11 / 38
第一章 ~『初めてのお料理本』~
しおりを挟む調理実習の講義が始まる時間になったが、美冬はまだ研究室に残っていた。血走った眼で一冊の本に夢中になっている。
「美冬、そろそろ行かないと……」
美冬に付き添って、残ってくれていた明智が、時計をチラチラと確認する。焦っているのが表情からも伝わってきた。
「もうちょっとなの。あと三分もあれば読み終わるから。由紀は先に調理室へ行っておいて」
「……本なら調理室へ持っていけばいいじゃない」
「それは恥ずかしいわ……」
「美冬が料理できないことなんて周知の事実じゃない。今更本を読みながら調理しても、誰も何とも思わないわよ」
「でも本はこれよ」
読んでいた本を掲げる。そこには『小学生でもできる初めてのお料理本』と記されていた。
「確かにこれは恥ずかしいわね……」
「でも読みやすいのよ。イラスト付きだし、解説もひらがなで書かれているから読めない漢字もないのよ」
「あなた、よくこの大学に受かったわね……」
明智は仕方ないと鞄から鍵を取り出し、美冬に手渡す。
「研究室の鍵を渡しておくから。戸締りしてから来なさいよ」
「うん。ありがとう♪」
一足先に調理室へ向かった明智を見送ると、調理本をジッと見つめて、内容を頭に叩き込む。
「ふむふむ。砂糖とみりんはどちらも甘味にしたいときに使うけど、後者は独特の旨味や風味が生まれると……あれ? お汁粉にはどっちを使えばいいのかな……」
疑問を残しつつも、本を読み進める。過ぎていく時間に焦りながらも、何とか読了した彼女は、急いで研究室を飛び出そうとするも、やるべきことを思い出して足を止める。
「戸締りを忘れるところだったわ」
窓や扉の鍵がかかっていることを確認すると、調理室へと急ぐ。調理室内では生徒たちが割り当てられた食材の前で雑談をしていた。まだ講義は始まっていないと知り、安堵の息を漏らす。
「美冬、こっち、こっち!」
明智が手をあげて、声をかけてくれる。彼女がいる調理台へ向かうと、そこには西住の姿もあった。
「やぁ、東坂さん」
「西住くん! どうして私たちのグループに!?」
「ははは、ほら、僕って友達いないからさ。明智さんが一緒のグループに混ぜてくれたんだよね。迷惑だったかな?」
「迷惑だなんて、そんなことないわよ」
「ありがとう。東坂さんは優しいね」
西住の爽やかな笑顔にドキリとさせられる。顔が赤くなっているのを誤魔化すように、調理室を見渡した。
「あれ? 立川先生はいないのね……」
「今日の講義は助手の人がやるそうよ」
「……体調でも悪いのかしら?」
「料理が下手で教えられないからだそうよ」
何だか親近感を覚える理由だった。続くように、助手の女性が講義開始の合図を送る。レシピがプロジェクタで投影され、材料通りに作るよう指示される。
「美冬、レシピ通りに作るのよ。間違っても隠し味とか入れたら駄目だからね」
「え? そうなの?」
「初心者は失敗しないことを優先すべきよ」
「残念ね。折角、隠し味にバナナを用意してきたのに……」
「注意しておいて正解だったわ……」
レシピに従い、こし餡、水、砂糖を鍋に投入し、木べらでかき混ぜていく。トースターで餅を焼いている間、ゆっくりと中火で加熱していく。
(次の手順は……塩を少々ね。でも少々ってどれくらいなのかな? この匙で一杯分くらい?)
料理下手の美冬は感覚が分からずに、塩を大匙で掬い上げる。するとそれを制するように、手が固まって動かなくなる。
「あ、あれ、手が……」
「どうかしたの?」
「金縛りになったみたいに手が動かないの」
西住は美冬の手に握られた大匙の塩を見て、何かを察したように納得の笑みを浮かべる。
「それはきっとあやかしの仕業だね」
「善狐さんの仕業なの!?」
「うん。君の調理が間違っていることを教えてくれたのさ」
西住の言葉で美冬の金縛りは解除される。大匙に盛られた塩を元に戻すと、西住が見本を示すように一つまみした塩を自分の鍋に入れる。
「塩はこれくらいで十分だよ」
「そんなに少なくていいのね」
「塩の役割は味覚を敏感にさせるためだからね。ほら、西瓜に塩を入れると甘くなるだろ。あれと原理は同じさ。塩を混ぜると少ない砂糖でも甘く感じられるんだ」
西住の助言と善狐の助けに感謝し、お汁粉づくりを再開する。レシピに従って作られたお汁粉は、甘い香りで彼女たちを包み込んだ。
「これで完成ね」
出来上がったお汁粉を赤い茶碗に注ぎ、焼けた餅を投入する。
「僕の方もできたよ、お互いのお汁粉、交換しようか?」
「う、うん」
美冬は西住にお汁粉を手渡す。彼は茶碗に口を付けると、餡子の味を楽しむように啜る。
「うん。とっても美味しくできているよ」
「本当に?」
「嘘なんか吐かないさ。僕にご馳走するために、東坂さんが頑張ってくれたことが伝わる一杯だったよ」
美冬の料理は店で出せるレベルではないが、それでも料理下手な彼女が精一杯努力したと感じられる味に仕上がっていた。愛情は最大のスパイスになるように、美冬の頑張りが、味を何倍にも引き上げてくれていた。
「僕のも食べてみてよ」
「うん♪」
西住からお汁粉を受け取り、それに口を付ける。丁度良い甘みと、餅の香ばしい匂いが食欲を掻き立てた。
「このお汁粉、プロ顔負けの味ね」
「一人で暮らしているからね。料理は得意なんだ」
「私より美味しいのが悔しいわね……けど完璧超人の西住くんになら負けても仕方ないわ」
「僕なんて完璧からほど遠いよ。東坂さんならすぐにでも追いつけるさ」
「本当に?」
「うん。なんなら今度料理を教えるよ」
「いいの!?」
「任せてよ。こう見えても人に教えるのは得意なんだ」
「それじゃあ、よろしくね、西住先生♪」
美冬は西住の好意に甘えることを決め、彼から貰ったお汁粉を飲み干す。優しい甘さが口の中に広がるのだった。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
京都式神様のおでん屋さん
西門 檀
キャラ文芸
旧題:京都式神様のおでん屋さん ~巡るご縁の物語~
ここは京都——
空が留紺色に染まりきった頃、路地奥の店に暖簾がかけられて、ポッと提灯が灯る。
『おでん料理 結(むすび)』
イケメン2体(?)と看板猫がお出迎えします。
今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。
平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。
※2022年12月24日より連載スタート 毎日仕事と両立しながら更新中!
ひかるのヒミツ
世々良木夜風
キャラ文芸
ひかるは14才のお嬢様。魔法少女専門グッズ店の店長さんをやっていて、毎日、学業との両立に奮闘中!
そんなひかるは実は悪の秘密結社ダーク・ライトの首領で、魔法少女と戦う宿命を持っていたりするのです!
でも、魔法少女と戦うときは何故か男の人の姿に...それには過去のトラウマが関連しているらしいのですが...
魔法少女あり!悪の組織あり!勘違いあり!感動なし!の悪乗りコメディ、スタート!!
気楽に読める作品を目指してますので、ヒマなときにでもどうぞ。
途中から読んでも大丈夫なので、気になるサブタイトルから読むのもありかと思います。
※小説家になろう様にも掲載しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
嘘つきカウンセラーの饒舌推理
真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる