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12 それから
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説明会が終わった後、活動に反対する者たちで結成する、“地域猫追放の会”なるものに津田は誘われた。
質疑での理路整然とした追及で奈緒をたじろがせた実績を買われてのことだった。
彼自身は断固反対ではなく、無責任な餌やりに否定的だったに過ぎない。
それも奈緒や美子の熱心な訴えで活動の趣旨を理解した今、頭ごなしに反対するつもりはなかった。
ところが木部を中心に、野良猫がどれだけ近隣に迷惑をかけているか証拠を集めて突きつけよう、という流れになり、その尖兵を任されたのだった。
勘弁してくれ、というのが津田の本音である。
誰も彼も面倒な仕事を押し付けてくる。
そのくせ見返りは薄く、リスクばかりを背負わなければならない。
木部たちに協力するつもりはなかったが、証拠という言葉に津田は監視カメラの映像を確認することにした。
元々は事故や事件が起こった際の検証を目的にしていたものだが、当時は奈緒への嫌悪感もあって猫の虐待死については再生しなかったのだ。
日が沈み、辺りが橙色から濃紺に染まり始めた頃である。
利用者がいなくなり、静まりかえった公園に影が現れた。
手に持った袋は膨らんでいて、一見してそれなりの重さのものが入っていると分かる。
その何者かは録画されているとは思いもしなかったのだろう。
公園の隅で袋を逆さまにし、入っていたものを乱暴に落とした。
津田はよい買い物をした。
カメラははっきりとそれを映していたのだ。
捨てられたのが猫の遺骸で、それをしたのが谷井ヒロだという事実を。
彼は土を掘るように、理髪用のハサミで何度も何度も猫を突き刺した。
その反動で遺骸は微細動を繰り返すのだが、無数の刺し傷ができた頃には刃先が当たる場所がなくなったのか、一切の反応を示さなくなった。
ヒロはそれが面白くなかったようで、つま先で器用に持ち上げて遺骸をひっくり返すと、再び執拗に貫いた。
そうした行為は10分に及んだ。
満足した彼は最後に猫を思いっきり蹴り上げて、穴だらけになった遺骸をフェンスに叩きつけた。
津田は目の前が真っ暗になった。
今の彼には安価なカメラが映し出すよりも不鮮明な光景が、視界いっぱいに広がっている。
何かの間違いだと。
偽りだと。
手の込んだイタズラだと。
彼は何度もそう思うのだが、カメラを設置したのは誰あろう彼自身だ。
映るすべてのものは事実として、最後には受け止めなければならなかった。
孫同然に可愛がってきた谷井ヒロへは、裏切られたという想いが強い。
あれほど残酷な殺しをしておきながら、翌日には邪さをほんの僅かさえ感じさせない笑顔で慕ってきたのだ。
ああ、この子はこんな顔をしていたのか。
津田にはもう、ヒロの頭を撫でてやることはできなかった。
ゴミ拾いを手伝うと申し出た彼に、協力を願うこともできなくなった。
このままでは誰のためにもならない。
そう考え、彼はこう言うことにした。
「またこの公園で猫が殺されてしまったんだよ」
反応が見たかったのだ。
このたった一言でヒロが後ろめたさを感じている素振りを見せれば、まだまだ更生はできるだろう。
「恐いですよね。なんでそんなことをするんでしょう」
出来過ぎたカラクリ人形のように滔々と淀みなく、表情を変えずに述べる彼を見て、津田は希望を捨てた。
孫に似ているという欲目からまだ彼を庇いたいという気持ちがいくらかは残っていたが、これを見過ごせるほど盲目でもなかった。
「あの木、葉で隠れて見えないが、あの枝にカメラが取り付けてあるんだよ。分かるだろう? あれに何もかも映っていたんだよ」
ヒロの顔色が変わった。
撮影されていたという事実よりも、津田の妙に穏やかな口調に動揺してしまったのだ。
「僕がやったっていうんですか?」
「映っているんだよ」
どうやら言い逃れできないらしい、と分かったヒロはため息をついた。
「イライラしてたんです。この前のテスト、100点じゃなかったからお母さんに怒られて」
彼はつまらなさそうに言った。
「そんな理由で――」
「はい?」
「そんな理由であんなことができるのか?」
怒っていいのか、呆れていいのか、津田には分からなかった。
この純真無垢を絵に描いたような少年が、つまみ食いを白状するときよりも軽々しく言ってのけたのが理解できない。
「別にいいじゃないですか。人じゃないし。それに飼い主もいなかったでしょ。管理人さん、大袈裟ですよ」
ヒロは笑っていた。
「おじさんはとんだ勘違いをしていたようだ……」
津田も笑っていた。
「きみが自分のしたことをきちんと反省できる子だったら、おじさんは映像を処分しようと思ってたんだ。カメラのことは誰も知らないからね」
「あ、じゃあ反省します。悪かったと思ってます……これでいいですか?」
「もう遅いよ」
白々しい反省など意味をなさない。
孫に似た悪魔のような子のあからさまな演技を信じてやるほど、彼は愚かではない。
「恐ろしい子だよ、きみは。良い子だと思っていたのに。このことは警察に知らせるからね」
警察の名を出した途端、ヒロの目つきが鋭くなった。
「無駄だよ。だって僕、まだ子どもだもん」
「なに?」
「子どもだから何をやっても逮捕されないんだよ。そんなことも知らないの?」
虚しい開き直りではない。
悪事がばれたから強がりを言っているのではなく、ヒロはそもそも自分がしたことが悪いとも思っていない。
彼にとってはガムの包み紙を道端に捨てた程度のもので、咎められる理由などない。
「他にもやったのか?」
口調を変えた彼に対し、津田もそうした。
「やってないよ」
即座に答える彼を信用できる材料はない。
長いこと周囲を欺き続けた少年の言葉を、どうしてこれだけは真実だといえようか。
「警察に任せれば分かることだ」
背を向け、津田は呟いた。
もう二度とこの顔を見たくはない。
彼が心から反省し、小さな命に対する慈愛を芽生えさせたとしても、津田がそれを信じることはない。
この男にできるのは根拠もなく少年を信じ、可愛がり、孫を重ねてしまった自身の軽率さを悔やむことだけである。
「やってみろよ、クソジジイ!」
甲高い罵倒を背中に受けながら、津田は必死に落涙を堪えていた。
質疑での理路整然とした追及で奈緒をたじろがせた実績を買われてのことだった。
彼自身は断固反対ではなく、無責任な餌やりに否定的だったに過ぎない。
それも奈緒や美子の熱心な訴えで活動の趣旨を理解した今、頭ごなしに反対するつもりはなかった。
ところが木部を中心に、野良猫がどれだけ近隣に迷惑をかけているか証拠を集めて突きつけよう、という流れになり、その尖兵を任されたのだった。
勘弁してくれ、というのが津田の本音である。
誰も彼も面倒な仕事を押し付けてくる。
そのくせ見返りは薄く、リスクばかりを背負わなければならない。
木部たちに協力するつもりはなかったが、証拠という言葉に津田は監視カメラの映像を確認することにした。
元々は事故や事件が起こった際の検証を目的にしていたものだが、当時は奈緒への嫌悪感もあって猫の虐待死については再生しなかったのだ。
日が沈み、辺りが橙色から濃紺に染まり始めた頃である。
利用者がいなくなり、静まりかえった公園に影が現れた。
手に持った袋は膨らんでいて、一見してそれなりの重さのものが入っていると分かる。
その何者かは録画されているとは思いもしなかったのだろう。
公園の隅で袋を逆さまにし、入っていたものを乱暴に落とした。
津田はよい買い物をした。
カメラははっきりとそれを映していたのだ。
捨てられたのが猫の遺骸で、それをしたのが谷井ヒロだという事実を。
彼は土を掘るように、理髪用のハサミで何度も何度も猫を突き刺した。
その反動で遺骸は微細動を繰り返すのだが、無数の刺し傷ができた頃には刃先が当たる場所がなくなったのか、一切の反応を示さなくなった。
ヒロはそれが面白くなかったようで、つま先で器用に持ち上げて遺骸をひっくり返すと、再び執拗に貫いた。
そうした行為は10分に及んだ。
満足した彼は最後に猫を思いっきり蹴り上げて、穴だらけになった遺骸をフェンスに叩きつけた。
津田は目の前が真っ暗になった。
今の彼には安価なカメラが映し出すよりも不鮮明な光景が、視界いっぱいに広がっている。
何かの間違いだと。
偽りだと。
手の込んだイタズラだと。
彼は何度もそう思うのだが、カメラを設置したのは誰あろう彼自身だ。
映るすべてのものは事実として、最後には受け止めなければならなかった。
孫同然に可愛がってきた谷井ヒロへは、裏切られたという想いが強い。
あれほど残酷な殺しをしておきながら、翌日には邪さをほんの僅かさえ感じさせない笑顔で慕ってきたのだ。
ああ、この子はこんな顔をしていたのか。
津田にはもう、ヒロの頭を撫でてやることはできなかった。
ゴミ拾いを手伝うと申し出た彼に、協力を願うこともできなくなった。
このままでは誰のためにもならない。
そう考え、彼はこう言うことにした。
「またこの公園で猫が殺されてしまったんだよ」
反応が見たかったのだ。
このたった一言でヒロが後ろめたさを感じている素振りを見せれば、まだまだ更生はできるだろう。
「恐いですよね。なんでそんなことをするんでしょう」
出来過ぎたカラクリ人形のように滔々と淀みなく、表情を変えずに述べる彼を見て、津田は希望を捨てた。
孫に似ているという欲目からまだ彼を庇いたいという気持ちがいくらかは残っていたが、これを見過ごせるほど盲目でもなかった。
「あの木、葉で隠れて見えないが、あの枝にカメラが取り付けてあるんだよ。分かるだろう? あれに何もかも映っていたんだよ」
ヒロの顔色が変わった。
撮影されていたという事実よりも、津田の妙に穏やかな口調に動揺してしまったのだ。
「僕がやったっていうんですか?」
「映っているんだよ」
どうやら言い逃れできないらしい、と分かったヒロはため息をついた。
「イライラしてたんです。この前のテスト、100点じゃなかったからお母さんに怒られて」
彼はつまらなさそうに言った。
「そんな理由で――」
「はい?」
「そんな理由であんなことができるのか?」
怒っていいのか、呆れていいのか、津田には分からなかった。
この純真無垢を絵に描いたような少年が、つまみ食いを白状するときよりも軽々しく言ってのけたのが理解できない。
「別にいいじゃないですか。人じゃないし。それに飼い主もいなかったでしょ。管理人さん、大袈裟ですよ」
ヒロは笑っていた。
「おじさんはとんだ勘違いをしていたようだ……」
津田も笑っていた。
「きみが自分のしたことをきちんと反省できる子だったら、おじさんは映像を処分しようと思ってたんだ。カメラのことは誰も知らないからね」
「あ、じゃあ反省します。悪かったと思ってます……これでいいですか?」
「もう遅いよ」
白々しい反省など意味をなさない。
孫に似た悪魔のような子のあからさまな演技を信じてやるほど、彼は愚かではない。
「恐ろしい子だよ、きみは。良い子だと思っていたのに。このことは警察に知らせるからね」
警察の名を出した途端、ヒロの目つきが鋭くなった。
「無駄だよ。だって僕、まだ子どもだもん」
「なに?」
「子どもだから何をやっても逮捕されないんだよ。そんなことも知らないの?」
虚しい開き直りではない。
悪事がばれたから強がりを言っているのではなく、ヒロはそもそも自分がしたことが悪いとも思っていない。
彼にとってはガムの包み紙を道端に捨てた程度のもので、咎められる理由などない。
「他にもやったのか?」
口調を変えた彼に対し、津田もそうした。
「やってないよ」
即座に答える彼を信用できる材料はない。
長いこと周囲を欺き続けた少年の言葉を、どうしてこれだけは真実だといえようか。
「警察に任せれば分かることだ」
背を向け、津田は呟いた。
もう二度とこの顔を見たくはない。
彼が心から反省し、小さな命に対する慈愛を芽生えさせたとしても、津田がそれを信じることはない。
この男にできるのは根拠もなく少年を信じ、可愛がり、孫を重ねてしまった自身の軽率さを悔やむことだけである。
「やってみろよ、クソジジイ!」
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