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1章 嫌われ王女、大国に嫁ぐ
嫌われ王女は、パン屋ですから
しおりを挟む干し肉、果物、スープ、ワイン。
それぞれのパンが何に合うかを想像しながら、咀嚼していきます。
パンにも色いろあるのですけれど、酸味の強い二番目のパンが気に入りましたわ。黒くで粒がごろごろ入っています。一度揚げた木の実が入っているようで、カリカリと香ばしいのが高得点ですわ。
外の喧騒も、カリアのおかげで一切耳にも目にも入りません。
私はただ、目の前のパンに集中することができるのです。ああ、本当に優秀なメイドをもって私、運命に感謝いたしますわ。
もちろん食べ比べるために不必要な化粧はすっぱり落としましたわ。乙女の化粧は武装と同じ。私は戦場から無事帰還した英雄ですの。暖炉の前でくつろぐのに、剣は必要ありませんわ。今、この要塞にあって、私には心強いカリアという鎧がおりますもの。
私化粧を落としますと、そこらのメイドに紛れることができる特技がありますから、万が一王子が入ってきたとしても、他人として接すれば万事うまくいくと信じております。
だいたいお母様が美しいからといって、娘も美しいなどとは思い込みも甚だしいですわ。私のお父様は王族としての威厳は備えておりますけれど、割りと地味な顔をしておりますのよ。戦場で紛れて戦いに加わるような地味顔ですのよ。
「とりあえずこの国で小麦粉もそうですけれど、バター、種、焼型、それぞれ数種類は入手したいところですわ」
「承知いたしました」
「ああ、少しでも練習しないと、あの感覚を忘れてしまいそう……」
それでも沈む私に、頼れるメイドは応えてくれます。
「かしこまりました。なんとか王城内の小麦を分けてもらってきます」
そう言うと、音もなく消えてしまいました。
分けて、ね。少しくらい頂いても構わないかしら。あちらはこちらの希望に応えることなど、まるでなさそうだけれど。
まあ、あの子は変装も隠蔽も完璧なので、心配はいらないのです。
守護魔法もきっちりと張り巡らせているせいで、外にいた守衛の一人が面白半分に石を投げたのが跳ね返って本人の脳天直撃ですわ。
ふふ、謝肉祭で見た喜劇みたいだわ。
私は少しでも感覚を取り戻すために、ドレスを脱ぎ、作業着姿になりました。
下着に見えますけれど、防寒完備でなおかつ町娘がよくするベストを身に付ければ立派に街歩きができるのです。
ドレスはそれぞれ部分ごとに着脱式になっていて、スムーズに着替えができるのが、オーダーメイドの良い所です。私が故郷から持ってきた服は全て、このような作りになっておりますのよ。
私が手袋を抜き取ると一般的な淑女にあるまじき実用的な筋肉を備えた腕があらわれました。普段は庶民の服なので気になりませんが、こういったお嬢様お嬢様した服を着ていると、やはり腕が太くて見苦しいのを実感します。
この腕の筋肉が衰えてしまっては、せっかく習得した秘伝の生地作りを忘れてしまいます。
鍛錬は毎日、とお母さんから厳しく言われていますもの。
ぐ、と腰を伸ばし、大きく手を広げると、ゆっくりと筋肉を確かめるように動かします。深い呼吸と共に、伸ばす、捻る、止める。それだけで随分ほぐれますが、それでもまだ足りません。魔力を皮膚の上にのせることをイメージしてそのまま腕立て伏せ、腹筋、スクワット。
よし、今日もパンと向き合う準備ができましたわ。
パシ、と隠していた手拭きをはたくと、私はお母さんに教わったパン形成の修行にとりかかりました。
「……ご主人様」
「はあ、はあ、あら、おかえりなさいカリア。私が望んだものはてにはいりまして?」
集中していて、気配に気づきませんでしたわ。
ほんの一刻ほどだというのに、滝のように汗が流れています。ぐっしょりと濡れて動きにくいこと。パンと向き合うのなら、致し方ありません。職人とは厳しい道程ですわね。
「はい、こちらに。
相変わらず美しい鍛錬ですね」
「ありがとう。でもまだまだ。お母さんの域には至っていませんの。一時間も鍛錬すればこの汗ですわ。早くお母さんの次元に行きたいですわ」
悔しさをにじませた私の顔に気づいたのでしょう。カリアは優しくフォローしてくれました。
「母上様は、……体格に恵まれておりますから」
声は平坦ですけれど、これでも私を心配してくれているのよ。やさしいわ。
確かにお母さんったら、私より頭三つ分も大きくて、オーガも逃げ出すという逸話おもつお方。
二の腕、太もも、お腹に背中。どの筋肉もそれぞれの役割を主張して割れているの。私が一度間違えて包丁を向けてしまった時も、その刃先が折れてしまったこともあったわね。ああ、素敵な鋼の肉体。
お母さんは、高速でパン生地を形成するの。それはもう、目にも留まらぬ速さよ。そこから生み出されるパンは、外はバリ、中はふわふわ。スープにもお肉にもピッタリな一品よ。ああ、早く家に帰って食べたいわ。
いそいそと準備をする私を、カリアが静かに制します。視線の先には、パン作りには重要なカマドが有ります
「カマドに火が入っておりません。――試し火を昨日焚いてみましたが、あちこちにヒビも入っておりますし、火の周りは不均一でした。
これではパンがうまく焼けないのではありませんか」
「まあ」
ぽん、と手を叩きます。
「そんな時こそお父さんの魔法陣ですわ!」
言うが早いか、私は魔法陣を書き始めました。
カマドの下に積み上がっていた灰と水を混ぜて、指で陣を描きます。
魔力を通すと、ち、と小さな音と雷の白い光が散りました。
「準備ができましたわ。カリア、これに魔力を通してもらえる?」
「……これは」
「お父さんの魔法陣ですわ。私に扱うことができる範囲内で、簡易の釜と同じ機能をもたせて一定時間熱量を安定させられるそうですわ。
でも私ではまだ、魔力を通して陣を固定させることが精一杯。発動するにはカリアの魔力が必要ですわ」
「……………………父上様の魔法の構成力は、本当に素晴らしいと思います」
「そうなの!
私、簡単な陣を覚えて描くので精一杯よ」
お父様は魔力不足で覚えの悪い私のために、微弱な魔力を使い、簡単な陣を組み合わせで作動する魔術とその陣を考えてくれたんですの。まだ私だけでは陣を発動できないのが悔しいですわ。
「将来、私がパン屋を開く頃には、この陣を私の力だけで作動できるようにならなければなりませんわ」
お父さんはそれができる、っておっしゃってますもの。私頑張ります。
「……」
カリアは私の決意を見守ると、一度深く目を閉じました。やはり浅はかでしょうか。
それでも優しいメイドですわ。陣に向き直ると、魔力をそこに通しました。
一気に光りに包まれて、その後にほの赤い光が滲むようにして消えます。ヒビに染み込むようなその魔力。さすがカリアですわ。縁にふれると、僅かにぬくもりを感じます。
「カリア、流石ですわ」
「お褒めに授かり、光栄です」
平坦な声でそう言うと、姿勢を正して隅に控えます。
火入れをしておいたカマドがあれば、とりあえずパンもスープも煮物もお手の物。暑い日も寒い日も、カマドはきちんと火を入れるというのが常識ですの。
一定の温度を保っておけば、パンもおいしく仕上がりますわ。
ああ、それだけで心が踊ります。同時に落ち着くんですの。綺羅びやかな舞踏会や謁見の間、バラに囲まれた庭園よりも、私にはパンの匂いのする台所が一番です。
私のお父さんとお母さんは、とても優秀なパン屋。
私は日々、二人に追いつくために修行の身です。
本来なら、このような場所で油を売る時間もないのですわ。
私だって、わかっております。脆弱なこの身で、あの二人に近づきたいなんて、おこがましい話だということ。
それでも、少しでも役に立てるよう、私は頑張るのですわ。街の皆に美味しいパンを焼いて、からかい半分に立ち寄る馴染みの客をギャフンと言わせてやりますの。お父さんとお母さんの娘――私の妹、シアリも修行を始めましたもの。負けていられませんわ。一緒に新しいパンを作ろうって、約束もしているのよ。
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鍛錬を続け、虎視眈々と機会を伺っておりますの。
その約束は、この婚姻の話が出た時点でお父様にとりつけておりましてよ。
「私婚姻を解消されたあかつきには、パン屋になりますの。
正式にお約束いたしましたもの。この痛みも辛抱ですわ」
「……スカーレット様」
そうですの。
私実はね、パン屋の娘ですの!
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