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第一話    理不尽な追放

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龍信りゅうしん、貴様は今日限りで解雇クビだ。この屋敷から出ていけ」

 部屋の中に入るなり、次期当主にそう告げられた俺こと孫龍信そん・りゅうしんは、嫌な予感が的中したなと思った。

 なぜなら、先ほどの夕飯にが用意されていなかったのだ。

 この華秦国かしんこくにおいて、食客しょっきゃくの食事が用意されないと言うことは、お前はもう我が家には必要ないから出て行けという意味がある。

 しかし食客しょっきゃくに対して、何の理由もなく解雇クビはあり得なかった。

 俺は解雇クビになるようなことなどまったくしていないのだ。

 なので俺は目の前の恰幅かっぷくの良い髭面ひげづらの男――今日1日の当主とご子息の葬儀そうぎを取り仕切った孫笑山そん・しょうざんたずねた。

笑山しょうざんさま、ぜひとも理由をお聞かせください。何の理由も説明もなく解雇クビで追放とは、次期当主としてあまりにも理不尽りふじんが過ぎます」

 現在、俺はこの屋敷の当主の部屋にいる。

 そして目の前の椅子に座っている150きん(約90キロ)はある笑山しょうざんは、ご子息と一緒に事故で突如とつじょとして亡くなった当主の弟だ。

「理由だと?」

 ふん、と笑山しょうざん忌々いまいましそうに鼻で笑った。

「当主であった兄上とともに、息子の憂炎ゆうえんも一緒に事故で死んだのだ。ならば憂炎ゆうえんの武術教師だった貴様はもう用済みだろうが」

 笑山しょうざんは微妙に息を切らせながら言葉を続ける。

 俺は用済みという言葉に対して怒りを覚えた。

 同時に腰帯こしおびに差していた長剣のつかに手を掛けようとしたが、こんなところで抜くわけにはいかないとこらえる。

 代わりに両手の指を胸の前で組み合わせる敬礼――拱手きょうしゅを取って反論した。

「お言葉ですが、笑山しょうざんさま。確かに俺……いえ、私は憂炎ゆうえんぼっちゃんの武術教師を任されておりました。しかし、当主である仁翔じんしょうさまにはこうも言っていただいておりました。もしも憂炎ゆうえんぼっちゃんがこの屋敷から巣立った場合や、万が一にも憂炎ゆうえんぼっちゃんの身に何かあった場合にも、そのままこの屋敷に家守いえもりの1人として住んでも良いと」

 嘘偽うそいつわりのない事実だった。

 それほど当主の仁翔じんしょうさまは、俺に盗賊団から自分と息子の命を助けてもらった恩をずっと感じてくれていたのだ。

 だが、笑山しょうざんにはそんなことなど関係なかったのだろう。

「黙れ! 屋敷から追い出されたくないからと言って嘘をつくな!」

 笑山しょうざんは聞く耳を持たないと言った態度を取る。

「嘘ではありません。何でしたら兼民けんみんさんにお聞きください。仁翔じんしょうさまにそう言われたとき、兼民けんみんさんも隣に居合わせておりましたので」

 兼民けんみんさんはこの屋敷の家令かれいであり、どこの馬の骨か分からない自分にも良くしてくれた一角ひとかどの人物だった。

「そんなことはもうできん。兼民けんみんはお前よりも一足早く解雇クビにしたからな。そして解雇クビにしたのは兼民けんみんだけではない。雷公らいこう白騎はくき小鈴こすずなどもそろって解雇クビにしたわ」

「え!」

 この告白には俺も驚愕きょうがくした。

 雷公らいこうさんは凄腕の料理長であり、白騎はくきさんは槍の達人である警備隊長。

 そして小鈴こすずさんは憂炎ゆうえんぼっちゃんの乳母うばだった。

 つまり、仁翔じんしょうさまから全幅ぜんぷくの信頼を置かれていた人たちに他ならない。

 その4人をよりにもよって、仁翔じんしょうさまと憂炎ゆうえんぼっちゃんの葬儀そうぎが終わった直後に解雇クビにしたという。

 どうしてそんなことを?

 などと思ったのは一瞬だ。

 俺はすぐにピンときた。

「まさか、あなたはその4人から次期当主に反対されると思って先手を打ったのですか?」

 笑山しょうざんは図星だとばかりに顔をゆがめた。

 この屋敷にはいなかったとはいえ、笑山しょうざんの悪名はそれとなく伝わっている。

 清廉潔白せいれんけっぱくを絵に描いたような仁翔じんしょうさまとは違い、笑山しょうざんはわざわざ王都の花街はなまちに行くほどの色狂いろぐるいだという。

「そ、そんなことはお前にはもう関係ないだろ!」

 顔を真っ赤にさせた笑山しょうざんは、つばを吐き飛ばしながら怒声を上げる。

 それだけではない。

 笑山しょうざんはここぞとばかりに俺に人差し指を突きつけた。

「それに聞いたところによると、お前は自分のことを道士どうしだと周囲に言っていたらしいが、お前はずっと屋敷にいて道家行どうかこうに行っていた様子はないという」

 これはどういうことだ、と笑山しょうざんは言葉で詰め寄ってくる。

 道家行どうかこう

 それは大きな街には必ず1つはある、妖魔討伐とうばつや薬草採取を生業なりわいとする道士どうしたちの仕事斡旋所あっせんじょだ。

 貿易も仕事の内だった仁翔じんしょうさまによると、西方の国々では道家行どうかこうのことを冒険者ギルド、道士どうしのことを冒険者と呼んでいるらしい。

 それはさておき。

「一体、お前は何者なんだ!」

 笑山しょうざんの問いに、俺は「分かりません」と正直に答えた。

「分からないだと?」

「はい、分かりません。今の私は自分の龍信りゅうしんという名前と、道士どうしということ以外の記憶がないからです。そして道家行どうかこうには、道士どうしの資格である道符どうふを手に入れに1度だけ行っただけでした。あくまでも屋敷に置いておく以上、正式な道士どうしという身分を手に入れるだけで良いという仁翔じんしょうさまのご指示でしたので」

 しかし、と俺は言葉を続けた。

「いくら資格があろうとなかろうと、自分が記憶を失った以前から道士どうしだったということは分かるのです。信じてもらえないかもしれませんが……」

「信じられるか!」

 すぐに笑山しょうざんは言葉を返してきた。

「自分の名前と道士どうしということ以外の記憶がないだと? だったら、なおさらこの屋敷に置いておくにはいかん」

「ですが、当主の仁翔じんしょうさまはそれでも屋敷にいて良いとおっしゃって下さいました」

「もう屋敷の当主はこのワシだ! 兄上がお前に言ったことなど知らんわ!」

 そう言うと笑山しょうざんは、卓子テーブルの上に置かれていた花瓶かびんを手に取った。

 それだけではない。

 何と笑山しょうざんは俺に向かって花瓶かびんを投げつけてきたのだ。

 瞬間、俺は両目に意識を集中させた。

 すると花瓶かびんは非常にゆっくりとした動きで俺の額へと飛んでくる。

 実際は普通の速度で飛んできたのだが、両目に意識を集中させた俺の目には花瓶かびんがゆるやかに飛んでくるように見えたのだ。

 このまま花瓶かびんごと笑山しょうざんを斬り捨ててしまおうか。

 花瓶かびんがゆるやかに飛んでくるように見える中、俺は自分の目の前にもう1人の自分を想像した。

 そのもう1人の自分に腰帯こしおびに差してある長剣を抜かせ、空中にあった花瓶かびんを真下から抜き打ちの要領で一刀両断させる。

 当然ながら、それだけでは終わらない。

 俺はもう1人の自分を意識で動かし、椅子にふんぞり返っている笑山しょうざんの首を一刀の元にね飛ばしたのだ。

 と同時に、俺の額に花瓶かびんが当たった。

 そのまま花瓶かびんは床に落ち、パリンという音とともに床に欠片が散らばる。

「何が道士どうしだ! 素人のわしが投げた花瓶かびんすら避けられない無能者が!」

 つう、と俺の額からあご先に向けて血が流れ落ちる。

 本当は花瓶かびんを避けるなど目を閉じていても可能だった。

 それどころか、俺はやろうと思えば花瓶かびん笑山しょうざんを斬れたのだ。

 実際、俺はやろうと思えばできたことを念として飛ばした。

 しかし、俺は笑山しょうざんどころか花瓶かびんすらも斬らなかった。

 こいつの汚い血で仁翔さまの部屋を汚すわけにはいかないからな。

 もう仁翔さまはいなくなってしまったとはいえ、この当主の部屋は俺にとっても思い出が深い場所だ。

 その思い出の場所を〝色狂いの豚〟の血で汚すくらいなら、花瓶かびんをぶつけられて悪態を吐かれることなど何でもない。

 そう俺が思っていると、笑山しょうざん卓子テーブルの上をバンッと叩く。

「いいからお前のような口先だけの無駄飯食らいはさっさとこの屋敷から出ていけ! これは現当主である孫笑山そん・しょうざんの命令だ! もしも駄々だだをこねるのなら、役人に知らせることになるぞ!」

 これ以上の会話は無用とばかりに笑山しょうざんは手首を振る。

 さっさと出て行けという意味なのだろう。

 俺は仁翔じんしょうさまと憂炎ゆうえんぼっちゃんの顔を思い浮かべた。

 同時に盗賊団から2人を助けた数年前のことも思い出す。

 数年前、俺はふと気づくと街道近くの森の中で目を覚ました。

 このときのことは今でも鮮明に覚えている。

 自分の名前と道士どうしということ以外の記憶がまったく無かったのだ。

 それこそ自分がどこの生まれで、なぜ記憶を失っているのかはさっぱりだった。

 そのときの身なりはきちんとしていたし、腰帯こしおびには1振りの長剣が握られていたことから物乞ものごいのたぐいであることは絶対になかった。

 そして森の中を当てもなくさまよっていたとき、盗賊団に襲われている馬車を見つけた。

 立派な馬車だったので盗賊団に目を付けられたのだろう。

 俺は馬車を守っていた護衛の人間が逃げ去るのを見たとき、さやから剣を抜き放って一目散に馬車へと駆け出した。

 あとは肉体に刻まれていた武術の技をもって、10人以上いた盗賊団を根こそぎ斬り捨てていった。

 すると頭目とうもくおぼしき屈強で長身の男は、部下が根こそぎ俺に斬り捨てられたのを見て明らかに驚愕きょうがくした。

 そんな頭目とうもくの男は「このガキ、何者だ!」とたずねてきたので、俺は「龍信りゅうしんだ」とだけ名乗って頭目とうもくの男の上半身を袈裟斬けさぎりにして勝利したのである。

 やがて俺は馬車に乗っていた仁翔じんしょうさまと憂炎ゆうえんぼっちゃんに感謝され、孫家そんけ食客しょっきゃくとして屋敷へと招かれた。

 しばらくすると俺は憂炎ゆうえんぼっちゃんの武術教師も任されたばかりか、仁翔じんしょうさまから家族のあかしとして「そん」の名字もいただいたのだ。

 嬉しかった。

 本当に心の底から嬉しかった。

 このときから俺は仁翔じんしょうさまのために生きようと決心したのだ。

 記憶を無くしていようが関係ない。

 仁翔じんしょうさまのため、そして仁翔じんしょうさまが愛する憂炎ゆうえんぼっちゃんのために生きれるのなら記憶を取り戻す必要などないと思ったほどだった。

 だが、その2人はもうこの世にはいない。

 俺は先ほど笑山しょうざん家守いえもりとして屋敷に置いてくれと言ったものの、仁翔じんしょうさまと憂炎ゆうえんぼっちゃんのいない屋敷の家守いえもりに価値なんてあるのだろうか。

 冷静になった俺は、自分の進むべき道を決めた。

「分かりました。荷物をまとめてすぐに出て行きます」

 俺は一応、笑山しょうざんに頭を下げる。

「言っておくが、お前の退職金などビタ一文たりとも出さんからな」

「要りません」

 アンタからの金は特にな、と俺は心中で思いながら振り返った。

 そのまま出入口の扉へと歩いていく。

「とっとと出ていけ。この無能者の野良犬風情ふぜいが……いや、もう野良犬ではなくて野良道士のらどうしか。がはははははは」

 俺は笑山しょうざんからの嫌味を無視して部屋から出る。

 背後からは笑山しょうざんの笑い声がいつまでも聞こえていた。
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