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番外◇ 【せんちめんたりずむ】
しおりを挟む「あれ、なんじょーさん。めずらしいね、もう上がり?」
「たまにはな」
社員通用口で行き合った年上の同僚が帰り支度なのを見て、あたしは声をかけた。
立場がそうさせるのか、なんでも一人でやってしまう性質のせいか、彼はいつも遅くまで仕事を請け負いがちだ。趣味・仕事かっていう。
「お前はこんなところで誰待ち伏せてんの」
「待ち伏せてないよ待ち合わせっ! みんなとホテルのバイキンク行くんだー。なんじょーさんも一緒する?」
からかい口調の彼にお約束に噛みついてから、せっかく顔を合わせたのだしとお誘いしてみる。
「残念、俺はこれからデートです」
帰ってきたのは全然残念と思っていない声で。
「さようでございますか! 双子美女によろしくであります!」
「……」
敬礼でもって答えたあたしに、なんで知ってるんだなんて顔をした彼の視線を横に流して、薄ら笑いを浮かべた。なんじょーさんは自分が目立つということを、もう少し真面目に考えたほうがいいです。
「御乱行もホドホドにしないとそのうち呪われるよー」
ニヤニヤ笑いを向けるあたしに目を眇めたなんじょーさんは、おもむろにこちらの頭をわし掴む。
「ぎゃっ」
「人聞きの悪い。誰に呪われるんだっての」
「ぎゃーちょっと! 頑張って結び癖直した髪がボサるでしょ!」
わしわしと頭をかき混ぜる手から逃れてファイティングポーズを向けると、伸びてきた指先に額を突かれた。
くっそ、リーチの差が憎い。
「はしゃぎすぎてよそ様にご迷惑かけるんじゃないぞ」
「しっつれーなっ」
あまり遅くなるなよ、なんてどこのおとーさんだという一言を残して背中を見せる彼に、舌を出してそっぽを向く。
しれっと「デートだ」なんて言ってくれちゃって、彼氏ができたことがないあたしに対する嫌味か。
入社してからのなんじょーさんとの友人関係も、かれこれ四年目。
別に知ろうともしていないのに、どうしてか、いろいろと情報が入ってくるし、本人に言われずとも察する物がある。
彼に恋人ができるのは秋、それから冬までお付き合いを続けて、何故か春には別れて、お仕事に集中しつつフラフラして、街の木々が色づくころまた恋人ができてる。そんなサイクル。
長続きしないよねって仲間内でこっそり酒の肴にしていたりして。そもそも、彼は長続きするお付き合いをあえて避けているのだと思う。
彼がそばに置く女性は、みんな綺麗で才気にあふれたひとたちで――そしてどこか、影があるタイプ。具体的に何がどうって言えるわけでもないし、知りもしないけれど、ひきつけられる、気にかかる雰囲気を持っている。
それはなんじょーさんも、で。
勝手な想像だし、余計なお世話だし、まったくの見当違いかもしれない。
自分がいなくても、一人で立てるひとを選んでいて、すぐに離れられる関係であるように、見えるんだ。
だからかな。理想の恋人同士を体現しているような誰かといる姿に、羨ましいなっていうよりも、さみしい気分になるのは。
実家関係でややこしい苦悩を抱え込んでいるのは、本人からもちょっと聞いたし、噂でふと耳にすることもある。
できないことはないように見えるひとでも、彼は彼で、鬱屈はあるのだろう。
――ていうか、ときどき一人で薄暗くなってるのを発見すると、胸倉掴んで揺さぶりたくなるんだよね。
目の前で世界に自分一人だけ、という空気に浸られるとなんとなくムカッとしちゃうのだ。
こっちを見てよ。
ここにいるでしょ、って――
なんじょーさんの、恋人さんたちは、そんなふうに思ったこと、ないのかな……?
*****
あたしの思い出の中の彼は、いつも後ろ姿。
周りにたくさん人がいるはずなのに、たった一人に見えるすっと伸びた背中の線を見るたびに、せつなくなった。
そんなのあたしのひとりよがりな感傷で、実際に当人がどう感じていたかなんて、いまだってわからないけれど。
「むかついた!」
先に起きていたフミタカさんがソファでくつろいでいるのを発見、あたしはその上に飛び乗った。
「起き抜けになんなんだ……」
衝撃でぐしゃぐしゃになった新聞を余所へやりながら、フミタカさんが天井を仰ぐ。その頬を両手で挟んで、鬱憤をぶつける。
「『俺はデートだ』とか言ってくれちゃってこっちはどうせ女子だけで食い倒れバイキングだよ!」
「だから何の話」
「旦那の素行が悪かった頃の夢見たっ」
呆れ顔だったフミタカさんが、その瞬間真顔になる。こちらも無言で対抗。
「……」
「……」
いつもどおり、視線を逸らしたのは彼のほうだった。具体的なことを言わなくてもいろいろと心当たりはあるらしい。けっ。
「……ケーキバイキング行くか、奥さん」
「行くであります!」
あからさまなご機嫌取りに敬礼でもって答えて、膝から降りる。
ヤレヤレと肩を解す仕草がわざとらしい。
顔を洗うために洗面所へ向かったあたしがふと振り向くと、うん? と首をかしげてこちらを窺う。
その瞳がちゃんとあたしを映しているのを確かめて、なんでもないよと笑ったのだった。
(初出:2015年 01月27日)
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