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第二章 教会生活
30 サヨナラ家族、何度でも
しおりを挟む朝。ご飯は相変わらず、魅力を復活させてくれない。
それでもまあ、なんとも気持ちのいい朝だ。そう、マーガレットおばさまがいて、私に付き添ってくれる。
朝食を終わらせて、私は部屋を出た。
「お母様との面談の場所は、王都近くの小教会に変更いたしました」
そうマーガレットおばさまが教えてくれる。ありがとうございます、と小さくお礼を言う。すれ違う修道士がおばさまに頭を下げ、私を気に留めず通り過ぎる。片側の窓に濃い緑の森がうつり、陽が隙間から漏れる。
私は相変わらず、長いベールと修道女の服を身にまとっている。マーガレットおばさまの後ろを歩くその様子は、追従する弟子のように見えるかもしれない。腰を曲げ、ゆっくりと歩くその様子を、誰も不思議には思わず通り過ぎる。
教会の門扉の近くにある転移装置を利用して、小さな教会にたどり着く。そこは以前、私を実家から総教会に転送した場所でもあった。
「まもなく時間となります。こちらで少々お待ち下さい」
そうマーガレットおばさまに告げた教会の人は、私がシュトレン家のユーフェミアとご存知の様子で、しかめた顔をこちらに向けることを忘れなかった。
マーガレットおばさまの他に、総司祭様、ドリムイさん、修道士三人組の子どもたちを含む数人が同行している。転移装置はエレベーターみたいに使用の際の人数制限があるので、全員で連れ立ってとはいかなかった。私はおばさまとだけ一緒に来た。
「あれが、アリアさまの……」
「ハイド王子も、毒牙から……」
さざなみのように、静かな悪意が誰かの口から漏れている。マーガレットおばさまはそれに眉を潜めているみたいだけど、私は表情は変えずにその様子をただ見ていた。
ぽ、と同情するような言葉に、苦笑いが付与される。
それが嘲笑に変わる。
それから、自分の醜さに気がつくと、自戒の意味を込めた無表情になる。――ただ、きょろきょろと周囲を伺うことはやめない。
そんな人達が、私の目の前を通り過ぎる。私も歩くから、どんどんと引き離される。
「……加護を破棄されるなんて」
最後に聞こえたその言葉は、哀れみを含んでいた。
王家との――しかも後継者第一位のハイド王子との婚約を破棄された娘が、加えて加護の恩恵を取り消されるなんて、ただ追放されるよりも衝撃だろう。哀れみも当然だ。――両手いっぱいの嘲りがあっても、涙一滴くらいの哀れみがあれば、それを訓戒に日常に戻ることができる。哀れな悪役令嬢、ああはなりたくない。私は慎ましく生きよう、なんて。
貴族の多くは身内に精霊に愛される者がいて、加護を受けているのが普通だ。精霊のランクが高いほど、加護の恩恵を受ける相手は広がっていく。母親は親と配偶者、子どもくらい――それでもその範囲も威力もすごいと評判が高い――だが、今頃ハイド様といちゃいちゃしているだろうあの女なんか、領主になれば領民領地すべてに加護を受けるだろう。ていうか受けるよねー後日談のスチルに出てくるよねー。
もしここが現世であれば。
私が貴族でなかったら。
普段の食事はぶくぶく太って生活習慣病まっしぐら。贅をつくしたもので量が多く油まみれの、柔らかいものばかりで、甘いものも塩気のあるものもその味付けは飛び抜けている。
私の味覚でも、庶民で料理人のおじさんの味覚でも、アレおかしいわってなったから。元気かなー料理人のおじさん。小癪な小娘の提案を聞き入れて、保存食一緒に作ってくれたおじさん。口を一文字に結んで、ゴツゴツとした手で繊細な料理を作ってくれたあの人は、他の屋敷の人たちと元気にやっているだろうか。
濃い味が好まれるのは、希少であったときの名残だろう。砂糖や塩など、三世代前は高価であった品物のあれこれは、冒険者が得るドロップアイテムやマジックアイテムのお陰で、上流階級には十分に供給されているし、庶民の間にも高値ではあるが手に入れられないものではなくなっている。ゲームの中でショートケーキやらドーナツやらが回復アイテムとして登場していたのも納得だ。
そして逆に、幽閉場所でずっと暮らすような生活をしていたら。
あんな不潔なところにいれば、なんかおかしい伝染病とかに感染して倒れているはずだ。幽閉され、食事を一週間抜きにされた時点で衰弱して立っていられなかっただろうし、毎日毎日監視役の平民に呪詛のような恨み言を聞かされてれば発狂するだろう。薄暗い、朝日の光だけで歓喜する場所では、それも仕方がない。
こんな毎日であっても、貴族だったら大丈夫!
何せ精霊の加護やその恩恵があるからね。安心!
不摂生で危うい生活をしていても、不潔で狂気に満ちた環境にあったとしても、加護さえあれば寿命は現世並みに長い。体調面でも、精神面でも加護は効果を発揮する。反対に、あまり加護を受けることのない平民は短いはずだ。もちろん精霊の種類やランクで保護の範囲は変わる。領主の精霊が上位であればあるほど、その大地は潤い、領民が病気にかかる確率も減るという。
だからこそ、超絶天使並に現れし聖なるアリアたんは貴族注目の的だった。
精霊のややこしいことに、その出会いは偶然で、加護の度合いは愛によるという。
愛し合えば愛し合うほど、加護は強まり、強固なものになると――それは教会の教えで、実証には足らないけれど、おそらく事実だろう。
だからって能力=性格人格人となりにはならないのが、この世界の辛いところ。――前の世界と同じところだ。
お母様は、そんなこんなで私を保護しているつもりなんだね。
一応あの母親も、母親なりに私に『愛』があるということらしい。
でも、正直その加護――恩恵は、もう要らない。
だって結構ころころ変わる加護の恩恵とか、愛情の写し身みたいでキモいです。あ、監禁幽閉虐待の時は大変お世話になりました。ありがとーございーました。アレがなきゃ死んでたね。
私の識っている愛は、もっと普遍で、当たり前で、温かいのだ。
すまぬね、母親。そして父親。貴方達に抱いていいた幻想は、もう欠片もありません。
私の記憶には、それとは別に寒い雪の日にコタツ囲んで、みかん山積みにして食べた暖かい家族の思い出があるのですよ。外から帰ってきた兄が、冷たい足そのまま入れて私の足にのせた時はみかん投げたけど。許さん。長い反抗期のあとの揺り戻しのいたずら小僧など許さん。弁慶の泣き所蹴られても笑わないと許さん。
自分の手を見つめた。毎日の水仕事で少しずつ荒れた手先。それも、うっすらと、パウダースノーみたいな光にふれて白く輝いている。――あの人と同じ、象牙のような肌に、戻るみたいに。
昔であれば、許されたと、その情景に涙がこぼれたけど、今は震えるほど怖い。
近づいている。あの人が。
来る。
私を支配するために、――支配なんて、意識もしないだろう。それは彼女にとって、虫を払うも同じこと。まばたきするのも同じこと。
「ユーフェミアはどこです」
唐突に声が聞こえた。
「ここに……おりますわ、お母様」
私はその声の方向に話しかける――小さな窓の向こう側にいるだろう、その人に。
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