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第三章 ~『夏彦と謎』~
しおりを挟む明智たちと話をするためにリビングへと戻る。時計の秒針の進む音だけが聞こえる静寂は気まずい空気を生み出していた。そんな中、最初に動きを見せたのは夏彦だった。
「姉ちゃん……ごめん」
夏彦は申し訳なさげに頭を下げる。美冬は抑えていた衝動を我慢できなくなる。
「夏彦!」
再会できた喜びを噛みしめるように夏彦をギュッと抱きしめる。目尻には涙も浮かんでいた。
「本当に心配したのよ!」
「姉ちゃん、苦しい……」
「ごめんなさい。再会できたことが嬉しくて、つい……」
夏彦から手を離すと、美冬は視線を隣に立つ明智に向ける。
「事情を説明してくれるのよね?」
「もちろんよ。でもその前に一つ聞かせて。どうして私たちが家の中に隠れていると分かったの?」
明智は自分の立てた計画に自信を持っていた。それを見抜かれたことに少なからずショックを受けていたのだ。
「気づけた理由の前に、君たちの動機からおさらいしよう。あやかしを理由にして、僕と東坂さんの仲を引き裂くことだ。だから人には不可能な密室を生み出そうとした。その手段こそが、鍵のかかった家でケーキを食べることだったんだ」
「…………」
「でもそれは悪手だった。家の中に入れないのなら、最初から家の中に居ればいいと推理できてしまう。あとはどこに隠れるかだけさ。東坂さんが調べるのを躊躇う場所、つまり夏彦くんの部屋に君たちが隠れていると想像するのは容易かったよ」
「あやかしオタクの西住のくせに、どうして人間の仕業だと信じられたの?」
「あやかしが好きだからこそさ。彼らはね、ケーキを食べたりしないんだ」
現実に力を作用させることはあるが、食べ物を口にするようなことはしない。あやかしについての専門家だからこそ、彼はトリックを見破ることができたのだ。
「さて次は君の番だ。事情を説明してくれるかな」
「私は……」
明智は戸惑いを示す。そんな彼女を庇うように、夏彦が一歩前へ出る。
「由紀さんは何も悪くない。もちろん俺もだ。すべて姉ちゃんのためにしたことだからな」
家出騒動に決着を付けるため、対立するように視線を交わらせる。特に夏彦の西住に向ける視線には過分な敵意が含まれていた。
だが敵意を向けられた西住はいつもと変らない涼し気な笑みを浮かべている。それが気に食わないのか、夏彦は眉間に皺を寄せた。
「久しぶりだね、夏彦くん」
「再会したくはなかったけどな。西住、あんたが元気で残念だよ」
「僕は夏彦くんが元気で嬉しいけどね」
「相変わらずだな。やっぱり俺はあんたが嫌いだ」
「僕は君のことが好きだけどね」
「――――ッ」
暖簾に腕押ししているような感覚に、夏彦の機嫌が次第に悪くなっていく。二人の間に入り込むように、美冬が声をあげる。
「ふ、二人は知り合いだったのね。もしかして子供の時に?」
「幼少の頃、東坂さんの家にはよく遊びに来ていたからね。姉は渡さないと、夏彦くんには何度も宣戦布告されたものさ」
「お、俺の過去を勝手に暴露するんじゃねぇ!」
夏彦はさらなる敵意を剥き出しにする。対立的な雰囲気を和やかにするには話題を変えるしかないと、会話の矛先を明智へと移す。
「由紀と夏彦の話も聞かせて欲しいわ。二人はどこで仲良くなったの?」
「姉ちゃんと遊ぶために家に来ることがあっただろ。それで話す機会はたくさんあった。でも本当に仲良くなれたのは、由紀さんが姉ちゃんに関する悩みを相談してくれたからだ」
「私に関する悩みね……聞いたら死にたくなるような内容はやめてね?」
「姉ちゃんの悪口じゃねぇよ!」
「なら何を相談していたのよ?」
「それは……姉ちゃんがオカシくなったって話だ」
「弟にディスられると心が痛いわねぇ……」
「話の途中で傷つくなよ! 俺が言いたいのは、西住が原因であやかしに夢中になったってことだ」
「それのどこが変なの?」
「いやいや、気づけよ。普通の女子大生が江戸時代の古書やあやかしに熱中すると思うか?」
「するわよ。ほら、私が証拠よ」
「いや、だから――」
「それに夏彦、趣味に偏見を持つのは駄目よ。他人の嗜好や個性は尊重しないと」
「うっ……やべぇ、姉ちゃんに論破されそうだ……」
「小学生に口論で負けた大人みたいな反応止めて!」
「と、とにかく。姉ちゃんは西住と仲良くするようになってから変わり始めた。なんだか俺たちとの間に心理的な距離まで感じるようになったんだ……」
「要するに私に構ってもらえなくて寂しかったってことね。本当、夏彦は可愛いんだから♪」
「うぐっ……姉ちゃんは西住と一緒にいることで、変人になったんだ。それにこいつのせいで呪いまで受けた」
「土蔵《どぞう》に閉じ込められた件ね……」
「あれはすべて呪いが原因だ。西住と一緒にいると今後も同じことが起きるかもしれない。一刻も早く、西住とは距離を取るべきなんだ!」
夏彦の強い主張に美冬はたじろぐ。彼の主張を後押しするように、明智も口を開く。
「私も夏彦くんも美冬のことが心配なだけなの」
「由紀……」
「今回は騙すようなことをして悪かったと思っているわ。でもね、あなたを呪いから救うためなら私たちは心を鬼にするわ。美冬も呪われてまで西住と一緒にいたくないでしょ?」
「私は……」
明智の問いに対し、美冬は真摯な表情を浮かべる。彼女の心の中で答えは決まっていた。
「呪われてもいいわ」
「美冬、あなた正気なの!?」
「正気よ。だって私は呪われることより、西住くんと友達でなくなることの方が恐ろしいもの」
「あなた、そこまで……」
西住との仲を引き裂くことに失敗した明智は悔しげに唇を噛みしめる。説得を続けようにも、強い意志の宿る瞳を前にしては何も口にすることができなかった。
「東坂さん、僕との友情を守るためにありがとう」
「西住くんのためじゃないわ。私が一緒にいたかったの」
「僕も同じ気持ちさ。だから呪いから君を守るのは僕の役目だ……いいや、呪いに見せかけた人間の所業からと言い換えた方が適切かな」
「どういうこと?」
「ケーキの事件と同じさ。あやかしの呪いに見せかけて、君を土蔵《どぞう》に閉じ込めた人間がいるのさ」
「まさか……」
呪いにみせかけて美冬を閉じ込めた人間がいるとしたら、話の流れから容疑者は二人に絞られる。
「東坂さんを土蔵《どぞう》に閉じ込めた犯人は――夏彦くん、君だよね」
犯人扱いされた夏彦は驚きで目を見開く。だがすぐに強い意志を取り戻し、西住と真っ向から衝突する。
「俺がそんなことをするはずないだろ!」
「いいや、間違いなく君の仕業さ。謎を解明するために、事件のおさらいをしよう。この事件の始まりは土蔵《どぞう》の鍵を夏彦くんが開けるところから始まる」
「鍵を開けたら俺が犯人なのかよ」
「いいや、ここで伝えたいことは、この時点では間違いなく君が土蔵《どぞう》の鍵を持っていたということだ」
「…………」
「東坂さんは鍵を受け取り、本を片付けた。そこで問題に直面する。鍵は彼女が持っているはずなのに、扉にロックが掛かっていたのだ。しかもロック解除は外からしかできないため、閉じ込められてしまった。これが密室の謎だよね」
「ああ」
「君の主張は鍵がないと扉の開け閉めはできない以上、これはあやかしの呪いだとするものだ。でもね、密室の謎はある前提を崩せば呪いなんて必要なくなり、人間でも簡単に実現できるようになるのさ」
「前提?」
「君が扉を閉めた後に渡した鍵が土蔵《どぞう》とは別の扉の鍵だとすればどうかな?」
「あ、もしかして!」
美冬は何かを思い出したように、鞄から二つの鍵を取り出す。どちらも似た形をしており見分けがつかない。
「我が家の鍵ってどれも形が似ているから見分けが付かないのよね」
「夏彦くんはその特徴を利用したんだ。つまり本物の鍵で土蔵《どぞう》の扉を開け、渡す時に隠し持っていた別の鍵とすり替えたんだ。東坂さんはその鍵で土蔵《どぞう》の扉を開けたと思い込んでいるからね。まさか別の鍵だと疑うこともない」
「…………」
「それにこのトリックの上手くできている部分は証拠を隠滅できるところだ。夏彦くん、扉を開けるためだと称して東坂さんから鍵を回収したよね」
美冬は受け取った鍵が土蔵《どぞう》のものだと思い込んでいたため、扉を開けるために、窓から落とすことで外にいる夏彦に鍵を渡した。
しかしこの鍵は偽物だ。このまま返してはいずれ土蔵《どぞう》の鍵が偽物だったと露呈することになる。
そのため夏彦は偽物の鍵を回収し、美冬に返す時には本物の鍵にすり替えたのだ。これにより最初に渡した鍵が偽物だったとする証拠を隠蔽することができた。
「でもツメが甘かったね……証拠がなくなるのは机上の空論だ。なにせ二階から鍵を落とすんだ。傷一つ付かないなんてありえない。調べれば東坂さんが持っていた鍵が偽物だと分かるはずさ」
「ぐっ……」
「でもまぁ、鍵のチェックをする必要はなさそうだね」
夏彦はすべての謎が解き明かされたことを悔やむように唇を噛みしめていた。口の端から血が滲み出ている。
「……西住の言う通りさ。俺が犯人だよ」
「どうして夏彦がこんな馬鹿なことを……」
「そうさ、馬鹿だよ。でも悔しかったんだ。ガサツで彼氏ができたことのない阿呆な姉だけど……優しい自慢の姉だったから、西住にベッタリなのが気に入らなかったんだ。そしてそれは俺だけじゃない。由紀さんだって同じだ」
「私と美冬は長い付き合いだし、生涯の親友だと思っているわ。でもあなたは私から離れ、西住くんに惹かれていった。あなたの一番は私じゃないと我慢できないの」
「夏彦、由紀……二人ともごめんね」
「姉ちゃん……」
「美冬……」
「でも二人と同じくらい西住くんも大切な友達なの」
美冬はきっと夏彦と由紀ならば分かってくれるはずだと訴えかける。しかし彼らの眼は西住には絶対に渡さないという強い意志が浮かんでいた。その瞳に浮かんだ感情は姉弟や友人の領域を超えていた。
「いくら二人が私のことを大切に思っていても、ここまでするのは変だわ……」
「それは僕も感じていたよ。どれだけ仲の良い友人でも心配だからとバイト先まで押し掛けることはしないし、姉がバイトを始めたからと家出する弟は普通じゃない」
世の中の友人や姉弟は、もう少し距離感のある付き合い方をしている。親密さで距離が変わるとはいえ、あまりに行き過ぎていた。
その理由に西住は心当たりがあったのか、美冬の背後にいる善狐へと視線を向ける。
「……あやかしは東坂さんの味方だ。でもね、善き行いが必ずしも結果を成功に導くとは限らないんだ」
「善狐さんの魅了の影響で二人は変になったの?」
「その可能性は高いね」
振り返ってみれば、いままで興味を示さなかった山崎でさえ、美冬に夢中になったのだ。この力が最初から好感度の高い人物たちに影響するとどうなるのか。その答えが目の前にいる二人だった。
「西住くん、手を握ってもいいかな?」
「もちろん」
美冬は夏彦たちに見えないように、背中越しに西住と手を繋ぐ。指を交差させて繋がれた手は、あやかしの見える視界を共有させる。
銀髪の狐耳の青年がすべてを悟ったように優しげに微笑んでいる。美冬は彼の役目が終わったのだと伝えるために、西住に肩を寄せる。
「善狐さん、今までありがとね。急にモテたりして戸惑うことも多かったけど、私、幸せになれたから」
夏彦たちは虚空に語りかける美冬を訝しむ。だが視界が共有されている西住には善狐の満足げな表情がしっかりと目に映っていた。
善狐の身体が足元から次第に薄れていく。役目を終えた彼は、現世から消え去ろうとしていた。
「善狐さん……ぐすっ……ほ、本当に、ありがとね……」
気づくと美冬の目尻からは涙が溢れていた。いつだって彼女の味方をしてくれた恩人との別れは胸が引き裂かれるような気持ちだった。
善狐の姿が完全に消え去り、美冬は涙を拭う。目に見える景色にあやかしはいない。人間だけが生きる世界に戻ってきたのだ。
「美冬、急に泣き出してどうしたの!?」
「西住が何かしたのか?」
訊ねる二人の眼から狂気の色は消え、純粋に親友と姉を心配する声音に変化していた。それがまた善狐が消えたことを証明するようで、より一層悲しみが強くなる。
だがその悲しみを否定するように、西住が握りしめた手にギュッと力を込める。今度は彼の方から肩を寄せる。
「あやかしがいなくなっても、僕だけはいつだって君の味方だから」
「う、うん♪」
あやかしは大切なモノを残してくれた。手に入れたモノを今度こそは失わないようにと、美冬は握る手により一層の力を込めるのだった。
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