上 下
39 / 39

最終話    すべての真相 ②

しおりを挟む
 傍から二人を諦観していたシェンファも同様である。

 当然であった。

 互いの吐息が感じられる距離にいたマルクスの顔が、筋骨を軋ませる異様な音とともに瞬く間に変貌していったからだ。

「やはり鍼を打つ時間を調整した方がよかったかな」

 顔面の筋骨が軋む音が止むと、マルクスは自分の顔を右手で軽く擦った。

 若干の痛みもあったのだろう。マルクスは何度も深呼吸を繰り返す。

「そ、そんな……貴方はレオ・メディチエール?」

 クラウディアは極度の困惑から顔面を蒼白に染めつつ、マルクス・ドットリーニからレオ・メディチエールへと顔を変えた人間を食い入るように見つめた。

「そうだよ。私は君がよく知っているレオ・メディチエールだ」

 本当の素顔を露にしたレオは、先ほどから握っていたクラウディアの右手を離した。

「君が混乱するのも無理はない。だが、これは現実の出来事だ。大舞台で磔刑に処されている人間はマルクスなのさ」

 レオは革ベルトの中央に取りつけられていたバックルの蓋を外し、空洞になっていた中から折り畳まれた鍼を取り出した。

「人間の人体には目に見えない経絡という気道があり、その経絡には人間の隠された未知の力を引き出すエネルギーが流れている。遠い異国であるシン国の医者は遥か昔からこの小さな鍼を用いて様々な医療に活用してきた」

 これ見よがしに鍼を見せつけながら、レオは淡々と鍼灸について語っていく。

「ただシン国人は人間の本能を追求してきた民族でもある。医者として人体の謎を解明していく中、この鍼を医療だけではなく様々な事柄に応用することを思いついた」

 それが、とレオはクラウディアの琥珀色の瞳を見つめつつ言葉を紡いだ。

「鍼を用いての殺し――〈鍼殺しんさつ〉と呼ばれる暗殺術だ」

「誤解しないで欲しいけど、シン国人は誰でも暗殺に長けているわけじゃないわよ。そこの医者が特別なだけ」
 横から水を差してきたのはシェンファだ。

「私も実際にこの目で見るまでは信じられなかったわ。でも鍼を用いて人体を操作する技術が存在するのは知っていた。まあ、表情筋を操作して顔の形を短時間のみ変形させるなんて荒技は見たことも聞いたこともなかったけどね。でも、実際にその鍼で命を救われた私が言うんだから本当よ。まさか、独房の中で心臓の発作に見せかけて仮死状態にされるとは夢にも思わなかったわ」

「シェンファ、悪いけど少し黙っていてくれないか。話が進まない」

「はいはい、悪うございましたね」

 レオにやんわりと一喝されると、シェンファは憤然とした態度で両腕を組んだ。

「そういうわけだ。今、シェンファが説明したように私は鍼で顔面の表情筋を操作して別の顔に変形させることができる。ここまで説明すれば素人の君でも察しがつくだろう」

 一拍の間を置いた後、クラウディアは自分の口元を左手で押さえた。

「つまり大広場で死体を公開されているのは、その鍼で強制的に貴方の顔に変形させられたマルクスということ?」

「ああ、そして君の実父であるジョルジュ・ロゼを心身喪失に追い込んだのも私の鍼による効果だ」

「まさか――」

 クラウディアは二日前の出来事を脳裏に思い浮かべた。

 二日前、修道院長室から退室した半刻(約一時間)後のことだ。

 クラウディアは修道院長室を訪れた修道士からジョルジュが倒れたという事実を聞かされた。

 すぐにジョルジュは施療院へと運ばれたものの、意識が混濁してまともに口を聞くこともできない身体になっていたことに酷く混乱した。

 重度の心身喪失状態。

 街医者に見て貰った結果、ジョルジュは極度の精神負荷を与えられた人間が発症する心身喪失の症状に酷似しているという。

 ただ半刻(約一時間)前には正常だった人間が突如として心身喪失状態になるのか不思議がっていたが。

「お父様を病気にしたのは貴方なの?」

 面と向かってレオに尋ねたクラウディアだったが、最早レオがジョルジュを心身喪失状態にした張本人だということは揺ぎない事実だった。

 他人の顔を自分の顔に変形させることが可能なレオならば、正常な人間を心身喪失状態に似た病気にするのも簡単だったことだろう。

「ああ、話したところで君には理解できないだろうがな」

 レオは渋面なまま苦笑すると、呆気に取られているクラウディアに近寄った。

「何を――」

 それは一瞬の出来事だった。

 素早くクラウディアの間合いに侵入したレオは、呆然と佇んでいたクラウディアの首筋に鍼を刺した。

 成人男性の小指ほどの長さの鍼が半分ほどクラウディアの皮膚に食い込んでいく。

「悪いな、クラウディア。最後の最後まで君を欺く形を取ってしまって」

「レ……レオ」

 やがて首筋に鍼を刺されたクラウディアは意識を完全に喪失した。

 身体中の力が一気に抜けて地面に崩れ落ちる。

 そんなクラウディアをレオは地面に倒れる前に抱き止めた。

「本当に済まない」

 今や完全に意識を失ったクラウディアをレオは力一杯に抱き締めた。

 先ほどまで強張らせていた表情を緩め、鋭い眼差しを作っていた両目から一滴の涙が零れる。

「一つ言わせて貰っていい?」

 最後の抱擁を交わしていたレオにシェンファは溜息混じりに言った。

「今の貴方は男として最低よ。たとえどんな理由があったとしても自分を慕ってくれた女に対して記憶を消すなんて野蛮を通り越して最低の行為。同じ武術家として反吐が出るわ」

 実際にシェンファは口内に溜まった唾を地面に吐き捨てた。

「そんなことは痛いほど分かっている」

 奥歯を噛み締めながら答えたレオは、クラウディアの両膝裏に右手を回して左手で背中を支えつつ一気に抱き上げた。

「だが、私にはこの方法を取るしかなかった。クラウディアには一片たりとも辛い過去を背負って欲しくなかったから」

「だからって無理やり記憶を消すのはやり過ぎなんじゃない?」

 シェンファの問いに無言を貫くと、レオはクラウディアを抱きかかえたまま言った。

「そんなことよりも約束は守って貰うぞ。君の叔父さんの力を借りて私をローレザンヌから他の都市へ移動させてくれ」

「はいはい。さっきも言ったけど私は約束を破らない性格なの」

 シェンファは組んでいた両腕を解き、乱れていた前髪をさっと整えた。

「出発は二日後、ローレザンヌの夏市が終了する日よ」

「本当に助かる。二日もあれば私の身辺整理もすべて片づく」

 レオは安らかな寝息を立てているクラウディアを慈しみの眼差しで見つめた。

 二日もあれば身分と顔を借りているマルクス・ドットリーニのすべてを清算できる。

 所属していた修道騎士団に退団届けを提出し、ロレンツォ・ドットリーニを上手いこと説得して家を出る。

 おそらくロレンツォからは何かと質問の嵐を浴びせられると思うが、万が一には鍼を使ってでも強制的に納得させるつもりだ。

 そうしてシェンファの叔父であるケイリンの力を借りて五年間住み慣れたローレザンヌから他の都市へと移動する馬車に乗せて貰う。

「それで、ローレザンヌから出てどこの都市に行くつもりなの?」

 今後の身の振り方を思案している最中、シェンファが興味津々とばかりに尋ねてきた。

「海港都市コンサルティエ」

 レオは両目を閉じると、過去の記憶を思い出しながら答えた。

 潮風が香る紺碧の海と空。

 ローレザンヌとは違って意味で喧騒に満ち溢れていた港街。

 円形闘技場から湧き上がる独特の熱気と嬌声。

 そして丘の上の診療所から見渡せた大空を自由に滑空する海鳥たち。

「久しぶりに祖父の墓参りに行きたくなった」



 〈了〉


================

【あとがき】

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 主人公たちの人生はまだまだ続きますが、物語自体はここで幕引きとさせていただきます。

 そして、新作のキャラ文芸の作品も連載しております。

【タイトル】

【連載】私の婚約者は最強の〇〇使いのカクレブサーでした。そして学園内で起こる凶悪事件を知力と武力で容赦なく解決する模様……ってマ?

目次ページです

https://www.alphapolis.co.jp/novel/269374665/447886509

よろしければ、ご一読くださいm(__)m
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

2024.06.22 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

解除

あなたにおすすめの小説

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

勇者に闇討ちされ婚約者を寝取られた俺がざまあするまで。

飴色玉葱
ファンタジー
王都にて結成された魔王討伐隊はその任を全うした。 隊を率いたのは勇者として名を挙げたキサラギ、英雄として誉れ高いジークバルト、さらにその二人を支えるようにその婚約者や凄腕の魔法使いが名を連ねた。 だがあろうことに勇者キサラギはジークバルトを闇討ちし行方知れずとなってしまう。 そして、恐るものがいなくなった勇者はその本性を現す……。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉

Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」  華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。  彼女の名はサブリーナ。  エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。  そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。  然もである。  公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。    一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。  趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。  そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。 「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。  ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。  拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。    

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。