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第二十一話  華秦国の皇帝 其の一

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 時刻は深夜――。

 すでに寝静まっている者たちが大半の後宮こうきゅう内において、秦劉翔しん・りゅうしょうこと私は日課である拳術けんじゅつの鍛錬をこなしていた。

 鋭い踏み込みから連続した直突ちょくづきを放ち、続いて半円の軌道をえがいた回し蹴りを眼前の仮想かそう敵手てきしゅに向かって繰り出す。

 直後、私は颯爽さっそうと振り返って跳躍ちょうやくした。

 すかさず右足と左足による、二連蹴りを仮想かそう敵手てきしゅに向かって蹴り上げる。
 
 二連蹴りから重力を感じさせない動きで着地した私は、ここからが本番とばかりに間を置かず様々な攻撃を放っていく。

 突きや蹴りはもちろんのこと、肘打ひじうちや膝蹴ひざげり、果ては手の甲やてのひらといった部位を駆使くしした攻撃などだ。

 しかし、私は安易あんいな打ち方や蹴り方はしていない。

 1つ1つの攻撃に〈精気練武せいきれんぶ〉の〈発剄はっけい〉を加えており、当たれば身体内部に深く衝撃が浸透しんとうするよう意識している。

 それはなぜか?

 今の私は1人だけの敵、それも人間だけを仮想かそうしてはいなかったからだ。

 複数の敵は当然のことながら、人間以外のと闘うことも想定して身体を動かしている。

 そして、この動きの大半は我流がりゅうではない。

 見る人間が見れば分かるだろう。

 今の私の動きが超人の域に達した熟練者の指導を受けていながらも、全体の動きからは独自の工夫や経験を反映させていることに。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 私は一通りの鍛錬を終えると、そのまま肩幅ほどの広さで平行に立ち、ゆっくりと呼吸を整える。

 と、ほぼ同時に後方から声を掛けられた。

「こんな夜更けまで鍛錬とは熱心ですな、主上しゅじょう……ですが、あまりご無理をされると明日の会議に差しつかえますぞ」

 振り返ると、そこには白髪はくはつの老人が立っていた。

 彫りの深い顔つきに、鋭い眼光と背筋の良さが相変わらず印象的である。

 仙道省せんどうしょうの長官である、仙道令せんどうれい陳烈膳ちん・れつぜんだ。

 そして今の私は武の鍛錬のため薄衣1枚だったが、よわい60を超えている烈膳れつぜんも薄衣の上から外套がいとうを羽織っているだけの軽装だった。

 相変わらず気配を消すのが上手い糞爺くそじじいだ。

主上しゅじょう……今、わしのことを糞爺くそじじいと思いましたな?」

 私はその言葉にハッとした。

「〈聴剄ちょうけい〉を使って私の心を読んだのか?」

「そんなものを使わなくとも分かりまする。主上しゅじょうは思っていることがお顔に出やすいゆえ特に」

「ふん、悪かったな。思っていることが顔に出やすくて」

「自覚されておられるなら、今のうちに直されるのが賢明です。お若いうちはよろしいですが、年を重ねていくと主上しゅじょうのお立場では公私こうしのどちらにおいても色々と不便ふべんですぞ」

 そう言われると少しばかり耳が痛い。

 確かに私は数か月前に、この国の皇帝に即位したばかりの18の若造だ。

 一方の烈膳れつぜんは朝廷組織の七省六部ななしょうりくぶの1つである仙道省せんどうしょ――対妖魔専門の部署の最高権力者だ。

 それだけではない。

 烈膳れつぜんは病気で崩御ほうぎょした先帝の懐刀ふとごろがたなとして手腕しゅわん発揮はっきしていたのみならず、今の私の武術と〈精気練武せいきれんぶ〉の師匠でもあった。

 正直なところ、頭が上がらない部分はあるにはある。

 ただし、こんな時刻のこんな場所で小言を言われるのは少々歯がゆい。

 ここは皇帝としての公務こうむを行う場所ではないからだ。

 それゆえに私はギロリと烈膳れつぜんめつける。

「そなた……そんなことを言うためにわざわざここに来たのか? ここは本来ならば男子禁制の後宮こうきゅうだぞ」

 現在、私と烈膳れつぜんがいるのは後宮こうきゅうの一角の開けた場所だ。

 後宮こうきゅう

 王都であるここ東安とうあん宮廷きゅうてい内に設けられた、華秦国かしんこくの皇帝――つまり私の世継よつぎを産む女たちを集めたそのである。

 基本的に男子禁制であり、そんな後宮こうきゅうに足を踏み入れられる男は皇帝である私か私の血縁者、それ以外では男性器を切り取った元は男の宦官かんがんぐらいだった。

 そして事情を知らぬ者からすると、ここは女の楽園と噂されているらしい。

 だが、私からすれば後宮こうきゅうが楽園とは言いがたかった。

 少なくとも正六品せいろっぴん以上のくらいの女たちにとっては違うだろう。

 たった1人しかいない皇帝である私の子を望む貴女きじょたちが、それこそ国中から何百何千と集められ、ときには諸外国の王族や貴族からも輿入こしいれされて来るのだ。

 そうなると、必然的に女のそのは魔のそのとなる。

 自分以外の女をすべて蹴落けおとし、自分だけが私の寵愛ちょうあいを望もうとするため、化粧けしょう夜伽よとぎ以上に権謀術数けんぼうじゅつすう躍起やっきになっていく。

 無理もない、と私は思う。

 後宮こうきゅうに入った女たちの中で私の子を産むことができなかった女は、やがて有能な臣下しんか下賜かしされるか後宮こうきゅうを追放される運命だからだ。

 そして即位する前は他人事だったので分からなかったが、こうして当の本人になるとよく分かる。

 どうも私は性欲よりも武欲のほうが高い。

 私の子を望む女たちと夜伽よとぎはげむよりも、こうして自分の武術の技を高めることにはげむほうが性に合っている。

 などと考えていると、烈膳れつぜんは「はあ」とため息をらした。

主上しゅじょう、そのようなお考えこそ是非ぜひとも一刻も早く直してくだされ。聞くところによると、主上しゅじょうからの御通おとおりがないと姫たちがなげいておるそうですので……それとも主上しゅじょう男色だんしょくの気が強くおありでしょうか?」

「ふざけるな、そんなものはない……というか、やはり〈聴剄ちょうけい〉を使って私の心を読んでいるだろ!」

 烈膳れつぜんは「そんなことはさておき」と話をはぐらかす。

「やはり武の鍛錬は息抜き程度にされて、華秦国かしんこくの皇帝としての責務せきむを果たすことに心血を注ぎくだされ。この陳烈膳ちん・れつぜん、深くお願い申し上げたてまつる。頓首死罪とんしゅしざい

「何が頓首死罪とんしゅしざいだ。そなたが本心でそんなことを思っていないことは、まだ〈聴剄ちょうけい〉を使えない私でも分かるぞ」

 頓首死罪とんしゅしざいとは、高官たちが皇帝との会話につける決まり文句みたいなものだ。

 意味は「私ごときが皇帝陛下に愚見ぐけんべ、まことに申し訳ございません」になるだろうか。

 まあ、それは別に良いとして。

「こうも世に妖魔が蔓延はびこっておるのだ。たとえ皇帝の身の上とはいえ、いつ如何いかなるときでも対応できるように鍛錬しておくのは悪いことではあるまい?」

「それは主上しゅじょう以外の人間ならば口にして良いことです。やはりみかどとしての責務とは世継ぎを残していただくこと……それに、この宮廷には選りすぐりの仙道士せんどうしたちが日夜関係なく目を光らせております。主上が武を鍛錬する必要はございません」

「その仙道士せんどうしだが……」

 私は良い機会とばかりに、以前から考えていたことを烈善れつぜんに言った。

「この東安とうあん以外に派遣はけんすることをどう思う?」 

 しばしの沈黙のあと、烈善れつぜんは「そうですな」と言葉を続ける。

「主上のお考えはよく分かっております。近年は特に妖魔の動きが非常に活発になっており、それに加えて地方では不可思議な事件が勃発ぼっぱつしております。その対応に仙道士せんどうし派遣はけんしたいということですな」

 さすがは烈善れつぜんだ。

 私の考えをよく理解している。

「率直に申し上げますと、それには反対せざるを得ません。仙道士せんどうしたちを抱えている仙道省せんどうしょうは先々代の御世みよより、この華秦国かしんこくの皇帝の懐刀ふところがたなとして設立されました。すなわち、主上しゅじょうがおられる宮廷から離れるわけにはいかないのです」

「だが、地方の役人たちでは手に負えない妖魔に関する事件が多発しておる。それは最近の御史ぎょしたちからの報告の中でも1番多いことだ。いつまでも放置しておくわけにはいかんだろ」

 御史ぎょしとは、中央と地方の橋渡しのような任を受けた官吏かんしたちのことだ。

 要するに地方で何が起こっているかを観察し、それを調べ上げて中央に報告する者たちである。

 そして近年ではこの御史ぎょしたちでも目と耳を疑うような不可思議な事件が多く起こっているという。

 国というのは人間の身体と同じだ。

 人間で言うところの足元――地方が腐敗や衰退をしていけば必ず国は亡ぶ。

 それは華秦国かしんこくとて例外ではない。

 しかも、それが役人の汚職ではなく妖魔に関係している可能性が高いというのならば、妖魔専門の部署である仙道省せんどうしょうには一肌でも二肌でも脱いでもらいたいのだが……。

 そんな私の心中を的確に読み取ったのか、烈善れつぜんは「それでも難しいと言わざるを得ませんな」と口を開いた。

「わしも地方の不可思議な事件については存じております。ですが独自に調べたところによると、どうも一筋縄ではいかない難事件や怪事件が多い。おそらく、それらを解決するには仙道士せんどうし並みの力を持っているのに加え、たとえ何かあった場合でも簡単に切り捨てられる身元が不確かな人間が適しております。さて、そのような人物を簡単に見つけられるかどうか……」

 烈善れつぜんの言いたいことは分かる。

 これはどちらかと言えば、間諜かんちょう令外官りょうげのけんの範疇だ。

 しかし、その2つよりもはるかに難易度の高い仕事が求められる。

 そして、そのような特殊な仕事をする人間は身元が不十分であるほどいい。

 身元が確かな人間より何倍も自由に動けるからだ。

 けれども、そうなると人選は極めて難しくなる。

 本当は出来ることなら私自身が地方に行きたかったが、それは側近の者たちや目の前にいる烈善れつぜんは決して許してくれまい。

「当たり前です」

 烈善れつぜんはさも当然とばかりに断言した。

「そのようなお考えを持たれるぐらいならば、まだこうして密かに武の鍛錬をしていただいたほうがマシですわい」

「ならば、もう私に対して余計なことを言うのはやめにいたせ」

 今の私は武術――とりわけ〈精気練武せいきれんぶ〉の鍛錬にはげみたかった。

 なぜなら〈精気練武せいきれんぶ〉を鍛錬した先に得られるという、神秘的なを自分でもこの世に出してみたかったからだ。

 そう思ったとき、烈膳れつぜんは観念したようにつぶやいた。

主上しゅじょう、そんなに〈宝貝パオペイ〉をご自分で現出げんしゅつさせたいですか?」
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