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第一章 ~『マスターキーの存在』~
しおりを挟む内庭から研究棟に戻った美冬たちは明智を探すために建物の中を散策する。廊下や講義室を巡るが彼女の姿を見つけられずにいた。
「どこ行ったのかしら……」
一通り調べつくした後、研究室へと戻った美冬は、自席に腰かけている明智の姿を見つける。
「由紀、ここにいたのね」
「美冬……さっきは庇えなくてごめんね……」
「気にしないで。あの状況だと私が疑われても仕方がないもの」
「それでも謝りたいの。私は美冬が無実だって信じているのに、最後まで戦うことができなかった。本当にごめんなさい」
明智は申し訳なさそうな顔で謝罪する。その表情には心の底から湧き出た後悔が滲んでいた。
「その件だけど、東坂さんの無実は証明されたよ」
「どういうこと?」
「実は……」
ペンダントを破壊したハンマーが内庭に捨てられていたことや、研究棟から十分以上かかる時間的制約があることなどを説明する。西住の説明を聞いた明智は無実が証明されたことに、ホッと安堵の息を漏らす。
「美冬の無実は証明されたわね。これで研究室のみんなも……」
「いいや、まださ。密室の謎がある以上、東坂さんの無実を信じられるのは僕たちくらいで、他の皆に信じてもらうのは難しいと思う。だから謎を解くために教えて欲しい。君はどうして研究室の鍵を持っていたの?」
そもそも美冬が疑われる原因になったのは、戸締りを任されたからであり、そのために必要な鍵は明智から預かったものだった。
なぜ明智が鍵を持っていたのかは当然湧き出る疑問だった。
「立川先生が調理講義に不参加だったでしょ。でも戸締りは必要だから鍵を預かっていたのよ」
「学生に鍵を預けるなんて随分と不用心だね」
「私は成績優秀だから。先生から信頼されているのよ」
「だとしても紛失するリスクはあるはずだ」
「それなら立川先生がマスターキーを持っているから、仮に私が鍵を失くしたとしても問題ないわ……あっ!」
「密室は崩れたようだね」
美冬が犯人だと疑われていたのは、鍵が一つしかない前提があるからだ。もし他の鍵を使って出入りが自由にできるなら、密室ですらなくなる。
「ねぇ、西住くん。本当に立川先生が犯人なのかしら?」
「何か思うところがあるのかい?」
「根拠は何もないの。でも立川先生があんなことをするとは思えなくて……」
立川は凛々しい性格の大人な女性だ。そんな彼女が誰もいない研究室に忍び込んで、ペンダントにハンマーを打ち付けている光景が想像できなかった。
「あなたの言う通り、立川先生は犯人じゃないわ!」
取り巻きを連れた霧崎が美冬の元へとやってくる。話に聞き耳を立てていたのか、事情は把握しているようだった。
「立川先生には私のペンダントを壊す動機がないわ」
「動機なら私にもないわ」
「白々しい。あなたは隼人を狙っていたじゃない!」
「それは以前伝えた通り勘違いよ。私は山崎くんにこれっぽっちも興味がないわ!」
二人は視線を交差させて、火花を散らせる。一触即発の空気が流れた。
「動機だけで東坂さんを犯人だと言い切るのは無理があると思うよ」
二人の対立を仲介するように西住が口を挟む。
「で、でも……」
「立川先生が犯人でないと断言できる理由が他にもあるのかい?」
「そ、それは……見たのよ……調理室の窓から研究棟への出入り口が見えるでしょ。立川先生が花柄のガーデニング服で外出する瞬間と戻ってくる瞬間を目撃したの。それは丁度講義の始まりと終わりの時間だったわ。立川先生が研究室に忍び込んでペンダントを破壊する時間はなかったのよ」
立川にアリバイがある以上、容疑者は再び美冬に移り変わる。霧崎は鋭い目つきで彼女を見据えた。
「やっぱり東坂さんが犯人なんでしょ」
「でも私にはハンマーを捨てに行く時間がないわ」
「ふん。どうせゴリラみたいな敏捷さで捨てに行ったんでしょ。無実を証明する証拠にはならないわ」
「霧崎さん、一つ訂正させて……ゴリラって足が遅いわよ」
「あー、もういちいち五月蠅いのよ。とにかく犯人はあなたよ! 早く認めなさい!」
「い、嫌よ。だって私はやってないもの」
「この分からず屋!」
眉を吊り上げた霧崎は美冬に手を伸ばす。暴力で主張を通そうとした彼女だったが、その手が美冬に届くことはなかった。
それどころか霧崎の身体は見えない何かに押されたように吹き飛ばされ、背後の壁にぶつかって苦悶の声を漏らす。
「よくも犯人のくせに私を殴ったわね!」
「私は何もしてないわ。それに殴ったのは霧崎さん――」
「問答無用よ!」
掴み合いの喧嘩になると誰もが予感した瞬間、研究室の扉が開かれ、立川がやってくる。彼女は周囲の学生から事情を聴き、凛々しい顔を怒りで歪ませていく。
「事情は理解した。東坂、ちょっとこい。講師室でお説教だ」
「そんなぁ~」
「ふん、ざまぁないわね」
「霧崎! 今回は被害を受けた側だから多めに見てやるが、次は容赦しないからな!」
「は、はい」
立川の声で静まり返った教室で、西住は吹き飛ばされた霧崎から何かを感じ取ったのか、神妙な表情を浮かべているのだった。
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