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3匹目:思い出のアップルパイはもういらない 5/6 ※挿絵あり
しおりを挟む「お見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさい。突然お邪魔したうえにこんなこと……」
「いえ、お気になさらず。よくあることですので」
頭が回るようになってきたのだろう。ハンカチで顔を隠しながら、アンジェリカは恥ずかしそうに眉を下げた。
しかしジェマにとっては本当によくあること。
誰にも相談できない悩みを抱えた令嬢たちは、そのことで泣くことすらできずにいる。限界寸前でジェマの元まで来て吐き出すと、一緒に涙も零してしまう人は多い。
「誰か呼びますか? わたしで良ければメイクも髪も直せますけど」
「……迷惑でなければ今直してもらえるかしら」
「ん、かしこまりました」
あまりによくあるため、ジェマは化粧道具も持ち歩くようになっていた。ジェマ自身はほとんどメイクなんてしないのに、化粧技術だけはめきめきと上達し続けている。貴族令嬢たちは化粧すら自分ではしないので、意外にも道具の使い方がわからなかったりするのだ。
されるがままになっているアンジェリカのメイクを落とし、腫れた目元と少し辛そうな喉を治癒魔法で治す。寒いくらい涼しいのに汗で張り付いた前髪をピンで留め、ついでに全身に生活魔法の清潔をかけた。
「化粧品は貴族のお姉様方からいただいたものなので、結構良い品ばっかりです。お任せください」
「ふふ。お願いするわ」
アンジェリカが憑き物が落ちたかのようにふわりと笑った。やはりアンジェリカは柔らかい雰囲気の方が綺麗だ。いつものキリっとしたアンジェリカはかっこいいが、ジェマは今のリラックスしたアンジェリカの方が好きだった。
化粧だけでも人の印象を変えることはできる。少し悪戯心が出て、ジェマはいつものアンジェリカに合わせて準備していた化粧品を取り換えた。
肌は光が当たると淡く光る星紅花のパウダーをはたき、アプリコットカラーのチークをほんのりと乗せる。眉はいつもより気持ち太めで、髪色より少し明るめのダークグレーに。瞳の色に合わせたオレンジみのあるベージュ系のアイシャドウを塗って、ほんの少しだけアイラインを垂れがちにひいた。
最後に唇を健康的なコーラルオレンジに染め上げ、少しだけグロスを乗せて艶を出す。
「よし」
戸惑いがちに見上げるアンジェリカに、手を止めてにっこり微笑んだ。
普段使わない色を使われて不安なのだろうが、ジェマはやめるつもりはない。アンジェリカからそっと手鏡を隠して、ヘアセットに移る。
アンジェリカの黒髪は綺麗だが少し重くも見えてしまう。顔周りの髪をブルーグレーのレースリボンと一緒に編み込み、すっきりと前髪を分けて顔を明るく見せる。
小指の爪より小さな猫型の石の付いたピンを数箇所に挿して、きっちりし過ぎないよう少しだけ後れ毛を出す。
「うむ」
一歩下がってアンジェリカの顔を見つめ、ジェマは満足気に頷いた。
仕上げにほのかに甘い果物の香りのする香水をふりかける。
今下町の女の子の間で流行っている、魅力を引き出すという噂の香水だ。実際そんな効能はないが。ジェマは匂いに釣られて購入した。とても美味しそうな香りがする。
「ん。天才」
秘密の部屋から一抱えほどの鏡を取り出して、アンジェリカの前に置いた。
「はい、完成です。どうぞご覧ください」
「あの、これ……」
「派手にはしていないので、問題ないと思いますよ。そのリボンも同じものを付けて叱られたことありませんし」
化粧道具を片付けながら、おろおろしているアンジェリカにぞんざいな返事をする。
確かに普段のアンジェリカに比べれば少々華美にはなった。しかしお叱りを受けるほどではない。これまでが飾り気がなさ過ぎたのだ。
「……そ、その、少し可愛らしすぎるのではないかしら」
「大丈夫だいじょうぶ。可愛いですよ」
ジェマプレゼンツのアンジェリカは、黙っていても儚げな雰囲気のある清楚な少女になっていた。大人びて凛としている普段のアンジェリカは女性としては憧れるが、ふわふわしたTHE・女の子なリリアンが持て囃されている現状では流行ハズレと言えるだろう。
と言い訳をして、ちょっとした遊び心も手伝ってランプリング公爵令嬢のイメージとは全く違う雰囲気にしてしまった。
(ちょっとやりすぎたかも?)
食い入るようにじぃっと鏡を見つめるアンジェリカに少し不安になった。けれどその顔がじわじわと明るくなっていくのを見て、ジェマの尻尾がゆらゆらと揺れた。
「可愛いですよ、アンジェリカ様」
「……ありがとう」
ふにゃりと顔を緩ませたアンジェリカは本当に可愛かった。
良い仕事をした。
鼻歌を歌いながら新しい紅茶を入れる。リボンの代金を支払うというアンジェリカの申し出を丁重に断って、秘密の部屋から取り出したチョコレートを1つ口に放り込んだ。
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