がおかしい。
 いつもと変わらないようで、時折、何か思うところがあるのか、ひどく沈んだ顔をする。
 それが、日毎ひどくなる。
 消え入りそうなほど、頼りなくなる。

 確かに、年の近い証になら話せることもあるだろう。それに何より、証の性格からして、無理やりにでも柚月を外に連れ出し、気晴らしをさせられるにちがいない。

「柚月。お前さえよければ、うちの道場にも来たらいい。お前がいたら、証も少しは稽古をするだろうしな。なんだか知らんが、あいつは随分お前に憧れている。それに外国語なら、愛音が詳しい。あいつもいつも道場にいる。習えばいい」
「あいね?」

 柚月は初めて聞く名だ。

「娘だ」

 清名の淡々とした口調で教えた。
 証の言う「姉上」か。柚月は、証の話にたびたび出てくる「姉上」のことを思いだした。なぜか、証は苦手そうだったが。

「道場か」

 柚月はそう漏らすと、何を思ったのか、ふと沈んだ顔になった。
 ふわっと消えてしまいそうなほど、弱々しい。
 それが、簡単に命まで投げ出してしまいそうに見えて、清名は怖い。
 雪原も同じことを恐れている。

「柚月」

 清名は引き止めるように、声をかけた。

「柚月、自分を大事にしないのは、自分のことを大事にしてくれている人を、大事にしていないのだぞ」

 清名の声は、諭すような響きがある。
 だが、柚月には意味が分からなかった。

「…どっかの、ことわざかなんかですか?」

 でなければ、早口言葉か。柚月はきょとんとしてしまっている。
 その様子に、清名の語調が強くなる。

「自分のことを、もっと大事にしろと言っている。お前は、自分のことに無頓着すぎる」

 柚月はなお、よく分からない、といった顔だ。

「そう…ですかね?」

 頬を掻いている。

「お前が思っているよりも、周りの方はお前のことを心配しておられる。そのことは、忘れるな」

 そう清名が念を押すと、柚月はやっと思い当たったように「ああ」と笑った。

「鏡子さんですか? 鏡子さんが心配性なんですよ。この前も、ちょっと擦りむいただけなのに、包帯でぐるぐる巻きにされちゃって」

 笑いながら、清名が渡した本をパラパラとめくりだした。
 なぜ、こうも伝わらないのか。清名はわずかにいら立った。

「そうじゃない」

 清名の声が急に厳しくなり、柚月は驚いて顔を上げた。
 清名は真直ぐに、柚月を見つめている。
 真剣な目だ。
 絵本をめくっていた柚月の手が止まった。
 驚いた顔のまま、柚月もまた、清名を見つめている。

「お前を心配しているのは、鏡子殿だけではない」
 鏡子が心配性だからでもない。
「雪原様も、椿殿も」

 清名はそうまで言うと、ためらうように、わずかに間をおいた。

「私もだ」

 清名のまなざしが、優しいものに変わっている。
 心配している。
 その気持ちが、伝わってくる。

 柚月は驚いた。
 思ってもみなかったのだ。
 柚月は「そんな」と漏らすと、すっと沈んだ顔になった。

「心配なんか、しなくていいですよ」

 俺のことなんか。
 そう言いたげに苦笑する。

「じゃ、本、ありがとうございます」

 柚月は急に明るい声を出すと、部屋を出て行った。

 清名はその姿を見送りながら、もしも瀬尾義孝せおよしたかがいたら、とふとよぎった。
 戦の中、行方知れずになってしまった柚月の親友。
 おそらく、もう――。
 
 だが、柚月は今もなお、義孝はどこかで生きていると信じている。
 柚月自身、その思いを頼りに生きているかのように。

詮無せんないことだ」

 清名は自身の考えを断ち切った。
 灯りの乏しい廊下を、柚月の頼りない背中が遠ざかっていく。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ
ライト文芸
ソレは、さながら、妖――。 偶然を装った必然の出逢い。 細い月が浮かぶ夜、出逢ったその人は人斬りでした。 立派なのは肩書だけ。中身なんて空っぽだ。 この国は、そんな奴らがのさばっている。 将軍の死の疑惑。 そこから、200年続いたうわべだけの太平の世の終焉が始まった。 「この国をいい国にしたい。弱い人が、安心して暮らせる国に」 動乱の中、その一心で「月」になったひとりの少年がいた。 少年はやがて青年になり、ある夜、ひとりの娘に出会う。 それは、偶然を装った、必然の出会い。 そこから、青年の運命が大きく動き出す。 都の闇夜を駆け抜ける影。 一つよに咲く華となれ。

一よさく華 -渡り-

八幡トカゲ
ライト文芸
自分を狙った人斬りを小姓にするとか、実力主義が過ぎませんか? 人斬り 柚月一華(ゆづき いちげ)。 動乱の時代を生きぬいた彼が、消えることのない罪と傷を抱えながらも、新たな一歩を踏み出す。 すべてはこの国を、「弱い人が安心して暮らせる、いい国」にするために。 新たな役目は、お小姓様。 陸軍二十一番隊所属宰相付小姓隊士。宰相 雪原麟太郎(ゆきはら りんたろう)は、敵方の人斬りだった柚月を、自身の小姓に据えた。 「学びなさい。自分で判断し、決断し、行動するために」 道を失い、迷う柚月に雪原は力強く言う。 「道は切り開きなさい。自分自身の力で」 小姓としての初仕事は、新調した紋付きの立派な着物を着ての登城。 そこで柚月は、思わぬ人物と再会する。 一つよに咲く華となれ。 ※「一よさく華 -幕開け- 」(同作者)のダイジェストを含みます。  長編の「幕開け」編、読むのめんどくせぇなぁって方は、ぜひこちらからお楽しみ下さい。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない

セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。 しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。 高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。 パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。 ※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

ヲタクな妻は語りたい!!

犬派のノラ猫
ライト文芸
これはヲタクな妻と夫が交わす 普通の日常の物語である!

処理中です...