アメジストの軌跡

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雌伏する大毒

2 ウィンタナへ-6-

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「ケガ、してない?」

 仮面の姿が完全に消えるのを待ってから、ライネは静かに問う。

 この非常事態で、少しでも彼の気持ちを落ち着けようと、彼女は自分でも驚くくらいに穏やかな口調で言った。

「平気です。何もされてませんから」

「いや、充分されてるじゃん……」

 ライネは苦笑した。

 こんな状況でも軽口をたたけるのも、この少年の純朴さのおかげかもしれない、と思う。

「ライネさんは大丈夫ですか? ケガしてませんか?」

「平気だよ。何もされてないし」

 同じように返す。

 警護役としてはありえない失態だが、ひとまずシェイドが無事であるという事実が、彼女に冷静さをもたらした。

「しっかし、ここはどこなんだ?」

「分かりません。目隠しされていたからどこをどう歩いたのか――」

「だよなあ」

 ライネは道中に目印になるものはないかと思い返した。

 目は見えなくとも、特徴的な音やにおいでもあれば……と考えたが、

(ダメだ。そもそもこの辺のこと何も知らないんだった……)

 そんな手がかりは役に立たないと思いいたる。

「…………!」

 誰かが階段を下りてくる音が聞こえてきた。

 ライネは身を固くした。

 シェイドが緊張しているのが空気を通して伝わってくる。

「大丈夫だ」

 彼女はささやくように言うと、彼の前に立った。

「ここに閉じ込めてあんのか?」

 階段の向こうから声がした。

「つまんねーヤツだったらぶっとばすかんな!」

 女の子の声だった。

 荒っぽい口調はくぐもっていることもあって、いっそう粗野に聞こえる。

 これはまずいかもしれない、とライネは思う。

 自分たちをここまで連れてきた連中はどこか紳士的だったが、階段の向こうにいるのは対照的に荒くれらしい。

 下手に刺激すれば危害を加えられるおそれがある。

「こいつらか。んだよ、どっちもガキじゃねーかよ!」

 仮面は二人組だった。

 どちらも背丈はそう高くなく、体格もどちらかといえば小さい。

「誰だよ、こんなの連れてきたヤツ!」

 先ほどから激しい口調でまくし立てているのは、前にいる仮面だ。

 声は幼い感じだが、衝動的に手を出してきそうな危うさがある。

 ライネはじりと半歩下がった。

「ちょっと待って……」

 もうひとりの仮面が消え入りそうな声で言った。

 こちらは男の子の声だ。

「あの、この子……」

「んだよ、ハッキリ言えよ! いっつも言ってるだろ!?」

 凄まれたもうひとりの仮面はびくりと体を震わせたあと、

「う、うん。あのね、この子、見たことあるよ……」 

 どうにか聞き取れる声量で続けた。

「マジ? どっちだ? こっちのバカそうな女か?」

「なんだって――!?」

 ライネは思わず声を張り上げた。

「ち、ちがうよ……後ろにいる子……」

「そっちのヤツ、出てこい!」

 仮面に指をさされ、シェイドは前に出ようとした。

「ダメだ! この子は関係ない。話があるならアタシが聞く」

 が、それをライネが制する。

 苛烈な物言いからして何をしでかすか分からない。

 咄嗟に庇った恰好になるが、この行動が彼女を刺激することになった。

「テメエじゃねーよ! いいから出ろっつってんだよ!」

「待って、ねえ、待って……」

 もうひとりの仮面がおそるおそる口をはさんだ。

「あの、ね、ね……手荒なことはしないから……顔を見せてくれるだけでいいから……」

「…………」

 そうは言われてもライネは警戒を緩めない。

 こちらは物腰は柔らかい――それどころか臆病ですらある――ようだが、それも油断させるための演技かもしれないのだ。

「殺しゃしねーよ。手も出さねえ。おと……こいつが見たことがある、つってるから面つらを確認するだけだ」

「信用すると思うか?」

 ライネが言うと仮面は舌打ちして鉄扉から離れた。

「これでいいだろ。さっさと面を見せろ」

 シェイドはライネの背からそっと顔を覗かせた。

 もうひとりの仮面がゆっくりと近づく。

「手出ししたらアタシが黙ってないからな」

 ライネが凄むと、仮面はぴたりと足を止めた。

「やっぱり……」

「なんだ? コイツ、誰なんだよ?」

「この子、皇帝だよ……」

「はぁっ……!?」

「この国で一番えらい人だよ……ニュースで見たことある……」

「マジかよ……」

 離れていた仮面が慌てて近づく。

 咄嗟にライネはシェイドを後ろに隠した。

「間違いねーんだな?」

 仮面はこくりと頷いた。

「なら使い道はいろいろありそうだな。あとでみんなで相談しようぜ」

 少女の声が高くはずむ。

 ライネは拳を握った。

 妙な素振りを見せれば、身を挺してでもシェイドを守るつもりだった。

 だが仮面のふたりはそれ以上は何も言わず、軽い足取りで引き返した。




 ――再び、沈黙。

 時計もなければ陽も射し込まないため、長居すれば時間の感覚が狂いそうになる。

 天井から吊るされた照明が唯一の光源だ。

(隙を見て脱出するしかないな)

 ライネは辺りを見回した。

 広くない部屋の隅には、木箱や布をひとかためにしたものなどが積み上げられている。

 どうやら監禁するために作られた部屋ではないらしい、と分かる。

 鉄格子も頑丈ではあるが、そこまでしっかりした作りではない。

(物置部屋を利用してるのか……?)

 ためしに、と鉄格子を軽く蹴ってみる。

 爪先に返ってくる感覚から、意外ともろいのかもしれないと彼女は思った。

(これなら蹴破れそうだけど――)

 問題はこの建物の構造が分からないことだ。

 加えて誘拐犯の人数や武装も分からない。

(もうしばらく大人しくしてたほうがいいのか? いや、でも――)

 ライネは仮面の言葉を思い出した。



”使い道はいろいろありそうだな”



 まず思いつくのは身代金だ。

 政府相手ならいくらでも巻き上げられるだろう。

 しかしそうした事件はたいてい、金の受け渡しで失敗する。

 連中が身代金を要求するなら、むしろそのときが外に出るチャンスではあるが、もしそれ以外の使い道があるならば――。

 外部と接触する機会なく、また別の場所に連れ込まれるおそれもある。

 ライネはシェイドを見やった。

 ワケも分からず監禁されてしまった少年は、ぼうっと壁の一点を見つめている。

「大丈夫?」

 何でもいい、とにかく声をかけて元気づけてあげよう。

 そう考え、ライネは努めて明るい声で言った。

「しっかし、街についたとたんに誘拐されちまうなんてね」

「…………」

「ま、でも心配すんなって。アタシがあいつらをぶっ飛ばしてやるからさ」

「誘拐……」

「だから元気出せって……な?」

 壁を見つめていたシェイドはゆっくりと顔を彼女に向けた。

「誘拐……」

 少年は少し考えてからつぶやいた。

「――本当にそうなんでしょうか?」
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