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第十六話

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 ガルニエとの有意義な会食を終えると、シルベスターは屋敷にとんで帰った。そして本棚を押し倒す勢いで目当ての本を探し出し、目を這わせる。

「ああ! やっぱり!」

 そして、その本のその頁を開いたまま机の上に置いて、今度は本棚の上で埃を被っていた聖典を開く。薄い頁に苛立ちながら、目当ての章、目当ての文を何度も目でなぞり、彼は確信を得た。




 そして、週末のことだった。

 前日、いつもより早めに帰されたヘラは久しぶりにシルベスターの屋敷を訪れた。すると、屋敷の主であるシルベスターはひどく落ち着きがない様子で部屋の中を忙しなく歩き回っており、何かに苛立っているようでもあった。

「どうしたんですか?」

 フローリア計画に何か不備や失敗があったのだろうか。

「司教がいらしたらお話します」

 シルベスターはぶっきらぼうに言い捨てた。司教が悠々と現れるのはそれから半刻後で、苛立ちを抱え、忙しなく部屋を歩き回っていたシルベスターと二人きりで、まるで尋問を受けていたような空気を味わっていたヘラは司教が神の使いか何かに思えた。

「シルベスター、面白いことが分かったのでしょう?」

 苛立つシルベスターに司教はにこやかに話しかける。

「ええ、とても素晴らしいことです」

「緑の石のほうですか? それとも魔法のほうですか?」

「どちらとも言えます。そして、フローリア計画のこととも言えます」

「どういうことですか」

 司教はヘラの向かいに腰を下ろした。

「まずは緑の石についてお話いたしましょう。皆さんはこの国、いや、この大陸が何でできているか、ご存知ですか?」

「え、土ではないのですか?」

 ヘラが答えた。

「確かにその通りです。では、その土の前、どうやってこの大陸ができたか。司教ならお分かりですね?」

「新大地の章ですね。もちろんです。空に留まる我ら人類の船に、何千、何万もの竜が落さんと攻めて来ん。しかし人類は全ての竜を撃ち落し、海に竜の亡骸が積みあがらん。……それがこの大陸だと言われています」

「その通りです。つまり、この国のこの大地は竜の亡骸でできている。本来竜の亡骸というのは養分を過量に含んだものだと聞いています。しかし、この国はなぜか土地が痩せている。全く駄目というわけではありませんが、それにしてもひどいものでしょう? 本当なら、世界有数の農業国となっていてもおかしくないのに」

「その原因は?」

「土が死んでいるからだと考えています」

「土が死ぬ?」

 初めて聞く表現だ。

「もしくは眠っているのでしょう。そして、土を目覚めさせると、こうなるのです」

 シルベスターは緑の石を二人の前に転がした。

「目覚めた土が緑の石? と、言うことは土を目覚めさせる方法は魔法、ということですね?」

「そうなのです!」

 シルベスターは今、とても満足げな、晴れやかな顔をしている。この偉大な発見を早く伝えたくて仕方なかったのだろう。

「この大陸全土の土を目覚めさせれば、とんでもないことになります」

「それは、面白い……!」

「ですからフローリア計画を利用するのです。フローリアがあちこちで奇跡を起こせば、あちこちで土が目覚める。緑の石で畑が実り豊かになったでしょう? あれはきっと緑の石を砕いて撒いたので、その畑の土も影響されて目覚めたのでしょう」

「こんな石にそんな力があったなんて」

「信じられませんが、そう考えられます」

「なるほど。これなら確かにフローリアを聖女にさせなくとも国を豊かにできる」

「楽園の叡智も、中身が必ずしも救いとは限りませんからね」

「そうですね」

 頷く司教はどこか残念そうだった。農園のときもそうだったけれど、司教はきっと楽園の叡智が欲しかったのだろう。国を豊かにするついでとかではなく、本当に。

 でも彼は司教で、王族の一人。この国の行く末を憂う一人の人間であった。これ以上、自分の願望にしがみつけないと諦めたようだ。

「アシュリーにもこの話を伝えます。フローリア計画の最終目標を変更しなければいけませんね」

 司教が決めると、あっという間に切り替わった。フローリアは相変わらず、苦しむ人々の救い手であったけれど、奇跡の方針が変わった。次の奇跡をもっと早く、王都から遠いところで、という候補地の選定が始まった。

 しかしそんな頃、審問官ガルニエが聖堂騎士団の下働きの男に接触し、金を握らせていろいろ尋ねていた。そして、それは数年前に聖堂騎士団で奉仕活動をしていたヘラについてのことばかりだった。





 ガルニエのことなど全く知らないヘラは、その日もいつも通り、マイルズの会社で働いていた。貿易業を営むマイルズの会社は個人客から海外製品の注文を受け付けてもいる。

 その日、マイルズの会社の受付に、海外の人と見受けられる一人の男が現れた。王国には何人か海外の人が居住してたが、彼らが何かを頼むとき、マイルズが直接出向いて注文を聞いてくる。彼らは会社にとって、大きい買い物をしてくれる上客だったからだ。こうして会社の受付まで直々に出向いてくるのは、小金持ちの王都市民ぐらいで、ヘラは珍しい客だと思いながら応対した。

 その客の胸元に白い見事な紙の造花が刺さっているのが印象的だった。

「ニルシアの花汁紙の買い付けを頼みたいのですが」

 聞いたことのないものだったが、貿易に関わっていると、そんなもの山のようにある。一応これまで取り扱った製品のリストと照らし合わせてもその商品の名前はなく、ヘラは慣れた様子で定型文句を返した。

「こちらの商品は弊社が取り扱ったことがなく、取り寄せに二、三ヶ月ほどお時間をいただくことになります。よろしいでしょうか?」

「構いません」

 ヘラは用紙を取り出し、必要事項の記入をお願いをした。

 今まで取り扱ったことのない商品は、入手できないこともある。もしかしたら、ご期待に添えないかもしれないということも伝える。

 すると客は「大丈夫です、待ちますよ」と朗らかに笑う。

 言葉遣いも丁寧で、物腰も柔らか。素敵な人だと思った。やはり素敵な人には素敵な女性がいるのだろうな。胸元に紫の綺麗な造花が挿してあるから、もしかしたらこれから逢引なのかもしれない。

 ヘラは何か引っ掛かるものがあったが、そのうち忘れてしまった。





 マイルズが会社の人員を増やしたおかげで、仕事のほうが大分落ち着いてきた。相変わらず忙しかったが、前よりずっと楽になり、休日に買い物をしたり、美味しいものを食べたりと、余暇を楽しむ余裕ができた。

 その日は瑞々しい果実を買えたので、シルベスターの屋敷の三人の女性におすそ分けをすることにした。三人の女性は季節の果物にとても喜んでくれた。パイを焼くというので、少し待って、ご馳走になることにした。

 シルベスターはあれから正式にアシュリーからフローリア計画での大地の覚醒を準備するように命じられ、張り切っていた。

 ヘラはシルベスターが大地の覚醒で根を詰める中、お茶を持って行って、無理やり休憩を入れさせた。

「そういえば先日のことなんですけど」

 ヘラは職場に来た外国の男の話をした。

「へぇー、胸に紫の花を?」

「あれ、紫だったっけ?」

「ヘラさんが紫と言ったのですよ」

「そうなんですけど、あれ、なんだろう。本当に紫だったかな……?」

 ヘラは首を傾げながら続けた。

「それで、その花、何の花か分からないからシルベスターさんに聞こうと思いまして。ほら、植物にも詳しかったですよね?」

「実物を見ないと分かりませんよ。紫の花なんて数え切れないほどあるんですから」

「でも本当に紫だったっけ……?」

「ますます何の花か分からないじゃないですか」

 ヘラは笑って誤魔化した。

「では、ニルシアって? その海外のお客さんが注文したんです。ニルシアの花汁紙ってものを」

 ヘラが言うと、シルベスターは眉間に皺を寄せ、背もたれに押し付けていた体を前のめりにした。

「ニルシアの花汁紙? その人はそんなものを注文に来たのですか?」

「え、ええ」

 シルベスターはハッとして、手近な紙にある男の似顔絵を描いてヘラに見せた。

「その客はこんな感じの人でしたか?」

「シルベスターさんの知っている人だったんですか? すごくそっくりですよ」

 シルベスターの顔が徐々に張り詰めたものへとなってゆく。

「どうしたんですか……?」

 彼のただならぬ様子に、ヘラは困惑した。

「もしかしたら、かなりまずいことになっているかもしれません」

 その日の夜、シルベスターの屋敷に司教とアシュリーが駆けつけた。

 屋敷を管理している女性たちは司教への緊急用の連絡手段を持っており、今回初めてそれを使うことになったのだ。しかし、それを使っても連絡が付くのは司教だけ。それなのにアシュリーが一緒に来たことに二人は驚いた。

 司教曰く、勝手についてきたらしいが、シルベスターは手間が省けたとアシュリーの分のお茶を用意させた。

「審問官がマイルズの会社に来て、紙を頼んだ? それが一体どうして一大事になるんだ」

 アシュリーは紅茶にりんごジャムを溶かしながら聞いた。

「いえ、おかしな話です。審問官は聖王の直属の部下。必要な物があるなら、司教である私に命ずれば手に入るのです。事実、奇跡に関する書類や情報などを遠慮なく要求してきましたからね。それにいくばくかの活動資金も。ですからわざわざ商会を通して買い付ける必要はないはずです。やましいことがない限り」

「でも紙だろう? やましくなんてないだろう」

「紙とおっしゃいますが、ニルシアの花汁紙というのは特殊な紙でして、魔力に反応する紙なのです」

 シルベスターが説明した。

 ヘラは何となく分かっていたけれど、魔法を使うには魔力という特別な力が必要だった。ヘラはその魔力というものを持っていたから魔法を使えるだけで、魔法が使えない人には魔力がないのだ。

 そして、ニルシアの花汁紙というものは、魔力を感じると紙の色が変わってしまうという試験紙のような使い方ができるという。

「そんなものがあるんだな。どんな風に変わるんだ?」

「実物を見たことはありませんが、白色から紫色に変わると聞いたことがあります」

「あっ!」

 ヘラは思わず声を上げて、三人の視線が集まった。

「どうしたんだ」

「いえ、あの……思い出したんです。その海外のお客さんが会社に来たとき、胸に造花を挿していて、私、その花を紫だって覚えていたんですけど、何か引っかかっていて……。今、言われて気付いたんです。はじめその造花は白色だったって」

「なるほど。注文する時にはすでに持っていた、というわけですね」

 司教が苦々しげに言った。

 審問官は紙の注文に来たのではない、ヘラが魔女かどうかを確かめに来たのである。そして、胸元に挿していた造花の変化で、その答を得た。

「審問官は奇跡の仕掛けに気付いてしまったんだな」

「そう考えて間違いはないでしょう」

「なるほど、これは一大事だ」

 アシュリーは口元に手をやった。

 ヘラはふと気になったことがある。

「でも、どうして分かったのに私を捕まえなかったのでしょうか?」

「今のヘラさんを捕まえてもフローリアだということを証明するのが難しいからでしょう。捕まえるなら奇跡のその時しかありません」

「よし分かった」

 アシュリーは膝を打つ。

「計画を早めよう。もう聖女うんぬんはどうだっていい。大地を覚醒させて、うやむやにしてしまうんだ。審問官も不慮の事故で消してしまえばいい。シルベスター、準備はどうなっている」

「今すぐはとても! 二ヶ月、いやせめて一ヶ月ください。それに奇跡の範囲をより広くするならそれだけ緑の石が必要ですが、ヘラさんの技量や負担を考えますとそんなに広くは……」

「ちまちまやっていては審問官に突かれる。一度の奇跡で、大陸全土を目覚めさせるんだ」

「そんな無茶苦茶です」

 司教の叫びもアシュリーは無視した。

「次の奇跡は今から一ヶ月後だ。それで大陸の覚醒をさせ、フローリア計画は終了とする」

 国王アシュレイティスの言葉は絶対だった。

 こうして、全ての決着が一ヶ月後のその日に定められた。
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