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第2話   名護武琉という少年

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 中部地方の主要都市の1つである綾園市。

 その日は土曜日というのに早朝から多くの人間がJR綾園駅を活用していた。

 会社の通勤を果たすサラリーマンたちではない。

 年齢もまばらな普段着を着用した人間たちである。

 先頃、綾園市の隣にある斑目市に巨大テーマパークがオープンした。

 土曜日というのにJRを活用する人間たちはそのテーマパークに向かう人間たちに違いない。

 だが、そんな人間とは正反対にJR綾園市に降り立つ人物がいた。

「う~ん、さすがにずっと電車に乗るのはナンギ(難儀)やったさぁ」

 大きな欠伸とともに伸びをした人物は、16、7歳と思われる赤銅肌の少年だった。

 無地のTシャツの上から肩口で切り取られた黒の革ジャンを羽織り、やや薄汚れたストレートジーンズを穿いている。

 左肩には私物が入れられているのだろうリュックを背負い、新品であるスニーカーの履き心地を再確認するため爪先で地面を突く。

 地元とは違って晴天にもかかわらず強い日差しではない。

 乾いた空気により前髪を掻き乱された少年は、手櫛でさっと髪型を整えた。

 赤銅肌の少年――名護武琉は時刻を確認するために駅前に設置されていた時計を見る。

 午前9時23分。

 これは少々マズイかもしれない。

 武琉は地元である沖縄県からはるばる海を越えてこの綾園市にやってきたのだが、生まれてから一度も沖縄から出たことがなかった武琉にしてみれば、東京だろうと大阪だろうと綾園市だろうと関係なかった。

 どこの内地の場所だろうと全部同じに見える。

 だからこそ、武琉は少々マズイと思った。

 今日、自分がここにくることは先方も承知している。

 そして先方から道案内を兼ねて孫娘を迎えに行かせると聞いていたのだが、さすがに約束の時間を一時間以上も遅れてしまっては合わせる顔がない。

 沖縄ではウチナータイムと言って沖縄県独特の時間帯が存在している。

 比較的、沖縄県民は他の県民よりもおっとりとしていて、待ち合わせの時間に大幅に遅刻するなど日常茶飯事であった。

 それどころか、2時間以上も待って結局相手がこない場合も多々ある。

 しかし、それはあくまでも沖縄限定の特色だ。

 そこのところは十分に弁えていたはずの武琉だったが、やはりそう簡単に身体に染み込んだ習慣は改善されない。

 遅れまいと思って行動したはずなのに結局は1時間以上も待ち合わせ場所に遅れてしまった。

「まあ、トゥーヌーマーヌー(おろおろ)しても始まらん」

 武琉は心中ではマズイと思ったものの、すでに遅れてしまった事実は変えられないと開き直るや否や、生来の柔和な笑顔を貼り付けて件の人物を探した。

 名前は当然のこと、身体的特徴なども先方から聞いている。

 それに待ち合わせに遅れたとしても、先方の話では待ち人は絶対に用件を終えるまで帰ってくるなと念を押してあるとのこと。

 だとすると、この周辺の店で時間を潰している可能性が高い。

 では、早速それらしき人間を探すか。と思い立った直後である。

 武琉の視界に奇妙な光景が映った。

 綾園市の駅前は十数台のタクシーが客を待ち侘びて停車しており、バスの行き来も頻繁なのだろう巨大な円形のロータリーになっていた。

 周辺にはファーストフード店やこぢんまりとした書店、様々な店舗が借りられたオフィスビルが屹立する都会の風景が広がっている。

 そして駅の隣にはアポロニウス元町という不思議な名前の商店街が続いており、観光客と思しき外国人の姿がちらほらと視認できた。

 それは別段と珍しくない光景だった。

 米軍基地が点在する沖縄には、それこそ外国人の姿など吐いて捨てるほど見られる。

 今さら外国人を見たところで何の感慨も起こらない。

 それでも武琉は道端で佇んでいた一人の外国人を見て目眉を細めた。

 いや、厳密に言えば外国人の手前にちょこんと佇んでいる奇抜なファッションの少女に対してである。

「ちょっといい加減にしてくれない。さっきから何度も言ってるでしょう。私は英語が話せないって」

「OH~、ユアプリティガール! スシ、テンプラ、スキヤキ、ジャパニメーション!」

 片言の日本語を操る外国人は、目の前の少女に対して自分の身体を抱き締めるような大仰なジェスチャーを惜しげもなく披露していた。

 無理もないと武琉は思った。

 外国人に呼び止められている少女は、黒と赤を基調にしたふりふりのドレスを着用していたからだ。

 以前にアニメ好きの友人が所有していた本に似たような衣装に身を包んだキャラクターが描かれていた。

 確かゴスロリというファッションだったか。

 しばらく足を止めて外国人とゴスロリ少女のやり取りを見ていると、どうやら外国人がゴスロリ少女に道を尋ねたことが口論のキッカケらしい。

 遠くからでも外国人が英語を混ぜて道を尋ねていることが聞き取れたからだ。

 それでもゴスロリ少女は日本語で英語は喋れないとの一点張り。

 そんな怒った態度に外国人は好意を露にして離れようとはせず、片言の日本語を織り交ぜてゴスロリ少女との会話を長引かせている。

(どこにでもフラー(愚か者)な外国人はいるもんだな)

 意を決した武琉は外国人とゴスロリ少女に向かって歩き始めた。

 1分も経たずに2人の前に辿り着くと、武琉に気づいた2人は同時に顔を向けてきた。

 最初に言葉を発したのは身長が180そこそこの外国人であった。

 白人で金髪。

 体格は中肉中背で黒のスーツを着ている。

「(何だい君は? 僕と彼女の出会いの一時を邪魔しないでくれるかな? ああ、そうか。君も僕の言葉は分からないのか。まったく英語も満足に喋れないなんて日本人はおかしな人種だな。英語は世界の共通語だっていうのに)」

 外国人は満面の笑みを浮かべながら、英語で日本人を小馬鹿にした言い草をした。

 どうやらゴスロリ少女と同じく武琉も英語を喋れない日本人だとでも思ったのだろう。

 好き勝手に英語で罵倒する外国人の心中が覗けたようで武琉は少々不快になった。

 なので武琉も満面の笑みを浮かばせながら流暢な英語で返答した。

「(とっとと彼女の前から消えてくれないか? それと余所の国にきたら最低限敬意を払ったほうがいい。何でも自分の国が一番だと思い込んでいると今に大怪我するぞ)」

 その瞬間、外国人は目が飛び出るほど驚愕した。

 まさか、いきなり会話に割り込んできた少年がネイティブな英語を話せるとは思わなかったのだろう。

 外国人は自分の居心地の悪さを痛感して足早に去っていった。

「意外にシカバクー(臆病者)だったな」

 あっという間に人混みに紛れた外国人を見送った後、武琉は絡まれていたゴスロリ少女に目線を投げた。

「もう大丈夫さぁ」

 視線が交錯したゴスロリ少女は150センチ半ば。体重は50キロもないだろう。

 墨を流したような流麗な黒髪が印象的な色白の美少女だった。

 活発な印象は微塵もなく、どこか薄幸の箱入り娘を思わせる。

 端正な顔立ちだったが、能面のように表情が変わらないところが益々少女の印象を希薄にさせた。

 精巧なマネキン人形と言い換えてもいいだろう。

「ありがとう。あなたが割って入ってくれなかったら殺してたかもしれない」

 ゴスロリ少女は外見とは裏腹に物騒な言葉を平然と紡ぎつつ、ドレスに付けられていたポケットから何やら小さな箱を取り出して武琉に差し出した。

「これは……煙草?」

 ゴスロリ少女が取り出した箱は、何の変哲もない煙草の紙箱であった。

 すでに封は破られ、小さな差し込み口からは中に納められた数本の煙草が覗き見える。

「お礼に1本上げる。貴重だから1本だけね」

「貴重って……ただの煙草だろう?」

 未成年は当然だめだが、大人ならばどこの販売店でも購入できる煙草を前にして貴重も何もない。

 これが外国産の煙草ならば珍しかったが、ゴスロリ少女が手に持っていたのは国産の煙草だった。

「欲しいの? 欲しくないの?」

 それでもゴスロリ少女は無表情なまま煙草を差し向けてくる。

 欲しかったらさっさと1本だけ取り出せというのだろう。

 武琉は首を横に振って否定した。

「折角だけど煙草は吸わないからいいさぁ」

 やんわりと断ると、ゴスロリ少女は差し出した煙草を再びポケットに仕舞った。

「じゃあ、もう一度お礼だけ言っとく。助けてくれてありがとう」

 それだけ言うと、ゴスロリ少女は武琉の横を通り過ぎて人混みに紛れていく。

 武琉は顔だけを振り向かせてゴスロリ少女の背中をしばらく見つめ続けた。

 そう言えば彼女は自分の言葉遣いを気にしなかったな。

 もしかして同郷か? 

 などと思った武琉だったが、それ以上思案することはできなかった。

 なぜなら、ゴスロリ少女が向かった方向とは正反対の場所から甲高い声が聞こえてきたからだ。

 悲鳴や嬌声とは違う。

 どちらかと言えば、何かしらのイベントが勃発したような歓声に近かった。

「今度は何が始まったんだ?」

 武琉は好奇心に駆られて歓声が轟く場所に向かって歩を進めた。

 伝統芸能が富に盛んな沖縄県民の血が疼いたのだろう。

 扇状になっていた人混みを掻き分け、やがて騒ぎの中心地点へと辿り着く。

「あ!」

 武琉は無意識のうちに叫んでいた。

 騒ぎの中心地点には、1人の少女を囲むように複数の男たちがいた。

 まったく事の経緯は不明だったが、現場を見る限りでは1人の少女に大の男たちが絡んでいるように見える。

 いや、間違いなくそうだろう。

 にもかかわらず、現場には緊迫した雰囲気は微塵もなかった。

 それどころか、野次馬の連中の中には少女を密かに応援する輩までいたほどである。

 次の瞬間、野次馬たちからは先ほどと同じくらいの歓声が沸き起こった。

 武琉は瞬き一つせずに今起こった出来事を注視する。

 歓声が沸き起こる寸前、少女の目の前にいた1人の男が盛大に膝を追って地面に倒れ込んだ。

 もちろん、何かにつまづいたのではない。

 武琉の動体視力は男の身に起こった出来事を余すことなく捉えていた。

 小柄な少女が放った下段回し蹴りが、男の太股に命中する光景を――。
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