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第三章 ~『夏彦と王子様』~
しおりを挟む「おおっ、美冬ちゃん。どうかしたの?」
「実はやっぱり例の件が気になっちゃって……」
「例の件?」
「夏彦が有名だって話。もし千鶴ちゃんが傍にいるなら聞いてくれないかしら」
「…………」
山崎は電話の向こうで黙り込む。いつも軽薄な彼らしくない反応だ。
「ふぅ~、調べようと思えば調べられるし、誤魔化すのは無理かぁ」
「もしかして山崎くんもどうして夏彦が有名だったのかを知っているの?」
「おう。千鶴から耳にタコができるほど聞かされたからな……実は美冬ちゃんの弟は、付属高校時代に王子様扱いされていたそうだぜ」
「お、王子様!?」
予想していなかった答えに驚きの声をあげる。
「え、どういうこと?」
「ファンクラブができるほどのモテ男だったそうだぜ。千鶴もそのファンクラブの会員でな。隠し撮りしたブロマイドに毎朝挨拶しているぜ」
千鶴の思わぬ一面を知り、二の句が継げなくなる。
「い、意外な一面ね」
「実は俺も驚いてるんだ。まさか千鶴に好きな人ができるなんてな」
「ええええっ、好きな人って、そこまでの感情なの!?」
顔が整っているから憧れている。その程度の話かと思いきや、山崎の口振りは否定する。
「互いがまだ高校生だった頃、不良に絡まれていた千鶴が助けられたんだと。助けてくれたのが、二つ上の先輩、つまりは美冬ちゃんの弟だ。颯爽と現れたイケメンに救われて、運命を感じたんだとよ」
「その気持ち、理解できてしまうわね」
危ないところを西住に助けられてきた美冬にとって、窮地に差し伸べられた救いの手が如何に魅力的かを実感していた。夏彦に対して千鶴が恋心を抱いたとしても不思議ではない。
「でさ、面白いのはここからだ。高校を卒業した美冬ちゃんの弟を大学で見つけてさ。声をかけたんだ」
「あ、その話は霧崎さんにも聞いたわ。談笑していたんでしょ」
「笑っていたのは俺だけだがな。千鶴のあの性格じゃあ、告白なんてできねぇだろ。俺が代わりに『妹の千鶴がお前のことを好きみたいだ』って伝えてやったんだよ」
「ええええっ」
「そしたら『千鶴さんって誰ですか?』って返してきてさ。腹を抱えて笑ったぜ。あんなストーカー紛いのことをしておきながら、名前さえ憶えられてねぇのかよってな」
「山崎くんって、やっぱり最低ね……」
「過去の話さ。今の俺は心を改めたからな。千鶴にも二度とこの話をしないでくれと口止めされてさ。だから夏彦が有名な理由も知らないって嘘吐いて、秘密にしようとしたんだぜ。でも美冬ちゃんが問いただしてくるから。本当、悪い女だよな」
「――ぅ……た、確かに無理に聞き出したのは悪かったかも。でもまさかこんな話になるとは想像していなかったから……」
パンドラの箱の中身は弟の恋バナだったとは、さすがに予想できない。
「でもさ、美冬ちゃんの弟、あんなにモテるくせにどうして誰とも付き合わないんだ?」
「恋愛に興味がないのかも」
「それか女に興味がないかだな」
「ええええっ、それってまさか――」
「高校時代、女の影のなさから男色が疑われていたそうだぜ」
「夏彦はいつでも私にベッタリのシスコンなのよ。女の子に興味がないなんて信じられないわ」
「ならオタクだから三次元の女に興味がなかったのかもな」
「夏彦ってオタクだったの!」
「知らなかったのかよ」
「……私、気にしないのに、どうして隠していたのかしら?」
「まぁ、オタクであることを恥じる奴もいるからな……」
美冬と夏彦の間に隠し事は何一つないと思っていただけに、自分の知らない趣味があったことに驚かされる。
「でも本当にオタクなの?」
「間違いねぇよ。秋葉とも仲が良いみたいだしな」
「秋葉くんか……言われてみれば、夏彦の名前も知っていたわね」
秋葉が伝えていないはずの夏彦の名前を知っていたことを思い出す。
なぜ彼は夏彦の友人であることを口にしなかったのかと、疑問が頭に浮かぶ。
「山崎くん、ありがとう。重要な手掛かりが得られたわ」
「どういたしまして。お礼に今度デートでも」
「それは駄目」
「ちぇ、でもまぁいいか。千鶴のためにも思い人を探してやらねぇとな」
山崎は通話を切る。彼の声が大きかったからか、漏れ出る話を聞いていた西住が真摯な眼で彼女を見つめる。
「山崎くんの話聞かせてもらったよ。次は秋葉くんから詳しい話を聞いてみるべきだね」
西住はそう提案するが、美冬は納得できずにいた。
「なにか思うことがあるの?」
「秋葉くんは橋本さんと一緒にいたのよ。そこに夏彦がいるとは思えなくて……」
「だとしても候補は残り二人だ。もう一度話してみる価値はあるんじゃないかな」
霧崎や山崎が匿っていないとすれば、秋葉か明智のどちらに容疑者は絞られる。美冬は友人を疑うことに抵抗を覚え、通話ボタンを押せずにいた。
「止めた。悩むなんて私らしくないもの。当たって砕けてみるわ」
意を決し、秋葉への通話ボタンを押す。数回のコール音が鳴り、彼は電話に出る。
「もしもし、秋葉くん」
「おお、東坂か。もしかして夏彦について何か進捗があったのか?」
「それに関して質問があるの」
「いいぞ。なんでも聞いてくれ」
「秋葉くんは夏彦と仲がいいと聞いたのだけど、本当?」
「おう。本当だぞ。同じ漫画好きとして意気投合してな。熱く語り明かしたものさ」
「あの夏彦が漫画について熱くなるなんて……」
「特に姉がヒロインの漫画には目がなくてな。俺でも敵わないほどの情熱を見せたものさ」
「……それが私に秘密にしていた理由ね」
姉がヒロインの漫画が好きだと、実の姉に知られるのは確かに恥ずかしい。夏彦と再会しても知らない振りをしようと心に決める。
「秋葉くん、そこに夏彦はいないわよね?」
「いないから探しているんだろ?」
「そ、そうよね……実は西住くんの推理で、夏彦は友人に匿われている可能性が高いと分かったの」
美冬は西住のプロファイリングについて話す。秋葉はその内容を黙々と聞いていた。
「俺が夏彦を匿っていると疑っていたってことか?」
「ごめんなさい!」
「気にすんな。俺のちっぽけな感情より、夏彦の方が大事だからな。さてと、そういうことなら匿っていそうなオタク友達に電話してみるか」
「ありがとう、秋葉くん」
「おう。今度、何か奢れよな」
秋葉はそれだけ言い残して通話を切る。美冬の話した感触では、彼も匿っているとは思えなかった。
「これで容疑者は明智さん一人に絞られたね」
「でも西住くん、由紀が匿っているとは思えないわ」
「それはどうして?」
「だって由紀は私の親友なのよ。騙すようなことをするとは思えないもの」
「でも騙す意図はなくて、何か事情があるかもしれないよ」
「…………」
明智が裏切るはずがないと反論したいが、言葉が出てこなかった。代わりに空腹を知らせるための美冬の腹の虫が鳴る。
「~~~~っ、き、聞こえた?」
「き、聞いてないよ……で、でも、夏彦くんが帰っているかもしれないし、電話の前に一旦家に戻ってご飯でも食べようか?」
「う、うん」
美冬はぐぅぐぅ鳴るお腹を押さえながら、帰路につく。隣に立つ西住は気まずそうな表情で、聞こえない振りを続けるのだった。
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