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26 のんきに構える俺と、秘密の記憶

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「きゅんきゅ~…」

 タフタフ、カリカリ、ポフポフ。
 そろそろ、階下からお夕飯のいい香りが漂ってきたなぁ、と思っていたら、ドアの向こうから、控えめにちくわぶが呼ぶ声が聞こえた。
 
 その、憐れっぽく、俺のことを心配してくれているらしい弱々しい鳴き声といったら!俺はぎゅっと胸を掴まれて、たまらずにそっとドアを開いた。
 そのとたん、ふわふわの毛玉のチワプー、わが家のアイドルちくわぶがいきおいよく転がり込み、俺の足元をぐるぐる回った。
 そっと抱き上げて、ベッドの上で横になって、胸の上に乗せたちくわぶの蜜で煮た黒豆みたいな、つやつやのおめめと見つめ合った。

「心配かけてごめんね、ありがとう、ちくわぶ…だいすきだょ…うぶっ!?」

 ふわふわの毛をやさしくなでながら、いつもみたいに大好きだよ~、って伝えようとしたら、温かい毛玉がそのまま顔面にもっふり密着してきた。顔中に、ちくわぶのモフモフの顔面が密着してきて、ぷすー、ぷすー、という鼻息がすっごくくすぐったい。
 これは、とんでもなく心配をかけてしまったらしい。まさにゼロ距離。

「うぷう、ごめんね、いっぱい心配してくれたんだね。やさしい子だなあ」
「ぺふっ!」

 息ができなくて、そっとちくわぶを離したら、ぺろりとお鼻を舐められた。
 俺もお返しに、ちくわぶのちっちゃいお鼻にお鼻をくっつけたら、やっとへちょんと倒れていたお耳がちょっと持ち上がって、しょぼくれていたおめめがキラキラして、ちいさなカワイイしっぽが元気にフリフリした。

「ありがとう、おかげで元気がでてきたよ。…おなかすいたね?晩御飯食べに下りようか!」
「きゅふん!」
 
 賛成!と言ってくれたに違いないお返事を受け、俺はちいさな相棒をだっこして階下に向かった。
 お顔を洗ってから、明るいリビングに向かったら、屈強さんを含め、家族たちがちょっとホッとした顔でこちらを見ていた。
 どうやら、屈強さんや姉ちゃんに捕獲されていたらしいちくわぶは、逃げ出してきたわけじゃなくて、意図的に「そろそろお夕飯だから、みつきのこと呼んできてくれる?」と俺の部屋にさしむけられてきたのかもしれないな、と気が付いた。
 家族も、病院に行ってから様子のおかしい俺に色々察して、随分気を遣ってくれたらしい。食卓に並べられた、まだぐつぐつ言ってるそれは、チーズの焦げるたまらない香りを放つ、大好物のおいしそうなハンバーグドリアだった。
 思わず、おなかがきゅ~っと鳴ってしまう。
 俺は、できるだけ元気な笑顔で言った。

「みんなありがとう、もう大丈夫!…おなかすいちゃった、みんなでお夕飯食べよ!」

 …発情期とか、これからのオメガの体質のこととか。いろいろと大丈夫じゃない受け入れがたい問題はありそうだし、本を読んだからといって「よ~し、完全に理解した!バッチこい!」とはいかないけど。
 家族の前でいつまでもメソメソしてらんないもんね。
 でも、どうせ、体の成熟とか、発情期とか、そういうのはもうちょっと先のお話でしょ!お医者さんの先生たちと相談して、ひとつひとつ、ゆっくり乗り越えていこうっと!

 …そんなふうに、のんきに考えていたのがフラグになっちゃうなんて思わなかったんだけど。
 その日の夜、そういえば前世の精通のときって、どうだったかな~?って思い出しながら寝たら、また前世を追体験するような夢をみちゃったんだ…。
 そう、よりによってあの日の光景を。


「みつきって、もうきた?」
「…えっ?きたって、なにがだ?」

 いつもどおり、中学の放課後に雅孝の部屋でくつろいでいたら、なんでもないことみたいに雅孝が聞いてきた。
 『きた』って、いったいなんの話?

「なにって…『精通』」
「ぶっほ!?げほっ…げほごほっ!!」

 宿題やった~?みたいな軽いノリで、めちゃくちゃセンシティブな事を聞かれて、飲んでいた新発売のイチゴショート味のソーダが気管に入った。

「ふふふ、ごめん、大丈夫?びっくりしたね」
「げほっ、…ぜ、ぜんぜんびっくりしてねえし!それぐらい平気だし!」

 口元をテッシュでふきふきされながら、俺は頬に血がのぼるのを感じながら、動揺を押し隠そうとした。…けど、心臓はばっくばくである。
 なぜならそれは、いま俺たちにとっていちばんの関心事だったからである。
 小学校高学年くらいから、声変わりや成長痛や精通と、第二性徴の兆しが見え始める同級生があらわれはじめて、後輩まで低い声で話し始めて、俺は内心めちゃんこ焦っていた。
 …なぜなら、とっくに肉体的に大人の階段を昇り始めている雅孝とちがって、俺は…その手の事が…ぜんぜんまだ、だったのである。
 中学二年にもなると、クラスの男子はほとんど声変わりや体つきの変化がはじまっていて、成長が遅れている俺は、例のベビーピンクすぎる乳首のこともあいまって、だんだん体育の着替えすら恥ずかしくなってきていた。
 だから…

「それ、二度と聞くなって言ったじゃん…」

 その話題は、俺にとって地雷なのだ。俺は不貞腐れて、口をとんがらせた。

「ごめんね…。ただ、みつきが精通したら、みんなやってるっていうアレを一緒に試してみたいなって思ってさ」

 雅孝は、優しく笑って、不貞腐れる俺の肩をそっと抱いてポンポンした。ちょっとずつ落ち着いてきた俺は、くちびるを尖がらせていたことに気がついて、ちゅっとくちびるを鳴らして、ソーダを一口飲みこんだ。…美味しいな、この新作ソーダ。

「…ぜんぜんいいけど…。その…試してみたいっていうアレって…?」

 ちら、っと横目で雅孝を見上げると、目元をすこし赤く染めて、妙に艶めかしい表情で、そっと俺の耳元で耳打ちしてきた。

「さわりっこ」

 吐息とともに吹き込まれたひそめたその声に、俺はぞくぞくっと背すじが震えた。
 思わず見つめた雅孝の目が弧を描き、艶っぽい笑顔で続けた。

「親しい友達なら、みんなやってることなんだよ。」

 さわりっこ…。鈍い俺でも、その言葉にはなんだか淫猥な…いけないことのニュアンスを感じた。

「み、みんな、やってること…なの?」
「そうだよ。男の体のことだもの、男同士のほうが理解しやすいでしょう。友達同士でさわりっこして、練習したり、教え合ったりするんだよ」

 こわごわ、俺がきいてみると、雅孝は優しく教え諭すように言った。
心臓バクバクで涙目で、ちょっと呼吸が乱れちゃってみっともない有様の俺と違って、雅孝は赤い艶めかしい唇をちょっとだけ舌の先でぺろっとして、

「…どう?やってみる?…さわりっこ」
「…えっ…でも、おれはまだ…」

 俺は、まだなのだ。…みんなの話題に入れない。
しょんぼりうつむく俺の頬に手をあてて、そっと上を向かせると、視線をあわせて、雅孝は優しく微笑んで言った。

「大丈夫。僕がぜんぶ教えてあげるよ。いっしょに大人になろう?」
「…大人に…?」

 ごくり。俺は、思わず喉を鳴らした。
 それは、俺が今いちばん欲してる事だった。

「…やる…?さわりっこ」
「…うん、やる…」

 震えながら答えたら、雅孝は、今日一番の雄っぽい微笑みを浮かべて、肩を抱いていた手でそっと抱き寄せたのだった。
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