上 下
2 / 22

第一章 ~『クッキーと兄』~

しおりを挟む

 クレアに両親の記憶はない。物心ついた時には養子としてアイスバーン公爵家で育てられていたからだ。

 しかしぼんやりとだが、亡くなった母親を夢に見る。顔は鮮明ではないが、向けられた言葉だけは記憶に残っている。

『優しい人になりなさい。そうすれば必ず幸せになれるから』

 夢が終わり、目を覚ますと、窓から夕陽が差し込んでいた。調理器具が並んでいる光景から、厨房でクッキーを焼いている際中に寝てしまったことを思い出した。

「お昼寝してしまいましたね」

 婚約者であるルインとの関係性を良好にするには、サーシャを妬んでも意味はない。それよりむしろ、彼を振り向かせる方向性で努力した方が建設的だ。

(優しさはどんな困難も乗り越える武器になるはずですよね)

 愛情をこめたクッキーをプレゼントすれば、きっとルインの心も動くはずだ。そう信じてオーブンからクッキーを取り出すと、こんがりとキツネ色に焼けていた。

 これならきっと喜んでもらえるはずだ。そう信じていると、兄のギルフォードが近づいてくる。

「美味しそうな匂いがすると思ったらクッキーを焼いていたんだね」
「ルイン様へのプレゼントなんです」
「それは羨ましいね」
「よければ味見してみますか?」
「いいのかい?」
「もちろんですよ」
「では頂くね」

 クレアが味見するより、同じ男性であるギルフォードの意見の方が参考になるはずだ。そう考え、クッキーを差し出すと、受け取った彼は小さく齧る。

「アーモンドを砕いて混ぜているんだね。サクサクしていて美味しいよ。きっとこれなら、ルインも気に入るはずだ」
「ふふ、料理は得意ですから」
「昔はあんなに苦手だったのにね」

 幼い頃のクレアは料理を失敗し、包丁で手を切ることも日常茶飯事だった。いつしか料理にも慣れ、得意だと胸を張れる腕前へと成長したのである。

「あの頃の手の傷はもう残っていないのかい?」
「回復魔法で治療しましたから。小さな傷痕さえ残っていませんよ」
「さすが、癒しの力だね」

 ギルフォードは感心するが、クレアの心中は複雑だった。

 回復魔法は他に使い手を聞いたことがないほどに珍しい力だ。自分が特別な力を持つ恐怖と、誰かの役に立てるかもしれない期待が、感情を混じわらせていたのだ。

「念のため確認するよ。ルインにも回復魔法の話はしてないよね?」
「はい、お兄様との約束ですから」

 クレアは回復魔法の使い手であると秘密にするよう言い含められていた。なぜ秘密にしなければならないのか、それは十八歳の成人のタイミングで教えてくれるとの約束になっている。

「今週末でクレアも十八歳。君が回復魔法を使える秘密も明らかになる」
「……なんだか不安になりますね」
「怖がることはないよ。君にとって悪い話ではないからね。それに成人の誕生日だ。盛大に祝うから楽しみにしていて欲しい」
「私は家族から祝ってもらえるだけでも十分に幸せですよ」
「その言葉は嬉しいけどね。クレアを祝福したい人は君が思っている以上に多いんだ。素直に受け入れて欲しいな」

 家族以外からの祝福と聞き、クレアは首を傾げる。彼女の交友関係はさほど広くない。祝ってくれそうな人たちについて、すぐにピンとは来なかった。

(もしかして使用人の皆さんを招待してくれるのでしょうか……)

 貴族のパーティに使用人をゲストとして招くことは通常ならありえない。だが成人の誕生日だけは特別に許されるのかもしれない。

「ふふ、今から成人するのが待ち遠しいです」

 クレアは当日を心待ちにする。自然と笑みも零れるのだった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

虐げられた第一王女は隣国王室の至宝となる

珊瑚
恋愛
王族女性に聖なる力を持って産まれる者がいるイングステン王国。『聖女』と呼ばれるその王族女性は、『神獣』を操る事が出来るという。生まれた時から可愛がられる双子の妹とは違い、忌み嫌われてきた王女・セレナが追放された先は隣国・アバーヴェルド帝国。そこで彼女は才能を開花させ、大切に庇護される。一方、セレナを追放した後のイングステン王国では国土が荒れ始めて…… ゆっくり更新になるかと思います。 ですが、最後までプロットを完成させておりますので意地でも完結させますのでそこについては御安心下さいm(_ _)m

隣国で大活躍中につき、婚約破棄してきた王子様にはもう会いません!

昼から山猫
恋愛
【祖国から要らないと言われた私、隣国では超引っ張りだこなんです」】  子爵令嬢フィオナは、王子アレクセイに「才能なし」と決めつけられ、婚約破棄。嫌気が差して隣国ラウフェンへ行き、のんびり過ごすつもりが、たまたま魔法オペラ劇団の楽屋トラブルに遭遇。彼女は舞台裏の整理や演出スケジュールをササッと把握し、混乱を収めてしまう。  実は王宮で礼法や舞踏を学んでいた彼女の経験が、劇場運営にぴったりハマったのだ。劇団から「ぜひ演出助手をやってほしい」とオファーされ、フィオナは試しにやってみると、次々と劇を成功に導き、観客も劇団員も感謝しきり。  いつしかラウフェン中に「魔法オペラを成功させる立役者がいる」と話題が広がり、貴族社会からも「劇場改革を手伝って」と大勢の依頼が舞い込む。フィオナは連日舞台裏で大忙しだが、感謝される喜びに満たされ、毎日が輝いていた。  祖国はアレクセイ王子が失敗続きで苦境に陥り、「あのフィオナがいれば…」と呼び戻しを試みる。だが劇団やラウフェン貴族らが口をそろえて「彼女は我が国に欠かせない」と拒否。フィオナも「申し訳ありませんが、もうそちらで働く気はありません」と一蹴する。  王子が必死に“お詫び”の書簡を送っても、フィオナは「舞台の本番が迫っているので忙しくて」と相手にしない。祖国の苦しみなど、今の彼女には関係ない話だ。  こうして、祖国で「無能」と言われた彼女は、隣国で新しい道を切り開き、人々の拍手と喝采を受ける立場になった。婚約破棄も悪くない――そんな開き直りさえ感じるほど、フィオナの充実した日々は続いていく。

駒として無能なお前は追放する?ええ、どうぞ?けど、聖女の私が一番権力を持っているんですが?

水垣するめ
恋愛
主人公エミリー・ヘミングスは男爵家の令嬢として生まれた。 しかし、父のトーマスから聖女として働くことを強制される。 聖女という地位には大きな権力と名声、そして金が入ってくるからだ。 エミリーは朝から晩まで働かされ、屋敷からも隔離され汚い小屋で暮すことを強要される。 一度駒として働くことが嫌になってトーマスに「聖女をやめたいです……」と言ったが、「駒が口答えするなっ!」と気絶しそうになるぐらいまで殴られた。 次に逆らえば家から追放するとまでいわれた。 それからエミリーは聖女をやめることも出来ずに日々を過ごしてきた。 しかしエミリーは諦めなかった。 強制的に働かされてきた聖女の権力を使い、毒親へと反撃することを決意する。

ええ、婚約破棄は構いませんが、今まで貸したお金は返してくださいね?

水垣するめ
恋愛
「お前との婚約は破棄する! 卒業パーティーだしいい機会だからな!」 主人公ローラ・ベネットは婚約者のニック・エドマンドにいきなり婚約破棄された。 どうやらニックは卒業パーティーだからという理由で思いつきで婚約破棄したようだ。 ローラはそんなニックに呆れ返り、こんなのと婚約していられない!と婚約破棄することを受け入れた。 するとニックは「当然だ!お前みたいな女より俺にはもっと相応しい相手がいるからな!」とローラを貶め始めた。 ローラは怒りが溢れそうになったが、何とか我慢する。 そして笑顔でニックにこう言った。 「今まで貸したお金を全て返して下さい。卒業パーティーだしいい機会なので」 ニックは今までローラから友人と遊ぶためのお金を借り続けていた。 それは積りに積もって、大金となっていた。 その額にニックは「覚えてない」と逃げようとするが、ローラはすかさず今までの借用書を突きつけ逃さない。 「言い逃れは出来ませんよ? 指紋も押してあるしサインもしてあります。絶対に絶対に逃しませんから」 一転して莫大な借金を背負ったニックはローラに許しを乞うがもちろんローラは許すはずもなく……。

他人の寿命が見える私は、婚約者の命が残り3ヶ月だと知っている~婚約破棄されて辺境の実家に帰ることになった令嬢は隣国の王子から溺愛されます~

上下左右
恋愛
「メアリー、用済みとなった貴様との婚約を破棄する」  魔物の被害に苦しんでいた公爵家は、問題解決のため、優秀な魔術師であるメアリーとの婚約を果たしたにも関わらず、魔物問題が解決した途端に婚約破棄を宣言する。  道理に反した行いに呆れたメアリーだが、あっさりと婚約破棄を受け入れ、実家である辺境領へと帰還する。  彼女がすんなりと婚約破棄を受け入れたのには理由があった。メアリーは他人の生命力を視認できるため、残りの寿命を知ることができたのだ。  婚約者の寿命は残り三ヶ月。彼に別れを告げ、実家に帰った彼女は、幼馴染である隣国の王子から熱烈なアプローチを受けるのだった。  一方、公爵は寿命が近づくに連れて、周囲の人たちから見放されていく。孤独に暮らすようになった彼は、メアリーとの婚約破棄を後悔するのだった。  本作品は婚約破棄された令嬢が辺境領に戻り、ハッピーエンドを迎えるまでの物語である。

勝手に召喚して勝手に期待して勝手に捨てたじゃないの。勝手に出て行くわ!

朝山みどり
恋愛
大富豪に生まれたマリカは愛情以外すべて持っていた。そして愛していた結婚相手に裏切られ復讐を始めるが、聖女として召喚された。 怯え警戒していた彼女の心を国王が解きほぐす。共に戦場へ向かうが王宮に反乱が起きたと国王は城に戻る。 マリカはこの機会に敵国の王と面会し、相手の負けで戦争を終わらせる確約を得る。 だが、その功績は王と貴族に奪われる。それどころか、マリカは役立たずと言われるようになる。王はマリカを庇うが貴族の力は強い。やがて王の心は別の女性に移る・・・

何でも欲しがる妹は婚約者は奪えても聖女の地位は奪えなかったようです。

水垣するめ
恋愛
妹のメリー・キャロルは私のものを何でも欲しがった。 お菓子から誕生日に貰った大切なぬいぐるみまで。 私があげないと、メリーは泣き叫び嘘をついて私に仕返しをする。 そのため私はメリーが欲しがる物をあげざるを得なかった。 そして今度メリーの強欲は婚約者だけではなく聖女の地位にまで向いた。 メリーは私から聖女を奪うために嘘をついて冤罪を着せようと計画するが……。

「お前は聖女ではない!」と妹に吹き込まれた王子に婚約破棄されました。はい、聖女ではなく、『大聖女』ですが何か?

つくも
恋愛
王国リンカーンの王女であるセシリア。セシリアは聖女として王国を支えてきました。しかし、腹違いの妹に「本当の聖女ではない」と吹き込まれた婚約者の王子に婚約破棄をされ、追放されてしまうのです。 そんな時、隣国の王宮にセシリアは『大聖女』としてスカウトされます。そう、セシリアはただの聖女を超えた存在『大聖女』だったのです。 王宮でセシリアは王子に溺愛され、『大聖女』として皆から慕われます。小国はセシリアの力によりどんどん発展していき、大国に成長するのです。 一方、その頃、聖女として代わりの仕事を担うはずだった妹は失敗の連続。彼女にセシリアの代わりは荷が重すぎたようです。次第に王国は衰えていき、婚約者の王子からは婚約破棄され、最後には滅亡していくのです。 これは聖女ではないと追放されたセシリアが、ホワイトな王宮で大聖女として皆から慕われ、幸せになるお話です。

処理中です...