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第五十二話   ここは魔物の巣窟か

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「申し訳ありません。あなたの言っている意味が分からないのですが……」

 頭上に疑問符を浮かべた黒狼ヘイランに対して、武蔵は自分のほうこそ意味が分からないとばかりに首をかしげた。

「なぜだ? 俺は何も難しいことは言うてはおらんはずだぞ」

 武蔵がそう口にした直後、「いや、今のはオッサンの言い方が悪いわ」とルリが話に割って入ってきた。

「ルリよ、お主まで何を言うておる。そもそも、お主がこの者を仲間にせよと申したのではないか」

 ルリは目眉めまゆを吊り上げながら武蔵の眼前までやってくる。

「そうやけど、オッサンの言い方やとまったく相手に伝わらんわ。大体、お前が欲しいってどういうことやねん。愛の告白やないんやで」

 続いてルリは武蔵に小声で話しかけた。

「ええか、オッサン。うちらにはちんたらと問答しとるひまはないんや。こうしている間にも伊織は生死のさかい彷徨さまよっているんやから、余計なことに時間を使うようなことはしたらアカン。そうやろ?」

 確かにそうである。

 今は伊織の命を救うことが先決なのだ。

 そのために無駄な時を浪費するのは得策とくさくではない。

 武蔵はこくりと首を縦に振った。

「それは分かったが、どうしてそんなコソコソとしゃべる?」

「当たり前やろうが。うちらが欲しいは普通の冒険者が欲しがるもんちゃうんや。それを等級なしノークラスのオッサンが手に入れたいと言うてみい。たちまち冒険者たちの間で変なうわさが広まって手に入るもんも手に入らなくなるで」

 ルリが口にしたとは、言わずもがな〈ソーマ〉のことだろう。

 だが、その〈ソーマ〉が欲しいと言ったところで、冒険者たちの間で変なうわさが広まるとはどういうことなのだろうか。

 せやから、とルリは言葉を続ける。

「オッサンは少し黙っててくれ。ここからはうちが黒狼ヘイランにきちんと説明するさかい……え・え・な?」

「う、うむ……」

 ルリの迫力に押されて武蔵は押し黙った。

 説明が下手なのは武蔵自身も自覚している。

 これが自分の技の説明ならば話はまた別だったが、異世界特有の事柄ことがらに対してでは当たり前だが口下手になってしまう。
 
 となれば、ルリのような口達者な人間に説明は任せるべきだ。

「承知した。あとは頼む」

 武蔵はルリに説明をたくすと、ルリは「もちろんや」と大きくうなずいた。

 そしてルリは颯爽さっそうと振り返り、落ち着いた様子で黒狼ヘイロンに言う。

「おい、黒狼ヘイロン。そういうわけやから、うちらと一緒に迷宮ダンジョンに行ってくれ」

 武蔵は強烈な肩透かしを食らった。

「何だ、それは! 俺と言っていることが同じではなかいか!」

「はあ? 同じやないやろ! うちはちゃんと目的を話しているやないか!」

 突如、不毛な言い争いを始めた武蔵とルリ。

 そんな二人を見つめていた黒狼ヘイロンは小さくため息を漏らした。

「お二人とも、ここは冒険者ギルドで寸劇すんげき(コント)を披露ひろうする場ではありません。特に用がないのならば、このままお引き取りをお願いしたいのですが」

 武蔵はハッと我に返った。

「いや、用ならばある。俺はへ行ってやらなければならないことがあるのだが、それをするにはお主の協力が何としてでも必要なのだ」

「どちらにせよ意味が分かりません。どうして私があなたと一緒に迷宮ダンジョンへ行く必要があるのですか?」

 などと押し問答のようになってきたときである。

「あーもー、これじゃあ話がまとまらん!」

 と、ルリが頭を掻きながら苛立いらだちの声を上げた。

「これはあれやな。やっぱり、上の人間も交えて説明しなアカンわ」

 そう言うとルリは黒狼ヘイランに近づき、「あんたも含めてギルド長と話がしたいんやけどええか?」と告げた。

「……」

 黒狼ヘイランは無言のままルリと武蔵の顔を交互に見つめる。

 ほどしばらくして、黒狼ヘイランは「何か特別な事情があるようですね」と言った。

「分かりました。間接的ではありますが、武蔵さんには赤猫チーマオの命を助けてくれた恩もあります。師父シーフー(お師匠)……ギルド長は私室におりますので、一緒に行きましょう。ついでにそこで武蔵さんの冒険者登録もしましょうか」

 ようやく話が通じたことに、武蔵は満足そうな顔であごを引いた。

 それに黄姫ホアンチーが間に入ってくれるのならば非常に助かる。

 話の分かる黄姫ホアンチーがいれば、この話はとんとん拍子びょうしに進むに違いない。

「それは助かる。では、早速――」

 黄姫ホアンチー殿の元へ行こう、と武蔵が二の句をつむごうとしたが、黒狼ヘイランは「その前にやることがあります」と武蔵の言葉をさえぎった。

「そこで気絶しているの後処理をしなくては」

 黒狼ヘイランはソドムに向かってあごをしゃくって見せる。

「お主があやつの後始末をするのか?」

 武蔵も気絶しているソドムへ視線を向けた。

「悪いがこちらも急いでいる。出来れば他の者に頼むということは出来んのか?」

「元々、そのつもりですよ。本来、この時間の受付の担当は別の者ですので」

 直後、黒狼ヘイランは静かに両目を閉じた。

 時にして三呼吸ほどだろうか。

 黒狼ヘイランは両目を開けると、受付口の一角に目線を飛ばす。

「そこに隠れていたのですか、苺鈴メイリン。もう終わりましたから出てきてください」

 武蔵も釣られて黒狼ヘイランと同じ場所を見る。

 視線の先には仕切りを兼ねた木製の長台(カウンター)があったのだが、その後ろ側からひょっこりと顔だけを出した人物がいた。

「ほ、本当に? 本当にもう怖いことは終わったアルか? 姐姉ジィエジィエ(姉さん)」

 十三、四の年頃と思われる女童めわらべ(女の子供)であった。

 伊織と同じつややかな黒髪の持ち主であり、その黒髪を左右に一つずつ団子のように結っている。

 まだ幼さが残っているものの顔立ちは良く、吸い込まれるような大きな瞳が特徴的だった。

 しかし、武蔵が苺鈴メイリンに目を奪われていたのは一瞬である。

 すぐに武蔵はあることに気づいて驚いた。

 そんな武蔵の驚きとは裏腹に、黒狼ヘイランは平然とした態度で苺鈴メイリンに告げる。

「本当ですよ。ソドム・レッドフィールドは完全に気を失っているので、しばらく目を覚ますことはないでしょう。だから苺鈴メイリン。私がこの人たちとギルド長室へ行っている間に、警吏隊けいりたい(街の警察組織)へ使いを出してソドム・レッドフィールドの身柄みがらを確保してもらいなさい」

「ま、待ってほしいアル。もしも、姐姉ジィエジィエ(姉さん)がいない間にその男が目を覚ましたらどうするアルか?」

「そのときはあなたが取り押さえればいいでしょう?」

「え~ッ!」

 苺鈴メイリンは耳をつんざくような叫び声を上げた直後、仕切りを兼ねた木製の長台(カウンター)を異常な跳躍ちょうやくで一気に飛び越えてきた。

「無理アル無理アル! 絶対に無理アル! とてもアタシなんかが取り押さえられる相手じゃないネ!」

「確かにでは意識を取り戻したソドム・レッドフィールドを拘束するのは荷が重い」

 ですから、と黒狼ヘイランは眼光を鋭くさせた。

「いざとなったら玲鈴レイリンと変わりなさい。ただし、その際は彼女に殺さないよう警告しておくこと。いいですね?」

「う~、それこそ無理かもしれないアルが……」

 困った顔をした苺鈴メイリンに、黒狼ヘイランは首を左右に振って見せる。

職務放棄しょくむほうきですか? 別にいいのですよ。それならば、あなたが受付の仕事をさぼっていたことをギルド長に伝えるだけです」

「ひえ~ッ、それだけは勘弁してほしいアル! 分かったアル! ちゃんと仕事をするアルよ!」

 苺鈴メイリンは慌てふためきながら武蔵の横を通り過ぎる。

 そのまま苺鈴メイリンはソドムの元へと一目散に向かった。

「さあ、ここは苺鈴メイリンに任せて私たちはギルド長室へ行きましょう」

 黒狼ヘイランは武蔵とルリに一声かけると、二階に上がる階段へと歩いていく。

「そうやな。ここにいてもラチがアカンわ」

 ルリは黒狼ヘイランに同意しつつ、二階へ続く階段に向かう。

「どうした? オッサン。ボケッとしとらんで早く行こうや」

 途中、ルリは顔だけを振り向かせて武蔵を見る。

 武蔵は金縛りが解けたように全身をビクッと震わせた。

 そして、ぼそりとつぶやく。

「ここは魔物の巣窟そうくつだな」

 やがて武蔵も二人のあとを追い、二階へ続く階段に向かって歩き出す。

 武蔵の後方では、苺鈴メイリンの悲痛な叫び声がいつまでも木霊こだましていた。
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