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8匹目:ドーナツの穴埋めはできるのか? 1
しおりを挟むまだ少し暑くなり始めたばかりの初夏。入学して3か月くらい経ったある日のこと。
直射日光はもう気持ち良いより熱い。
ジェマはじんわりと汗が滲むのを感じながら、湖の傍に佇む大樹の木陰にせっせと縄張りを作る。貰ったばかりの絨毯を敷いて、ちょうどよく太い根っこの隙間にクッションを配置し、足付きトレーの上にアイスティーとドーナツをセット。
「おいし……」
贅沢な時間だなと静かにドーナツを食む。
湖面には水に溶けるような透明な花弁を持つ花々が咲いている。
魔力が豊富で透き通るように綺麗な湖でしか咲かない希少な透水花だ。
透明な花弁は粉末状にして適切に処理すると砂糖よりも甘みが強くなる。中毒性などもないため、砂糖や蜂蜜よりも貴重な甘味料としても人気があり、苦みやえぐみを消すために錬金術の素材としても有用な素材だ。
どれだけ縁起の悪い噂があってもこの湖が再整備されない理由がこの花だった。ジェマがこの湖を勝手に縄張り化し始めたころに、学園側からも「絶対に湖と透水花を荒らさないように」と注意を受けている。
さわさわと草木の揺れる音に、リィンと透水花がぶつかり合う音が混ざる。花同士がぶつかって割れることはないが、綺麗な水から出してぶつけるとすぐに割れてしまう繊細な花だ。生育地以外ではこの音を聞くことは難しい。
購買で売っていた甘ったるいこのドーナツと透水花、どちらが甘いのだろう。なんて静かに甘みを噛み占めていると、突然耳障りな声が響いた。
「美味しそう! 私そのチョコのが良い!」
「誰彼構わず奢ってあげられるほど裕福ではないので平民にたからないでください」
「どうしてそんなこと言うの? 私のこと嫌いなの?」
「理由は今申し上げたと思いますが?」
ピンク色の髪を人工的にくるくると巻いた、見た目だけは可愛らしい女。リリアン・ランズベリーだ。
先月購買で訳の分からない絡まれ方をしたあと、クロエに『わたしに似てる感じの1年生知ってる?』と雑な質問をしたら名前を教えてくれた。
治癒科の1年生で、なぜか色んなところに顔を出し、色んな男子生徒に声をかけて回っていると目撃情報が上がっているそうな。
なぜか『ピンク色の髪で背の低い1年の女子生徒』という噂だけでジェマにクレームが入ることもある。直接話さずとも、それなりに迷惑していた。
リラックスしてゆらゆらと揺れていたジェマの尻尾が刺々しく逆立つ。
この女と関わって良いことがあるとは思えない。
しかし相手は一応貴族。ストレートに罵倒することも、文句を付けることもしにくい。
言葉の代わりにべしーんっと尻尾が大樹の根を打った。
「そこまで言うなら仕方ないわね。あなたは貧乏な平民だものね? この学園にも奨学金を貰って入ったんでしょ? でもそれを鼻にかけてちゃ可愛くないわよ?」
やれやれみたいな顔をしながら、リリアンはジェマの顔を目掛けて指を伸ばす。おそらく指でちょんっと小突くあれがやりたいのはわかる。けどやらせてはやらん。
ふんっと思い切り顔を背けた。
「もぅ! 私相手にそんな可愛いこぶったって意味ないよ? だって私の方が可愛いもん!」
「ソウデスカ」
「あなたもそう思うでしょ? だって天然ヒロインより、それなりに可愛い子が現代知識で美容にも力を入れてるんだもん。私の方が可愛くなるに決まってるじゃない! あなたはその髪がだめよ。天パなのはわかるけど、あっちこっち跳ねまくり」
何かスイッチが入った。ぺらぺらと話し始めたリリアンにそう思った瞬間、ジェマの中で忌避感より好奇心が勝ってしまった。
意外だとよく言われるが、ジェマは知らないことを知ることが好きだ。本を読むことも好きだし、物知りな貧乏学者の話し相手になることも楽しい。ボケ始めて昔のことばかり話す老人の昔語りでも聞き続けられる。
リリアンの話はほとんど理解できていない。馬鹿にされていることだけはわかるが、それを差し置いてもちょっと興味深い。
銅貨3枚で5個入りのドーナツは1個もあげないが、話だけなら聞いてやっても良い気分になってきた。リリアンが欲しがったチョコレートのドーナツを1番に齧りながら、ジェマは黙って踏ん反り返った。
「まぁでもあなたは乙女ゲーム攻略する気がないんだもんね。だったら可愛くてならなくていいのかぁ」
失礼な言い草だ。『おとめげーむ』なるものは知らないが、ジェマは可愛い。ドーナツを大きく頬張って、ほっぺにぱんぱんに詰め込む。
「ねぇねぇ、どうして攻略やめようと思ったの? だってちゃんと可愛くして行動すれば簡単に攻略できちゃうんだよ? そりゃエリオットがアンジェリカの婚約者になってたのは驚いたし、他にもゲームでは描かれてなかったとことか雑な設定だったっぽいとこはちょっと違うけど」
リリアンはエリオットを『攻略』しているということか。
そしてそれはジェマがやるはずだったと。
さすがにぱんぱんまで詰め込むのはやりすぎた。紅茶でドーナツを呑みこみながら、ジェマはこっそり首を捻る。
(うむ。まったくもって意味がわからん。何を言ってるんだ、こいつは。頭イかれてんの? 田舎育ちの野良猫だって大公令息に気軽に声かけるほど馬鹿じゃねぇけど)
ジェマは後見をしてくれているアシュダートン伯爵の夫人たちから、『特に男子生徒にはむやみやたらに話しかけず、必要以上に笑みも向けないように』と指導されている。なんなら男爵令息にだって、必要がなければ話しかけない。
野良猫だってそれくらいの処世術は身に着けている。馬鹿にするのも大概にしてほしい。
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