上 下
54 / 67

第五十四話  覚悟

しおりを挟む
 あいつは無明むみょうじゃない。

 俺は嬉しそうに自分の身体を確認している無明むみょうを見て思った。

 姿形すがたかたちはまったく変わっていないが、こちらまで伝わってくる気の性質が今までとまるで違う。

 邪悪をさらに煮詰につめたような、禍々まがまがしい負の力がひしひしと感じられる。

 直後、無明むみょうの肉体に異変が起こった。

 細身だった無明むみょうの身体が数倍に肥大したのだ。

 いや、それは肥大と言うよりも巨大化だった。

 身の丈10しゃく(約3メートル)を超える、小山のような存在感を持った巨人へと無明むみょうは変貌したのである。

 それだけではない。

 そんな巨人と化した無明むみょうの背中からメキメキといういびつな音が鳴り、大人の頭部ほどもある鉤爪かぎつめがついた2枚の漆黒の翼が生えてきたのだ。

 しかもそれは鳥の翼ではなく、巨大な蝙蝠こうもりの翼だった。

 しかし、無明むみょうの変化はまだ終わらない。

 バリバリバリッ!

 無明むみょう穿いていた下衣したごろもが盛大にやぶれ、その下からは漆黒の体毛を持つ雄牛おうしほどの大きさの狼が現れた。

 無明むみょうの下半身が黒狼こくろうに変化したのである。

 その姿は異形いぎょう以外の何物でもない。

 これではまるで本物の……。

 妖魔じゃないか、と俺が思ったときである。

「魔王!」

 大広間ホールの中にアリシアの怒声がとどろいた。

 同時にアリシアが俺の隣へとやってくる。

 すでに長剣はしっかりと抜かれていた。

「アリシア……今、何て言った? あいつが魔王だと?」

 そうよ、とアリシアは険しい表情で言った。

「間違いない。あいつは本物の魔王よ」

「ちょっと待て。魔王は妓女ぎじょ憑依ひょういしていたはずだろう?」

「そうね……だけど、どういうわけか今は化け物の肌を持っていたあの男にりついている。あの蝙蝠こうもりの翼と下半身が狼の姿になったのがその証拠よ。1年前、私が仲間たちと闘ったときも魔王はあんな姿になったわ」

 実際に闘ったことがある、アリシアがそう言うのならそうなのだろう。

 となると、考えられることは1つ。

 すでに俺たちが大広間ホールに来るまでに、魔王は紅玉こうぎょくという妓女ぎじょから別の人間へ憑依ひょういしていたに違いない。

 では、誰に憑依ひょういしていたのか?

 決まっている。

 俺は完全に絶命している笑山しょうざんをちら見した。

 なぜそうなったかは不明だったが、おそらく魔王は紅玉こうぎょくから笑山しょうざん憑依ひょういしていたのだろう。

 そして、俺はそれに気づかず魔王が憑依ひょういしていた笑山しょうざんと闘ったのだ。

 このとき、俺の背筋に悪寒が走る。

 無明むみょう憑依ひょういしたあとの魔王は確かに言った。

 宿にしようかとも思った、と。

 もしも無明むみょうがこの場に現れなかったら、魔王に憑依ひょういされていたのは俺だったかもしれない。

 いや、確実にそうなっていた。

 信じられないことだが、どうやら魔王は血液を経由して他者へと憑依ひょういする妖魔のようだ。

 現在、無明むみょうが魔王に憑依ひょういされた方法がそうである。

 無明むみょう貫手ぬきての攻撃によって笑山しょうざんの肉体をつらぬいたとき、当然ながらその攻撃した手に笑山しょうざんの血がべっとりと付いた。

 その血におそらくは魔王の魂魄こんぱくが宿っており、無明むみょうは油断した一瞬のすきをつかれて体内に血を入れられてしまったのだ。

 結果的に無明むみょうは心身を魔王に乗っ取られた。

 だが、1歩間違えればあの姿になっていたのは俺だっただろう。

 俺は無明むみょうが現れなかったら、まずは〈周天しゅうてん〉で高めた精気を破山剣はざんけんの刀身に集中させる〈発勁はっけい〉でもって、硬質化していた笑山しょうざんの皮膚をつらぬいて心臓を突こうと考えていたのである。
 
 それを実行していれば破山剣はざんけんの刀身に血が付着し、俺は魔王の魂魄こんぱくが宿っているとも知らずに血をぬぐっていた。

 あとは無明むみょうと同じだ。

 油断していた一瞬のすきをつかれ、俺は魔王に心身を憑依ひょういされていたに違いない。
 
 はからずとも命拾いしたということか。

 そう俺が思ったとき、魔王は大気を鳴動めいどうさせるほどの叫び声を上げた。

 最初は俺たちへの威嚇いかくの叫びかと身構えたが、よくよく見ていると魔王は自分の身体を見回して険しい表情を浮かべている。

「この人間風情が! この期におよんで私に抵抗するか!」

 魔王がそう言うと、

「ふ、ふざけるなよ……貴様こそ……俺の身体から……で、出ていけ……」

 同じく魔王がそう答える。

 まさか、本物の無明むみょうが魔王に抵抗しているのか。

 そうとしか考えられなかった。

 魔王はまだ無明むみょうの精神までは完全に乗っ取っていないのだ。

 だとしたら、これは千載一遇せんざいいちぐう好機チャンスである。

「アリシア、お前が以前に魔王を倒したときはどうやって倒した?」

 俺は魔王を見据みすえつつ、アリシアにたずねた。

「火の魔法よ」

 アリシアも俺と同じく、魔王から視線を外さずに答える。

「魔法使いたちの火の魔法で魔王の身体を焼いて弱ったところを、私が精気を込めた一撃で一応は倒した……と、思ったのだけれど」

「そのときは最後まで倒しきれなかった」

 こくりとアリシアはうなずく。

「ただ、魔王は火が弱点なのは違いないわ。1年前、私たちが倒しきれなかったのは火の魔法の火力が足りなかっただけ。だから、私は1人でこの国に来ると決めたときあの魔道具を手に入れたの」

 魔道具という言葉を聞いて、俺はすぐにピンときた。

「胸元に掛けている赤い石の首飾りペンダントか?」

紅蓮水晶ぐれんすいしょう――お師匠さまを経由して手に入れた、強力無比な火の魔法の力を凝縮ぎょうしゅくしている特別な魔石ませきよ」

 アリシアは自分の首に掛けていた首飾りペンダントを外して左手に持った。

「これを使えば今度こそ魔王に致命傷を与えられるはず……仮にそれが難しかったとしても、以前よりは弱らせられるはずだからすぐにとどめを刺せばいい」

 俺たちが会話をしている最中も、魔王と無明むみょうの激しい精神の闘いは続いている。

「それはどうやって使う?」

魔石ませきを装飾部分から外して2呼吸分(約10秒)が経てば発動するわ。それこそ、こんな小さな魔石ませきからは想像もできないほどの凄まじい爆発が起こる。もちろん1回しか使えないけど」

 俺は震天雷しんてんらいのような代物かとさっした。

 震天雷しんてんらいとは瓢箪型ひょうたんがた、もしくは球型きゅうがたの鉄の容器の中に火薬を詰め込んで爆発させる武器のことだ。

 そして震天雷しんてんらいは導火線を使って中の火薬に火を付け、強力な爆風と火炎によって周囲の敵を殺傷する。

 だがアリシアの紅蓮水晶ぐれんすいしょうという石は、装飾部分から取り外すだけで震天雷しんてんらいと同等かそれ以上の威力を発揮はっきするらしい。

 だとしたら、俺が先ほど考えていた〈七星剣しちせいけん〉をに変化させる必要はないだろう。

 そもそもあれは形状変化させるだけでも時間が掛かり、なおかつ1日に1度だけという制約とありったけの精気を放出するので回避かいひされた場合が恐ろしかった。

 しかし、魔王を弱らせるか身動きを封じるだけというのなら話は別だ。

 それに特化した最終形状よりも制約が小さくて使える、〈七星剣しちせいけん〉の他の形状武器はある。

「アリシア、その首飾りペンダントを俺に貸してくれ。俺が何とかその首飾りペンダントの石を魔王に使ってやる。そして魔王がひるんだすきにお前がとどめを刺すんだ」

 アリシアは目を見開き、首を左右に振る。

「だ、だめよ。そんな危険な役目をあなたにさせるわけにはいかないわ」

「いいんだ。それぐらいのことは最初から覚悟の上さ」

 俺はアリシアから半ば強引に首飾りペンダントを取った。

 左手に首飾りペンダント、右手に破山剣はざんけんを持っていた状態でアリシアに微笑ほほえむ。

「アリシア……お前の辛かった旅はここで終わらせてやるからな」

 俺は首飾りペンダントふところに仕舞うと、裂帛れっぱくの気合とともに床を蹴ってけ出した。

 今、自分が口にした言葉を実現させるために――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

パーティーから追放され婚約者を寝取られ家から勘当、の三拍子揃った元貴族は、いずれ竜をも倒す大英雄へ ~もはやマイナスからの成り上がり英雄譚~

一条おかゆ
ファンタジー
貴族の青年、イオは冒険者パーティーの中衛。 彼はレベルの低さゆえにパーティーを追放され、さらに婚約者を寝取られ、家からも追放されてしまう。 全てを失って悲しみに打ちひしがれるイオだったが、騎士学校時代の同級生、ベガに拾われる。 「──イオを勧誘しにきたんだ」 ベガと二人で新たなパーティーを組んだイオ。 ダンジョンへと向かい、そこで自身の本当の才能──『対人能力』に気が付いた。 そして心機一転。 「前よりも強いパーティーを作って、前よりも良い婚約者を貰って、前よりも格の高い家の者となる」 今までの全てを見返すことを目標に、彼は成り上がることを決意する。 これは、そんな英雄譚。

『殺す』スキルを授かったけど使えなかったので追放されました。お願いなので静かに暮らさせてください。

晴行
ファンタジー
 ぼっち高校生、冷泉刹華(れいぜい=せつか)は突然クラスごと異世界への召喚に巻き込まれる。スキル付与の儀式で物騒な名前のスキルを授かるも、試したところ大した能力ではないと判明。いじめをするようなクラスメイトに「ビビらせんな」と邪険にされ、そして聖女に「スキル使えないならいらないからどっか行け」と拷問されわずかな金やアイテムすら与えられずに放り出され、着の身着のままで異世界をさまよう羽目になる。しかし路頭に迷う彼はまだ気がついていなかった。自らのスキルのあまりのチートさゆえ、世界のすべてを『殺す』権利を手に入れてしまったことを。不思議なことに自然と集まってくる可愛い女の子たちを襲う、残酷な運命を『殺し』、理不尽に偉ぶった奴らや強大な敵、クラスメイト達を蚊を払うようにあしらう。おかしいな、俺は独りで静かに暮らしたいだけなんだがと思いながら――。

治療院の聖者様 ~パーティーを追放されたけど、俺は治療院の仕事で忙しいので今さら戻ってこいと言われてももう遅いです~

大山 たろう
ファンタジー
「ロード、君はこのパーティーに相応しくない」  唐突に主人公:ロードはパーティーを追放された。  そして生計を立てるために、ロードは治療院で働くことになった。 「なんで無詠唱でそれだけの回復ができるの!」 「これぐらいできないと怒鳴られましたから......」  一方、ロードが追放されたパーティーは、だんだんと崩壊していくのだった。  これは、一人の少年が幸せを送り、幸せを探す話である。 ※小説家になろう様でも連載しております。 2021/02/12日、完結しました。

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜

サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」 孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。 淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。 だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。 1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。 スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。 それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。 それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。 増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。 一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。 冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。 これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。

追放?俺にとっては解放だ!~自惚れ勇者パーティに付き合いきれなくなった俺、捨てられた女神を助けてジョブ【楽園創造者】を授かり人生を謳歌する~

和成ソウイチ
ファンタジー
(全77話完結)【あなたの楽園、タダで創ります! 追放先はこちらへ】 「スカウトはダサい。男はつまらん。つーことでラクター、お前はクビな」 ――その言葉を待ってたよ勇者スカル。じゃあな。 勇者のパワハラに愛想を尽かしていたスカウトのラクターは、クビ宣告を幸いに勇者パーティを出て行く。 かつては憧れていた勇者。だからこそここまで我慢してきたが、今はむしろ、追放されて心が晴れやかだった。 彼はスカルに仕える前から――いや、生まれた瞬間から決めていたことがあった。 一生懸命に生きる奴をリスペクトしよう。 実はラクターは転生者だった。生前、同じようにボロ布のようにこき使われていた幼馴染の同僚を失って以来、一生懸命に生きていても報われない奴の力になりたいと考え続けていた彼。だが、転生者であるにも関わらずラクターにはまだ、特別な力はなかった。 ところが、追放された直後にとある女神を救ったことでラクターの人生は一変する。 どうやら勇者パーティのせいで女神でありながら奴隷として売り飛ばされたらしい。 解放した女神が憑依したことにより、ラクターはジョブ【楽園創造者】に目覚める。 その能力は、文字通り理想とする空間を自由に創造できるチートなものだった。 しばらくひとりで暮らしたかったラクターは、ふと気付く。 ――一生懸命生きてるのは、何も人間だけじゃないよな? こうして人里離れた森の中で動植物たちのために【楽園創造者】の力を使い、彼らと共存生活を始めたラクター。 そこで彼は、神獣の忘れ形見の人狼少女や御神木の大精霊たちと出逢い、楽園を大きくしていく。 さらには、とある事件をきっかけに理不尽に追放された人々のために無料で楽園を創る活動を開始する。 やがてラクターは彼を慕う大勢の仲間たちとともに、自分たちだけの楽園で人生を謳歌するのだった。 一方、ラクターを追放し、さらには彼と敵対したことをきっかけに、スカルを始めとした勇者パーティは急速に衰退していく。 (他サイトでも投稿中)

俺のギフト【草】は草を食うほど強くなるようです ~クズギフトの息子はいらないと追放された先が樹海で助かった~

草乃葉オウル
ファンタジー
★お気に入り登録お願いします!★ 男性向けHOTランキングトップ10入り感謝! 王国騎士団長の父に自慢の息子として育てられた少年ウォルト。 だが、彼は14歳の時に行われる儀式で【草】という謎のギフトを授かってしまう。 周囲の人間はウォルトを嘲笑し、強力なギフトを求めていた父は大激怒。 そんな父を「顔真っ赤で草」と煽った結果、ウォルトは最果ての樹海へ追放されてしまう。 しかし、【草】には草が持つ効能を増幅する力があった。 そこらへんの薬草でも、ウォルトが食べれば伝説級の薬草と同じ効果を発揮する。 しかも樹海には高額で取引される薬草や、絶滅したはずの幻の草もそこら中に生えていた。 あらゆる草を食べまくり最強の力を手に入れたウォルトが樹海を旅立つ時、王国は思い知ることになる。 自分たちがとんでもない人間を解き放ってしまったことを。

処理中です...