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序章篇
6 悲劇的-5-
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「大丈夫なのか?」
集まった数十名の役人たちの顔は恐怖に引き攣っている。
それぞれの持ち場で仕事をしていたところへ突然の砲撃を受け、彼らは大火の隙間を縫うようにしてプラトウを脱出した。
示し合わせたようにここに辿り着けたのは周辺の地理をよく知っている者だけだった。
そうでない者は逃げ場を失い、隠れ潜む場所を見つけられずに焼かれ、あるいは撃たれた。
そして今、目の前にある艦。
最も力強く何よりも頼りになる国の象徴は、今や恐怖の対象でしかない。
ゲートが開くと同時に殺されるかもしれないが、ここはすがる他ない。
乗降ゲートが開き、まず数名の武装隊員が姿を見せた。
続いてレイーズ、重鎮と数名の乗員が表に出る。
「どうか! どうか助けてください!」
重鎮の姿を認め、役人たちは群がるように懇願した。
この二人は穏健なことで知られており、頼み込めば手を差し伸べてくれるにちがいないと彼らは思った。
「そのつもりです。早く乗艦してください」
レイーズは空を見上げて言った。
高木に遮られているおかげで襲撃している艦の目を盗めるが、万が一にも発見されると面倒になる。
「詳しいことは中で聞こう。さあ」
アシュレイの誘導で生き延びた役人たちは先を争うように艦に乗り込んだ。
その職位は様々で警察官もいれば、徴税官や地方裁判官、支局の会計係もいる。
その中に背の高い、白髪交じりの細身の男が紛れていた。
他の者とは明らかに制服の意匠が異なり、地位の高さを窺わせる。
「お礼を申し上げます……」
最後に乗り込んだこの男はレイーズたちに深々と頭を下げた。
格調の高い制服に相応しい慇懃で優雅な所作だった。
「あなたは?」
「プラトウの自治長を務めておりました、ガイストと申します……」
既に過去形で答えたのは彼の諦観の表れだった。
実際、表情からは生気が完全に消え失せており、声も囁きに近い。
「この度のご恩情、感謝の言葉もございません。我々の安全が保障されているとは思いませんが、あの大火から逃れる術を与えてくださっただけでも幸甚でございます……」
「感謝だなんて……やめてください……」
レイーズは思わず目を逸らした。
(私も、あなたたちを殺すように命じられていたのよ……!)
この苦痛は一生消えないにちがいない、と彼女は思った。
プラトウ到着が早ければ、目の前の男を焼き払ったのは自分だったかもしれないのだ。
「艦長、こちらの自治長と話がしたい。別室に通してもかまわないか?」
グランの問いにレイーズは頷いた。
「それでは自治長殿、あちらの部屋でお話したい。お疲れとは思いますが、時間をいただけますか?」
「死んだも同然の身なれば、語るべきこともございませんが……お望みとあれば喜んで承ります。いかなることも包み隠さずお話ししましょう」
なかば自棄気味にガイストが言う。
彼の中では自分は既に死んでおり今、運良く生きているのも後で死ぬためだと思っている。
三人は艦の中ほどにある小さな会議室に入った。
作戦遂行中にしばしば利用される部屋で、壁面モニターに机や椅子などの一通りの備品が揃っている。
ガイストは入り口に最も近い席に腰を下ろした。
「まず誤解なきように。私たちはプラトウの人々を助けるためにやって来ました。この艦に収容した者たちの安全は保障します。町を攻撃したのは皇帝の命令を受けた艦で、私たちとは無関係と思ってください」
最初にこう言っておけば自治長も安堵するだろうとグランは思ったが、ガイストの落魄した様子は変わらなかった。
「なぜ突然、このような攻撃を受けたのか……心当たりは?」
命からがら逃げ果せてきた男に酷な質問だという自覚はあったが、アシュレイは今回の件の全容把握を急いていた。
「私めには何も……国策には尽力して参りましたが、御皇帝には伝わりませんでしたか」
ガイストは項垂れた。
「彼の性格からして過去の出来事が原因ではないでしょう。先ほど、あの艦の責任者と話をした際、プラトウには叛乱の兆しがあると言っていました。ここ最近で何か変わったことは?」
知っていることを教えてほしい、とアシュレイは食い下がった。
ガイストは俯いていたが、やがて思い出したように顔を上げて言った。
「少し前に徴税の件で揉めたことがございました」
彼はシェイド、テスタ家、徴税官が絡むいざこざについて仔細に語った。
「勇気のある子どももいるものだな……」
グランは感心した。
「それに彼女も、よく連行を中止してくれたよ」
地方役人の中にも体制を鵜呑みにしていない者がいると分かり、アシュレイは少しだけ救われた気分になった。
「その責任者の女性はどうなりましたか?」
「本来ならば彼女の勝手な判断は許されざることでございます。職位を剥奪するのが妥当でありましょう。しかし経緯を聞き、不問といたしました。もちろん口頭での注意はいたしましたが――」
それ以上の罰は与えていないと、この時だけはガイストの口調は強かった。
「テスタ家を助けようとした子と、機転を利かせた担当官に心を打たれました。できることならプラトウの官吏たちにも彼女たちのような気持ちを持ってほしいと密かに願っておりましたが……」
二人は少しだけ心が温かくなるのを感じた。
殺伐とした世界に一条の光を見たような心地だ。
彼が冷淡な規則に従わず、事情を斟酌したことに重鎮は感謝していた。
だが温まった心は一転、氷のように冷たく凍てつく。
「それを讒訴した者があったようです。私めは――この件は国には報告しておりませんでしたもので……」
ガイストの目から涙がこぼれた。
「叛逆の兆し、とするには充分な理由だな……」
グランが呟いた。
もちろんペルガモンの論理では、という意味だ。
「過酷な法に縛られている市民に少しでも……という思いで黙認しましたが、それがまさかこのような災禍を招こうとは、痛恨の極みでございます」
そこまで言ってからガイストは自分が生きていることを恥に思った。
惨状を目の当たりにしながら生き延び、安堵できるほど彼は自分本位ではない。
「自治長、あなたのお考えは間違っていません。あなたは市民を助けようとした。実際にそれをした部下も咎めなかった。判断も行動も……素晴らしいものです。誰にもあなたを批判することなどできないでしょう」
ガイストの篤実さに二人は表敬した。
「かようなお言葉を重鎮から頂戴し、恐縮至極です。しかし私めは賛辞を拝する身にはありません。御皇帝の命に背き、報告を怠り、挙げ句に多くの尊い命を奪われる結果を招きました。罰せられるべきは私めでございます……」
「悲観なさるのはまだ早い。あなた方のように逃げ延びている者もきっといるでしょう。これから私たちは町に向かい、生存者の収容と保護にあたります。自治長は戻って来た人々を慰撫してください」
タークジェイが攻撃を中止しないなら、無理やり割り込んででも生存者を救出するしかない。
言うまでもなくそこまですれば重大な命令違反となり咎は避けられないが、彼らは規律よりも人命を重んじた。
「お二人は御皇帝の遣使のハズでは……? なぜ命に背かれるのでございます?」
「これは私たちにとって罪滅ぼしのようなもの……いや、それを言うには遅すぎるか。ともかくこの町の人たちを助けたいという思いは同じです。そのために王命に背くことになるなら、それも仕方がありません」
「では自治長、私たちはこれで――後のことはレイーズ艦長に任せておきます」
事情を把握した二人には時間との戦いが待っている。
手を拱けばそれだけ生存者の数は減る。
部屋を出た彼らはまず艦橋に向かった。
艦長の姿はなかった。
引き返したところにすれ違った数名の看護師に訊くと、彼女は医務室にいるという。
医務室では収容した役人たちの手当てが行われていた。
転倒した者から、爆風に巻き込まれて深手を負った者までおり、負傷の軽重に応じて数名の看護師が処置にあたっている。
レイーズの姿もそこにあった。
彼女は重傷者の患部に両手を添え、治癒の魔法を展開していた。
対象の傷が深いため、使う力は大きく時間もかかる。
「私がやろう」
アシュレイは彼女の横に立って掌を傷口に乗せた。
一瞬、室内が淡い赤色に照らされる。
掌からこぼれ落ちた光の粒子は幾重にも巻かれた包帯を通り抜け、じわりと患部に浸透していく。
入り込んだ光はそのまま体内を駆け巡り、生命力を全身に運び続けた。
「これで大丈夫だ。安静にしていればすぐに動けるようになるだろう。ときどきこの者に声をかけてやってくれ。意識がしっかりしていれば回復も早いからな」
治癒を終えたアシュレイは室内を見回した。
他の重篤な患者はグランが処置したため、急を要する負傷者はいないようである。
「ありがとうございます。助かりました」
看護師たちは重鎮の強い魔力に感服した。
この時代、魔法を使って怪我や病気を治すのは常識だが、効果は個々人の能力に依存するため治療の成果は一様ではない。
いわゆる名医とは医学的な知識はもとより、治癒の魔法に特化している者の総称となっている。
「大したことではないさ。それより艦長、この後の行動について――」
艦長を伴って医務室を出たところで、アシュレイは方針を説明した。
加えてプラトウ攻撃命令が下った理由と思われる経緯、ガイスト自治長の状況なども伝える。
「私たち二人ではとても足りない。人手が必要だ。力を貸してもらえないだろうか」
アシュレイはこう言わざるを得なかった。
ペルガモンに背いた時点で二人に与えられている数々の権限は失効すると解釈され、人ひとり、物ひとつ動かすことはできなくなる。
つまりレイーズにしてみれば、重鎮としての優位性が無くなった彼らの頼みごとに従う義務はなくなる。
制度上のしがらみと心情の板挟みから、彼女はすぐには答えられなかった。
(協力すれば私も叛逆者ということになる……!)
誠実な人間ほど究極の選択を迫られると身動きができなくなる。
士官として最後はペルガモンに従うか、人として情に従うか。
詭弁や言い訳は通用しない。
「………………」
彼女は迷った。
重鎮に与しても得られるものは何もない。
むしろ官位を剥奪され、叛逆者の一味に数えられかねない。
一方、拒否すれば軍人としての地位だけは保たれる。
「残念ですが……」
答えが定まらないうちにレイーズは口を開いていた。
ようやく手に入れた武官の地位を、易々と失うわけにはいかない。
「私はこれ以上、皇帝に従うことはできません」
その言葉を聞いて最も驚いたのは、誰あろう彼女自身だった。
内心ではまだジレンマを抱えていたハズが、口は結論を先に発していた。
そして無自覚に、無意識のままにレイーズはさらに言葉を重ねた。
「私が軍人になったのは、この国のためになると思ったからです。この国を守る……そう信じていました。こんな……謂れのない殺戮を犯すためではありません!」
「艦長……」
「もう――あの方にはついていけません。悔やむのはこの決断が遅れたこと……お二人にお伝えしていれば止められたかもしれません……」
彼女は今、たしかにペルガモン政権との決別を表明した。
それはこの耐え難い痛みと向き合うという意思の表れでもある。
「もはや罪滅ぼしにもなりません、が……手すきの看護師と武装隊をお貸しします。どうか、私からもお願いです。一人でも多く――」
生存者を見つけ、保護してほしいと彼女は懇願した。
自分が見捨てた命を救ってほしいと、彼女は嘆願した。
「……ありがとう」
今や重鎮ではなくなるかもしれない二人に、彼女の地位や安全、生活を保障することは難しい。
政府という最大の雇い主に揃って牙を剥いたからには、全ての後ろ盾を捨てる覚悟が必要だった。
「助けに行く!」
混乱を鎮めるためにレイーズには艦に残るように言い置き、二人は看護師と武装隊それぞれ数名と、道案内に動けるプラトウの官吏を何名か率いて町に向かった。
町までは数キロメートルあり、道中には洞窟や鉱山など、いくつか隠れ場所が存在する。
プラトウ官吏を主導に余さず、かつ迅速に内部を調べて生存者の有無を確認する。
「この辺りにはいないようです。支局を挟んだ反対側に採石場が複数あります。避難するとしたら、おそらくそちらかと」
官吏が丘陵の向こうを指差して言った。
攻撃が始まった時間と艦が来た方角を考えれば、その可能性が高いという。
「分かった、なら急ごう!」
一帯での捜索を切り上げ、支局方面に向かって一団は走った。
遠くには攻撃を止めた艦が静かに停滞している。
アシュレイたちは空爆によって荒地と化した道を真っ直ぐに進んだ。
彼らの位置からは艦は首を左に向けている。
官吏の言っていた採石場群を撃つつもりか、とグランは思ったが方角が少しちがうことに気付く。
「なんだ、あれは……!」
前を走っていた武装隊が突然立ち止まり、天を仰いだ。
あちこちから立ち上る黒煙が、水色の空に混ざり損ねて不気味な模様を描いている。
その陰鬱な大気が雷光のように明滅したのを、武装隊は見た。
「重鎮、何か様子が――」
と、言いかけたところに再び閃光が走った。
眩い光は黒煙を突き抜け、空を貫くように不規則に瞬きを繰り返している。
「あれは…………」
アシュレイは慄《おのの》いた。
見上げた空が落下してくるような錯覚に襲われる。
断続する明滅はこの世界の怒りなのではないか思わせるほど、圧倒的な偉大さと荘厳さを放っていた。
「あれが…………」
グランは絶句した。
その光にはいくつもの顔があった。
しかしそのどれもが喜ばしいものではなかった。
憤怒と憎悪、悲嘆と悔恨。
そしてその中にはわずかに殺意もあった。
「まさか……そんな…………」
二人は茫然と、天を覆うアメジスト色の光を眺めていた。
集まった数十名の役人たちの顔は恐怖に引き攣っている。
それぞれの持ち場で仕事をしていたところへ突然の砲撃を受け、彼らは大火の隙間を縫うようにしてプラトウを脱出した。
示し合わせたようにここに辿り着けたのは周辺の地理をよく知っている者だけだった。
そうでない者は逃げ場を失い、隠れ潜む場所を見つけられずに焼かれ、あるいは撃たれた。
そして今、目の前にある艦。
最も力強く何よりも頼りになる国の象徴は、今や恐怖の対象でしかない。
ゲートが開くと同時に殺されるかもしれないが、ここはすがる他ない。
乗降ゲートが開き、まず数名の武装隊員が姿を見せた。
続いてレイーズ、重鎮と数名の乗員が表に出る。
「どうか! どうか助けてください!」
重鎮の姿を認め、役人たちは群がるように懇願した。
この二人は穏健なことで知られており、頼み込めば手を差し伸べてくれるにちがいないと彼らは思った。
「そのつもりです。早く乗艦してください」
レイーズは空を見上げて言った。
高木に遮られているおかげで襲撃している艦の目を盗めるが、万が一にも発見されると面倒になる。
「詳しいことは中で聞こう。さあ」
アシュレイの誘導で生き延びた役人たちは先を争うように艦に乗り込んだ。
その職位は様々で警察官もいれば、徴税官や地方裁判官、支局の会計係もいる。
その中に背の高い、白髪交じりの細身の男が紛れていた。
他の者とは明らかに制服の意匠が異なり、地位の高さを窺わせる。
「お礼を申し上げます……」
最後に乗り込んだこの男はレイーズたちに深々と頭を下げた。
格調の高い制服に相応しい慇懃で優雅な所作だった。
「あなたは?」
「プラトウの自治長を務めておりました、ガイストと申します……」
既に過去形で答えたのは彼の諦観の表れだった。
実際、表情からは生気が完全に消え失せており、声も囁きに近い。
「この度のご恩情、感謝の言葉もございません。我々の安全が保障されているとは思いませんが、あの大火から逃れる術を与えてくださっただけでも幸甚でございます……」
「感謝だなんて……やめてください……」
レイーズは思わず目を逸らした。
(私も、あなたたちを殺すように命じられていたのよ……!)
この苦痛は一生消えないにちがいない、と彼女は思った。
プラトウ到着が早ければ、目の前の男を焼き払ったのは自分だったかもしれないのだ。
「艦長、こちらの自治長と話がしたい。別室に通してもかまわないか?」
グランの問いにレイーズは頷いた。
「それでは自治長殿、あちらの部屋でお話したい。お疲れとは思いますが、時間をいただけますか?」
「死んだも同然の身なれば、語るべきこともございませんが……お望みとあれば喜んで承ります。いかなることも包み隠さずお話ししましょう」
なかば自棄気味にガイストが言う。
彼の中では自分は既に死んでおり今、運良く生きているのも後で死ぬためだと思っている。
三人は艦の中ほどにある小さな会議室に入った。
作戦遂行中にしばしば利用される部屋で、壁面モニターに机や椅子などの一通りの備品が揃っている。
ガイストは入り口に最も近い席に腰を下ろした。
「まず誤解なきように。私たちはプラトウの人々を助けるためにやって来ました。この艦に収容した者たちの安全は保障します。町を攻撃したのは皇帝の命令を受けた艦で、私たちとは無関係と思ってください」
最初にこう言っておけば自治長も安堵するだろうとグランは思ったが、ガイストの落魄した様子は変わらなかった。
「なぜ突然、このような攻撃を受けたのか……心当たりは?」
命からがら逃げ果せてきた男に酷な質問だという自覚はあったが、アシュレイは今回の件の全容把握を急いていた。
「私めには何も……国策には尽力して参りましたが、御皇帝には伝わりませんでしたか」
ガイストは項垂れた。
「彼の性格からして過去の出来事が原因ではないでしょう。先ほど、あの艦の責任者と話をした際、プラトウには叛乱の兆しがあると言っていました。ここ最近で何か変わったことは?」
知っていることを教えてほしい、とアシュレイは食い下がった。
ガイストは俯いていたが、やがて思い出したように顔を上げて言った。
「少し前に徴税の件で揉めたことがございました」
彼はシェイド、テスタ家、徴税官が絡むいざこざについて仔細に語った。
「勇気のある子どももいるものだな……」
グランは感心した。
「それに彼女も、よく連行を中止してくれたよ」
地方役人の中にも体制を鵜呑みにしていない者がいると分かり、アシュレイは少しだけ救われた気分になった。
「その責任者の女性はどうなりましたか?」
「本来ならば彼女の勝手な判断は許されざることでございます。職位を剥奪するのが妥当でありましょう。しかし経緯を聞き、不問といたしました。もちろん口頭での注意はいたしましたが――」
それ以上の罰は与えていないと、この時だけはガイストの口調は強かった。
「テスタ家を助けようとした子と、機転を利かせた担当官に心を打たれました。できることならプラトウの官吏たちにも彼女たちのような気持ちを持ってほしいと密かに願っておりましたが……」
二人は少しだけ心が温かくなるのを感じた。
殺伐とした世界に一条の光を見たような心地だ。
彼が冷淡な規則に従わず、事情を斟酌したことに重鎮は感謝していた。
だが温まった心は一転、氷のように冷たく凍てつく。
「それを讒訴した者があったようです。私めは――この件は国には報告しておりませんでしたもので……」
ガイストの目から涙がこぼれた。
「叛逆の兆し、とするには充分な理由だな……」
グランが呟いた。
もちろんペルガモンの論理では、という意味だ。
「過酷な法に縛られている市民に少しでも……という思いで黙認しましたが、それがまさかこのような災禍を招こうとは、痛恨の極みでございます」
そこまで言ってからガイストは自分が生きていることを恥に思った。
惨状を目の当たりにしながら生き延び、安堵できるほど彼は自分本位ではない。
「自治長、あなたのお考えは間違っていません。あなたは市民を助けようとした。実際にそれをした部下も咎めなかった。判断も行動も……素晴らしいものです。誰にもあなたを批判することなどできないでしょう」
ガイストの篤実さに二人は表敬した。
「かようなお言葉を重鎮から頂戴し、恐縮至極です。しかし私めは賛辞を拝する身にはありません。御皇帝の命に背き、報告を怠り、挙げ句に多くの尊い命を奪われる結果を招きました。罰せられるべきは私めでございます……」
「悲観なさるのはまだ早い。あなた方のように逃げ延びている者もきっといるでしょう。これから私たちは町に向かい、生存者の収容と保護にあたります。自治長は戻って来た人々を慰撫してください」
タークジェイが攻撃を中止しないなら、無理やり割り込んででも生存者を救出するしかない。
言うまでもなくそこまですれば重大な命令違反となり咎は避けられないが、彼らは規律よりも人命を重んじた。
「お二人は御皇帝の遣使のハズでは……? なぜ命に背かれるのでございます?」
「これは私たちにとって罪滅ぼしのようなもの……いや、それを言うには遅すぎるか。ともかくこの町の人たちを助けたいという思いは同じです。そのために王命に背くことになるなら、それも仕方がありません」
「では自治長、私たちはこれで――後のことはレイーズ艦長に任せておきます」
事情を把握した二人には時間との戦いが待っている。
手を拱けばそれだけ生存者の数は減る。
部屋を出た彼らはまず艦橋に向かった。
艦長の姿はなかった。
引き返したところにすれ違った数名の看護師に訊くと、彼女は医務室にいるという。
医務室では収容した役人たちの手当てが行われていた。
転倒した者から、爆風に巻き込まれて深手を負った者までおり、負傷の軽重に応じて数名の看護師が処置にあたっている。
レイーズの姿もそこにあった。
彼女は重傷者の患部に両手を添え、治癒の魔法を展開していた。
対象の傷が深いため、使う力は大きく時間もかかる。
「私がやろう」
アシュレイは彼女の横に立って掌を傷口に乗せた。
一瞬、室内が淡い赤色に照らされる。
掌からこぼれ落ちた光の粒子は幾重にも巻かれた包帯を通り抜け、じわりと患部に浸透していく。
入り込んだ光はそのまま体内を駆け巡り、生命力を全身に運び続けた。
「これで大丈夫だ。安静にしていればすぐに動けるようになるだろう。ときどきこの者に声をかけてやってくれ。意識がしっかりしていれば回復も早いからな」
治癒を終えたアシュレイは室内を見回した。
他の重篤な患者はグランが処置したため、急を要する負傷者はいないようである。
「ありがとうございます。助かりました」
看護師たちは重鎮の強い魔力に感服した。
この時代、魔法を使って怪我や病気を治すのは常識だが、効果は個々人の能力に依存するため治療の成果は一様ではない。
いわゆる名医とは医学的な知識はもとより、治癒の魔法に特化している者の総称となっている。
「大したことではないさ。それより艦長、この後の行動について――」
艦長を伴って医務室を出たところで、アシュレイは方針を説明した。
加えてプラトウ攻撃命令が下った理由と思われる経緯、ガイスト自治長の状況なども伝える。
「私たち二人ではとても足りない。人手が必要だ。力を貸してもらえないだろうか」
アシュレイはこう言わざるを得なかった。
ペルガモンに背いた時点で二人に与えられている数々の権限は失効すると解釈され、人ひとり、物ひとつ動かすことはできなくなる。
つまりレイーズにしてみれば、重鎮としての優位性が無くなった彼らの頼みごとに従う義務はなくなる。
制度上のしがらみと心情の板挟みから、彼女はすぐには答えられなかった。
(協力すれば私も叛逆者ということになる……!)
誠実な人間ほど究極の選択を迫られると身動きができなくなる。
士官として最後はペルガモンに従うか、人として情に従うか。
詭弁や言い訳は通用しない。
「………………」
彼女は迷った。
重鎮に与しても得られるものは何もない。
むしろ官位を剥奪され、叛逆者の一味に数えられかねない。
一方、拒否すれば軍人としての地位だけは保たれる。
「残念ですが……」
答えが定まらないうちにレイーズは口を開いていた。
ようやく手に入れた武官の地位を、易々と失うわけにはいかない。
「私はこれ以上、皇帝に従うことはできません」
その言葉を聞いて最も驚いたのは、誰あろう彼女自身だった。
内心ではまだジレンマを抱えていたハズが、口は結論を先に発していた。
そして無自覚に、無意識のままにレイーズはさらに言葉を重ねた。
「私が軍人になったのは、この国のためになると思ったからです。この国を守る……そう信じていました。こんな……謂れのない殺戮を犯すためではありません!」
「艦長……」
「もう――あの方にはついていけません。悔やむのはこの決断が遅れたこと……お二人にお伝えしていれば止められたかもしれません……」
彼女は今、たしかにペルガモン政権との決別を表明した。
それはこの耐え難い痛みと向き合うという意思の表れでもある。
「もはや罪滅ぼしにもなりません、が……手すきの看護師と武装隊をお貸しします。どうか、私からもお願いです。一人でも多く――」
生存者を見つけ、保護してほしいと彼女は懇願した。
自分が見捨てた命を救ってほしいと、彼女は嘆願した。
「……ありがとう」
今や重鎮ではなくなるかもしれない二人に、彼女の地位や安全、生活を保障することは難しい。
政府という最大の雇い主に揃って牙を剥いたからには、全ての後ろ盾を捨てる覚悟が必要だった。
「助けに行く!」
混乱を鎮めるためにレイーズには艦に残るように言い置き、二人は看護師と武装隊それぞれ数名と、道案内に動けるプラトウの官吏を何名か率いて町に向かった。
町までは数キロメートルあり、道中には洞窟や鉱山など、いくつか隠れ場所が存在する。
プラトウ官吏を主導に余さず、かつ迅速に内部を調べて生存者の有無を確認する。
「この辺りにはいないようです。支局を挟んだ反対側に採石場が複数あります。避難するとしたら、おそらくそちらかと」
官吏が丘陵の向こうを指差して言った。
攻撃が始まった時間と艦が来た方角を考えれば、その可能性が高いという。
「分かった、なら急ごう!」
一帯での捜索を切り上げ、支局方面に向かって一団は走った。
遠くには攻撃を止めた艦が静かに停滞している。
アシュレイたちは空爆によって荒地と化した道を真っ直ぐに進んだ。
彼らの位置からは艦は首を左に向けている。
官吏の言っていた採石場群を撃つつもりか、とグランは思ったが方角が少しちがうことに気付く。
「なんだ、あれは……!」
前を走っていた武装隊が突然立ち止まり、天を仰いだ。
あちこちから立ち上る黒煙が、水色の空に混ざり損ねて不気味な模様を描いている。
その陰鬱な大気が雷光のように明滅したのを、武装隊は見た。
「重鎮、何か様子が――」
と、言いかけたところに再び閃光が走った。
眩い光は黒煙を突き抜け、空を貫くように不規則に瞬きを繰り返している。
「あれは…………」
アシュレイは慄《おのの》いた。
見上げた空が落下してくるような錯覚に襲われる。
断続する明滅はこの世界の怒りなのではないか思わせるほど、圧倒的な偉大さと荘厳さを放っていた。
「あれが…………」
グランは絶句した。
その光にはいくつもの顔があった。
しかしそのどれもが喜ばしいものではなかった。
憤怒と憎悪、悲嘆と悔恨。
そしてその中にはわずかに殺意もあった。
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貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
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16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
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これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
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婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
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生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
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小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
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一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
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