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第三章 平民の実習期間
41 私の名前は、サラ
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リンゴ、私が持ちたいんだけど、せめて買い物かごにいくつか入れてくれないかな……、と思って、テル君の箱を引っ張ろうとしたんだけど、「別に買い物あるだろ」と言われて断られてしまった。くそう。子どもに重いもの持たせたくないんだけどなあ。
眉間にしわを作った私を見たのか、おばちゃんがもう一度声をかけた。
「あ、そうだアンタ」
「……はい?」
「これ」
ぽんと、投げられたのはおばちゃんが宣伝に持っていた大きなリンゴだった。
「なんで?」
見比べると、「腹が減ってるだろうからだよ」と笑われた。
う、と声をつまらせて、思わず三人を見る。何を言われてるのか分かっていないみたいで一安心。流石にお腹鳴っている音とか、この子達にはあんまり聞かせたくないよね。年上の威厳がなくなる――っておつかいのお守りさせてる時点で威厳も何もないか。
「あんた細いからね。しっかり食べて、ちゃんと働くんだよ。手に職つけて、働いて、そしたらこんなもんが食べれるんだーって思っときな」
「受け取るのがマナーですよ」
そう、ヨーイ君が耳打ちする。はい、と小さく頷いて、にっこり笑った。
「ありがとう!」
「はいはい、またうちを贔屓にしとくれ」
おばちゃんには当たり前なんだろう。
そのまま作業に戻る。「フィロイ産のリンゴがおすすめだよ!」と声を張り上げて、呼込みをしている。おばちゃんの声に、道行く人が立ち止まり、まじまじと陳列している果物を見る。これが、あれが、と興味の有りそうな果物を楽しそうに解説する、時折笑顔が交じる。
「おばちゃん」
ためらったけど、思い切って声をかける。
突然の私の声にヨーイ君たちが、驚いて足を止めた。
ガブ、とそのままリンゴを噛んだ。甘くて、酸っぱくて昔前世で食べたリンゴの味を思い出した。
すごい、蜜がジュワって出て、サクサクしてる。
さすがファンタジー。加護でここまで、品質が保てるんだと感心する。
簡潔に話さないといけない。じゃないと違和感を持たれるかもしれないから。
「おいしい、ありがとう」
ぶきっちょな言葉に、おばちゃんは吹き出した。
「あー、はいはい」
ケラケラ笑う。嫌じゃない、優しい、見守ってくれる笑顔だ。
やっぱり。
それじゃあ、そうしよう。
「おばちゃん、名前は?」
おや、とおばちゃんは目を見開く。
「名前? サラだよ。平凡な名前だろ」
珍しくもなんともない、この世界では当たり前の名前。
よかった、と私は微笑んだ。リンゴを持っていない手で、自分を指差す。
「私も、おんなじ名前」
「えええ、今ぁ?」
隣でヨーイ君が声をあげる。瞬時にテルくんに脛を蹴られ、スタ君が口を塞いだ。
うん、ごめんね。あとでリンゴパイ、私の分あげるから、許してね。
「あらほんと。また古臭い名前をもらったもんだね」
「うん、でも気に入ってる」
幼く聞こえるように、大きく頷いた。
「そうかい。私も気に入ってるよ。
あんたの今後に神のご加護を!」
そう声をかけて、手を振られた。私も振り返す。
「神のご加護を」
てくてくと、歩調は早めに歩く。歩きながら食べたって大丈夫。むしろ難しいくらいだ。シャクシャクと音も美味しいリンゴは、すぐ芯だけになる。どうしようかな、とヘタを摘んで見ながら歩くと、横からため息が聞こえた。それも複数。
「確かに、――確かに総司祭様は、名前決めろって言いました。ええ言いましたよ。
ゆ――いぅ、あー、ああーっとサラさん? サラさんサラさんサラさん。よし、えっとサラさん」
「うん」
行き交う人の波はざわざわ。人目を気にするのはヨーイ君たちも同じだ。
あ、猫耳の人がいる。女子? 可愛い、ミケネコ柄だ! かわいいいい! 尻尾もゆらゆらしてる!
あっちには尖った耳の人、妖精族とかかな? それとも魔族系の生き残りとかかな。
持ってる串も気になる。多分肉料理。美味しい肉かもしれない。ちょっとタレついてない? 話しながら、呪文を唱えてで串を消す。
「地に還るために炭となれ、炭となるために蒼き炎を、ファイヤー」
私の側からも、ぽそぼそと呪文が聞こえた。テルくんかしら? と、私がつまんで持っていたはずのリンゴの芯の重さがなくなる。あれ、と視線を戻すと、そこには何にも残っていなかった。
え、何この子達魔法使えたの? さっすが期待の新人なだけあるね!
手とテルくんを交互に見ていると、スタ君が目のまえて手を揺らした。
「お姉さ~ん、聞いてる?」
「聞いて……いる」
丁寧語になりそうなのを、慌てて修正する。
さくさく、そうしている間にも私たちは買い物をすすめる。
市場は不思議なくらい、前世で見覚えのあるものがたくさんあった。塩、胡椒、唐辛子、トマト。トマトはブサイクでかなり安い。美味しくないのかな。魚や鳥は不思議な色をしている。透明な野菜もある。この世界は不思議だ。さすがファンタジー。トウモロコシ、マメ、コメらしきものもあるんだけど、そういうのはなぜかゴザを敷いた人たちが売っていて、一山いくらだよって声をかけてる。あら。銅貨三枚? 安いんじゃないのこれ。
「あれはなんで安いの?」
聞くと、スタ君が答えてくれる。
「あれ? あーあそこらへんで売ってるのは貧乏人の生活の足しだからね」
たしかに皆、着ているものが古めかしいというか、擦り切れているというか。
「大概ドラゴンとかモンスターが移動した時についてきたやつで、食べられるけど毒抜きが必要だったり、美味しくないんだよね。でもまあ、珍しいし他の食材よりは安いかな」
おお、そうか。外来の動植物はドラゴン類が連れてくるのか。
「まあトマトみたいに、美味しくて大量に作ることができるのも見つかるんだけどねー。あっちで売ってるのはほとんどダメだと思うよ。ほら、あれは前食卓でサラダに入ってたでしょ、コメっていうの。麦に似て粒状なんだけど挽いてみてもボロボロするし、煮たら粘り気が強すぎるっていうか――」
炊いて。
お米は炊いて、あのサラダに入ってたのは細かく砕いてた上にベチャベチャだったじゃん。多分磨きすぎでしょ。っていうかアレお米だったの?!
「なんか生臭かった」
げんなりとテル君が会話に加わる。
「そういうのを食べるのも修行の一環」
ちゃんと糠部分洗って。あと干して! あ、でも専門の農家が育ててないから美味しくないのかな。いや、加護でこんだけ品種改良みたいなことできるなら、愛情注いでたら美味しくなるんじゃないの? んん??
「米……」
「だめだよ、安いからって安易に手を出しちゃ」
「まあ寮のメシは少ないけどな」
私の想像とは違うかもしれない。でもせめても自分で調理して実験したい。
ノロノロ足になり、食い入るようにコメ類があるエリアを見つめていると、ヨーイ君が私の顔を覗き込んだ。
「ユー! ゴホンゴホン、サラさんはサラさんでいいんです、か?」
「うん」
ごめん、その話が途中で終わってたんだっけ。
ヨーイ君、なんか会った当時より敬語・丁寧語が上達しているな。まだ一ヶ月経ってないのに。さすが成長期。伊達に修道士じゃないってことね。
「私は、サラです」
サラ、と名前を言ってみるとなかなかにしっくり来る。大丈夫だ。
「また突飛な……」
「こいつが突然なのは、いつものことじゃね?」
突飛と言えないこともないけど、一応理由はちゃんとある。
「この姿で出て、最初に優しくしてくれた人の名前にしようと決めていたの」
平凡な私になるために、平凡な誰かの名前をもらいたかった。
そしてそれは、親切な人からがよかった。
「サラ……ねえ」
「お姉ちゃん、サラの意味分かってる?」
失礼な。一応次期王妃の教育内容に、よくある名前一覧と由来辞典も含まれておりましてよ!
サラっていう名前には、王女って意味がある。
でもそんなのは、ずっとずっと前の廃れた由来だ。
今では、この名前は古くて、よくある女の人の名前。
だったら、いいじゃないか。
「――まあ、あんたは下町の貧乏エリアで育ったんだし、そういう名前を、育てられた婆さんから譲り受けてても不思議じゃない」
「そうそう、テルの言うとおり。おばあちゃんが心配症で、12歳で亡くなるまでずーっと閉じ込められたんだもんね」
よくがんばったねーえらいでしゅねー、みたいな感じでスタ君が頭を撫でようとするので、流石にそれは遠慮した。いや、こちらも君たちをズッコケ修道士と心で呼ぶくらいには気を許しているのよ? でもちょっと最近馴れ馴れしすぎない? 確かに庶民の生活のご教授は貴方達から受けているし、寮で一緒に生活してるけどさあ。
私は十八、君たちは――うーん。具体的に年齢は聞いてないけど、精々小学校中学年? 十歳前後ってところなんじゃない。
いくら前世で人生経験あるからって、許せることとそうじゃないことがあるのよ。
「まったく。シュトレン家っていう名門貴族に、とんだ勘違い娘がいたもんだよ」
「ねえ、うちら平民は平民だけどさー。誰のお陰でおまんま食えてるって話だよ」
「きっとドレスしか目に入らなかったんじゃない? そんな人が王妃にならなくてよかったー」
買い物を終えて帰る途中、貸本屋さんで本を見る女の子たちの話が耳に入った。
断罪の日から、多分もう一ヶ月は経っている。噂はもちろん、書籍もちゃんと地方都市たるこの街に流通している。
一人でいる時は聞き流せたそれに、肩を震わせてしまって、買い物かごの荷物を抱えた手に力が入る。思わず腕の中のものがグシャグシャになりそうになった。
「サラさん、あの、ご飯が待ってる……ますよ!」
動きが鈍くなった私に、いち早く気づいたヨーイ君が、背中を押した。
「はい」
視界の端にかかるのは、濃い茶色の髪の毛。クセが強くて、自然にウエーブがかかって扱いにくい。――昔はストレート過ぎてまとまらないって、悩んでたのと正反対。
きっと、――何もかもが違っている。
だから彼女たちは気づかないだろう。
「ほんっと、この本おもしろーい!」
「やっぱ現実に起こったことが元になってると、スカッと度合いが違うよね!」
「ハイド様かっこいい~」
ぎゅっと、きっと借りた本を胸に抱いて、今の私の見た目と、そんなに変わらない少女達がすれ違って去っていく。
「そういえば流星劇団の次の地方公演の時に、この話やるかもって!」
「えええ、絶対見る! アリア様とハイド様見るー!!」
きゃっきゃ、と黄色い声が遠のいていった。
同時に、三人組が急に世間話を始める。
「平民姫を虐めてた魔女のお嬢様は、今や牢屋みたいな修道院でひとり懺悔の日々だよね」
そう言いながら、スタ君は私達の前に回り込む。
「そうそう。平民になるって喚いてたけど、平民が大っ嫌いな貴族様だからな」
重いだろうリンゴの箱を持ち替えながら、テル君が相槌を打った。
「だいたい、平民への道のりは、早くとも半年、遅くて一年。市井に身を置くには、環境が違う――っていう」
うんうん、と自分の言葉に頷いて、ヨーイ君は私を見る。
「一ヶ月と少しで、平民に紛れられるような、甘い世界じゃないって、なあ」
ふん、とテルくんも私を見た。
「ホント、そうね」
最短ルートをぶっ飛ばしてここにいる。
――だから、大丈夫。
そんな設定を口にする頃には、買い物を終えて、現在の住まいである教会に到着していた。
眉間にしわを作った私を見たのか、おばちゃんがもう一度声をかけた。
「あ、そうだアンタ」
「……はい?」
「これ」
ぽんと、投げられたのはおばちゃんが宣伝に持っていた大きなリンゴだった。
「なんで?」
見比べると、「腹が減ってるだろうからだよ」と笑われた。
う、と声をつまらせて、思わず三人を見る。何を言われてるのか分かっていないみたいで一安心。流石にお腹鳴っている音とか、この子達にはあんまり聞かせたくないよね。年上の威厳がなくなる――っておつかいのお守りさせてる時点で威厳も何もないか。
「あんた細いからね。しっかり食べて、ちゃんと働くんだよ。手に職つけて、働いて、そしたらこんなもんが食べれるんだーって思っときな」
「受け取るのがマナーですよ」
そう、ヨーイ君が耳打ちする。はい、と小さく頷いて、にっこり笑った。
「ありがとう!」
「はいはい、またうちを贔屓にしとくれ」
おばちゃんには当たり前なんだろう。
そのまま作業に戻る。「フィロイ産のリンゴがおすすめだよ!」と声を張り上げて、呼込みをしている。おばちゃんの声に、道行く人が立ち止まり、まじまじと陳列している果物を見る。これが、あれが、と興味の有りそうな果物を楽しそうに解説する、時折笑顔が交じる。
「おばちゃん」
ためらったけど、思い切って声をかける。
突然の私の声にヨーイ君たちが、驚いて足を止めた。
ガブ、とそのままリンゴを噛んだ。甘くて、酸っぱくて昔前世で食べたリンゴの味を思い出した。
すごい、蜜がジュワって出て、サクサクしてる。
さすがファンタジー。加護でここまで、品質が保てるんだと感心する。
簡潔に話さないといけない。じゃないと違和感を持たれるかもしれないから。
「おいしい、ありがとう」
ぶきっちょな言葉に、おばちゃんは吹き出した。
「あー、はいはい」
ケラケラ笑う。嫌じゃない、優しい、見守ってくれる笑顔だ。
やっぱり。
それじゃあ、そうしよう。
「おばちゃん、名前は?」
おや、とおばちゃんは目を見開く。
「名前? サラだよ。平凡な名前だろ」
珍しくもなんともない、この世界では当たり前の名前。
よかった、と私は微笑んだ。リンゴを持っていない手で、自分を指差す。
「私も、おんなじ名前」
「えええ、今ぁ?」
隣でヨーイ君が声をあげる。瞬時にテルくんに脛を蹴られ、スタ君が口を塞いだ。
うん、ごめんね。あとでリンゴパイ、私の分あげるから、許してね。
「あらほんと。また古臭い名前をもらったもんだね」
「うん、でも気に入ってる」
幼く聞こえるように、大きく頷いた。
「そうかい。私も気に入ってるよ。
あんたの今後に神のご加護を!」
そう声をかけて、手を振られた。私も振り返す。
「神のご加護を」
てくてくと、歩調は早めに歩く。歩きながら食べたって大丈夫。むしろ難しいくらいだ。シャクシャクと音も美味しいリンゴは、すぐ芯だけになる。どうしようかな、とヘタを摘んで見ながら歩くと、横からため息が聞こえた。それも複数。
「確かに、――確かに総司祭様は、名前決めろって言いました。ええ言いましたよ。
ゆ――いぅ、あー、ああーっとサラさん? サラさんサラさんサラさん。よし、えっとサラさん」
「うん」
行き交う人の波はざわざわ。人目を気にするのはヨーイ君たちも同じだ。
あ、猫耳の人がいる。女子? 可愛い、ミケネコ柄だ! かわいいいい! 尻尾もゆらゆらしてる!
あっちには尖った耳の人、妖精族とかかな? それとも魔族系の生き残りとかかな。
持ってる串も気になる。多分肉料理。美味しい肉かもしれない。ちょっとタレついてない? 話しながら、呪文を唱えてで串を消す。
「地に還るために炭となれ、炭となるために蒼き炎を、ファイヤー」
私の側からも、ぽそぼそと呪文が聞こえた。テルくんかしら? と、私がつまんで持っていたはずのリンゴの芯の重さがなくなる。あれ、と視線を戻すと、そこには何にも残っていなかった。
え、何この子達魔法使えたの? さっすが期待の新人なだけあるね!
手とテルくんを交互に見ていると、スタ君が目のまえて手を揺らした。
「お姉さ~ん、聞いてる?」
「聞いて……いる」
丁寧語になりそうなのを、慌てて修正する。
さくさく、そうしている間にも私たちは買い物をすすめる。
市場は不思議なくらい、前世で見覚えのあるものがたくさんあった。塩、胡椒、唐辛子、トマト。トマトはブサイクでかなり安い。美味しくないのかな。魚や鳥は不思議な色をしている。透明な野菜もある。この世界は不思議だ。さすがファンタジー。トウモロコシ、マメ、コメらしきものもあるんだけど、そういうのはなぜかゴザを敷いた人たちが売っていて、一山いくらだよって声をかけてる。あら。銅貨三枚? 安いんじゃないのこれ。
「あれはなんで安いの?」
聞くと、スタ君が答えてくれる。
「あれ? あーあそこらへんで売ってるのは貧乏人の生活の足しだからね」
たしかに皆、着ているものが古めかしいというか、擦り切れているというか。
「大概ドラゴンとかモンスターが移動した時についてきたやつで、食べられるけど毒抜きが必要だったり、美味しくないんだよね。でもまあ、珍しいし他の食材よりは安いかな」
おお、そうか。外来の動植物はドラゴン類が連れてくるのか。
「まあトマトみたいに、美味しくて大量に作ることができるのも見つかるんだけどねー。あっちで売ってるのはほとんどダメだと思うよ。ほら、あれは前食卓でサラダに入ってたでしょ、コメっていうの。麦に似て粒状なんだけど挽いてみてもボロボロするし、煮たら粘り気が強すぎるっていうか――」
炊いて。
お米は炊いて、あのサラダに入ってたのは細かく砕いてた上にベチャベチャだったじゃん。多分磨きすぎでしょ。っていうかアレお米だったの?!
「なんか生臭かった」
げんなりとテル君が会話に加わる。
「そういうのを食べるのも修行の一環」
ちゃんと糠部分洗って。あと干して! あ、でも専門の農家が育ててないから美味しくないのかな。いや、加護でこんだけ品種改良みたいなことできるなら、愛情注いでたら美味しくなるんじゃないの? んん??
「米……」
「だめだよ、安いからって安易に手を出しちゃ」
「まあ寮のメシは少ないけどな」
私の想像とは違うかもしれない。でもせめても自分で調理して実験したい。
ノロノロ足になり、食い入るようにコメ類があるエリアを見つめていると、ヨーイ君が私の顔を覗き込んだ。
「ユー! ゴホンゴホン、サラさんはサラさんでいいんです、か?」
「うん」
ごめん、その話が途中で終わってたんだっけ。
ヨーイ君、なんか会った当時より敬語・丁寧語が上達しているな。まだ一ヶ月経ってないのに。さすが成長期。伊達に修道士じゃないってことね。
「私は、サラです」
サラ、と名前を言ってみるとなかなかにしっくり来る。大丈夫だ。
「また突飛な……」
「こいつが突然なのは、いつものことじゃね?」
突飛と言えないこともないけど、一応理由はちゃんとある。
「この姿で出て、最初に優しくしてくれた人の名前にしようと決めていたの」
平凡な私になるために、平凡な誰かの名前をもらいたかった。
そしてそれは、親切な人からがよかった。
「サラ……ねえ」
「お姉ちゃん、サラの意味分かってる?」
失礼な。一応次期王妃の教育内容に、よくある名前一覧と由来辞典も含まれておりましてよ!
サラっていう名前には、王女って意味がある。
でもそんなのは、ずっとずっと前の廃れた由来だ。
今では、この名前は古くて、よくある女の人の名前。
だったら、いいじゃないか。
「――まあ、あんたは下町の貧乏エリアで育ったんだし、そういう名前を、育てられた婆さんから譲り受けてても不思議じゃない」
「そうそう、テルの言うとおり。おばあちゃんが心配症で、12歳で亡くなるまでずーっと閉じ込められたんだもんね」
よくがんばったねーえらいでしゅねー、みたいな感じでスタ君が頭を撫でようとするので、流石にそれは遠慮した。いや、こちらも君たちをズッコケ修道士と心で呼ぶくらいには気を許しているのよ? でもちょっと最近馴れ馴れしすぎない? 確かに庶民の生活のご教授は貴方達から受けているし、寮で一緒に生活してるけどさあ。
私は十八、君たちは――うーん。具体的に年齢は聞いてないけど、精々小学校中学年? 十歳前後ってところなんじゃない。
いくら前世で人生経験あるからって、許せることとそうじゃないことがあるのよ。
「まったく。シュトレン家っていう名門貴族に、とんだ勘違い娘がいたもんだよ」
「ねえ、うちら平民は平民だけどさー。誰のお陰でおまんま食えてるって話だよ」
「きっとドレスしか目に入らなかったんじゃない? そんな人が王妃にならなくてよかったー」
買い物を終えて帰る途中、貸本屋さんで本を見る女の子たちの話が耳に入った。
断罪の日から、多分もう一ヶ月は経っている。噂はもちろん、書籍もちゃんと地方都市たるこの街に流通している。
一人でいる時は聞き流せたそれに、肩を震わせてしまって、買い物かごの荷物を抱えた手に力が入る。思わず腕の中のものがグシャグシャになりそうになった。
「サラさん、あの、ご飯が待ってる……ますよ!」
動きが鈍くなった私に、いち早く気づいたヨーイ君が、背中を押した。
「はい」
視界の端にかかるのは、濃い茶色の髪の毛。クセが強くて、自然にウエーブがかかって扱いにくい。――昔はストレート過ぎてまとまらないって、悩んでたのと正反対。
きっと、――何もかもが違っている。
だから彼女たちは気づかないだろう。
「ほんっと、この本おもしろーい!」
「やっぱ現実に起こったことが元になってると、スカッと度合いが違うよね!」
「ハイド様かっこいい~」
ぎゅっと、きっと借りた本を胸に抱いて、今の私の見た目と、そんなに変わらない少女達がすれ違って去っていく。
「そういえば流星劇団の次の地方公演の時に、この話やるかもって!」
「えええ、絶対見る! アリア様とハイド様見るー!!」
きゃっきゃ、と黄色い声が遠のいていった。
同時に、三人組が急に世間話を始める。
「平民姫を虐めてた魔女のお嬢様は、今や牢屋みたいな修道院でひとり懺悔の日々だよね」
そう言いながら、スタ君は私達の前に回り込む。
「そうそう。平民になるって喚いてたけど、平民が大っ嫌いな貴族様だからな」
重いだろうリンゴの箱を持ち替えながら、テル君が相槌を打った。
「だいたい、平民への道のりは、早くとも半年、遅くて一年。市井に身を置くには、環境が違う――っていう」
うんうん、と自分の言葉に頷いて、ヨーイ君は私を見る。
「一ヶ月と少しで、平民に紛れられるような、甘い世界じゃないって、なあ」
ふん、とテルくんも私を見た。
「ホント、そうね」
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